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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
18/46

17.メキシコシティ

 リサを組織に引き入れる画策は、ずいぶん前から続けていた。

 当然ながら、簡単なことではなかった。国家が抱える諜報員は幽霊と同じで、接触することすら非常に困難だ。日本の公安がマークしているような、表立って活動している連中とは訳が違う。分かっていたつもりだが、越谷の持てるコネクションを全て使っても、リサと接触するまでには予想以上に長い時間を要した。

 それでも、幸運は突然訪れた。5年ほど前のことだ。越谷が内閣情報調査室に入り、組織としての編成を考え始めていた頃だった。

 情報をくれたのは小川だった。彼はイラクの事件後も外交官を続けていた。小川貞則(おがわさだのり)は外務省の中南米局の中米カリブ課に移っていた。新しい勤務地はメキシコシティにある、在メキシコ日本国大使館だった。

 越谷と小川は事件以降、頻繁に会って連絡を取る仲となっていた。困難を乗り越えた戦友といったところかもしれない。彼は幸か不幸か、あの事件で人が変わったようになっていた。消極的な性格から一転して、今や外務省内でも一目置かれる存在となっている。もちろん、出世コースに乗ったエリートという意味ではない。越谷だけでなく小川も又、あの事件から受けた影響は大きかったようだ。

 そんな彼から、突然連絡があった。越谷は以前から、自分達を助けた女のCAIオフィサーを探していることを彼に告げていた。何でもいいから情報を掴んだら教えて欲しいと。

 小川は現地である話を耳にしていた。不名誉な事実として、メキシコは今やコロンビアに変わり世界最大の麻薬カルテルの温床となっている。それは1990年代に入り、コロンビアの巨大麻薬カルテルが壊滅したことにより、隣国であるメキシコの麻薬カルテルがそれを肩代わりし、勢いを増す結果となったのだ。メキシコ麻薬戦争の始まりである。

 需要と供給。違法薬物の一大消費国である米国が近くにある限り、南米におけるイタチごっこの終わりは見えない。しかし、そんな状況をメキシコ政府も米国政府も見逃している訳ではなかった。先のコロンビアの麻薬カルテルを壊滅に追いやったのも、コロンビア政府が、米国政府の支援を受けて取締の強化を行なった結果だ。メキシコでも同じように、米国政府の支援は始まっていた。

 そんな情勢下のことである。メキシコ軍の特殊部隊が麻薬カルテルのアジトを急襲し、銃撃戦の末、幹部の一人を逮捕した。メキシコ政府はこの功績を誇ったが、勢いのあるカルテルにとって大した痛手ではなかった。幹部は他にもいて、組織は巨大だった。ところが、その後も同様な作戦の成功が続いたのだ。陰で米国政府が動いていたのは言うまでもないが、メキシコ軍を直接支援していたのはCIAだった。

 相次ぐ仲間の逮捕や射殺に焦ったカルテルは、軍内の内通者から情報を収集した。メキシコの麻薬カルテルは単なる犯罪組織ではない。年間数十億ドルの稼ぎがある彼らは小国の軍隊並みに武装し、金と暴力で政府関係者を多数抱き込んでいる。

 内通者から得られたのは、メキシコ軍の顧問を務め作戦指揮を取っているCIAオフィサーの存在だった。要は軍事顧問である。聞くところによると、有能でかなり頭も切れる人間だという。最近になってカルテル側が劣勢に追い込まれている原因が、その人物にあるのは確かだった。ビジネスを邪魔するものは誰であろうと抹殺するのが、カルテルの流儀である。しかし、CIAの顧問を始末するのは簡単ではなかった。幾度か暗殺者を送り込んだが、ことごとく失敗してしまう。

 業を煮やしたカルテルは、破格の懸賞金を顧問の首に懸けた。その額、一千万ドル。誰であろうとも目的を達成したものには受け取る権利があり、約束は必ず守るとカルテルが公言したのである。そうなるとプロの暗殺者だけでなく、金に目が眩んだ政府関係者や一般市民もが、暗殺者ともなりうる状況となった。裏社会の話ではあったが、それは話題性もあり瞬く間に噂となって広まった。それが小川の耳にも届くことになった。

 しかし、注目すべきはその顧問の特徴だった。噂の情報が正しいと仮定してだが、まず女であること。しかも、ブルーの瞳をしている殺すには惜しい美人だということだった。

 僅かな情報ではあったが、小川はピンときた。状況がイラクの時と重なったからだ。それにCIAの顧問があの女なら、カルテルが手こずっているのも納得できた。



 連絡を受けて一週間後。越谷はメキシコシティ国際空港に降り立った。

 メキシコシティはメキシコ合衆国の首都。メキシコ最大の都市にして、ラテンアメリカ経済の中心地の一つでもある。スペイン植民地時代の歴史あるコロニアル調の建物と近代的なビルが混在する大都会。メキシコ人の多くがカトリックということもあって、あちらこちらに教会が見受けられた。メキシコシティの表通りは治安も比較的安定しており、貧富の差は激しいながらも人々は陽気で親切。知らない人でも、必ず挨拶を交わしてくれる。

