22.過去との繋がり
永田町の内閣府関連施設。
正面1階ロビーの片隅に篠崎直哉の姿があった。外来者用の談話エリア。シンプルな応接セットが数組置かれ、それぞれが背丈ほどのパーテーションで仕切られている。直哉はその一つのソファーに座りながら手帳を捲っていた。
職員が行き交うロビーの奥。エレベーターホールから現れたのは越谷隆太郎だった。そこに歩み寄る男性。ここの職員のようだ。持っていた名刺を越谷に渡すと、ソファーに座る男を見遣った。越谷は名刺に目を落としながら聞く。
「フリーライターだそうです。取引先の出版社の名前をいくつか挙げていました。どうやら新聞や週刊誌の類ではなく、専門誌のライターのようです」
「専門誌?」
「ええ。確認したところ、航空機や船舶などの専門誌……全般的に軍事関連のライターのようです」
「そうか」
名刺に書かれた名前に心当たりはなかったが、まさかそんな所からこの件が突かれたことに驚いていた。越谷は目を細める。
「それで、何と言っている?」
「相模湾沖の臨検訓練について、作戦に参加した中に外国人の姿を確認していると」
「それだけか?」
「いえ、訓練について中心的な根回しをしたのが、内閣情報調査室であると……裏は取れているとも言っています」
「そうか。で、情報の出所は?」
「はっきり言いませんでしたが、おそらく閣内かと……」
「なるほど、相変わらず政治家は一枚岩にならんな……」越谷は肩を落とした後、気を取り直し職員に一瞥をくれる。「よし、私が話そう。それから、あの男についての身辺調査をしてくれ、最優先だ」
越谷は頷く職員をその場に残し、談話エリアに向かった。今、横槍にかまっている余裕はないのだが、内容からして無視はできない。妙な所で流布されても困るからだ。
視界の隅。近付いてくる人影を捉え顔を上げた直哉。じっくりと相手を見遣った。役人らしからぬ口髭。しかし、精悍な顔立ちもあってか、野暮ったさはなかった。皺は増えたようだが、随分昔に報道で見た印象と大して変わらなかった。ただ、今はその時よりも貫禄を感じた。
近付きながら手を差し出した越谷。それに応えるように立ち上がる直哉。お互い目を見ながら握手を交わす。海外流の挨拶だったが、素直に反応した直哉。越谷は敢えてそうした。相手を見定める手段の一つだ。越谷は何か感じたのか、視線が鋭くなった。
「越谷です」
越谷はスーツのポケットから名刺を取り出した。会釈する直哉。
「篠崎と申します」
「ご用件を窺いましょう」
穏やかな物言いでソファーに座った越谷。直哉も渡された名刺を覗きながら座る。向かい合った二人。直哉が先に口を開いた。
「先ほど男性職員の方に説明したのですが……お聞きになられましたか?」
「ええ、一応は」
「では、ええと……越谷分析官。単刀直入に訊きます」
「どうぞ」と、頷く越谷。
直哉はおもむろに数枚の写真をテーブルに並べ始めた。越谷が凝視する。それは、海上保安庁の横浜防災基地で熊田が撮った写真だ。巡視船“あきつしま”から下船した厳つい外国人達が、在日米軍基地所属の車両に乗り込んで行く様。
「うむ」と、ため息ともとれる声。「……なるほど、綺麗に撮れていますね」
越谷の開き直ったかと思える発言。だが、直哉はそこには触れず相手の表情を窺いながら訊いた。
「この男達は、米海軍のNavySEALsですね?」
越谷は表情を変えず、髭を指で撫でた。僅かな沈黙。
「……それで……あなたはどうしたいのですか?」
人を食ったような反応に直哉は小さく頷いた。
「なるほど……」直哉は目を細めた。「……認める代わりに、私の目的を聞きたいのですね?」
「……」
微かな笑みを浮かべる越谷。少ない会話の中で、お互い探り合いが始まっていた。
直哉は相手が一筋縄ではいかないと判断した。余計な事を言わずに、相手に真意を尋ねる。訊く側が訊かれる側に回されるとやりにくいものだ。インタビュアーは相手に多く喋らせるのがキモだ。その中の些細な部分から話のディティールを構成する。手の内を最初から曝け出すのはまずい。
