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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
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24.追跡

 消防車とパトカーが越谷と鷹野の目に飛び込んで来た。二人は顔を見合わせる。騒然となっていたのは、目的地である大手電機メーカーのビルであった。消防士や警察官が辺りを駆け回っている。

「火事……でしょうか?」

 鷹野は眉間に皺を寄せた。越谷は言葉無く状況を観察している。スピードを落としたWRX。路肩に停まっているパトカーの後ろに近付くと、歩道から制服警官が飛び出し両手を広げた。越谷は急いで車を降りると、警官に駆け寄った。

 越谷と警官のやり取りを横目に、ビルの様子を窺う鷹野。消防車は来ているが、煙が出ている様子は無かった。しかし、ビル正面の緑化された広場を埋め尽くしているのは、避難したであろう社員達だった。携帯電話を手にする者もいれば、しゃがみ込んでいる者もいた。

 フロントガラスをノックする音。戻ってきた越谷が、携帯電話で何か話しながら視線を送り手招きした。車から降りた鷹野。越谷が顔を寄せる。

「話は付けた。中に入るぞ」

「何が、あったんですか?」

「まだ分からん……えっと、巡査部長。案内をお願いします」

「はい」と、先ほどとは違う、恰幅の良い制服警官が前に出て会釈する。鷹野は釈然としない表情のまま頭を下げた。

 越谷と鷹野は、巡査部長の後に続いてビルの中に入った。見たところ異常はなかった。足早に進む越谷を追い駆けながら、鷹野が訴えるような視線を送る。越谷が口を開いた。

「何者かが16階のフロアで暴れ、その後、火災報知機が作動したらしい」

「暴れた?」

 越谷は渋い顔をしつつも、意味ありげな視線を返した。

「16階には例のエンジニアが働くオフィスがある」

「……」

 目を丸くする鷹野。越谷は誰に問い掛ける訳でもなく呟いた。

「……これは、偶然か」

 巡査部長と共に二人はエレベーターに乗った。


 16階。問題のフロアには、既に規制線が張られていた。囲んでいる制服警官の肩越しにガラス張りのオフィスを覗くと、奥に刑事と思われる二人の男が確認できた。集められた社員らしき集団と向き合い話をしている。事情を聴いているようだ。

 越谷を案内して来た巡査部長が、黄色いテープをくぐり中に入った。刑事の一人に近付き耳打ちする。

 こちらを一瞥して、やって来たのは白髪交じりの男だった。目つきの良くない中年刑事は、越谷と鷹野をまじまじと見遣った後、やっと言葉を発した。酷い濁声だった。

「内閣情報調査室? ……政府のお偉いさんが、こんな所に何の御用かな?」

 越谷が渡した名刺に目を落としながら訊く。見るからにベテラン刑事といった風貌だが、あからさまに非建設的な口調。他からの介入を嫌い、縄張りを誇示したがる典型的なタイプだ。もう一人の刑事は若かったが、口は開かなかった。

 中年刑事の物言いに、眉尻をピクリとさせた鷹野。だが、越谷は丁重な口調で切り出した。

「突然で申し訳ないが、私達もそこにいる社員さんと話をさせて頂きたい」

 現場検証の詳細は、後で記録を取り寄せて確認すれば良い。越谷が知りたいのは、例の案件と関係があるのかだが、直感的に緊急性を感じていた。現場の声を聴く必要がある。

 口を歪ませ渋い顔をする中年刑事。大きなため息の後、渋々といった様子で二人を中に入れた。その態度は終始ふてぶてしい。

「何の目的か知らないけどね。上からの命令だから特別許可するが、くれぐれも捜査の邪魔だけはしないでくれよ」

「ああ、分かってる」

 心得たように頷いた越谷。しかし、鷹野は背を向けた中年刑事を半眼で睨むと、小馬鹿にした顔でペロッと舌を出した。

 事情を聴かれていた社員達に寄り添う越谷。その表情は強張っており、女性社員にあっては目元を腫らしている者もいた。ショックで怯えている様子だ。

 越谷が尋ねる前に中年刑事が喋り出す。

「賊は二人組みだ。一人は男。もう一人は女。グレーの作業着のような恰好。同じ色の帽子」中年刑事は入口のドアを示す。「入り口の指紋錠を開けて入ろうとした男性社員を殴り倒して進入」

 中年刑事は、そこまで言うと憮然とする。

「だが、その後は何をする訳でもなく。注意に入った他の男性社員にも怪我を負わせ、そのまま逃走。被害者は二人とも軽傷だったが、念のため病院に搬送している。それ以外の被害はなし。単なる嫌がらせか何かのようだ……最近は理解に苦しむ犯罪も多いからな」