 越谷を迎えた小川は、お気に入りのレストランでもてなした。

 店の片隅ではゾンブレロという、つばの大きな帽子をかぶり伝統的な衣装に身を包んだ男達が楽器片手に演奏している。メキシコ名物の楽団、マリアッチである。陽気なリズムが流れる中、メキシコ人の主食であるトルティーヤで巻いたタコスやチキンのグリルがテーブルに運ばれた。

 スパイシーなサルサソースに舌鼓を打ちながら、コロナビールで乾杯した。メキシコといえばテキーラだが、それを始めたら終わりが無くなるのでやめておいた。外交官は舌が肥えているというが、酒好きも多い。二人もいける口だった。

 再会を喜びながら、お互い少し歳を取ったことなどを茶化しあう。そのうち、自然とCIAオフィサーの話になった。小川は越谷の気持ちを確かめたかった。彼の意志は汲んでいるが、他国の諜報員を引き抜くなど前代未聞である。しかし、越谷の決意は固かった。

 小川は呆れながらも、越谷に一人の男を紹介する。情報屋だ。それなりに信用できるが、良くも悪くもこちらの役人だということだった。

 男と個別に接触した越谷。男は関係者ではあったが、軍人ではなく政府と軍との繋ぎをしている役人だった。越谷は噂になっているCIAの顧問の情報が知りたい旨を伝えた。相手は快く承知したが、必要なものがあるという。当たり前のように要求されたのは金だった。

 メキシコの役人は賄賂を取ることを常套としているというが本当のようだ。小川の言っていた良くも悪くもとは、そういうことらしい。とはいえ、彼の働きは良かった。自分の仕事そっちのけで動いてくれた。自分の年収に近い報酬は効果があったようだ。対価に見合う仕事ぶりは、ある意味信用できるのかもしれない。

 情報を収集していくと、一連のカルテル掃討作戦に関わっていると思われるメキシコ軍将校が浮かび上がってきた。簡単ではなかったが、再び小川のコネを利用させてもらい、その将校との接触にも成功した。すると、将校いわくCIAの顧問と連絡を取ることは可能だと言う。ただ、その理由を聞かれた為、越谷はイラクでの一件を話せる範囲で説明した。更に信用してもらう為、彼女とはそれなりに面識があるとも付け加えた。半分嘘である。もちろん賄賂も必要だった。

 どう転ぶか分からなかったが、まずは目の前のハードルを越えることだけを考えた。

 その後、将校から連絡があり、彼の部下である兵士と連れ立って軍の施設へ向かうことになった。そこでCIAの顧問と会うことができるという。小川は危険すぎると言ったが、一人で来るようにとのことだったので指示に従った。小川は渋々ながらも越谷を見送った。話がうまく進み過ぎている事に不安はあったが、元々リスクは承知の上だった。これ以外に手は無いと考えていた。


 その小屋は山の中腹にあった。レンガと木で作られたロッジのような建物。普段は訓練中の兵が休憩や寝泊りに使用する場所らしい。今日は他に誰も居なかった。正面にウッドデッキがあり、一段上がった所が入口となっている。入ってすぐの大きな部屋には、長いテーブルと椅子が並べられていた。

 小屋は森の中の開けた緩やかな斜面に建っていた。周りは草原が広がっているが、今は乾期にあたるため、腰ほどの高さの枯草が茂っていた。そこはメキシコ陸軍の演習地の一画にあり、一般人は立ち入れない場所にある。小屋の前の空き地には黒いSUVが二台。エクスプローラーとトゥアレグが停まっていた。

 越谷は先ほど掛けられた言葉を思い出し、英語で訊き返した。それは、久々に耳にした声だったが、越谷はスペイン語が得意ではない。

「(さっき、隣の部屋で俺に何と言ったんだ?)」

 女はニヤリと笑った。

「(本当に無茶するわね、って言ったのよ)」

「(ああ……)」

 皮肉交じりの口調の女。越谷は苦笑いして答えるしかなかった。足元には戦闘服を着た兵士が二人、胸から血を流して倒れている。動転した気持ちを抑えるように、女を真似て小屋の窓から外を覗いた。山の麓、遥か遠くにスモッグに薄っすらと覆われたメキシコシティが見えた。

「(遥々、こんな遠くまで死に来たの? ……日本からって意味だけど)」

 女はジョークでも言うかのように呟いた。越谷は女を見据えた。

「(いいや、死ぬつもりはない)」

「(そうね……)」女は鼻で笑った。「(でも、あなた。私を狩る為の餌にされたのよ)」

「(……)」

 やはりというか、越谷は仲介してくれた将校に騙されていた。そして、今の状況も芳しくないようだ。だが、彼女を目の前にした今は喜びで満たされている。こんなにうまくいくと思っていなかったからだ。もちろん、この展開には動揺している。

