21.葛藤
蹴倒されるように、よろけながらカフェを飛び出した新垣。
オフィスに戻るまでの記憶が全く無い。気が付いたら自分のデスクに座っていた。びっしょりと濡れた背中。シャツが張り付き冷たくなっていた。顔面蒼白のまま、動かない新垣。午後からの就業が始まっていたが、周りに同僚の姿はない。外出か会議なのだろう。その為、誰も新垣の異変に気付かないまま時間が流れる。
「……新垣さん?」
「あぁ」
心もとない声を出し、我に返る新垣。いつの間にか、横にひとりの女子社員が立っていた。
「……望月さん」
新垣が呟く。以前、ひっくり返った時に、お世話になった隣の部署の女の子だった。名前はその時知った。ショートカットでおとなしい印象の彼女。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔で問い掛けられる新垣。それほど酷い顔をしていた。
「……あ……ええ……大丈夫です」
遅れながらも、たどたどしく答えた新垣。彼女の表情は変わらない。何故か気に掛けてくれている。その眼差しは優しかった。
「でも、顔色悪いですよ……健康管理室に行かれたらどうですか?」
新垣は頸を振って苦笑した。
「えっと……ちょっと、気分が悪かっただけです……しばらくしたら良くなると思います……本当に大丈夫です」
取り繕った言葉だったが、彼女は少し安堵した表情になった。
「そうですか……びっくりしました。蒼い顔で……その、固まっちゃってる感じだったんで……」
声を掛けてもらった事で、少し自分を取り戻せた新垣。顔色は徐々に良くなり始めた。申し訳なかったので、できる限りの笑顔を作って見せた。
「すみません、心配してくれて……ありがとうございます」
何故か視線を逸らす彼女。
「そ、そうですか……様子が変だから、驚いて……でも、安心しました……」
彼女は小刻みに頷くと、微かにはにかんでモジモジと体をくねらせた。その場を去り難いといった空気を醸し出す。頸を傾げ、沈黙する新垣。たまらず彼女が切り出す。
「……あの。この前、頂いたクッキーのお店、私も行ってみました。ほんと、おいしいですよね」
彼女に借りた花柄のハンドタオル。ひっくり返って頭をぶつけた時に渡された物だが、そのまま返すのもどうかと思い、新垣は評判となっていたお店のクッキーを添えて返していた。
「ああ……ですよね」
「新垣さん。甘い物、お好きなんですか?」
「ええ、それなりに……」
答えながら新垣はオフィスの天井に目を留める。設置されているドーム型の防犯カメラ。はっとして視線を外す。
「他にも美味しいお店あるんですよ――」
嬉しそうに話す彼女の顔を見ながら考えた。きっと、今も監視されているに違いない。奴らは何をするかわからない連中だ。今、自分と関わることは、誰でも危険を伴う可能性がある。新垣はそう判断した。
「――そこのタルトなんですけど」
「あの、望月さん」
話を遮った新垣。驚いた顔の彼女は頸を傾げた。
「ごめんなさい。もうすぐ、打ち合わせが始まるので行かないと……」
新垣はさりげなく腕時計を見せた。彼女は気まずい表情を見せて苦笑した。
「あ。こちらこそ、ごめんなさい……なんだか、勝手に喋ってしまって……」
「いいえ。お店の話、また今度詳しく聞かせて下さい」
「……はい。是非」
その言葉に顔をほころばせた彼女。名残惜しそうにしつつ踵を返した。
その後姿を見ながら立ち上がった新垣。お陰で少し元気が出た。彼女は優しい良い人だ。それだけに巻き込んではいけない。新垣は臆病者だが、妙な正義感があった。ただ、どうして彼女は自分みたいな者のことを気遣ってくれるのだろう。それだけは分からなかった。
新垣はその後、別フロアの会議室に籠った。
ここに防犯カメラは無い。今後どうするかを考えていた。冷静になると、更に事の重大さに押し潰されそうになった。頭の中で湧き起こる葛藤。それでも新垣は考えた。大きく深呼吸をして。
カフェでは狼狽してしまったが、今は自分が犯した罪を償う覚悟はある。正義を優先するならば、今からでも警察に駆け込んで事実を公にすることだ。しかし、それでは奴らの報復を受けることになる。篠崎友子も巻き込んでしまう。そもそも、この状況で易々と警察に駆け込めるとは思えない。電話やメールだって傍受されている可能性もある。
かといって、奴らに与してシステムを戻したとしても、無事に済むとは限らない。開発者の野々村教授を本当に殺してしまったというのなら、なおさら奴らのことは信用できないというものだ。
坊主頭の言葉を思い出す。猶予は二日で良いかと聞いてきた。システムの復元は多少苦労するが、それほどのモノではない。いつも通りネットワークから稼動しているSIMSのバックドアから侵入し、自分が書き換えた部分を元に戻すだけだ。集中すれば半日も掛からない。奴らが何者かは知らないが、その世界においては自分の方が優位に立っている。アドバンテージがあるとすればそこだ。
そう思うと、勇気も湧いてきた。面と向かっての交渉とか腕力に自信はないが、自分が得意な物であれば何とかなる気がしてきた。奴らは自分に頼らなければシステムを修復できないのだから、ことが済むまで何もできないはずだ。チャンスは今しかない。
新垣はおでこに掌を当て考えを巡らした。そして、会議室に持ち込んだノートPCを開く。ここに長居すると奴らに怪しまれるが、実行する前に準備を整えておかねばならない。新垣はネットワークに接続した。狙うは、このビルの管理会社のシステムだ。
