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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
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19.教授の功績

 正面に講堂を構えた本館。そのほかの建物もレンガを基調としたゴシック様式で統一され、名門大学にふさわしい佇まいを見せている。

 歴史ある石畳を行き交う学生。奇抜とも取れる自由なファッションをしている者もいるが、この風景に納まると皆賢く見えた。事実、毎年ここから日本の頭脳となりえる人材が巣立って行くのだ。

 学生達に紛れるように越谷と鷹野の姿があった。あまりにカッチリとしたスーツ姿の二人だけに、周囲の学生が振り返る。幾分か好奇の混じった視線。企業のリクルーターとでも思われているのかもしれない。

 越谷は相変わらず左足を庇う歩み。遅いという程ではないが、それに歩調を合わせる鷹野。個性的なスクエアフレームの眼鏡のブリッジを指で押さえながら視線を巡らす。

「どうかしたのか?」

 鷹野に訊いた越谷。その振舞が気になったらしい。

「大学……懐かしいなあと思って」

「アメリカの大学に留学していたんだったな」

「はい。卒業できませんでしたけど……」

「……今から入り直すか?」

 冗談か本気か分からない笑みを浮かべた越谷。

「からかわないで下さい。無理ですよ、もうすぐ三十路ですから」

 口を尖らせた鷹野に越谷は目を細める。彼女の過去は複雑だ。両親は麻薬カルテル絡みの事件に巻き込まれ殺された。大学生の時のことだ。その後はもっと悲惨な経験をしている。リサがクレアのことをオニヅカと呼ばないのは、過去を思い出させない為の優しさなのかもしれない。

 越谷は鷹野に微笑む。

「いいや、人生はいつからでもやり直せるものさ。君がリサに出会って日本に来たようにね。それに君はもう日本人だ。日本でやりたいことは何でもできるよ」

「……そうですね」

 微笑みを浮かべた鷹野。

 本名クレア・オニズカ。彼女は奴隷のような生活から、リサによって救い出された。精神的にも追い詰められていたから、自分を取り戻すだけでも大変な状況だった。しかし、クレアは持ち前の精神力でそれを乗り越え克服した。リサはそれを見抜いていたのもかもしれない。

 クレアを越谷に委ねるにあたって、リサは米国の証人保護プログラムを使った。証人保護プログラムは重大犯罪における裁判で、証人に被告側の仲間等から危害が加えられる可能性がある場合、新しく名前や住居を与え政府が保護するものである。もちろん外国人への適用はCIAならではのねじ込みである。

 麻薬戦争真っ只中のメキシコであったから、クレアを適当な麻薬事件の証人に仕立て上げる事は簡単だった。大きな意味でいえば、被害者の一人であることに変わりはない。リサは協力者である日系人の戸籍を利用した。米国在住の共に五十代の夫婦である。訳あってリサと親交が深い。鷹野夫妻はリサの申し出を快く引き受け、司法省の権限を得て内密にクレアを実の子とした戸籍をつくり上げた。

 これには意味があった。鷹野夫人は未だ日本国籍を有しており、これによってクレアは米国人であるが、日本国籍のある親から生まれた日系二世となる。その場合、日本での在留資格がすぐに得られることになり、三年で帰化できる。

 日本に渡ったクレアは越谷に支援されながら生活した。環境が一変し戸惑うところも多かったが、持ち前の陽気さでもって適応した。

 三年経つ頃には日本語もマスターしていた。「漫画が日本語の教科書になったから」と本人は言うが、彼女が優秀だからに他ならない。日本国籍を取得して、すぐに受けた地方公務員試験も楽々と合格した。今は原籍の官庁から応援というかたちで内閣情報調査室へ出向き、スタッフとして働いている。

 もちろん、多少の学歴詐称や口利きは必要であったが、越谷の人脈をもってすれば難しいことではなかった。それ以上に、クレアは優秀な部下としての素養を発揮していた。リサからの提案ではあったが、今となっては欠かせない越谷の片腕となっていた。


 背丈ほどのボックス。薄暗い照明の中、その黒い塊は部屋の中央に置かれていた。取り巻くように置かれた何らかの装置。所々でLEDがシグナルのように点滅している。

 隣の部屋から小さな窓越しに覗き込んだ鷹野が呟く。

「……冷たい」

 分厚いガラスを通して掌に伝わる冷気。鷹野は物珍しさを隠さず、子供のように瞠目している。水族館の水槽に張り付いた少女のように。

 その横をゆっくりと歩いた越谷。室内を見渡す。隣の奇妙な部屋に比べると、こちらは白を基調としていて明るい雰囲気だ。デスクに並べられたPC、壁際に置かれた機材。研究室らしい光景だった。