 ぎこちなくではあるが、平然を装ってみせる越谷。女は眉間に皺を寄せた。

「(あなた、以前とは何か違う感じね)」

「(そう……かな)」

 頸を傾げる越谷。女は悪戯っぽく口角を上げた。

「(男を上げたってこと)」

 越谷は頬を強張らせて苦笑した。それは、まるでイラクの事件以来、越谷がやってきた努力を誉めているかのようだった。


 越谷はエクスプローラーに乗せられ、二人の兵士とこの小屋にやって来た。CIAの顧問との待ち合わせ場所はここだという説明だった。

 すると、遅れてトゥアレグが森を抜け現れた。兵士はそれを見るなり、越谷に奥の部屋で待つよう指示する。言われるまま、奥の部屋に入った越谷。二段ベッドがいくつも並んだ就寝室だった。その一つに腰かけて隣の様子を窺っていると、スペイン語の会話が聞こえ始める。耳を澄ましていると、突然激しい物音が伝わってきた。間髪入れず、たて続けに大きな音が二回。銃声だった。慌てて身を屈め、床に伏せた越谷。

 考えるまでもなく、よろしくない展開になったのは確かだった。一旦静かになった後、足音が聞こえてきた。こちらに近づいている。越谷は反射的にベッドの下にもぐり込んだ。部屋のドアが開く。息をひそめた越谷。就寝室の奥に外に出られそうな裏口を見付けたが、飛び出して逃げることは今更だった。

 足音がこちらに向かって来る。隙間から覗くと、ミリタリーブーツが見えた。その足はまるで越谷の居場所を知っているかのように、すぐ横で歩みを止めた。

 越谷が潜んでいるベッドに向かって、投げ掛けられたスペイン語。意味は理解できなかったが、女の声だった。慌ててベッドの下から這いだした越谷。見上げると、そこには懐かしい顔があった。

 CZ75P-01自動拳銃を握り、OD色の戦闘服に身を包んだ女。肩より少し短いボブにした黒髪。シャープな顎のラインと鼻筋は、イラクの時の印象と同じで東洋を感じさせた。東洋といってもアジアではなくトルコ寄りの顔立ちだ。そして、深いグリーンの瞳。相変わらず何かの力が宿っているような、怪しげな眼差しだった。


「(囲まれているわ)」

 窓の影から表の様子を窺っていた女が呟いた。言葉の意味する危機感とは無縁と思えるほどに、女は落ち着き払っている。一緒に覗いていた越谷だったが、異状は感じ取れなかった。

「(誰かいるのか?)」

「(ええ、結構な数)」

 淡々と答える女。何を考えているのか分からない表情だった。

 小屋の周辺の草むら。腰の高さほどの中にうごめく影が多数あった。それは小屋を取り囲むように静かに近付いていた。

 女は持ち込んだであろうボストンバックを開き、中から装備を取り出している。越谷はイヤホンマイクを耳に着けようとしている女を見据えながら、イラクの後からずっと思っていたことを口にした。

「(君……君の名は?)」

 タクティカルベストを身につけながら、その言葉に少し考えた女。すると、口元を緩ませ手を伸ばしてきた。

「(リサ・パーカーよ。リサでいいわ……ようこそメキシコへ)」

 淡泊な言い草。越谷はその手を握った。

「(どうも、リサ。リュウタロウ・コシガヤだ)」

「(そうね)」

「(名乗るまでもないか……)」

「(あれ以来、ずっと私を探していたでしょ?)」

 越谷は返す言葉に窮した。やはりというべきか。メキシコに来てからどころか、それ以前の越谷の行動も把握済みだということだ。もちろん、いままで色々な場所で彼女とのチャンネルを探ってきただけに、それが彼女のネットワークの何処かに引っ掛かったとしても不思議ではないのかもしれない。

 当然分かっているのだろうけど、越谷はあえて言葉に出した。

「(……その目的も?)」

「(ええ、おおよそね)」

 全てお見通しということだ。苦笑した越谷は、大きく呼吸すると腰に手を当てた。それはそれで、説明する手間が省けたということだ。頷きながらリサを見据える。

「(君からの要求があれば聞かせて欲しい。何か望みが?)」

「(そうね……でも、まずこの状況を打開することが先ね)」

 澄ました微笑のリサ。越谷はもっともだという表情をして、床の兵士に目を落とした。

「(そうだな)」

 うつ伏せになっている兵士の傍らには自動拳銃が転がっていた。メキシコ軍が正式採用しているベレッタM92。そして、仰向けに倒れているもう一人はホルスターに銃が納まったままだった。

「(さっきも言ったけど、あなたは餌にされた。その二人はシカリオよ)」

「(シカリオ?)」

「(こっちで言うところの暗殺者の名称)」

 目を瞠る越谷。

「(……でも、軍人だろ?)」

「(それは関係ないわ。軍人だろうと警官だろうと、金の為に何でもやる奴はどこにでもいる。しかも、カルテルと係わりが有る無しに関係なくね。貧困や格差がそうさせるのか分からないけど、メキシコの闇は深いのよ)」