 中年刑事は、これ見よがしに説明した。そして、これ以上聴く必要はないだろう、と言わんばかりの顔つきで迫る。それを冷静に受け流す越谷。

「分かりました、ありがとう。では、一つだけ皆さんに訊きたいことがあります……この中に、新垣洋一さんは居ますか? 若しくは、何処にいるかご存じの方は?」

「新垣? ……ここには、居ませんよ」

 男性社員が質問に反応した。黒くて太いウエリントンフレームの眼鏡を掛けている。越谷はその男性社員に注目する。

「では、新垣さんは何処に?」

「新垣は……昼メシの後、デスクで見かけたけど……その後、見ていないな……何処かのフロアで会議かな……外出はしていないと思いますが……予定は無いはずだし」

 眼鏡の男性社員は困惑した表情を浮かべた。越谷が訪ねる。

「新垣さんの上司の方は?」

「ええと……その……殴られて病院に……」

 眼鏡の社員が続けて答え、眉間に皺を寄せた。

「ああ……それは、お気の毒です……」気を取り直した越谷。集まっている社員に視線を走らす。「……他に、誰か新垣さんのこと、ご存知ありませんか?」

「おい、ちょっとあんた。新垣って誰だよ!? 何を訊いている?」

 自分の範疇を超えた内容に、釈然としない中年刑事が不満を漏らす。越谷は答えない。

「だから、何の話だと言っているんだよ!」

「ちょっと、黙って下さい!」

 我慢していた鷹野が咬みつく。中年刑事は頬を引きつらせ睨み付けた。鷹野も負けじと睨み返す。越谷はかまわず集まっている社員達を見渡した。

「あの……」

 か細い声が上がる。ショートカットの女子社員。新垣と昼過ぎに話をしていた望月だった。

 越谷は優しく問い掛ける。

「何か知っているのですか? 大切なことです、教えて下さい。それと、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 鷹野と睨み合っていた中年刑事も耳を傾けた。彼女は名乗った後、頷きながら自分の髪を撫で付けた。

「あの……休憩の時、近くのコンビニ……このビルの裏にあるんですが……その前で、新垣さんがタクシーに乗るのを見ました。何で、こんなところからって思ったんですが……」

 越谷は続ける。

「そうですか、望月さん。では、それが何処のタクシーだったか分かりますか?」

「……すみません。そこまでは覚えていません」

 越谷は温和な表情を崩さない。長年培った対話術である。包容力を感じさせるやさしい雰囲気は相手との壁を自然と無くす。

「……では、車の色は?」

「それなら分かります。しろ、白でした。それに……」

「それに……何か?」

「そのタクシーはプリウスでした」

「……間違いない?」

「ええ、父も同じ車に乗っているので」

 望月は自信ありげに答えた。

「ありがとうございます。助かりますよ」

 にこやかに笑った越谷だったが、望月は浮かない顔をする。

「……新垣さん、どうかしたのですか?」

「大丈夫、心配はいりませんよ。少し聞きたいことがあっただけです」

 その言葉は、不安を払拭できるものではなかったが、望月は小さく頷いた。越谷は鷹野と見合う。二人は既に感じていた。何かが動き始めているのは確かだった。漠然とだが、ピースがはまり出している。

「――それでは、刑事さん。ご協力に感謝します」

 越谷は鷹野に目配せをした後、刑事に軽く会釈する。あっさりと立ち去ろうとする態度に中年刑事が待ったを掛ける。

「おい、内調さん! こっちにも説明があって、いいんじゃないの」

 越谷は数歩戻って、周囲に聞かれないように中年刑事の耳元で言った。

「新垣という男はこちらの調査対象だ。こちらで対処する。悪いが、これ以上は話せない。申し入れは上司を通じてくれ」

 穏やかではあるが、切り捨てるようなその言葉。

「なんだと!」

 不満を爆発させた中年刑事。越谷に詰め寄るが、するりと間に割り入る鷹野。中年刑事に顔を突き付けた。

「何ですか?」

 得意の威嚇を披露する。口角を吊り上げ歯をむき出す。でも、少しばかり幼顔。その、あまりにも滑な顔に拍子抜けする中年刑事。動きが止まる。

「な、何だよ……」

「ふん!」

 その表情のまま、勢いよく踵を返した鷹野。心の中で「よし、今日は勝った」と呟いた。満足気な顔で越谷の後を追う鷹野。もちろん、勝ったのではない。ズレ過ぎている感覚に相手が困惑しただけだ。

 去って行く二人を歯がゆく見詰める中年刑事。口を歪めてぼやいた。

「ちっ! 何だよ、いったい!」

 

 帰りのエレベーター。越谷は携帯電話を取出した。リダイヤルのボタンを押す。

「――ああ、越谷だ。話を付けてくれて助かった。実は、もう一つ頼みを聞いていくれ……探して欲しい車がある」

 新垣洋一。彼を追う算段はついていた。

 タクシーの色と車種、乗った場所と大体の時間は判明している。後は都内で運行している白のプリウスタクシーを調べ、ナンバーを割り出す。次に各幹線道路に設置してある警察所管の自動車ナンバー自動読取装置、俗称“Nシステム”を使い、該当するナンバーをしらみ潰しに検索する。