「――警察の方ですか?」

 掛けられた声に、振り向いた二人。白衣を着た三十代と思われる男は、両手に持ったマグカップをそれぞれに差し出した。その手は暫く日光に当たっていないと思えるほど白かった。そして、顔色も手と変わらなかった。

「ちょうど休憩時間なんですよ。コーヒーですが、宜しかった? ミルクと砂糖はご自由に」

 男の視線の先。部屋の隅にある手押しワゴンの上には、小さなバスケットに収められたコーヒーフレッシュとスティックシュガーがあった。

 決して健康的とはいえないが、男は身綺麗な感じで研究員的な暗いイメージはなかった。なにより社交的な口調が理系男子らしくなかった。立ち振る舞いは欧米人のそれを感じさせる。海外生活の経験があるのかもしれない。

「ありがとうございます」

 目を細めて笑みを返す鷹野。

「お気遣いなく」

 軽く頷いた越谷は、受け取ったカップを右手から左手に持ち替え会話を繋げた。

「警察ではありません、内閣府の者です」

「……内閣府ですか?」

 眉尻を上げ頸を傾げた男だったが、越谷はかまわず問い掛けた。

(あずま)、助教授ですよね?」

「ええ、そうですが……野々村(ののむら)教授のことを聞きに来られたとか?」

「はい」

 東の表情から戸惑いを悟った越谷。おもむろにジャケットの内ポケットから名刺を取り出した。差し出された名刺を覗き込んだ東。眉間の皺が更に増えた。

「内閣官房……内閣情報調査室……内閣情報分析官?」

「あまり知られてはいませんが、政府の調査機関です」

「はあ……そうですか?」

 越谷の説明にやはりピンと来ていない彼だったが、関心は隣に立つ鷹野に移っていた。ローヒールのつま先から頭のてっぺんまで軽く流すように一瞥した東。決していやらしさは無いのだが、研究対象を観察するかのような視線。鷹野は幾分引きつった愛想笑いで返した。越谷はそれを気に留めず淡々と言う。

「彼女は私の部下です」

「あ、ああ」

 口元を緩ませた東。鷹野に向けた視線は好意的なものであったようだ。派手さがなく一見大人しそうに見える鷹野の容姿はインテリ系男子にうけやすい。実際の彼女を知ったら慄くどころでは済まないのだが。

 越谷は東の視線を遮って話を進める。

「野々村教授ですが、情報収集衛星の管理システム、SIMS(シムス)の開発をされていましたよね」

「ええ……ああっ!」

 東は感嘆の声をあげた。

「内閣衛星情報センターと関係ある方ですね」

 越谷は大げさに頷いてみせる。

「そうです。すみません、先に説明しておくべきでしたね」

 腑に落ちたのか、やっと安堵の表情を見せた東。越谷は続けて訊く。

「東助教授、あなたも開発に携われておられたのですか?」

「ええ、スタッフでしたから」

「そうですか。では、お伺いしたいのですが、SIMSのプロジェクトが始まってから野々村教授が亡くなられるまでの間、この研究室での様子はどうでしたか?」

「様子……教授のですか?」

「ええ、気になるところはありませんでしたか?」

 東は再び怪訝な表情を浮かべる。

「変わったところって……何かあったんですか?」

 それは自然な反応だった。越谷は取り繕うように頸を横に振る。

「いえ。今日は例のSIMSのメンテナンスが滞ったことへの調査です。あの件では、電機メーカーが野々村教授任せにしていたという実態がありました。それで、教授自身はどのように対応しておられたのかを今更ながらですが、関係者にヒアリングしているのです」