 吐き捨てるように言ったリサは、バックから自動小銃を取り出した。AKS47。折りたたみのメタルストックを伸ばすと、弾倉を叩き込みチャージングハンドルを引いた。ハンドガードのピカニティレールに載せた光像式照準器(ドットサイト)のスイッチを入れ、軽く覗き込む。ハンドガードの下には40ミリグレネードランチャー、GP-34も装着されていた。

 越谷が兵士を凝視する。片方は銃を抜く間も無かったらしい。その時の状況は容易に想像できた。この女にとっては大した仕事ではないのかもしれない。殺るか殺られるかの世界。厳しい現実がそこにあった。

「(誰も信用できないってことか……」

 思わず呟いた越谷。

「(そうでもないわよ。あなたの使った情報屋とかは信用できるんじゃないかしら)」

「(……どういうことだ?)」

 唖然とする越谷は眉間に皺を寄せた。あの情報屋を知っていた? それなら何故、こんなかたちで自分と接触したのだ。

「(すぐ分かるわ)」

 リサは勿体ぶるように言うと、話を今の状況に戻した。

「(さて、この小屋はあらかじめ調べておいたから安全だけと、外に出たら蜂の巣ね)」

「(外の連中もメキシコ軍なのか?)」

「(ええ)」

「(それなら、何故手をこまねいている?)」

 質問を投げ掛かられたリサ。再び床の兵士を見遣る。

「(私がバカでないことは、こいつらも知っている。先ずは現れた私が本物かどうかを確かめてから事を起こすはずだった。しかし、私はその猶予を与えなかった)」

「(そのようだな……)」

 淡々と答えるリサの目は冷たかった。越谷はイラクで見た光景を思い出し身震いした。

「(でも、そろそろ痺れを切らして動き出す頃よ)」

 リサの言った通り、草むらに潜みながら集団が小屋に近付いていた。窓の影から覗いていた越谷も、枯草の中に動くものを見付けた。慌てて頭を下げる越谷だったが、はっとしてリサを見遣る。彼女の思惑に気が付いたのだ。

「(これが、目的だったのか?)」

 リサは澄ました視線を越谷に返す。

「(そう。私の目的はあいつらを狩ることよ。申し訳ないけど、私もあなたを餌にさせてもらったわ。私を狩ろうとしている連中を狩る為の餌にね)」

 茫然とする越谷。全てが彼女の目論見通りだった。

「(軍の上層部にカルテルのスパイがいることは分かっていたけど、それが誰だが分からなかった。でも、これであの将校を吊し上げることができる)」

 越谷は眉間に皺を寄せた。たとえ、外の連中をどうにかできたとしても、あの将校の尻尾をどうやって掴むというのだろう? ここに本人が来るという確証はない。

 だが、訝しむ越谷を見据えたリサ。さもありなんと頷いた。

「(……まさか、あの将校も来ていると言うのか?)」

「(当然)」

「(ちょっと待て。汚いことは部下にやらせるのじゃないのか?)」

 リサは呆れたように、手を広げてみせた。

「(あなたもメキシコの事情を少し理解できてきたみたいだけど、忘れていない? 私の首には一千万ドルが掛けられているのよ。それを部下だけにやらせたら、横取りされちゃうでしょ)」

「(なるほど)」

 彼女の読みは正しい。感心せざるを得なかった。同時に越谷の見込みは間違っていなかったということだろう。この女は、その価値がある人間だ。越谷は複雑な表情で唸ってみせる。

「(あら……騙して巻き込んだこと怒った?)」

 リサは片眉を上げる。感嘆している越谷の顔を怪訝だと感じたらしい。越谷は苦笑する。

「(いいや、逆だよ。君に再会できたことを喜んでいる)」

 予想外だったのか、その答えに唇を尖らせたリサ。

「(何それ? まるで、恋人を探していた人の台詞ね)」

「(ある意味、そうだ。必要としているのは本当だ)」

「(……本気なのね)」

「(もちろん)」

「(そう……確かに。ここまで無茶するとは思っていなかったわ)」

「(脈はある?)」

「(……さあ、それはどうかしら)」

 微笑を交え、はぐらかすリサだったが、越谷は強い口調で訴えた。その顔には自信が現れていた。

「(いいや、それは違うだろう。だから、君はここに居るんじゃないのか? 俺を試したんだろ? 君の事だから、軍のネズミを捕まえる方法は他にもあったはずだ)」

 黙ったリサに繰り返す越谷。

「(俺の本気を試した? そうだろ?)」

 リサはニヤリと口角を上げた。

「(あなた賢いわね。少なくとも今の私のボスよりは)」微笑んだリサだったが、予感したように呟く。「(来るわよ)」

「(えっ?)」

 越谷が躊躇していると、リサに無理やりその頭を押さえ付けられた。次の瞬間、激しく正面の窓ガラスが割れる。壁にぶつかり床に転がったのは催涙弾だった。

 既に小屋の外は完全武装の兵士達に囲まれていた。メキシコ製のFX-05シウコアトル自動小銃を構えた男達。メキシコ陸軍の兵士だった。その数、十数名。小屋の様子を窺いながら近づく。

