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侯爵は花嫁を愛す

 最後の一人を斬り伏せ、僕はクリスティーヌに向き直った。口を開けて茫然と腰を突いている彼女は、何とも可愛らしかった。僕が手を差し伸べると、彼女は僕の顔と手を交互に見て、おずおずと僕の手を取った。

「大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとう」

 彼女の白磁のような手は、思ったより柔らかく、そして何より温もりを感じられた。愛おしくてたまらない。気付いた時には、僕は彼女を自分の胸に掻き抱いた。小さな悲鳴があがるが、気にしない。小さくて、細くて、あと少し力を入れたら折れそうな華奢な体。自分の到着があと一歩遅かったらと思うと、胸を締め付けられるような思いがした。

「……何もされていないね?」

「は、はい」

「良かったぁ」

 彼女を放す。悪いことをした、息苦しくなかっただろうか。

「あ、あの」

「ん?」

「助けていただいてありがとうございます。よろしければ、お名前をお聞かせ願いますか?」

 ……何を言ってるんだろう? 名前を、聞かせてほしいと言ったか? もう数時間前に名乗ってるじゃないか、目の前で。変に格好つけて。アルバーノと一緒に一週間前から考えていたフレーズが直前で飛んで、ただただ自分の思いの丈をぶつけただけだけど、僕はちゃんと自分の名前を名乗った。えっと、何だったかな、確か『ようこそクリスティーヌ嬢、私がマウリツィオ・バルトリーニだ』だっけ。一人称は変に“私”にして不自然だったかも知れないけど、確かに名乗ったはずだ。じゃあ何で改めて聞く必要がある? 可能性としては、彼女は目が見えなかったとか、わざと間違えて「あんたなんかお呼びじゃないのよ」と言いたいのか、それとも僕を別人だと思っているのか……ん?

「……ぁ」

 最初から僕の自己紹介を聞いていなかったんじゃないか? スクラ公国の変な噂を聞いて、端から逃げ出すつもりで、だから僕の自己紹介をまったく聞いていなかった。そうだ。それどころか彼女は僕の顔すら見ず、辺りをキョロキョロと窺っていたじゃないか。

「ほ、本気で、言ってるの?」

 答えは分かり切っていた。彼女はキョトンと首をかしげ、こう言った。

「あの、どこかでお会いしました」

 僕はその場に膝をついた。やっぱりだ。あの噂のせいで、僕は彼女に見向きもされなかった。ただ嫌悪感と恐怖しか向けられていなかったのだ。あの噂、あんな噂さえ無かったら、彼女は何の抵抗もなく僕に嫁いでくれたかもしれないのに。

「……まあいい」

 僕は頭を切り替え、再び彼女に向きなおる。人間離れした、綺麗な顔だ。見たことは無いが、恐らくエルフでもここまで美しくは無いだろう。

「やっと見つけましたよ、クリスティーヌ嬢。私はマウリツィオ・バルトリーニ。貴女に正式に結婚を申し込む」

 彼女の驚愕する顔は、実に見物だった。

「もう逃がしませんよ?」



 そんな騒動も一年前。滞りなく、とはいかなかったが、無事に婚約の儀を終え、僕たちはめでたく夫婦になった。

 彼女は貴族の妻としては十分すぎるほどの能力を持っていて、異国の地だと言うのに臆する事もなく執務をこなしていた。時には僕には及びもつかないアイディアで、僕を助けてくれる。すこしプライドを傷つけられないこともないが、それ以上に彼女がのびのびしているのが嬉しかった。

 まだ慣れないところもあるらしいが、そこは夫である僕が支えられたらと思う。

 それそうと、彼女は最近手紙をどこかに頻繁に出しているらしい。何でも、王国に居た頃からの文通相手らしく、二か月に一度は手紙が届き、それと同時に手紙を出している。夫としてその相手が誰か気にならないかなんて言うまでもないのだが、流石に日々頑張っている彼女のプライバシーに口出しはできない。何かもやもやするんだよなぁ。

「マウリツィオ様、もうお休みになられたら?」

 自室のドアからクリスティーヌの声が聞こえ、僕はペンを走らせる手を止めた。窓の外を見ると、すっかり暗くなり、明るい月が目線の上にあった。

「ああ、ごめん。もうこんな時間だったか」

「魔道具のおかげでここは明るいですけど、こんな遅くまで起きていたら、お身体に障りますよ」

「うん、心配掛けてごめんね。もう寝るとしようか」

「はい」 

 僕は立ち上がり、指を鳴らして灯りを消した。月明かりに彼女の姿が、艶やかに映し出され、僕は息をのんだ。

「そんなにジロジロ見ないでください。恥ずかしいわ」

「良いじゃないか。僕たちは夫婦なんだからさ」

 彼女の腰に手を回し、頬を撫でる。胸の内から、とろけるほど熱くて甘い何かが込み上げてくる。ああ、ダメだ。やっぱり僕、彼女が好きだ。

「綺麗だよ」

 赤く染まった彼女の唇に、熱い口づけを落とした。


あれ、世界観が……と思ったあなた! 10分後にお会いしましょう。

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