襲われたお!
風邪を引いただけでこの体たらく。
それは、広大な荒野に輝く、一箇所の光を見つめていた。
乾燥しきった空気が鱗の皮膚を撫でていく。その空気に乗った甘い匂いに、それは反応していた。
この匂いは棘のある草の焼いた匂い。しかしここ最近火事が起きたり雷が落ちたりする事件などなかった。
故にそれは察した。『アレ』焼いているのだと、焼いて光りを灯し、明かりを作っているのだと。
それは賢かった。だから相手がただの餌ではないとわかっていた。
目をこらせば三匹の獲物がそこに集まっているのが見える。
一匹は脆弱な子鬼。一匹はソコソコ強そうな雌の人間。
そして一匹は獲物。
━━━ミツケタ。
それは探していた。まるで猟犬のように執拗に、執着し、追い詰めていた。
『アレ』の姿形は会う度に形を変え、まるで生まれ変わったかのように変形していた。
だが、一度覚えたその獲物の匂いをそれが忘れるはずがなかった。
甘く、中毒性のある濃い匂い。何度襲ってもあれは追った数だけ逃げ切ってみせた。
━━━キニイラナイ。
目に映る全ての生物は、どれだけ強力で、強大で、恐ろしくとも、結局は自分の餌でしかないのだ。
現に今まで見てきた生物は全て自分の胃袋に収まっている。
喰らって喰らって喰らって喰らい続けた。気づけば・・・いや、気づかなくてもそれはこの荒野最強の魔物へと変貌を遂げていた。
それなのに・・・だ。あの小さな犬は。まるで自分を嘲笑ってるかのように生き延びていった。
一度目は小さな体で穴に入り、隠れた。ニ度目は身代わりを使って騙した。三度目もまた、身代わりを使い逃げ延びた。
━━━オマエハエサダ。
ようやく見つけた。それは体中が熱を帯びたような言い表しがたい興奮に襲われ、喉が渇いた。
もう、逃がしはしない。餌はおとなしく胃袋に収まっていればいいのだ。
だが、卑怯な手とはいえ、自分から逃げ延びた獲物を認めなければならない。
━━━ナラバタメソウ。
アレがこの荒野で生き延びる資格があるかどうか。
━━━ミトメテヤロウ。
自分が初めて本気を出す相手として見定めてやろう。
アレは・・・
━━━オレノエモノダ!!
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「━━━━って訳だよ。要はゲームしてたらいつの間にか転生してたんだ。全く見覚えのないこの世界にね。」
僕は目の前の少女・・・セラさんに自分の転生した場面の説明をしていた。
最初はセラさんの話やリンナの話をしてたんだけど、セラさんが忌々しい過去を思い出してしまったようで異常なまでに舌打ちをするようになった。
ので、殺気全開のセラさんは阿修羅のように恐ろしいオーラを放ち始めた時点で僕は無理矢理過去話を終了させた。
だって怖いんだもん。
てかセラさんどんだけ男に転生したかったんだよ・・・。軽く引くわ。
まぁ生理の話が一番引いたけどね。男の前でそんな話するな。
そんなこんなで「女の体の使いにくさ」を「しらん」の一言で一蹴。僕の過去話で話の路線を変えた。
愚痴がしたいなら居酒屋いけ。
「・・・ゲームしてたら転生?ゲームの中の世界じゃなくて?」
「いんや似ても似着かない世界だね、ここは。『アルヘイム』ってゲームなんだけどさ、カンストして記念に届いた転生アイテムを使ったら光に包まれて転生って、ありきたりな展開。僕自身よくわかんないけど、多分転生アイテムが引き金になったのに違いないと思うよ。」
小説とかの創作もので、ゲームの中に転生はよく知ってるけどまったく関係のない世界に転生なんてあまり知らない。
大体、ゲームの中に転生するのはゲームマスターの陰謀とか、ゲームの世界が実は在った!とか関連が付くからなんだけどこの世界に僕のプレイしてた『アルヘイム』と関係があるようなものは一切見あたらない。
現時点でハッキリと断言は出来ないけど、少なくともこの荒野のエリアに『アルヘイム』と関係のあるものはないだろう。
そもそも、『アルヘイム』にこの荒野が存在しなかった。ゲーム内でも見たことのない魔物ばかり。ゴブリンは登場してたけど、ここのゴブリンとは全然形状が違っていた。
強いて言えば同じ転生者のセラさんだけど、彼女はどういったキッカケで転生したのだろうか。そこは聞いてないので後ほど聞くしかないだろう。
そんな訳で現在手がかりは皆無。人間の街に行けばまだ分かることもあるだろうけど現時点では僕の姿は魔物なので難しい。
希望を言うならセラさんに連れてって欲しい。テイマーとか奴隷とか適当な理由でも付ければ街に入れるかもしれない。
幸いセラさんはリンナの事を気に入ってるみたいだし、リンナを餌に使えば交渉できるはずだ。
意識のない熟睡している間に勝手に色々使っちゃうのは悪いと思うけど、ごめんよリンナ。