 比べるまでもない火力の差だが、今まで何度なく暗殺を逃れてきた相手だけに慎重になっていた。それに、できれば生け捕りでカルテルに渡したい思惑も将校にはあった。そのまま殺してしまっては、カルテルが喜ぶだけで懸賞金を貰いそびれる可能性がある。死にかけでもいいが、女が生きている状態で取引したかった。

 リサは越谷の首根っこを掴むようにして、素早く奥の就寝室に駆け込んだ。ドアを閉め越谷を床に伏せさせると自分も同じ姿勢になった。

 外ではガスマスクを着けた兵士が三人、銃を構えながらウッドデッキに駆け上がりドアに張り付いた。先頭の一人がフランキ・スパス12ショットガンの銃口をドアノブ付近に押し当てる。弾ける音と共に放たれたブリーチング弾がドアロックを吹き飛ばした。続いて、横の兵士がドアを蹴り開ける。

「(始めるわよ)」

 まるで、それを合図として待っていたかのようなリサ。手にしていた小さなリモコンを握り締める。

 小屋の正面で起こった凄まじい爆発。破ったドアから突入しようとした集団を背後から襲ったのは、おびただしい数のベアリング球だった。4個のM18クレイモア指向性対人地雷。それは表に停めてあったトゥアレグの車内から、窓ガラスを突き抜け全方位に向けて飛び出していた。

 隣に停まっていたエクスプローラー諸共、トゥアレグの半径50メートルが一瞬にして粉塵で覆われる。衝撃波と共に飛散した数千個の鉄球。小屋正面の壁は散弾で撃たれたように、穴だらけになった。不意を突かれ、まともにそれを喰らった兵士達。撫で斬りされたようにバタバタと倒れる。小屋のドア付近だけでなく、正面に居たほとんどの兵士がそれによって吹き飛ばされた。

 表の様子に驚いたのは、裏口を張っていた兵士だった。表から突入した仲間に追われた奴らが、裏から逃げ出て来たところ追い込む手筈だった。草むらに潜んでいた兵士達が躊躇っていると、勢いよく小屋の裏口が開く。

 タイミングを計ったように飛び出したのはリサだった。そのまま、小屋の脇にあった大きな野外用の釜土の陰に倒れ込む。屋外炊飯する際に使用するのだろう、レンガを積んで造られていた。兵士がそれに気付き、すかさず引き金を引く。応戦するリサ。激しい銃撃戦が始まった。

 越谷は就寝室に残っていた。手には自動拳銃を握らされていた。リサが持っていたCZ75P-01だ。「誰か入ってきたら躊躇わず撃って」と言い残して彼女は出て行った。「アメリカで射撃の訓練受けたでしょ?」とも付け加えて。その通りだった。苦笑する越谷。自分の行動は、やはり筒抜けだったようだ。

 イラクの事件以来、度々渡米してセキュリティのトレーニングを受けていた。その中には射撃のタクティカルトレーニングも含まれている。警察官僚上がりとはいえ、本格的な射撃訓練は受けたことが無かったからだ。自分の身は自分で守る。イラクの事件と米国でのトレーニングから学んだことだ。

 越谷はデコッキングされてハーフコック状態のハンマーを起こした。拳銃のスライドを少し引いて、薬室内の弾を確認する。9ミリパラの拳銃は扱った経験がある。しかし、CZ75とは趣味の効いた銃だと思った。越谷もそれぐらいの知識はある。中腰になり両手で銃を構える。就寝室の入口とリサが飛び出した裏口を睨んだ。

 外では銃撃戦が続いていた。表の奴らはクレイモアで吹き飛ばしたが、裏にはまだ十人近くの兵士が残っていた。奴らは枯草に隠れ、ゆっくりと距離を詰めて来ている。囲まれつつあるのは確かだった。

 だが、リサに焦った様子はない。状況を確認するように一呼吸置くと、AKS47をほぼ水平にしてGP-34の引き金を引く。ポンという軽い音。銃のハンドガードの下に付いた筒から、40ミリグレネードが飛んだ。近距離で着弾する。地面で弾けると、周囲の草むらが一気に燃え上がった。焼夷弾だった。

 リサは慣れた手返しで、グレネードを撃ち続ける。連続して扇状に放たれたグレネードにより、辺り一面に炎が広がった。リサは風上に位置している。乾期の枯れ草は非常によく燃えた。驚くほどのスピードで延焼が進む。草むらに隠れていた兵士達が、たまらず立ち上がって後退を始める。

 その瞬間。空気を掠める音と鈍い着弾音。一人の兵士が背中から血を噴き上げ倒れた。続け様に、もう一人。それは、銃撃は小屋とは全く別の方向からだった。発砲音がしていない。もちろん、相手は見えなかった。兵士達の背後の森からの狙撃だった。

 混乱する兵士達。戦場において狙撃手に狙われたら身動きが取れなくなる。迫りくる炎。意を決した一人の兵士が立ち上がり、森に向かって当てずっぽうに乱射する。だが、すぐに膝から崩れ落ちた。狙いすましたリサの射撃だった。