 話の筋は通っていた。あらかじめ用意していたのであろう越谷の言葉だが、鷹野は感心した。

「……そうですか、分かりました」

 微妙な表情の東。越谷は促すように和やかに問い掛けた。

「どんな方だったのですか? 野々村教授は」

 東は一呼吸置いてから答えた。

「そうですね。いつもワクワクさせてくれる方でした。突拍子もない発想は、まさに天才でした……教授の活躍は説明しなくてもご存知でしょう?」

「ええ、少しは。システムプログラムの開発に長けておられたとか」

「はい。でも、それだけじゃないんですよ。研究室の皆から慕われる人望の厚い人でもありました……本当、残念ですよ」

 何かを思い、うな垂れる東。話から想像できる教授の人物像に影はなく、怪しいところは見えない。越谷は声のトーンを落とした。

「お察しします」

 東は「いえ」と短に答え、少し沈黙する。そして、ふうと息を吐いた。

「教授の対応は他のプロジェクトと変わりませんでしたよ。SIMSのプロジェクトは、私を含めた数人のチーム体制で開発を行っていました……」

 東は言葉を止めた。

「いや、違うかな……SIMSに関しては教授一人の力で構築したようなものですね。メンテナンスの問題が起きたものその為ですから」

 越谷が眉根を上げた。

「いつもそうなのですか?」

「何がですか?」

「その……教授がワンマン的に仕事をされることです」

「いいえ。そんなことは普通ありません。協力し合うのが、ここの研究室のモットーですから。ただ……そうですね、SIMSのプロジェクトだけは違っていましたね」

 腕を組み頸を傾げた東だったが、間をおいて合点したように頷く。

「でも、それは量子コンピューターの研究に労力が必要で、そちらにスタッフを回していたからだと思います……きっと」

「量子コンピューター?」

 越谷が呟くと、東は先ほどまで鷹野が覗いていた隣の部屋を指し示した。薄暗い中にある黒い塊が、周りで点滅するLEDのほのかな光で浮かび上がっていた。

「夢のプロセッサーですよね。量子力学を用いた未来のコンピューター」

 それまで黙っていた鷹野が相槌を打つように言った。漫画好きの他にサイエンス好きでもある。

「ええ、そうです……興味がおありですか? ちなみに黒いボックスの中は超低温状態になっています。実用化されればシンギュラリティも現実のものとなるかもしれません」

「シンギュラリティ、技術的特異点のことですね。凄いですね。人口知能(AI)が人間の能力を超える日が近づいている」

 専門用語に目を輝かせる鷹野に驚いた東。ますます口元を緩ませた。

「よくご存じで。まだまだ研究段階ですけどね。量子アルゴリズムの解明も同じく研究課題としてやっています。システムプログラムの話ばかり取り上げられますが、野々村教授のライフワークの主軸はこれでしたから……」

 声のトーンを落とした東。

「あなたの言われる通り夢の技術ですけど、なかなか研究開発も大変なんですよ」

「そうなのですか?」

 渋い顔になった東に鷹野は頸を傾げた。

「世界中に研究者は多くいますが、実用化には懐疑的な意見も多くてね。現存する理論にそぐわない研究は注目してもらえないんです。うちのはまさしくそうでしたから……要はスポンサーを見付けにくいってことです」

 同情するように、うんうんと頷く鷹野の代わりに越谷が割って入った。

「失礼ですが、研究資金に苦慮しておられるのですか?」

「それは……私の口からはなんとも申し上げられません」

 そうなのだが、言えないといった様子。苦笑する東。

「そうですよね」

 納得した素振りの越谷だったが、その眼差しは何かを捉えたかのように鋭くなった。それを見た鷹野が察して頷いた。

「あの、もう少し量子コンピューターについて話を聞かせて貰えませんか?」

 東の気を引くように満面の笑みをみせる鷹野。本来の話から逸脱していたが、東に断る理由はなさそうだった。目の前にいるのはサイエンス好きの可愛い女子である。もうすぐ三十路とは思えない。

「いいですよ」

 東が嬉しそうに答えると、越谷はタイミングを合わせたかのようにジャケットのポケットをまさぐった。

「失礼、電話が掛かってきたようだ。暫く外します……鷹野君よろしく」

「わかりました」

 踵を返す越谷に鷹野は一瞥する。鷹野は越谷の行動を理解していた。

 電話は掛かってきていなかった。研究室を出た越谷は大学の事務局へと向かっていた。犯罪捜査もそうだが、一番に調べるところは金か女だ。特に金の流れは重要だ。打つ手は分かっていた。然るべきルートを通じて大学側に資料を開示させる。文科省にも知り合いは沢山いる。まずは、野々村教授と繋がりのあるスポンサーを探し出す。

 越谷は石畳を歩きながら、携帯電話を取り出した。内調のオペレーションルームに繋ぐ。資料調査の人員をこちらに派遣させると共に文科省への根回しを始めた。

 その頃、研究室に残った鷹野は東助教授の説明に感嘆の声を上げ続けていた。言葉の最後には必ず笑顔を付けて「凄いですね!」と。


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