退院して
リハビリと並行して行ったこと、それは11年の歴史を学ぶことだった。
まず驚いたのはテレビ、横長の16:9になっていて映像もデジタルになっていた。
あまりのキレイさに軽い感動すら覚えてしまった。
番組を録画するレコーダーも番組表からボタン一つで録画できるのが
画期的だった。
そしてまだ普及していたVHSは完全になくなり、
いまはBDやDVDが主流になっている。
次はスマートフォンだ。
まるで小型のパソコンのようだが、
使い方によってはパソコンより便利にな代物だ。
たかが10年足らずでここまで変わるものなのか、
世の中の進歩はすごいことを改めて実感した。
「愛花、準備できた?」
「あ、うん…」
今日は陸が退院する日。
希美が持ってきた服に着替えて、あとは病室を出るだけだった。
ロンTにパーカー、ジーンズにスニーカー。
男の子でも女の子でも着るような服だったので安心した。
恐らく希美や美智子が気を使ってくれたのだろう。
「先生、お世話になりました」
「いや、こちらこそ。これからは愛花ちゃんとして精いっぱい生きるんだよ」
「はい…」
陸と彰、美智子、希美はお辞儀をして病室を後にした。
「さあ乗って」
彰に促され、車の後部座席に乗った。
隣には希美が乗っている。
車が発進してしばらくしてから陸は彰にお願い事をしてみた。
「あの…行ってほしいところがあるんですけど」
「わかった」
どうやら彰にはどこに行きたいのか伝わったらしい。
「どこ行きたいの?」
「ちょっとね」
希美の問いを濁し、窓から景色を眺めた。
町並みはそんなに変わってないんだな。
30分ほど走って着いた場所、そこは霊園だった。
美智子は途中で気付いたみたいだったが、希美は着くまで気付いていなかった。
「案内するよ、行こう」
彰が先頭に立ち、墓まで案内してくれた。
「ここがそうだよ」
墓石には父と母の名が刻まれている。
ここに来て、両親が本当に亡くなったことを実感した陸は
涙を堪え切れず泣き出してしまった。
「父さん…母さん…」
膝をつくと、大声を出して泣き叫んだ。
3人はそれを見ることしかできない。
しばらくして泣き止むと、陸は立ち上がり墓石をじっと見つめた。
「今までありがとう…これからは田中陸じゃなく、
佐久間愛花として新しいお父さんとお母さん、それに希美ちゃん…
お姉ちゃんと生きていきます」
墓石にお辞儀をすると、背を翻した。
「もういいの?」
「うん…行こう、お父さん、お母さん」
陸が彰と美智子をそう呼ぶと、笑顔で頭を撫でてきた。
「よし、家に帰ろう」
再び歩き出してから彰が一度振り返って墓石を見つめた。
きっと彰は陸の両親に、幸せな子に育てるから安心してくれ、と言ったのだろう。
今度こそ本当にさようなら、父さん、母さん。
佐久間家の家は以前と違う場所にあった。
どうやら引っ越しをしたらしい。
ひょっとしたら陸を気遣って引っ越したのかもしれない。
以前の場所のままだと、隣には陸の元々の家がある。
といっても両親が亡くなったので、今はどうなってるか知らない。
他の人が住んでるのか、空き家のままなのか、
どっちにしても陸が思い出してしまうことを考えてくれたのでは?
そう思うことにした。
「さ、ここが愛花の家よ」
靴を脱いで家の中に入る。
ここが新しい自分の家…。
「愛花の部屋は2階だよ、行こう」
希美に案内されて入った部屋が陸の部屋だった。
薄いピンクのシーツが掛かったベッド、テレビ、タンス、勉強机があり、
その横には赤いランドセルが置いてある。
「ランドセル…」
「あ、言ってなかったね。さすがに学校に行かないわけには行かないから…
やっぱり嫌?」
嫌に決まっている。
今さらランドセルを背負って、しかも女子として小学校になど行きたくない。
そんなことを思っていたら、希美が両肩に手を置いてきた。
「我慢して、仕方ないことだから…それにさ、勉強なんてかなり簡単だよ。
だって頭脳は高校生なんだし」
イマイチな説得だが、希美なりの励ましも込められているんだろう。
「わかったよ、希美ちゃん」
「お姉ちゃんとは呼んでくれないんだ?」
さっきの墓石での発言を言っているのだろう。
確かにあのときは「お姉ちゃん」と言ったが、まだ抵抗がある。
「いずれ…」
「そっか、うん」
この日の夕飯はカレーだった。
陸は昔から美智子が作るカレーが大好きで、食べた瞬間「おいしい」と叫んでしまった。
それをみて、みんなが笑っていた。
「食べたらお風呂入りなさい」
「あ、うん…」
女の子になってから初めてのお風呂、これからずっと入ることになる
避けては通れない難関だ。
食べ終わってから部屋に戻り、パジャマとパンツを持ってお風呂場に行った。
服を脱ぎ、裸になる。
男の頃には想像もできないくらい真っ白な肌、
これは10年間寝たきりで入院していたからだろう。
まっ平らのような若干膨らんでいるような胸、男のシンボルが欠片もない股間、
見れば見るほど悲しくなる。
愛花として生きていくと決心したが、
やはりまだ受け入れられないのかもしれない。
深く考えずにお風呂に入った。
しかしお風呂は不思議なもので、シャワーを浴びれば気持ちよく、
湯船に浸かれば心地いい。
女の子の身体を気にせず、お風呂を堪能していた。
上がってパジャマに着替えてから自分の部屋に行き、テレビを付けた。
知っている番組などほとんどなく、出ているタレントも半分以上知らなかった。
知っているタレントも老けたなぁ、などと思ってしまった。
やはり11年の年月は大きかった。
そういえば、同級生だった友達は何をしているんだろうか・・・
今は29歳、結婚しているやつもいるんだろうな。
そんなことを考えていたら希美が入ってきた。
「どう、新しい家は?」
「うん、まだ…慣れないかな」
「そりゃそうだよね、でもここはもう愛花の家なんだからね」
希美が気を使っているのがわかった。
早く安心させないと…。
陸は笑顔で希美を見た。
「ありがとう、心配しなくても大丈夫だよ」
「困ったことがあったらなんでも言ってね」
そう言って希美は部屋を出て行った。
時計は夜の9時半を指している。
まだ早いと思ったが、この身体で初の外出、新しい家、
それらが疲労となっていたので寝ることにした。
早く慣れないとな…。