 見えない狙撃手とリサとの十字砲火。そして、迫りくる炎に追われた兵士達に逃げ場は無かった。


「(出てきていいわよ)」

 外から声が掛かった。恐々として越谷が覗くと、そこは一面焼け野原となっていた。燻った枯草が煙を上げている。凄まじい音は聞こえたが、さながら爆撃でもあったかのような光景だった。唖然とし押し黙る越谷。

「(ついて来て)」

 小屋を背に銃を構えたままのリサが言った。身を低くしながら後に続く越谷。辺りを警戒しながら、小屋から離れ森の中へと移動した。暫く、けもの道を進む。もう他に敵はいないようだった。後ろから越谷が問い掛ける。

「(全員、倒したのか?)」

「(ええ)」

 軽く答えたリサ。沈痛な表情をした越谷だったが、何かを飲み込むように言った。

「(殺らなければ、殺られる……か)」

「(そうね。カルテルに捕まったら酷い殺され方されるのよ。知ってるでしょ、死体をオモチャのように扱う奴らのやり方)」

「(……ああ)」

 どんなに残酷でも、ここではそれが正しいのだろう。今更ながらに背中に冷たいものが走った。メキシコの現実と日本の現実の差は大きい。そして、こちらが世界の現実に近いのかもしれない。

 突然、歩いていた前方の草むらが動いた。慄いて身を固めた越谷。立ち止まったリサは取り乱すことなく、その場に佇んだ。

 草むらを押し退け、大きな木の陰から現れたのは一人の兵士だった。戦闘服ではなかったが、デニムのパンツにタクティカルベスト。大きな銃を持っていた。キャップの下から覗かせる顔を見て越谷は驚いた。女だった。いや、少女といってもよい幼い顔をしていた。

 大型のスコープを載せたHK417自動小銃をスリング掛けで保持した女。リサに近づくと辺りを見回すようにして言った。アジア系の顔立ちをしているが、口から出たのはスペイン語だった。

「(奴がいない。部隊を乗せて来た車両は制圧したけど、そこにはいなかった)」

「(そう、変ね……)」

 女はリサの肩越しに越谷を見据える。その視線は顔立ちに似合わない、冷たく鋭いものだった。どうしたら、こんな若い女がそんな目をするのかと越谷は思った。スペイン語の意味は良く分からなかったが、さっきの戦闘に、この女も加担したであろうことは容易に想像できた。

 越谷は二人を見て思う。どんな人生を歩んだら、このような異質な空気をまとう人間になるのだろうと。

「(一先ずここを離れる。車のところへ)」

 リサの指示に頷いた女は黙って踵を返した。構えたHK417の銃口には減音器(サプレッサー)が装着されている。狙撃手はこの女だった。森から小屋までは400メートル以上。あの風の中、観測手(スポッター)無しで易々とワンショット・ワンヒットを繰り返していた。生半可な腕ではない。

 森の外れまでやって来た三人は、木陰にひっそり停められたネイビーカラーのインフィニティEX37に乗り込んだ。ハンドルを握った女。リサは助手席、越谷は後部座席に座った。

「(出して。山を降りる)」

 運転席に向かって言ったリサだが、その表情は険しかった。将校が現れなかったことに、疑念を感じているようだ。その様子を窺う越谷。

 何事もなく林道を進んだインフィニティ。リサは終始無言のままだ。暫くして視界が開けた。森林に覆われた高原を抜け渓谷に出たのだ。谷の峠道を下るインフィニティ。蛇行した道路が麓まで続いていた。

 不意にリサが助手席の窓を開けた。何かを感じたように英語で叫ぶ。

「(飛ばして! シートベルトを!)」

 後部座席の越谷は慌ててシートベルトを探す。越谷がシートベルトをするや否や、猛烈に加速するインフィニティ。300馬力オーバーのV6が唸りを上げる。ひっくり返りそうになった越谷だが、その異変に気付いた。

 爆音が渓谷の下から飛び出した。甲高いタービン音と軽快なローター音。待ち構えたように現れたのは、小型の攻撃型ヘリコプターだった。タマゴ型の機体をしたMD500。その左右側面に固定された二門のFNM3Pガンポットが、間髪入れずに火を噴く。容赦ない50口径の機関砲掃射がインフィニティを襲った。

 運転席の女が反応し、頭が後ろに振れるほどアクセルを煽った。インフィニティのリヤスポイラーを徹甲弾が掠める。衝撃でリヤガラスが砕け散った。逸れた弾はアスファルトで炸裂した。ガラスの破片を浴びた越谷が呻き声を上げる。

 前方に折り返すようなカーブが迫る。SUVだがクーペに近いEX37。女はステアリングを切ってコーナーに突っ込むと、激しいテールスライドと同時にカウンターを当てコーナーを抜けた。一連の動作は冷静だ。まるでダウンヒルレースのごとくインフィニティを操る。