大学の時以来、封印していたサーバーに繋ぐ。まさか、こんなきっかけで再び使うことになるとは思わなかった。だが、すでに決意は固まっていた。懐かしい高揚感が新垣を包む。そう、あの時と同じ。この行いは正しいはずだ。
会社名と広告が車体側面にプリントされたハイエース。広告の宣伝文には“あらゆる映像制作・編集承ります”とある。その下にはウエブサイトのアドレスと電話番号も書かれていた。その白いワゴン車は新垣のオフィスが入ったビルから、1ブロック南側のパーキングに駐車されていた。
ハイエース。窓の無い後部荷物室。その薄暗い中で、コーヒーカップ片手にモニターを見つめる若い男。細身で髪は金色に染められていた。耳にはピアスも付けている。モニターは、金髪の男を囲むように並べられていた。その下のラックには隙間無く詰め込まれた映像機器。手前には小さなテーブルがあり、キーボードとマウスが置かれていた。
唐突に開いた後部のスライドドア。乗り込んできたのは、あの坊主頭の男だった。
「どうだ?」
坊主頭は金髪の肩を叩いた。
「さっきまで、カメラの無い部屋に閉じ籠っていましたが、今は自分のデスクに戻ってますよ」
「そうか」
「おとなしく、仕事に取り掛かっているみたいです」
「まあ、あまり脅して仕事が手に付かなくなっても困るからな。ちょうどいい具合だったか……」
モニターの一つには、魚眼レンズで撮られたような湾曲した丸い画像が映し出されていた。金髪が手元のマウスで画像の一部を指定してクリックすると、湾曲した画像が平面に修正された。そこには、デスクに座る新垣の後ろ姿が移し出されていた。
「拉致って、何処かでやらせれば簡単なのに」
金髪の言葉に、坊主頭は苦々しく吐き捨てる。
「稼動中のSIMSをいじるには、でかいバックアップコンピューターが必要だ。他ではできん」
「なるほど。厄介ですね」
「そうだ。しっかり見張っておけ」
「ええ。だけど、大丈夫ですよ。あんなガキに何ができるんです? ここまでする価値あるんですか?」
「まあ、そうだが。Mr.モラレスは手を抜くことを許さん」
「そ、そうすね……」
金髪はモラレスのことを想像したのか、言葉尻を下げて答えた。坊主頭は苦い顔をしながら、足元にあったバックを拾い上げた。
「これか?」
「ええ、そうですけど……そんなの必要なんですか?」
坊主頭がバックから取り出したのは、プラスティックでできた拳銃のようなものだった。一見してオモチャのピストル。横に付いているスイッチを入れると下部に付いたライトが点灯し、照準する為のレーザーが照射された。軽く構えてみせる坊主頭。
「……念の為だ」
「Mr.モラレスは手を抜くことを許さん、からですか」
「そうだ」
金髪は軽く頷きながら、頭の後ろで腕組みし背を伸ばした。
「しかし、日本って所は面倒ですね。上海の時の方が仕事、やり易かったですよ」
坊主頭が苦笑する。
「お前、日本人のくせして大陸慣れし過ぎだ」
口を尖らせた金髪。
「だって、そうでしょう? 向うじゃ必要な所に話を通しておけば、大体のことはスルーしてくれるのに、こっちじゃそれがない。路駐してりゃ、毎日のように警官に職質されて根掘り葉掘りですよ」
「それは慣れろ。その分、やり易いことも多い。性善説で成り立っている社会は、表面上のルールを守っていれば疑われることはない。逆に楽だよ」
坊主頭は面倒臭そうに語気を強めると、金髪は頸をすくめた。
「……そんなもんですかね。ま、この車が装っているダミー会社は完璧だから、警官に突っ込まれることもないんですがね」
坊主頭は何も返さなかった。二人が見詰めるモニターには新垣の後姿が変わらず映し出されている。
金髪が思いついたように呟く。
「Mr.モラレスが捨て駒に使った女。見付かってないんですよね?」
「知る限りでは、そうだな」
「死んでますかね?」
「さあ」
「女に会ったことは?」
「ない」
「そうすか。俺、上海支部で何度か会ったことがありますよ。何者なんです?」
「以前は南米で活動していたという話だが、詳しいことは知らん」
目を細めた金髪を見て、坊主頭は繰り返した。
「知らん。俺たち私兵は余計なこと考えずに、命令に従っていればいい。それが仕事だ」
「女のことが気にならないと?」
坊主頭が眉根を上げた。
「……何が、言いたい?」
「俺は、こう見えても東南アジアの紛争地帯で、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきました。その経験から言っても、ありゃ、相当ヤバい奴だと思ってたんですよね」
「ほう……」
眼つきを鋭くした坊主頭。金髪の男。身なりはこんなだが、そういったことに鼻が利くことを坊主頭は知っている。
「ほら、興味が湧いてきたでしょ」
満足そうに金髪は続ける。
「何て言うか、顔つきは本物でしたよ。ズバリ、人殺しの目をしてました。怖いほどにね。戦場にも時々いるでしょ? そういう、冷淡で鋭い奴。前いた外人部隊にも一人や二人いたんじゃないですか……」
金髪は坊主頭を一瞥する。
「……なんだか嬉しそうな顔になってますよ。そういうの好きでしょ?」
鼻を鳴らした坊主頭は下品な笑いを浮かべた。
「そうか? 俺は骨の有る奴と交えるのが好きなだけだ」
金髪も吊られるように無粋な笑みで返す。
「交えるって、それって、どっちですか?」
「どっちもだ」
坊主頭はニヤリとした。
「……でも、残念ですね。死んじまってはどうしようもない」
「そうだな」
「だけど、Mr.モラレスもそんな奴を捨て駒にするなんて、変な感じがしますね」
「さあ、俺たちが気にするところではないが、そんな奴だから違う意味で処分したんじゃないか」
「なるほど」
金髪は感心したように腕を組んだ。