「・・・『アルヘイム』・・・」
「ん?どうかした?」
突然ゲーム名を呟いてセラさんは口を閉じた。
『アルヘイム』を知っているのだろうか?ということはセラさんもゲームプレイ中に転生したという事か?わからん。
そしてセラさんは自分の世界に入るように、うわ言の言葉をブツブツと呟く。
「・・・・アルヘイム・・・・転生アイテム・・・カンスト・・・・カザミ・・・・嘘、まさか・・・・でも・・・」
うぉい、なんだなんだ亡霊みたいで怖いんですけど。あれか、発作か?違うな。
「・・・ねぇ・・・君ってもしかして」
━━━刹那、鼓膜が破れるほどの轟音が地面を揺らした。
爆弾でも爆発したかと勘違いしてしまいそうな爆音だ。砂煙が辺りを覆い尽くす。
弾け飛ぶ岩や地面の欠片が雨の要に降り注いできた。
乾燥サボテンの焚き火が風圧で消され、周囲が夜の闇で染まる。ただ、月光のみが辺りの明かりとなり、辛うじて夜目が働いてくれた。
「・・・ぬ!?敵!?敵キタ!!」
すっかり熟睡していたリンナも流石にこの騒音の中で眠ることは出来ないらしい。反射的に立ち上がった。
しかし流石の野生本能なのか、寝起きだというにも関わらず既に臨戦態勢を整えている。
うん、訓練が生かされているようだ。
「・・・空気読めよ急展開。」
砂煙の暴風が収まるとセラさんが殺気オーラ全開で登場してきた。
そういや寸前で何か言ってたな。てか、なんの話だっけ?あ、そうだそうだ。前世のゲームについてだ。確かにタイミングが悪かった。誰か狙ってたんじゃね?
つか、それよりも
「何だ?今の。」
僕は警戒しながら轟音の正体を確認するため、目を細めて先を見る。
姿はまだ確認できない。完全に砂煙が収まったわけじゃない。焚き火を消されたせいもあって、夜目ではシルエット程度しか見ることができない。
ただ、その夜目で確認できたシルエットが異常なまでに巨大なのはわかる。
全身の毛が逆立つ感覚がした。
セラさんの時とは違う。明確な殺意。敵意。憎悪がヒシヒシと雰囲気越しに伝わってくる。
「・・・大きさ的に、ワイヴァーンダイル?でもそれより一回り大きい?ん?」
セラさんは剣を剥きながらも、そう言って首を傾げていた。ワイヴァーンダイルが何だかわからないけど、とりあえず冒険者のセラさんでも正体がわからない敵らしい。
「・・・カザミ。」
セラさんが低い声で僕を呼ぶ。おふざけタイムは終了のご様子である。
「何だよ?」
「見て。」
セラさんはそう言うと空中を指差しした。その指先を目で追うと、少し離れた先に岩の壁があるのが見えた。
崖だ。しかも相当でかい。暗いからよくわからなかったが、どうやらこの野営地の近くに断崖絶壁の壁が存在していたらしい。
「・・・あの崖から飛び降りてきたみたい。」
「・・・マジで?」
「マジマジ。」
僕は思いっ切り口元をひきつらせた。崖は夜目で見ただけでも20メートル以上ある。
そこから飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない。
「・・・それとまだ何なのかわかんかいけど、相手は只のバカな獣じゃないみたい」
「・・・どういうこと?」
「すぐにこっちを襲ってこない。砂煙を使って身を潜めて、こっちの様子を窺ってる様子。この、世界には珍しくバカ正直に突っ込んで来るイノシシ頭脳じゃないね。」
セラさんはそう言うと怠そうに垂らしてた剣先をすくい上げ、改めて構えた。
それは無駄のない動きだった。まるで小川を流れる流水の如く、静かな自然な動きで構えを作っている。素人目からでもわかる玄人の威圧。
やっぱりこの人ただ者じゃない。僕と同じ日本の転生者なのに、雰囲気は熟練の戦士と何も変わらない。
セラさんは幼少期から訓練に励んでいたと聞く。前世はただのオタクでも、今では『孤高の剣姫』とまで言われた冒険者なのだ(セラさん談)。
恐らくそのセラさんが見せる本気。
僕と繰り広げたお遊びとはまるで違う。
「カザミ、カザミ。」
リンナが僕の服の裾を引っ張って呼ぶ。僕はそれに応えるようにリンナの顔を振り返って見る。
リンナの顔は緊張に染まっていた。
「アレ、ヤバい。すごくヤバい。」
寝起きのリンナだがハッキリにしない意識を無理矢理叩き起こしているのだろう。本能的な恐怖なのか、僕を引っ張るリンナの手は震えていた。
「何がどうヤバいの?」
僕は出来るだけ静かに問いた。下手に刺激を与えるのはマズイと思ったからだ。
リンナはキッと砂埃に隠れている巨体を睨みつけると、口を開いて言った。
「追ってきた・・・オオトカゲ、ここまで追ってきた!!」
「ゴアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
ゴォンッ!!