 奇襲に失敗し交差したMD500が反転する。今度は猛禽類が小動物を狩るように追い立てる。ヘリに乗っていたのはパイロットとあの将校だった。ヘルメットの下で口元を緩ませる。部下達が失敗した場合を考えて、ここで待ち伏せしていたのだ。陸軍のヘリまで持ち出したからには、後には引けない状況だった。生け捕りなんてことは言っていられない。確実に始末する。死体ではカルテルとの交渉が多少面倒になるだろうが、それほど問題ではない。それに、懸賞金の分け前を欲しがる部下が減ったことは好都合だった。

 今度はインフィニティの背後に張り付いたMD500。パイロットが距離を詰める。確実に仕留める気だ。50口径をまともに喰らえば普通の車などひとたまりもない。パイロットが操縦桿に付いた引き金を引く。見定めたようにブレーキを強く踏んだ女。急な制動に越谷がつんのめる。徹甲弾がボンネットを掠め、片方のフェンダーを引き裂く。前方に着弾した徹甲弾がアスファルトをえぐり、粉々になった破片と砂塵がフロントガラスを覆う。ワイパーがそれを削ぐ。

 インフィニティを追い越したMD500が翻った。今度は距離を取る。そして、前方に回り込んだ。手を焼いた相手は正面から攻めるようだ。チキンレースのように向かい合う形となったインフィニティとMD500。しかし、運転席の女にアクセルと緩める気配はない。

「(もう少しよ)」

 リサが言った言葉に女は頷く。

 低空で迫り来るMD500。インフィニティに逃げ場は無い。パイロットは既に引き金を引いていた。ガンポットから放たれた50口径の徹甲弾が、アスファルトを連続的に粉砕しながら二列で近付いて来た。「もう駄目だ!」と越谷が思った瞬間。女は僅かにステアリングを切った。片輪が路肩にはみ出る。運転席側のサイドミラーに弾が当たり、粉々に吹き飛とんでいった。

 紙一重だった。越谷が頭を抱え蹲る中。インフィニティは二列になって降り注ぐ徹甲弾の間を擦り抜けたのだ。MD500の左右に取り付けられたガンポットの間隔は、インフィニティの車幅よりわずかに広い。ヘリとの距離が近いから可能だったのだが、女は瞬時にそれを判断し突っ込んだのだ。

 またも攻撃に失敗し反転するMD500。しかし、その先にはトンネルが見えた。滑り込むようトンネルに侵入したインフィニティ。激しいスキール音を上げ、トンネルの中央付近で止まった。トンネルの上空を通過するMD500。苛立ちで将校の口元が歪んでいた。

「(大丈夫?)」

 振り向いたリサ。

「(ああ、撃たれてはいないようだ)」

 頭を抱えていた越谷の返事を聞くと、そのまま車外に飛びだした。運転席の女も続く。リサは車の後部に回り、ガラスの砕けたリアハッチを開けた。ラゲッジから取り出したのは、一抱えほどのアルミボックスだった。地面に置くと蓋を開け、何やらゴソゴソと準備を始めた。

 運転していた女はそれを気に留めることなく、同じくラゲッジからHK417を抜き出した。そして、辺りを警戒するような視線を走らせると、銃を携えトンネルの出口へと駆け出した。

 トンネルの外ではMD500が旋回していた。上から見れば、トンネルは両方の出入口が見渡せる程の短いものだった。いざとなれば、片方の出入口から50口径を打ち込むこともできたが、近づくと相手に狙い撃ちされる可能性もある。将校は用心深い性格だった。すると、片方の出入口に人影を発見する。同時に着弾があった。精確な射撃だ。MD500は即座に反転し、相手の死角へ逃れた。

 撃ち損じて舌を鳴らしたのは、インフィニティを運転していた女だった。HK417のスコープから視線を外す。先制の攻撃を試みてパイロットを狙ったが、7.62ミリ弾は惜しくも操縦席のピラーに弾かれてしまった。

 近くの岩陰に移動した女。HK417のバイポットを広げ、岩上にHK417を乗せ構える。再び現れるであろうヘリを迎え撃つ態勢を整えた。

 MD500は狙撃を警戒し死角となる山沿いを飛んだ。そのまま、上から襲う気だ。そのコースなら確実に仕留められると踏んだのだろう。戦術としては正しい。山影から姿を現したMD500。岩陰にいる狙撃手を見付けると、パイロットは躊躇わず引き金を引いた。

 だが、同時にパイロットは視界の片隅に何かを捉えていた。それは、隣にいた将校も同じだった。十数メートルの距離だった。プロペラがいくつも付いた、ラジコン模型のような飛行物体。ドローンだった。

 閃光と共に爆風がMD500を襲う。ドローンに積まれたセムテックスが炸裂したのだ。TNT火薬を上回るプラスティック爆弾の衝撃波により、テールローターが弾け飛んだ。火炎もヘリの機体を襲う。炎に包まれ制御を失ったMD500。煙を上げながら落下する。HK417を構えた女の目の前を通過し、谷底へと転落していった。遅れて聞こえてきた腹に響く爆発音。

