悲しい再出発
試合は北高の劣勢だった。
5回を終わって7-2、5点のビハインドだ。
野球は個人でやるスポーツではないが、隼人の調子が悪く、
ことどとくチャンスの場面で凡退し、流れを引き戻せないでいた。
6回もツーアウト2塁で隼人の打席になったが三振に倒れてしまった。
「わりぃ…」
「気にするな、これからこれから!」
みんな笑顔で守備に戻っていく。
しかし7回に1点を追加されると、8回にも2点を入れられ10-2になってしまった。
残りは9回の1イニングのみ。
それでも諦めずに北高野球部は戦った。
ワンアウト満塁とし、走者一掃の3点タイムリーツーベースで10-5、
更にタイムリーが続き、10-6、4点差まで迫った。
このあとランナーが2塁1塁となり、押せ押せのムードで隼人に打席が回ってきた。
もし隼人がつなげば、次は4番。
そうそう打てるものではないが、ホームランが出れば同点になる。
集中しなければいけないのに、隼人は無意識にスタンドを見てしまった。
やはりそこに愛花の姿はなかった。
初球、明らかにボールとわかる球を空振りしてしまう。
「隼人!落ち着け!」
仲間の声がベンチから聞こえてくる。
そうだ、愛花は関係ない、俺はつながなきゃいけないんだ!
2球目、甘く入ってきたど真ん中の球を強振した。
当たりは痛烈、しかし飛んだところが最悪だった。
ショート正面。
うそだろ…おい!
隼人は全力で走る。
ショートからセカンドに渡り、2塁フォースアウト、セカンドがファーストに投げる。
隼人はヘッドスライディングをして1塁ベースに向かった。
「アウトぉ!」
試合終了、北高の甲子園への夢は決勝戦で潰えた。
隼人は涙が止まらず、1塁ベース上から動けなかった。
そんな隼人を部員が泣きながら立たせ、整列に向かわせた。
挨拶をしてベンチに戻ると、スタンドから惜しみない拍手が送られた。
それでも部員たちの…隼人の涙は止まらなかった。
「ゴメン!俺のせいで…俺のせいで」
「隼人のせいじゃねーよ、みんなでここまでやってきたんだろ!
負けたのはみんなのせいだよ」
みんなで慰め合っていると、監督が口を開いた。
「いや、負けたのは監督の俺のせいだ。
みんなは頑張った、最高のプレーをしてくれた。
勝たせてあげられなくてすまなかった」
「監督…うわあああ」
この言葉に部員全員が泣いていた。
こうして隼人の野球部としての最後の夏は終わりを告げた。
車が着いたとき、試合はすでに終わっていた。
「愛花ごめん…間に合わなかった…」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ、送ってくれてありがとう」
陸は車を降りてみんなが集まっている場所に向かった。
結果はネットで出ていたから知っている。
残念ながら優勝できなかったが、ここまで頑張った隼人は愛花にとって誇りだった。
その隼人に声をかけたい、愛花は走りだした。
すると、みんなが外にいた。
野球部、チアリーディング部、吹奏楽部、制服を着たたくさんの生徒たち、
みんな落ち込んでいるのが伝わってくる。
そんななかすでに制服に着替え終わっていた隼人を見つけ、声をかけた。
「隼人…おつかされまでした」
その声を聞いて隼人が顔を上げた。
その表情は恐ろしく冷たい。
「今さら…何しに来たんだよ」
「何って…少しでも応援できればと思って…間に合わなかったけど…」
「試合はとっくに終わったんだよ、今さらノコノコと」
「そんな言い方しなくたって…」
まさか隼人がこんなことを言うとは思わなかった。
確かに愛花は試合よりも自分を優先させた。
それでも隼人ならきっとわかってくれると信じていた。
しかし現実は違っていたのだ。
しかも、そこへ意外な人物が隼人のところにやってきた。
「隼人先輩」
「沙織ちゃん」
「沙織ちゃんって…隼人どういうこと?」
隼人は何も答えずに立ち上がった。
「沙織ちゃん、行こう」
隼人は沙織の手を取って歩き出した。
そのとき沙織は勝ち誇った顔で愛花を見下していた。
「隼人!ちょっと待ってよ」
隼人を追いかけようとしたら仁菜に止められた。
「愛花に隼人くんを追いかける権利なんてないよ」
「仁菜…なんでそんなこと言うの…」
「隼人くんが一番いてほしかったときに愛花はいなかったじゃん!
本当に来ないと思わなかった、愛花のこと見損なったよ」
親友の仁菜にまでこんなこと言われると思っていなかった。
愛花の心は潰れそうになっていた。
「愛花の顔、わたしも見たくない」
とどめのような一言が胸に突き刺さり、愛花は泣いていた。
「今日、隼人くんはまったく打てなかったんだよ。
なんでかわかる?愛花がいなかったからだよ、愛花のせいで負けたんだよ!」
愛花はいてもたってもいられず、泣きながらその場を去っていた。
その後ろを追いかける人物は誰もいなかった。
その場にいたみな実も理沙も誰も追いかけてこなかった。
愛花がいなくなってから、仁菜に話しかけた人物がいた。
「仁菜ちゃん」
「莉奈ちゃん…」
莉奈と仁菜は愛花を通じて何度か会ったことがあるので顔見知りだった。
「来てたの?」
「うん、田辺くん知り合いだしね。
それよりも愛花の友達として言わせてもらう…それでも愛花の友達なの?
