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三話目です
結論から言おう。失敗した。
私を乗せた馬車は、無情にもスクラ公国の国境を越え、首都のオリッゾンテに到着した。
嘘でしょ、どうしてこうなるの? 休憩時間に逃げ出そうと考えたは良かったものの、スクラ公国から護衛という名目で迎えにきた人達が私に四六時中監視役としてはりつき、私に逃げる暇を与えてくれなかった。え、これホントにやばいんじゃない? 抜け出そうにも、こんな街中で逃げ切れる保証は無い。かといって、このままじゃ……。
カラカラと回る車輪の無機質な音を聞きながら、私は逃走方法を思案する。「お花つみに行ってまいります」と抜け出すのも無理があるだろうし、私の向かい側に座っている監視役の屈強な男を気絶させて逃げ出すのも論外だ。魔法でも使わない限り、逃げ出すのは不可能だ。
積んだ。完全に詰んだよ、このゲーム。
ゆっくりと馬車が止まり、御者が声を上げた。
「クリスティーヌ様のご到着です!」
ああ、もうこうなったら腹を括るしかない。チャンスは馬車を降り、私の婚約者であるバルトリーニ侯爵と対面するとき。監視役が役目を終えようとして気を抜いたその瞬間しかない。でも懸念事項が多々あるのよね。私のこの体、クリスティーヌは何の努力をしなくてもこのスタイルを維持していたので、運動など全くやってこなかった。前世では陸上部だったけど、運動能力が著しく低下したこの体では、早く走れるか怪しい。
馬車の扉がゆっくりと開いた。外の眩しい光が薄暗い馬車を照らし、私は思わず目を細めた。
「さあ、クリスティーヌ様。外でバルトリーニ侯爵がお待ちですよ」
燕尾服を着た執事風の男が、にちゃっとした笑みを浮かべながらそう言った。その笑顔には感情が籠っておらず、私にはただ嫌味ったらしく見えた。
絶対逃げ出してやる。
逃げるなら今がチャンスだ。私は馬車を降りながら、周りを見渡した。監視役の男はまだ馬車の中に居るので、妨げる者もいない。馬車は幸い大通りに駐車しているらしく、左右に道が開けていた。逃げられるかしら?
「ようこそクリスティーヌ嬢、私がマウリツィオ・バルトリーニだ」
右の方は市場があるらしく、人通りが多い。それなら左? いや、左の方が人通りがない分目立つかもしれない。
「この度は本当に嬉しく思う。まさか本当に貴女が私の妻になってくれるなんて……信じられない。過去の自分にそう言ったところで、馬鹿言えと一蹴されるだけだろうなぁ」
決めた。右に行こう。市場なら一般人の服も売ってるだろうし、人ごみに隠れて逃げ遂せるかもしれない。でも、このハイヒールだと速く走れるかどうか……いっそ裸足で逃げようかな。
「最初に貴女に会ったときになんて、こんなに美しい人がいるのかと自分の目を疑いました。その日から、貴女が頭の中から離れられなくなってしまった。ああ、思い返せば、それが私の初恋というやつなのでしょうか」
よし、今決行しよう。ろくすっぽ聞いていないが、バルトリーニ侯爵が何やら話している今なら、他の人の関心もそっちにあるだろう。
「すみませ……いや、すまない。長々と話してしまったな。では私の家を案内……って、ええ!?」
私はヒールを脱ぎ棄て、振り返らないように下を向きながら走りだした。現代日本のように舗装されていない道路を裸足で走るのは、想像以上に痛かったが、性奴隷になっておもちゃにされる苦しみに比べたらまし!
「クリスティーヌ嬢! 待ってくだ……待ってくれ! お、追え! 絶対に逃がすな!」
背後から焦ったような声が聞こえたかと思うと、今度はドスドスといった足音がだんだんと近づいてきた。追いつかれる!? 私は半ばパニックになりながらも、何とか人ごみに紛れることができた。人ごみに揉まれ、後ろからの怒号を聞きながら、私は服屋を見つけた。
人の良さそうな店のおばさんに声を掛ける。
「すみません! 服を売ってくれませんか!?」
「え? ああ、いいけど。どれにすんだい?」
「何でもいいです! 上から下まで、出来れば靴も!」
「……分かったよ」
私の焦った声に、おばさんは戸惑っていたが、適当な服を見つくろってくれた。正に村娘と言った感じの、素朴な可愛さのある……うん、そんなことはどうでもいいわ。
「ありがとう。あの、お金は無いのですが、これをもらってください」
「え、これ……」
持参金はあるのだが、いつ現金が必要になるか分からないので、私は耳に付けていたダイヤのイヤリングをおばさんに渡した。
「銀貨二十枚にはなると思います。とっておいてください」
「こんな高価な物貰えないよ!」
「いえ、ただ、私がここでどんな服を買ったかは、誰にも言わないでください。お願いします」
「それは分かったけど」
「ありがとうございます。では」
「え、ちょ、ちょっと!?」
私は走りながら、安物の革靴を履き、建物の裏に隠れた。早く着替えないとだけど、やっぱ外で着替えるのは無理あるかな。追手が居なくなったら、宿を探そう。出来るだけ遠くの。
十分後にまた