 谷を見下ろす女に、後ろから声が掛かる。ドローンのコントローラーを持ったリサだった。

「(あなたの漫画好きも、時には役に立つのね)」

「(そうでしょ。ドローンはこれからもっと活躍するって書いてあったもの)」

 自信満々に口角を上げる女。はじめて見せる人間らしい表情だった。

 女は囮だった。用心深い将校の飛行コースを読んだリサがドローンで待ち伏せしたのだ。遅ればせながらトンネルの奥から顔を出した越谷。リサは澄ました顔で言う。

「(さあ、引き上げるわよ)」



 数日後、越谷はリサからのアポを受ける。

 小川に心配を掛けて無理をしたものの、肝心の彼女からの返事は未だに貰えていない。いろいろ想像しながら、指定されたホテルで待つこととなった。彼女の反応次第では、そのままCIAに拘束されることだって有りうる。又、越谷にとって良い返事は彼女にとって米国への裏切となる。他国の諜報員に手を出すということはそういうことだ。同盟国といえども関係ない。

 アーチ状のシックな色合いの壁に装飾のタイル。小さなホテルだが、インテリアもコロニアル調にマッチしている。ロビーのソファーに腰を下ろし視線を走らせる越谷。歴史あるホテルのようだが、観光客の姿がなかった。代わりにビジネスマンのようなスーツ姿の男性が目立つ。日本で言うところのビジネスホテルなのかと考えながら、テラスの向こうに広がる中庭の噴水を眺めていると、不意に声が掛かった。

 そこには、リサの姿があった。先日の戦闘服とは違いタイトなパンツにジャケットという出で立ち。化粧のせいもあるだろうが、こうして見ると噂通りの美人だった。イラクの時と比べても歳を取っていないように感じる。年齢不詳という表現がしっくり嵌まる。

「(こんな街中で、堂々と人前に出ていいのか?)」

 皮肉交じりの越谷の口調。リサはさもありなんと答える。

「(ええ、このホテルはカンパニーが経営しているの。ここ以上に安全な場所は、メキシコに存在しないわ)」

「(アメリカ大使館よりも?)」

「(もしかするとね)」

「(なるほど)」

 CIAの事をカンパニーとも言う。観光客を見かけないのは、そのためのようだ。フロントのカウンターの下には、機関銃が隠してあるのかもしれない。そういえば、敷地の入口には警備員が居て、建物までの距離も少しとってあった。きっと、屋上には対空ミサイルも……などと、勝手に想像していると、リサが向かいのソファーに座った。

 越谷が単刀直入に訊きたいことを口に出そうとすると、それを察したかのように、リサは指を自身の口に当てた。待って、と言わんばかりに。

「(私から頼みがあるの。あなたの話はそれができてからね)」

 少し考えた越谷だったが、了解したように頷く。

「(……何をすればいい)」

「(それはね)」

 リサは微笑むと、軽く手を上げた。ロビーの端から女が現れた。ヒールを履き、クリーム色のワンピースを着ている。越谷はその顔を見て驚いた。幼顔には見覚えがあった。それは、凄まじいドライビングを披露して、自ら囮となって攻撃ヘリに銃撃を加えたあの女だった。

 しかし、今は別人と思えるほど優しい表情をしていた。アジア系だとは思っていたが、顔をまじまじと見ると極東系の顔立ちに思えた。それは、リサの話を聞いて納得した。

 リサの横に立った彼女。今日の服装では見るほどに少女のようだ。この前は髪をキャップの中に収めていたのだろう、少しブロンドがかった髪が肩にのっていた。リサは初めて会わせたかのように紹介する。

「(彼女の名はクレア。ラストネームは一応、オニヅカだけど、今はただのクレア。名前の通りの日系人よ。メキシコ生まれのメキシコ育ち。訳あって私が面倒みている。非常に優秀な部下であり大切な仲間)」

 微笑んで見せるクレア。少しぎこちないが、あの険しい表情は想像できなかった。到底、同一人物とは思えない。意図を汲み取れない越谷はリサの言葉を待った。リサにはばかる様子はない。

「(この子を日本に連れて行って欲しいの。あなたの国へね)」

 唖然とする越谷。まずは、冷静に事を整理する必要があった。目を細めた越谷。その反応を見て、リサは口を尖らせた。

「(あら、駄目かしら? 気に入って貰えるように、可愛くしてきたのに)」

 確かに可愛らしかった。丸顔だが整った顔立ちをしている。日本のアイドルに居そうな感じだ。僅かな沈黙の後、越谷が口を開いた。

「(それが、条件ということか?)」

「(取り敢えずのね)」

「(俺の下で使えと?)」

「(まあ、そんな感じね。働きは保証する。英語はできるわ。日本語は……勉強が必要だけど)」

 越谷はリサを見据え模索する。リサはソファーに深く座り足を組んだ。越谷は額を撫でて呟いた。

「(いいだろう)」

 リサは和らな微笑を返した。

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