愛花の事情も知らないで、今ある現実だけで愛花を責めて…ひどすぎるよ!」
莉奈は続いてみな実を見た。
「みな実も!なんで愛花を追いかけてあげないの、
みな実は愛花がどんな子か知ってるでしょ!」
「莉奈…それは…」
「なら莉奈ちゃんは愛花の事情を知ってるの?」
「知ってる…言えないけど」
「言えないって…それじゃ判断のしようがないよ。
それにどんな理由があっても今日の試合より大事なことなんて絶対にない」
「わたしはそうは思わない…仁菜ちゃんもみな実も…みんな知らないだけで
愛花は誰よりも辛くて悲しい人生を送ってきているんだよ。
それこそ想像がつかないくらい…」
愛花のことを思って莉奈は涙を浮かべていた。
そこへ男が会話に加わってきた。
「はじめまして、莉奈ちゃんだよね?俺、春樹っていうんだ。
仁菜の彼氏で隼人と愛花ちゃんの友達」
会うのは初めてだが、愛花から話だけは聞いたことがあった。
「春樹、何しに来たの?」
「んー、莉奈ちゃんの援護をしてバカなやつらの目を覚まさせてやろうと思ってさ」
そういうなり、春樹は仁菜の頬を平手て叩いた。
みんな驚いて黙ってしまった。
「な、なにすんのよ!」
「言ったろ、バカなやつらの目を覚まさせるって。
仁菜、お前今まで愛花ちゃんの何を見てきたんだ?」
「何って…春樹よりも見てきたよ、愛花のことは」
「なら愛花ちゃんのことを責めたりしないはずだよな、
お前のいう愛花ちゃんの親友って言葉はうわべだけか?」
すると春樹は莉奈に向かって一言いった。
「莉奈ちゃん、ここは俺がキッチリと説教しておくから、
愛花ちゃんのところに行ってあげて。隼人のバカもぶっ飛ばしてやるから」
「ぶっ飛ばすって…」
「本当に殴るかどうかは別として、俺は隼人と約束したんだ。
愛花ちゃんを悲しませたら許さないって。ほら、早く行ってあげて」
「ありがとう…春樹くん!」
莉奈はこの場を春樹に任せて愛花のところへ向かった。
それを確認してから再び春樹は仁菜に向き合った。
「お前にとって愛花ちゃんはどんな存在だ?
そこにいるみな実ちゃん小陽ちゃんや理沙ちゃんもだ」
みんな黙ってしまった。
誰もが愛花がどんな子かは十分承知している。
「言えないってことはわからないってことか?わからないのに友達やってたのか?」
「違う!愛花はすごくいい子で友達思いで、みんなに優しくて」
仁菜が必死になって答えた。
「わかってるじゃん、なら何であんなこと言うんだよ」
「だって今日は隼人くんにとって大事な日だったんだよ!」
「大事な日って…たかが野球の試合じゃん」
「そんな言い方!」
「そりゃ隼人や野球部のみんなは甲子園を目指して必死に練習してきたよ。
けどそれって部活動の一環だろ、
負けたところで人生が終わったり狂ったりするもんじゃないだろ。
そもそも県内でも優勝した学校以外全部の学校が負けて甲子園に届かなかったんだぜ。
決勝で負けようが1回戦で負けようが同じことなんだよ。
それがなんだ、決勝まで行ったからってみんなして舞い上がってよ、
挙句負けたのは愛花ちゃんのせいだって?バカもほどほどにしろよ。
負けたのは誰のせいでもない、相手のほうが強かっただけだ」
春樹が言うことはもっともだった。
負けたのが悔しくて誰かのせいにしないと気が済まなくて
愛花のせいにしていただけだった。
誰も何も言えなかった。
「きっと愛花ちゃん、誰にも言えないくらい大事な用があったんだろうな。
誰にも言えないって相当なことだぞ、すごく辛いはずだぞ、それくらい察してやれよ!
間に合わなくても駆け付けた愛花ちゃんの気持ちをわかってやれよ!
これだけ言ってもわからないなら、仁菜も他のみんなも軽々しく友達なんて
言うんじゃねぇ!たかが決勝戦に来れなかったくらいでよ」
春樹の言葉が胸に突き刺さる。
仁菜もみな実も小陽も理沙もみんな後悔していた。
ひょっとしたら甲子園に行けるかもしれない、
そのせいで舞い上がって大事なことを見失っていたのだ。
「わたし…今まで愛花の何を見ていたんだろう…愛花に謝やまらなきゃ!」
仁菜が走り出すと、「わたしも」と言ってみな実や小陽、理沙も追いかけていった。
「さて、もう一人…本当のバカの目を覚まさせにいくかな」
春樹は隼人を追いかけるように歩き出した。