直哉は揺さぶりを掛けてみることにした。
「分かりました。あなたはできる方のようだ。越谷分析官。では、私の目的は後回しにして、あなたの話を少し聞かせて下さい」
眉根を微妙に寄せた越谷。
「……それは、あなたの目的に関係があるのでしょうか?」
「多分……いや、ありますね。関係が」
直哉は澄まし込むが、越谷に動揺はない。
「そうですか、良いでしょう」
直哉は越谷が現れたロビーを見遣った。
「……先ほど歩いて来られる時、左足を庇った歩きをされていましたね」
「ええ」
「不躾ながらお尋ねしますが、それはイラクの時に怪我したものですよね。その後遺症」
越谷の表情が険しくなる。
「……ええ、よくご存じで」
「当時は大変だったでしょうね」
「そうですね」
越谷の動揺を誘った直哉だが、相手は饒舌にならない。間を置くように、ゆっくりとソファーの背もたれに寄り掛かった直哉。反応を待つ。
越谷は頸を傾げて見せた。
「……以前に、何処かでお会いしたことが?」
今度は越谷から訊いた。相手が反応したことに手応えを感じた直哉。しかし、冷静に返す。
「いいえ……ただ、私も当時イラクにいましたので、事件のことは良く覚えています」
「ほう。それは、ジャーナリストとして、取材されていたのでしょうか?」
「いいえ……占領軍の下請けで、警備員として働いていました」
「……なるほど」
微かに瞠目した越谷。
「今回のことを色々と調べていたら、内調職員にあなたの名前を見付けました。何か、因縁めいた繋がりを感じましたよ」
「因縁ですか」
「いえ、私個人の感情です」
越谷は吐息をもらすと、身を乗り出した。
「そうですか……では、そろそろあなたの目的を教えてもらえませんか?」
直哉が鼻で笑う。
「もう分かっているでしょう? 私が知りたいのは相模湾沖の案件にPSI臨検訓練以外の目的があったのではないかということです」
越谷の表情は変わらなかった。
「いいえ、あれは訓練ですよ」
きっぱりと否定する。
越谷を見据える直哉。その返事によって、分かったことがあった。やはり、政府はNavySEALsの参加を隠蔽したいのではないということだ。それ以上の何かがある。
しかし、これ以上の会話が無駄なことも理解した。越谷も、それ以上何も言わなかった。
唐突に着信音が響く。
「――失礼」
ジャケットの胸元を押さえ、立ち上がった越谷。席を外し離れて行く。その後ろ姿を目で追う直哉。過去の記憶が鮮明に浮かんだ。
直哉が口にした因縁。越谷がイラクで人質となったとき、解放された運転手を保護し日本大使館に駆け込んだPMCの日本人がいた。他ならぬ篠崎直哉だった。当時は単に役に立てたらよいと奮闘したのだが、今ここで繋がるとは不思議なものだと感じた。
そして、その事件の後日談がPMC仲間で流れていたことを思い出した。当時の報道は、人質になった日本人外交官は交渉によって解放されたことになっていた。しかし、実際は米軍の特別な作戦によって救出されたというのだ。真相は分からない。発端はくだらない話からだったような気がする。
イラク戦争後の混乱時、米軍の仲間内でまことしやかに囁かれる女神なる女の話。正体は分からないが、彼女が参加した作戦は必ず成功するのだという。そして、その特別な作戦にも参加。見事、捕虜となっていた米軍兵士を救出した。しかも、偶然同じ所に捕らわれていた日本人外交官も、ついでに助け出したという。眉唾な女神の武勇伝。
越谷はすぐに戻ってきたが、ソファーに再び座ることは無かった。
「すみませんが、急用が入りました。失礼させてもらます。これ以上は、書面にてご質問下さい。詳しくは先ほどの者が……では……」
呆気に取られそうになった直哉。最後に問い掛けた。
「あなたは、何をしようとしているのですか?」
「……」
越谷は直哉に一瞥をくれただけで、踵を返した。
