23 雑草たちの謀略 III
例年にも増して暑さの厳しかった今年の夏も終わり、秋も半ばをすぎた頃だろうか。早いところでは木々の葉が紅く色付き、もうすぐ見ごろになるだろうと、天気予報で報じられている。
2045年10月21日、東京都。高級住宅街に軒を並べる、とある豪邸。インターホンの横にある大理石を使った表札には、『桜庭』と行書で彫られている。
その豪邸に暮らすのは、まだ40代の男性。流石は豪邸の主というべきか、無精髭は綺麗に剃られ、整えられた短くもなく長くもない長さの髪、部屋着でもファッションセンスを気にする、初対面での第一印象はかなり良いだろう。
この男性の名前は桜庭利彦。ネットオンラインゲームを運営する会社『Dears』の社長を任されており、いつも大手企業の要人との面会や会議で忙しい、この企業で最年少の社長だ。
ちなみに『Dears』が展開するネットオンラインゲームで最も人気なのが、【I ! My ! Me ! Island !】という無人島開拓ゲームだ。最初は小さな小島とボロっちいアトリエのみの状態からスタートし、『素材島』と呼ばれる島に出向き木材を集めてアトリエをリフォームしたり、自分の島に畑を耕して野菜を栽培したり、収穫した作物や釣った魚で絶品料理を作ったりと、お年寄りも楽しめそうなのんびりオンラインゲームだ。
『王国』へ行くと、沢山のユーザーと会う事ができ、ユーザー同士で友だち登録することで、互いの島を行き来する事もできるようになる。また、『王国』で知り合った趣味の合うユーザーが集まるコミュニティも開く事ができ、仲良く語らう事もできるのだ。
最近『イベント』機能を追加し、人気は更に上昇、ネットオンラインゲームランキングで堂々のトップに輝いた。
『イベント』とは、期間限定の作物や魚を使った料理や工作をするクエストを配信し、期間内にそれをクリアーすれば限定アイテムが手に入るというものだ。ノーマルクエストというのも配信されているのだが、期間限定というワードがユーザーのアイテム欲を刺激する。重課金ネットゲーム廃人は、その期間限定クエストを1日2日でクリアーしてしまうらしい。まぁ、運営側としては大助かりなのだが。
そんな大人気ネットオンラインゲームを運営する会社の社長が、桜庭利彦なのだ。そんな大企業の社長なら、さぞかし豪華で優雅な毎日を送っているように見えるが、利彦の精神は今、深い谷の底に墜ちていた。
利彦は自らの書斎のデスク、最新のパソコンとルーターのすぐ横に、数年前に撮った家族写真がある。そこには利彦と、その妻らしき女性、そして女の子。とても仲が良さそうで明るい家族が、そこにはあった。
「桃華…梨絵…」
現在、利彦は1人暮らしだが、既に結婚済み。妻・桃華は、警視庁捜査一課に配属された美人刑事だった。全国の警察官や刑事の中に誰1人として右に出る者はいないというほどの狙撃技術を持ち、凶悪事件の囮捜査などを何度もこなしてきたスペシャリストだ。
そんな凄腕美人警官とは高校以来の付き合いで、高校2年生の時に利彦が桃華に告白し、承諾を得てカップルが成立してからず〜っと付き合ってきてゴールインを果たした、正真正銘のラブラブ夫婦なのだ。
結婚3年後に念願の子どもを授かった。2708グラムの女の子だ。利彦と桃華は、『梨絵』と名付けた。
「ママーー!!!」
明るくてやんちゃな梨絵は物心が付くと、ネット社会で活躍する利彦よりも、現実社会で活躍する桃華に寄りつくようになった。
それもそうだろう、利彦の活躍など、梨絵にとってはよく解らないものでしかなく、桃華の活躍はテレビで報じられるほどよく解るものなのだから。
桃華に憧れるようになった梨絵は、10歳の頃から桃華の手解きを受け、狙撃技術を磨いた。もちろん、比較的安全なエアガンで。桃華の指導の良さと、梨絵の熟練度の上昇の速さによって、梨絵はあっという間に好狙撃手と呼べるほどにまで成長した。利彦も愛娘の成長を、嬉しい感情を抱きながら見守っていた。
先ほど、梨絵は桃華に寄りつくようになったと言ったが、別に真っ向から嫌われたわけではない。どちらかといえば、利彦よりも桃華の方に駆け寄る回数が多いという意味だ。梨絵は利彦と話す時は楽しそうに話してくれるし、「パパ、遊ぼー!!!」と、利彦は梨絵のダッシュからのダイブを食らった事もある。
そんな幸せいっぱいの家庭の歯車が狂わされたのは、今から4年前。梨絵が小学校6年生の年に起こったある悲劇によって、桜庭家から幸せは消えた。
