12.星は知っている
静寂が訪れた住宅街。友子は屋上に出ていた。
三階建てのモダンなコンクリート住宅。一階はシャッター付きの大きなガレージで、一部は危機管理コンサルタント会社の事務所。二階はリビングなどの生活スペースと直哉の部屋兼書斎。三階には一部屋しかなく、というか広い屋上に一部屋乗っかっているといった造り。そこが友子の部屋だった。
部屋の掃き出し窓が開き、中から香奈のまったりした声が届く。
「友子~、何してるの~? メール着てるよ~」
具だくさんの煮込み料理でお腹を満たした香奈は、自分の家のように寛ぎモードに入っていた。
「いつものやつだよ~」
同じようにまったりした声音で返す友子。
「……友子~?」
返事を聞きそびれた香奈は、掃き出し窓から四つん這いで顔を出した。ひんやりとした夜の空気が肌に触れる。
「寒っ」
身を震わせた香奈。
屋上を囲っている胸丈ほどの塀。それにもたれ掛かり、仰ぎ見ている友子。頭上には星空が広がっていた。
都心から離れているとはいえ、等級の低い星は街の明かりに消されてしまう。それでも天体観測が目的ではない友子にとって、十分な数の星達が夜空に散らばっていた。今夜は空気も澄んでいる。
「友子、好きよね~」
ジャケットを羽織った香奈が部屋から出て来た。友子の隣に肩を寄せる。
「もしかして、毎晩こうしてるの?」
「うん、天気のいい日はね」友子は見上げたまま答える。「何だか、こうしてると心地いいのよね~」
自分の世界に浸る友子。
「へぇ~、そんなもんかな?」
同じように夜空を仰ぎ見た香奈だったが、言いたいことは別にあるようだ。友子に顔を近づけると、その耳の元で囁いた。
「……で、そうやって誰のこと考えてたりするの?」
その言葉に目を丸くする友子。香奈を見据えたまま、おでこにおでこを突き合わせた。そして、ぐりぐりと押す。
「それって、何?」
香奈は鼻息を荒くして、おでこを押し返す。
「決まってんじゃん。男子よ、男子。イケメン、カッコいい男!」
呆れ顔の友子。香奈の恋愛ダメージに対する回復力には敬服する。元気に復活してくれた事はうれしい。ただ、早すぎる感は否めない。いつも通り、といえばそうなのだが。
「カッコいい男って、抽象的過ぎでしょ」
「ふーん。なら具体的にどうぞ」
「ないわよ!」
即答し強くおでこを押した友子。香奈はたまらず「痛てて」と身を引く。
「相変わらずの石頭。中身もだけど……」そう言った香奈だが、視線は懐疑的なままだ。「でも、誰かいるでしょ? いいなって思う人」
「いない」
「そんな訳ないでしょ……女子高生が? ……ありえないし」
鼻を鳴らし失笑する香奈。恋愛ネタに関して、底なし沼のような絡みっぷりはいつものことだ。確かにカワイイ女子を目指してはいるが、恋愛は次のスッテップである。出遅れた分、失敗しないように慎重に行きたい友子である。
「いや、まずは香奈みたいに、女子力上げてからだね」
素っ気無く答えると、香奈が語気を強めた。
「何、言ってんの、そんなこと言ってる暇ないよ! 私達の高校生活は3年間しかないの。それがどうだったかってことは、後の人生においてとっても大事なことなのよ。そして、既に三分の一は終わってる」
「なるほど」と呟いた友子。だからといってどうしろというんだろう。人はそんなに簡単に変われるものでもない。
すると腕を組んだ香奈。ゆっくりと視線を友子のつま先から頭のてっぺんへと走らせた。続けて、ため息。「もったいない……」
幾分筋肉質ではあるが、スタイルは良い。胸もまあまあある。顔はかわいいというよりは美人系。香奈も羨む鼻筋とくっきり二重。ここは日本人離れしている……ハーフだから、まあそうなる……そして、艶々の黒髪。やっぱり、外見は問題なし。
改めて友子を値踏みして一言。
「友子はさ、素材を生かしきれてないよね。十分魅力あるんだからさ。自分を変える必要なんてないよ、もっと積極的にいけばいいだけ」
妙に説得力のある言葉。さすが恋愛マスターである。感心する友子。