広い講堂。並んだ机に大量の資料が広がっていた。
分厚いバインダーに閉じられた幾つものファイル。数人のスーツを着た者達が、それを取り囲んでいる。越谷が内調から呼び寄せた職員だった。その中心に鷹野がいた。
越谷は内調に戻ったが、鷹野は大学に留まり野々村教授が残した資料を調べていた。越谷が文科省の知り合いに話を通したことで、大学側からの資料開示は滞りなく行われた。
「――今、越谷分析官に報告したわ。さすが、お見事ね」
鷹野から労いの言葉を掛けられた職員の一人。若い男だった。机に座りノートPCを開いていた彼は、照れ笑いを浮かべる。
「いや、たまたまですよ」
謙遜する彼に鷹野は笑みで返し、肩をポンと叩いた。
「そんなことないよ。お手柄、お手柄」
「……はい、ありがとうございます」彼はにかみながら、鼻の下を指で擦った。「この投資ファンド。おかしなところがあったので……」
鷹野達が開示された資料から精査したのは、野々村教授の研究にまつわる会計帳簿だった。中でも量子コンピューター研究。大口の資金提供先は全部で8ケ所。企業が5社で、残りの3社は投資ファンドだった。企業の方は大手の半導体メーカーやソフト開発会社で問題はなし。しかし、若い職員は投資ファンドの一つに目を留めた。そこは、提供した資金額も二番目に多かった。彼は金融庁から内調へ引っ張ってこられた人材だった。その道の専門家である。
説明に耳を傾ける鷹野。
「投資ファンドといっても、株式や債券などを運用する場合や個別の企業に投資するものまで様々です。ですが、各投資ファンドには得意なスタイルがそれぞれあるんですよ。だけど、ここは投資先がバラバラ。確かに、分野を問わず投資しているファンドもあるけど、その場合はベンチャー専門だとか別の括りがある。だけど、それもない」
ノートPCを見せられる鷹野。
「それで、気になって調べてみたら、見付けたんです。この投資ファンドは投資事業組合として成り立っているのですが、その中に、ある金融機関があることを」
画面にはファンドの事業主一覧の資料。指で示した先に、その金融機関はあった。
「そう、この中国系の金融機関です。別段、中国系が問題というのではありません。今時、珍しいことではない。だけど、こいつはくせ者なんです」
「そうなの?」
鷹野が相槌を打つ。
「ええ、パブリックな顔してますけど、中身は中国の地下銀行ですよ。間違いない。怪しい匂いがプンプンしてます。不正送金とかマネーロンダリングとかに使われる金融組織。最近は中国共産党員幹部の海外への資産持ち出しだけでなく、マフィアや各国の諜報機関の金を動かす為に使われているとか……噂ですけどね。中国当局も管理しきれていない闇ですよ」
「それと繋がったのね?」
「ええ、グローバル・ステナ社が。分析官の読みは正しかったってことですね。巧妙な手口ですけど、的が絞れたんで後は楽でした。取引相手をしらみ潰しにしたら、その名が出てきました。ただし、金の流れまでは確認できないと思いますけどね」
「それで、十分よ」
鷹野は嬉しそうに微笑んだ。
ロビーを後にし、自分のオペレーションルームに戻った越谷。鷹野からの報告を受けて、暫く黙考していた。
野々村教授とモラレスが繋がった。我々の与り知らないところで、情報衛星のシステムに何かが起こっている可能性は高まったが、それが何かを見付け出す術は今のところない。
安全策を取って、情報収集衛星の稼動を止めることは物理的には可能だが、それは現実的ではない。デマによる情報収集衛星運用の混乱を目的とした工作の可能性もある。しかし、悠長に構えている時間は無い。
やはり、今回の案件で足りない部分は技術的な裏付けだった。東助教授もSIMSについては、協力したくてもできないと言っていた。そうなると、自ずと頼れるところは決まってくる。
越谷は携帯電話を手に取り発信した。
「――鷹野くん。悪いが、そちらは他の者に任せて、大至急戻ってくれ」