利彦の妻にして梨絵の母・桃華が突然姿を消したのだ。梨絵の夏休みに沖縄へ旅行に行こう、と計画を立てたその翌日、桃華は外出したまま帰ってこなかった。
すぐに捜索願を出し、大勢で捜索をしてもらった。桃華の属する警視庁捜査一課の同僚たちも、仕事の合間を利用して必死になって桃華を捜してくれた。だが、デパートで姿を確認されているのを最後に、桃華の目撃証言はなく、失踪から半年が経っても、遺体すら発見されなかった。
梨絵が小学校を卒業して迎えた春、梨絵は桃華を失ったショックを断ち切れないまま、中学校へと入学した。そしてそれとほぼ同時に、桃華の捜索は打ち切られた。
「どうして打ち切りなんですか!??!」
納得できなかった利彦は、警察に何度も足を運び、捜索再開を懇願した。その度に警官は「それはできません」「上の決定ですので」と、利彦を突き返す事しかしなかったが、7回目に警察を訪れた時、しつこい利彦に観念したのか、それとも同情したのかは解らないが、捜索を打ち切った理由を明かしてくれた。
実は10年ほど前から、謎の失踪事件が多発しているらしい。しかもそれは日本だけでなく、世界中で。それらの失踪事件の共通点は、【遺体が発見されない】【最後に目撃された場所は人気の多い場所】の2つ。これは、桃華の失踪とも共通する。これまでに失踪した人数は5万人を超えていて、この5万人全員を捜索するには警官や自衛隊などの人数が圧倒的に足りない。そのため、今はこの5万人全員が生きていると信じ、この謎の失踪事件の真相を暴く事に力を入れているそうだ。
ネットオンラインゲーム会社である『Dears』も、インターネット上から、その事件の捜査に協力している。事件に進展や変化があれば、随時教えろと条件を付けてはいるが。
そしてほとんど進展がないまま迎えた今年の夏休み---8月。中学校で、桃華がいなくなった事にショックを受けていたところをクラスメイトに励まされ、中学校卒業の頃にはすっかり元気になっていた梨絵が……。
桃華と同じように利彦の前から姿を消した。高校の友人と東京ディズニーランドに遊びに行くと出掛け、そのまま………。
最愛の妻と愛娘を失った利彦。今まで心の支えだったモノを全て失い、ドン底に墜ちてしまった。
梨絵が失踪して約2ヶ月。仕事も捜査協力も手に付かず、ただ放心状態でこの期間を過ごしてきた。
「どうすればいい…これからパパはどうすればいいんだ…桃華…梨絵…」
デスクに突っ伏し、自分の腕に顔を埋めて嘆く利彦。
この4年間、得たモノは無く、失ったモノは大きい。
名声?評価?そんなモノ、桃華と梨絵を見つけ出すためにやった事の副産物だ。今の利彦にとって、そんなモノは必要ない。
だが、桃華と梨絵、大切な家族という大きなモノを失った。今までは、事件解決のために偽善者になりきってきたが、今はその偽善行為すらまともにできない。
完全なる喪失。もう、自分には何もできない---そう決め付けかけた時。
チロリロリーン♪
目先のパソコンから、メール受信のサウンドエフェクトが聴こえてくる。
どうせ秘書からのメールだろう、さっきも電話が鳴っていたが無視したし。
あまり興味を持たずに、イヤイヤと受信BOXを開く。
【2045/10/21/AM11:04 (無題) 】
送り主のアドレスは始めて見るものだった。いつもは件名が入力されたメールばかり来るせいか、無題のメールに途轍もない違和感を覚える。
「…なんだ?」
先ほどまでの利彦とは打って変わり、画面を凝視する利彦。マウスで新着メールをクリック。
「…なっ……!!こ、これは…!!」
驚愕する利彦の視線の先、パソコンの画面が映し出す、メールに添付された1枚の画像。
画像に映るのは、ピンクのセミロングコートを着た全身ピンクのライフルを持った少女。明らかにおかしな格好ではあるが、間違いない。
「梨絵……?」
利彦は、画像ばかりに気を取られて読んでいなかった本文を読む。
【コノ少女ハ今モ闘イ続ケテイル。イツカ、ソチラノ世界二戻レルト信ジテ】
利彦はメールを閉じ、新規メール作成ページを開き、キーボードを慣れた手つきで打ち始める。
そうだ…いつまでもクヨクヨしていられない。
娘は必死に闘ってるんだ。パパが立ち止まっててどうする。
もしかしたら、桃華も…
「待ってろよ…!梨絵、桃華!!」
利彦は力強く、エンターを押した。