「けど、“なんちゃらスマイル?” とかゆうネタ。面白い冗談だけど、あれはダメね。イタイよ」
「はあ……」
確かに、バスの一件はやり過ぎたかもしれない。反省はしているつもりだ。だけど、“女子高生誘惑スマイル”は大真面目に練習したこともあるので、決して全てが冗談ではない。自分の女子センスの低さに落ち込む友子。
「で、実際のとこ、どう考えてんの?」
真剣な眼差しで、にじり寄る香奈。今宵の恋愛講座は、いつになく熱を帯びていた。学校では恋愛中毒娘とよばれているが、経験値でいえば友子は足元にも及ばない。というか、足元のありんこである。
「どうって、言われても……」
真面目に訊かれると言葉に詰まる。たたみかける香奈。大きな瞳から浴びせられる眼光。友子は眉をひそめる。
「……じゃ、取り敢えず友子の恋愛観みたいなの、なんでも言ってみてよ」
今宵の追い込みは厳しく、逃れられそうにはなかった。それに、茶化し続ける自分も嫌だった。照れながら答える友子。
「……いやぁ、その、ね。ともかく……男の人とそういう関係……いや、感じになるイメージが湧かないというか……恋愛観以前の問題なわけで」
「それで」
友子が腹を据えたのが分かったのか、少し満足そうな表情の香奈。小気味良い合いの手が入り出す。
「男の人見て、カッコいいなって思うことはあるけど、女の子っぽく接することは苦手だし……」
「なるほど」
自分の言葉に鳥肌が立つのをこらえながら続ける友子。小恥ずかしさに俯いた。
「タイプとしては、自分の考えを持った人が好きかな……俺様みたいなのは苦手だけど……」
「私は好き」
「え?」
「あ、気にしないで、続けて」
「……あと、なんか、強引過ぎるのもちょっと無理。ドラマなんかでよくある、突然、手を引っ張られて来い、みたいなの。きっと、そんなことされたら手が出ちゃうかな」
「出しちゃダメ」
当たり前です。とばかりに半眼になる香奈。苦笑して、こくりと頷く友子。
「でも、凄く一途に思われたら、きっとうれしいなー、なんて……てへへ……」
「……」
「いやぁ、でも、こういうの自分で言うと照れますな。なんか、私っぽくないっていうか……ん?」
「……」
羞恥心を曝け出して、真っ赤な顔になっていた友子だったが、合いの手が無いことに気付く。横目で窺うと、いつの間にか恋愛講師の視線はあらぬ方向を向いていた。
たまらず、二度見してしまう友子。
「――って、こら! 聞いてないじゃん!」
ツッコミを入れてみたが、香奈の反応が無い。視線は星空に向けられていた。
「あーっ!!」
突然、絶叫した香奈。その声に慄き仰け反った友子。
「な、何なの!?」
香奈は両手両足をバタつかせて騒ぎ出す。
「見て! 見て! あそこ! 動いてる!」
宝物でも見つけたように、驚愕しながらもはしゃぐ香奈。
「UFOよ! UFO! すっごーい!」
「……U・F・O?」
友子は香奈の指差す方向を確認した。半眼で夜空に目を凝らす。共通点の少ない二人だが、視力が抜群に良いところはお互い自慢にしている。
「ああ……」
力なく呟いた友子。確かに夜空の低い位置に一つだけ、ゆっくりと一方向に向かって移動する光源体があった。他の星たちと比較すれば、異様な動きであることに間違いはない。しかし、それはUFOではなかった。
続いて、唸りとも、ため息ともつかないものが友子の口から漏れる。いつものことだが、恋愛講座からのこの展開。自分も変わっていると思うが、香奈も相当個性的だと思う。「私の赤裸々な告白は何だったのか……」友子はそう心で嘆きつつ、咳払いを一つした。
「香奈。あれは人工衛星だよ」
「……じんこうえいせい?」
はしゃいでいた香奈は、ぽかんとした顔で目をパチクリさせる。屈託のない表情で頸を傾げた。その表情に苦笑する友子。「可愛いい……」こういうの男子は好きなんだろうな、と思った。だが、これはマネをしようとしても無理だろう。
「そう、人工衛星」
「あ、ああ! お天気お姉さんの写真を撮ってるやつね?」