次の瞬間には砂埃は完全に晴れていた。いや、晴らされていた。
空気を切り裂くような音と共に視界が晴れたかと思うと、僕たちの目の前は茶色に染まっていた。まるで茶色い壁がこっちに近づいて来てるみたいに・・・。
いや、違う。これは岩だっ!馬鹿デカイ岩を投げつけられたんだ!
「・・・チッ」
ザンッ!
そんな短い舌打ちと何かを斬るようなが聞こえたと思ったら、ありえない光景が僕の目に映った。
こちらに投げられた大岩が真っ二つに切り裂かれていたのだ。
誰がやった?そんな岩をスライスするような芸当、僕でもリンナでもできない。
なら答えは簡単だった。少女であるセラさんがやったのだ。岩を真っ二つにした荒技を披露したセラさんは「ふぅ」と軽く息を漏らして剣を振るっていた。
おそらく岩が見えた一瞬で剣を振るい、岩を切り裂いたのだろう。
空中で分離された巨大な土の塊は、ゴォンという轟音を鳴らしながら地面に落下した。地面とそこに生えていたサボテンが潰されたのだろう、岩と地面の隙間から緑色の植物の汁が血のように流れている。
もしセラさんがいなかったら僕たちがこうなっていたんだと思うとゾッとする。
当のセラさんは自慢げに口元を二ヤっと緩め、途端にキリッとした顔でこう言ってきた。
「・・・銅の剣で無双してみた。」
バケモンだこの人。
「ウオォォォォォォォ!カッコイィィィィィィィィ!」
しかし純粋無垢な本物の少女であるリンナは大興奮といったように、キャッキャっと無邪気に喜んでいた。リンナの目にはセラさんがヒーローに見えたのだろう。
それにしてもリンナ・・・ゴブリンとは言え女の子なんだから「ウォォォ」はやめなさい。
「・・・え?そう?」
リンナの喜びようが予想外だったのか、セラさんはちょっと照れた感じで首を傾げて聞いてきた。
リンナはコクコクと首を上下に振り、その興奮様を表していた。
「か、カザミは・・・?」
ちょっと頬を赤く染めて、セラさんは僕の方にも聞いてきた。
えぇーと、どうしよう。ぶっちゃけビビリすぎてあんまり見てなかった。うわっ、見てる見てるこっち超ジーっと見つめてきてる。やべぇよ、ちょっとすがるような感じの目線だわどんだけ褒めてほしいんだよ。あわわっ涙目になってきた。わかったわかった。
「あー、うん。スゴイスゴイチョウカッコイイワ、コノママテキモヤッツケテー」
「・・・うしっ、ちょっとおねぇちゃん頑張っちゃうわ。」
棒読みなのにこれで満足なのか。ノリノリで剣を構えちゃったよ。案外ちょろいわこの人。
そうした茶番を繰り広げていると、ドスンッドスンッと地響きを鳴らしながら、それは正体を現してきた。
「グルルルルル」
喉を震わせて威嚇しながらこちらを睨みつけてくる。
巨体を支える丸太のように太く筋肉に覆われた四肢、獲物を抉るように根元から発達した太く歪曲湾曲した鋭い鈎爪。ワニよりも強靭に発達している力強い顎、そこから上下に覗く無数に生え揃った牙。
凶悪そうな黄色みを帯びた鋭い目の瞳孔がめい一杯に見開かれていて、僕を睨みつけていた。
知ってる・・・忘れるわけがない。僕がこの世界にきてから幾度もなく襲い掛かり、なんとか運で逃れてきた最悪の追跡者。
オオトカゲだった。
やっとセラさんの名前だせました。