夢
季節は7月、夏になった。
夏と言えばそう、プールの授業がある。
愛花になった陸にとって初めてのプールだ。
水着か…ちょっと恥ずかしいな。
この恥ずかしいは男子の視線を意味している。
ところが、プール間近に美智子が買ってきた学校指定の水着を見て驚いた。
「これがそうなの?」
「ビックリしたでしょ、お母さんも知らなかったから驚いちゃった。
時代は変わったのねぇ」
その水着はセパレードタイプで、上は袖があってピッチリした
Tシャツのような感じ、下は太ももまであってスパッツのようだ。
これならまったく恥ずかしくない。
3日後に初めてプールの授業が行われたが、
まるで普通の体育のような感覚で泳ぐことができた。
夏休みになり、今度は綾たちとプライベートでプールへ行ったが、
このときは事前に買いに行った、かわいいセパレードの水着を着て入った。
また近所のお祭りには浴衣を着て行くなど、
季節限定の女子ならではのファッションを楽しむことができた。
更に、この夏からヒールのある靴やサンダルにもチャレンジするようになった。
こうして普通の女の子が自然に成長していくように、
陸も普通の女の子として成長していくが、
精神面では、生理を境に大人っぽくなっていった。
いや、正確には戻っていったというのが正しいかもしれない。
そして夏も終わり、秋になる。
9月26日、この日は陸の誕生日だった。
正確には愛花の誕生日だ。
陸の本来の誕生日は5月11日だったが、この9月26日は、
陸が細胞から胎児になった日らしく、その日を誕生日にしたのだ。
学校へ行くために家を出ると、早速莉奈が誕生日プレゼントをくれた。
「ありがとう莉奈」
女の子は仲がいい友達には誕生日プレゼントを送る習慣がある。
教室に行っても凛・みな実・綾が誕生日プレゼントをくれた。
「みんな、ありがとう」
夜は家族で誕生日パーティー、彰と希美からそれぞれプレゼントをもらい、
ケーキを食べた。
陸は愛花としての幸せを噛みしめていた。
月日が流れるのは早い。
陸は6年生になり、季節は冬直前の11月だった。
珍しく美智子が学校に呼ばれ、早苗と3人での話し合いが行われた。
「今日お呼びしたのは進路のことなんです。
愛花さんはとても成績がいいので、私立とかに行かれてはと思いまして」
そう、相変わらず陸はテストがほぼ満点で、
勉強に対する頭脳だけは薄れることがなかった。
塾にも通わず、ノートもあまり書かないで
この成績は天才と思われるだろう。
陸は美智子が答える前に否定した。
「いいえ、みんなと同じ中学がいいです」
「でも、ちゃんとレベル高い私立に行けば名門大学にも行けるし、そのあとの就職だって」
「もし名門大学に行くとしても、普通の中学からでも行けます。
お姉ちゃんはそれでT大に行きました」
「まあ…それで愛花さんも勉強ができるんですね」
「いえ、そういう訳じゃないと思うんですけど…」
本当にそういう訳ではない。
希美は死ぬほど努力してT大に入ったが、陸は習っていたことだからだ。
そんな天才っぷりも長くは続かないことを陸は理解している。
中学に行けば、今までのように何もしなくても満点というわけには
いかなくなってくる。
確かに高校と比べれば簡単だが、中学で習ったことが高校で応用されてくるから
ある程度は勉強しておかないと高校では厳しい。
つまり陸の勉強は、小学・トップクラス→中学・まあまあ→高校・普通
このように徐々に下がって行く図式になるので、
頭のいい私立なんかに行けばついていけなくなる。
あくまでも平凡な頭脳の持ち主なのだ。
もう一度中学で基礎を学び、高校で頑張る、これが陸の持っているプランだ。
「でも、もったいない…」
早苗はなかなか食い下がらない。
教師の立場で言えばそうだろう。
早苗を納得させるために、密かに思っていたことを伝えることにした。
これはまだ誰にも言っていない、陸の心の中だけのことだ。
「先生、私…将来の夢があるんです」
「どんな夢なの?」
早苗だけでなく、美智子も初めて聞くので興味を持っていた。
「小学校の先生になりたいんです」
「本当に?」
「はい、それで早苗先生みたいな先生になりたいんです」
「ありがとう、愛花ちゃん」
早苗は普段、生徒を下の名前で呼び、男子は「くん」女子は「ちゃん」だ。
さっきまで「さん」で呼んでいたのは美智子に対してで、
今は愛花に対して話していた。
「先生は教師になるために私立の中学に行きました?」
「それは…」
「違いますよね、だから私も普通の中学に行って、教師を目指します」
「わかりました…なんか余計なことを言ってすいませんでした」
早苗が美智子に対して頭を下げた。
「いいえ、逆に愛花のために親身になって考えてくれてありがとうございます」
帰り際、早苗は「愛花ちゃんと一緒に教壇に立てる日を楽しみにしているね」と
笑顔で言ってくれた。
教師になるのは簡単なことではない、勉強頑張らないと!と思った。
「愛花が先生になりたかったなんて知らなかった」
「誰にも言ってないからね、でも本当になりたいって思ったのはさっきだよ。
それまではなんとなくだった。
先生が真剣に私の将来を考えてお母さんまで呼んで話してくれたとき、
やっぱり早苗先生って素敵だな、早苗先生みたいに私もなりたいってね」
「そうなのね」
「反対する?」
「ううん、学校の先生なんて立派な職業だから応援するよ」
「ありがとう、お母さん」
娘の人生に影響をあたえるなんて、
いい教師に巡り合えたんだなと美智子は思った。