「ヤツ……?」
その言葉に、困惑する友子。「お天気お姉さんの写真を撮ってる奴って? 美人お天気お姉さんのスクープ狙いの週刊誌カメラマンが、どうしたというのだ?」心で呟く友子。彼女の発想は至極具体的であることが多い。
憮然とした友子の顔を不思議そうに見た香奈は腰に手を当てた。
「だから、《今日は雨模様ですぅ。傘を持って出かけましょうねぇ。それでは、いってらっしゃ~い。》っての。朝、どの局でもやってるじゃん!」
愛らしさ特盛りで、気象予報図を指し示すマネをする香奈。何処のテレビ局という訳ではないが、なかなかにして特徴を掴んでいた。
友子が少しの間を置いて感嘆する。「おお!」言わんとしていることがようやく理解できた。分かりにくかったが、香奈らしいというべきだろう。もう一度、咳払い。
「……確かに、その通り。お天気お姉さんが天気予報の時に使う、雲の写真などを撮ってるヤツです」
「うん、それそれ」
嬉しそうに頷く香奈。このまま衛星についての詳しい説明をすることは、不毛な行為だと分かっているので深追いはしない。しかし、次にぶつけてきた質問はなかなか鋭かった。
「……でも、それって下から見えるものなの? ロケットでずいぶんと遠くに飛ばしてるんでしょ?」
「ふむ、確かにそうだけど……実際に見えてるじゃない」
「そうだけど……変な感じ」
「まぁ、夜じゃないと肉眼で見付けるのは難しいけど……でも、低いものだと高度200キロメートルを切ってるわよ」
「200キロ!? それって、十分遠いじゃん!」
「ま、そうか……」
話の本筋が良く分からなくなったところで会話が止まる。香奈は取り敢えず感心した素振りで、友子の肩を軽く叩いた。
「よっ。さすが詳しいね、ミリオタちゃん」
「それ言わないで」
友子が口を尖らす。
「あ、ゴメン。でも、そういう知識もあっていいんじゃないの? 将来の就職とかに役立つかも」
聞いたことのある台詞。
「君は私の父親かー!?」
「は? ……あっ、それだ!」
「どれだ?」
感嘆する香奈の叫びに頸を傾げた友子。
「だから、友子のお父さんって、ギョーカイの仕事もしてるんでしょ?」
「ああ、それ。たまにアクションシーンのある映画やドラマの脚色を手伝ったり、役者に演技指導したりしてるみたいよ」
「だからそれよ」
「どれよ?」
「お父さんに売り込んでもらうのよ」
「何を?」
「友子を」
「何処に?」
「芸能界に」
「はぁ?」
ぽかんと口を開ける友子。
「いけると思うけどな~」
「……って、どこが」
「分かってないな、今はアイドルもタレントも、コアな分野ほど市場があるのよ」
「分からなくていいです」
人差し指を振りながら、声を弾ませる香奈。数々のアイドルを育て上げた、何処かの名プロデューサーのように力説する。呆れ顔の友子には構いなしで。
「素質は十二分にあるわ! 幼いころからすり込まれたオタク知識。そして何よりその清楚なルックス。それでいて格闘技の使い手。しかもホントに強いときたら、完璧! ……後はもう少し色気を出して……」
「……付き合いきれない」
頭を掻きながら部屋に戻ろうとする友子。すがるように追い駆ける香奈。
「ね。ちょっとぐらいなら、やってもいいと思うでしょ?」
「思わない」
「やったら、好きになるかもよ」
「ならない」
「芸能人に会えるかもよ」
「会いたくない」
「怒った?」
「怒ってない」
友子の腕に抱き付き、愛想笑いで下から様子を窺う香奈。おねだりする子供のようだ。その滑稽な表情に思わず噴き出す友子。
香奈は空を見上げた。
「……じゃあ、星を見るのも終わり?」
「終わり」
「そう、でもこっちから見えるってことは、向こうからも丸見えね?」
その言葉に足を止めた友子。香奈の顔を見遣る。
「何が?」
「じんこうえいせいとやらのことよ」
何気ない香奈の言葉に感心した友子。妙にいいとこ突いてくる。
「まあ、確かにそうなるわね……」
再び夜空を仰ぎ見た二人。目が慣れたせいだろうか、さっきより星が増えたような気がした。