 プリウスのタクシーは珍しくないが、あの時間帯にその場所を通ったとなると、自然と絞られるはずだ。


 越谷と鷹野が電機メーカーのビル正面から姿を見せた。通りの反対側から様子を窺っていた直哉が二人を見付ける。慌ててパジェロロングのエンジンを掛けた。

 尾行を続けていた直哉。越谷とWRXを運転していた女が、電機メーカーのビルに入っ行くのを見届けていた。ビル周辺の騒然とした状態から、何かが起こったことには間違いない。火災か事件かは分からないが、あの二人は慌てた様子だった。興味をそそられる状況ではあった。

 ここは大手電機メーカーのビルだ。それも政府の仕事を請負う企業として、常にリストに上がってくる有名所だ。今回の案件との接点は見えてこないが、このまま探りを入れることに価値ありと直感した。

 直哉の運転するパジェロはゆっくり発進すると、1ブロック先の交差点でUターンした。そして、WRXを少し先に見据える位置で歩道に寄せ停車した。


 WRXに乗り込もうとしていた越谷。

「後ろで、パジェロが待っていますが……」

 運転席のドアノブに手を掛けながら、車の屋根越しに鷹野が訊いた。無論、視線は越谷だけを見ている。

「大丈夫だ」

 同じように助手席のドアノブに手を掛けながら答えた越谷。意味ありげに微笑むと乗り込む。鷹野は頸を傾げつつも、それに続いた。

 運転席でプッシュエンジンスイッチを押した鷹野。ギアを入れる。

「少し待ってくれ」

 制した越谷。助手席側のドアミラーで後方を窺う。鷹野もバックミラーを覗き込む。パジェロの運転席には、あの男の姿があった。いつでも尾行を再開できる体勢で構えている。

 すると、そこに一人の制服警官が近付いて行くのが見えた。先ほどビルの案内をしてくれた恰幅の良い巡査部長だった。パジェロの運転席側に回り込んで行く。

「行こう」

「了解」

 鷹野は納得したように頷いた。ボクサーエンジンを響かせWRXは走り出した。


 運転席の窓ガラスをノックする制服警官。直哉は慌てた。いや、やられたと思った。走り出し遠ざかって行くWRXを横目に、警官を見遣った直哉。

 警官からの職務質問はお決まりのものだったが、ゆっくり時間を掛けられた。直哉にとっては、苛立ちよりも尾行を気付かれていたことに対する後悔が先に立った。

 想像通りだが、越谷という男のしたたかさを噛みしめる。しかし、これは奴が自分を煩わしいと思っていることの現れでもある。反応があるのは悪くない。出直しを余儀なくされたが、これはこれで仕方ない。

「――ご協力、ありがとうございました。それでは、お気を付けて」

 敬礼する警官に苦笑した直哉。ため息をついて暫くそこに佇む。今日は、このまま越谷分析官の尾行に明け暮れるつもりでいた。予定が狂ってしまった。

 ハンドルを握りながら、腕時計を一瞥した直哉。僅かに物思いに耽った後、その身を起こした。

「たまには、迎えに行ってやるか……」

 呟くとウインカーを出し、発進した。


 胸ポケットでコールが鳴った。

「――もしもし」

 助手席で携帯電話を取った越谷。その様子を横目で窺う鷹野。

 大手電機メーカーから離れた国道。路肩に停車するブルー・パールのWRXの姿があった。すぐ横には高速道路の入り口が控えている。フリーのジャーナリストを置き去りにしてから、一番近いインターチェンジで待機していた。

 会話の途中で、カーナビの操作を始めた越谷。その手元を見詰めていた鷹野。

「……ん?」

 登録が完了されたカーナビの目的地に頸を傾げた。

「えっ? 学校……女子高校……ですか? 」

「ああ」

 肩をすぼめてみせた越谷。

「白のプリウスは個人タクシーだった。やはり、“Nシステム”で引っ掛かっていたよ。個人タクシー協会への問い合わせで、その運転手とも連絡が付いた。あそこから、若い男性客を乗せたことも確認できた」

「……で、そこまで乗せた……と」

 鷹野は怪訝な表情で口を尖らせた。越谷は躰を正面に向けた。

「ともかく、出してくれ」

「……分かりました」

 顎を引き相槌を打った鷹野。ギアを入れ、エンジンを勢いよく吹かす。軽くタイヤ痕をアスファルトに刻んで発進したWRX。ウインカー点滅させ、一気に三車線を跨ぎ高速入り口に侵入。低音のエキゾーストノートを響かせ、高速のスロープを軽快に登って行った。


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