祥吾
祥吾がお茶を飲み始めると、田中が突然言い出した。
「愛花ちゃんとは、いつ結婚するんだ?」
「ブッ!ゲホゲホ」
祥吾は驚いて噎せてしまった。
「な、何ですか、急に!」
「そんな驚くことはないだろう。で、どうなんだ?」
「ま、まだそこまで考えていませんよ…」
「なに?」
田中が急にムッとした表情になった。
「結婚も考えずに付き合っているのか!」
まるで、愛花の父親と対面しているような錯覚に陥った。
祥吾には、田中がなぜ急に怒り出したのか理解できなかったが、
今の自分の考えや気持ちをちゃんと伝えることにした。
「俺たちまだ学生です。4月からは社会人ですけど…。
まずは社会人として立派にやっていくことが大事だと思いませんか?
そこで、完全に自立して、ちゃんとした生活ができるようになってから、
はじめて結婚ってなると思うんです。
だから今は、結婚うんぬんじゃなくて、一人前になることが目標なんです」
田中は真剣に、祥吾の話を聞いていたが、すぐには答えなかった。
ややあってから、田中はゆっくりと口を開いた。
「愛花ちゃんと、いずれは結婚する意志はあるのか?」
「軽々しくは言えませんけど、いずれそうなったらいいと思っています」
「そうか…」
再び沈黙になる。
台所からは、愛花と奥さんの楽しそうな会話が聞こえてきた。
「変なこと言ってすまなかったな。君は思ってた以上に真面目な男だ」
そういってから、田中はすぐに笑顔になった。
祥吾はまるで、愛花の父親に認めてもらった気分でホッとしていた。
修よ、出過ぎた真似かもしれないけど、お前の代わりに祥吾くんを試させてもらったよ。
彼はいい青年だ、陸も…愛花もいい相手を見つけたな。
息子ではなく、娘にはなってしまったが、お前も父親として鼻が高いだろう。
田中はニヤッとしてお茶を啜った。
台所では、クロダイの刺身以外に、ほかの魚で天ぷらだったり、塩焼きだったり、
次々と料理が作られていた。
「なんでも作れるんですね、すごい!」
「うちの人が毎日釣ってくるでしょ、だから魚料理に慣れちゃったのよ」
奥さんは、そういって笑っていたが、
愛花はその手際の良さと腕前に尊敬の念を抱いていた。
出来上がった料理をテーブルに運び、4人で魚料理を味わった。
「おいしい!」
思わず祥吾が声をあげると、愛花も「すごくおいしい!」と2人して喜んでいた。
「新鮮なものはなんでも、うまいんだ。それよりもビール飲むか?」
田中が祥吾に勧めてきたが、祥吾は車の運転があるので断った。
すると、「じゃあ愛花ちゃん」といって、グラスにビールを注いできた。
「いえ、祥吾が飲めないのにわたしが飲むわけには…」
「祥吾くんは、そんな細かいことを気にする男じゃない。そうだよな?」
「はい。愛花、飲んで構わないよ」
飲みたいのに飲めない祥吾に、申し訳ないとは思ったが、
勧められたので少しだけ飲むことにした。
「刺身に合いますね!」
「だろ、コイツにはビールが一番なんだ」
田中はゴクゴクとビールを飲んでは、クロダイの刺身をつついていた。
愛花が何気なく部屋を見てみると、大勢の人が写った写真が一枚飾られていた。
思わず見てみると「あっ…」と声を出してしまった。
「愛花、どうしたの?」
「う、ううん…何でもない…」
写真は、田中の親戚一同で、この家の前で撮ったものだった。
その中には、修と紀美子、そして小さい陸がいた。
まだ2歳くらいで、紀美子に抱っこされている。
わたし…ここに来たことがあったんだ…
記憶はない。
それでも感情が高ぶってきた。
田中は、愛花が写真を見ていることに気づき、しまったと思った。
ずっと飾ってあったものなので、気にしていなかったのだ。
しかし、当の本人である愛花は田中が思っているのとは違う感情を抱いていた。
この写真を見ることができ、若かった父と母、そして自分を見ることができた。
それだけで愛花は満足だった。
帰り際、愛花は田中にお礼を言った。
「田中さん、ありがとう」
「いや、大したおかまいもできなくて」
「いえ、そうじゃなくて…ありがとう」
二度目のお礼で、田中は意味がわかった。
ニッコリして、奥さんと2人で「またいらっしゃい」といわれ、
愛花と祥吾は車に乗り込んだ。
2人が帰ってから、奥さんは茶の間に戻り、飾ってある写真を眺めていた。
「陸くんが、あんな素敵な子になっちゃったんだね」
田中は誰にも言わないと言っていたが、自分の奥さんにだけは話をしていた。
つまり、奥さんは愛花が陸だと知っていて、接していたのだ。
「ああ、写真はうっかりしていたけど、
当時の自分や修たちを見ることができてよかったのかもしれないな」
「そうね、それにしても…こうやってみるとお母さんにそっくりね」
田中と奥さんは、写真を見ながら微笑んでいた。
「ごめんね、わたしだけビール飲んじゃって」
「気にするなって。それよりも田中さんと奥さんっていい人たちだったね」
「うん、ああいう夫婦もいいなって思った。年を取っても仲良くてさ…
俺たちも…そんな風になれたら…いいな」
祥吾は照れくさそうな顔をしていた。
祥吾もこんなこと言うんだ…
純粋に嬉しかったが、ちょっとだけからかいたくなった。
「それプロポーズ?」
「ち、違うよ!単にそう思っただけで…」
「冗談、わかってるよ。ありがと、祥吾」
まだ学生、これから社会人、まだまだ人生は長い。
それでも、愛花は結婚するならこの人だなと意識し始めていた。