第三部 配属先
それから数日して朝倉、西村、神室三人が喫茶室で落ち合った。この日は訓練もテストもなく、三人ともオフの日だ。
白衣姿の朝倉はトマトジュースを、同じく白衣を着た西村はブラックコーヒーを、迷彩服姿の神室はミルクティーを啜っている。
「手もだいぶ慣れたようだな」
ミルクティーを啜っている神室を見ながら朝倉がいった。
「おかげさまで」
神室はテーブルにミルクティをおくと微笑んだ。
「どうだい、七恵。軍事訓練は」
言葉のきっかけを作ろうと西村が神室に質問した。「国防軍事論とか軍人心得とか難しい話ばっかり」
西村が言う。
「でも軍事教練班は、神室専用カリキュラムを組むそうだよ。民間人だからいきなりがちがちの軍事訓練は出来ないって言ってたし、いきなり絞って辞められたら困るしってね」
いきなり神室の目が輝いた。
「え、辞めることが出来るの?」
トマトジュースを飲んでいた朝倉が口を開いた。
「そりゃ無理だ」
「やっぱり」
神室はがっかりした。
「国家最高機密の一つだし、勝手な真似は出来ないのだよ。そもそもこの第六区そのものが特別な区域だ。警護隊以外は民間人と言って良いほどだよ。軍が強制的に連れてきたものが大勢いる。もっとも我々もその範疇に入るがね。それはそうと七恵、銃器の訓練は始まったのかな」
朝倉の声にミルクティを口にしていた神室が言う。
「銃器の取り扱いについてはまだ先のようですわ。今は未だ格闘技の訓練だけ。組技とか突きとか蹴りとか。武器が無かった場合、最後は格闘になるって。そうそう、この前の格闘技訓練で、ちょっと力を加えただけで相方が吹っ飛んじゃって」
白衣姿の朝倉は思い出した。
「肋骨を折られた戦闘員の整復手術したが、やっぱり君のせいか。かなり分厚いプロテクターをつけていたという話だったがね」
「あら、先生が手術したの? 今度あったら謝っておいてね」
神室は朝倉に両手を合わせた。
「手加減ぐらいしろよ」
西村は神室の頭を小突いた。
「何するの、止めて。あなたも肋骨、折られたいの?」
神室の威勢の良い言い方に西村は吃驚した。
「特にバイオヴォーグの両肩には特別な施しをしているから、アメラグのようなタックルで攻撃をすると良いのだ」
朝倉が言う。
西村が両手を組み首筋に当てる。
「軍事教練班も苦労するねえ……段々、僕らから離れていくようだなあ」
「そんな事ないわよ。オフの日はこうやってお茶出来るし、耐圧実験だってあるし……あ、でも将来的には他の軍事施設に行く事になるかもしれませんわね?」
朝倉は腕組みした。
「その可能性は低いな。ここの基地を中心とした活動になるだろう。何しろ……」
「国家機密だから?」
茶々を入れた神室だったが、急に神妙な顔をした。
「……ハイロードマシンが突然火を噴いた理由は何でしょう」
西村はおどけた。
「確かにハイロードは百三十キロまで出せる設計になっているけどね。……でも七恵、今回は待ってましたとばかりに止まって、よかったね」
「そのおかげで百キロ出さずにすみましたわ。でも室内だったから無理でもできたかもしれませんわね」
朝倉が言葉を継ぐ。
「無理して君が壊れても困るがね。後で設計書を見たらベルトとモーターの関係から耐荷重は七十キロだった。迂闊にもそのことに気がつかなかったのは、我々の責任だな。計算上では、神室を乗せるにはその倍以上の厚みのベルトと三倍の出力を持つモーターにしなければならかった。さらにあの場合それなりの負荷がハイロードマシンにかかっていたはずだ。……そうだな、百二十以上の負荷がハイロードマシンにかかっていただろう」
「七十キロって体重のこと?」
西村は神室を見た。
「体重と言うより静止加重だけど、まあ、体重と思ってもいいかもよ」
「あたしの体重はどれくらいあるの? そういえばここに来て計ったことがないわ」
「驚くなよ」
西村は子供っぽっくわらった。
「別に」
神室は平静を装った。
西村は言った。
「八十五キロ」
「ええっ?」
神室は驚いた。
「驚かないって言ったろ?」
神室はげんなりした。
「ダイエットしなくっちゃ」
「これでも軽くなった方だよ」と西村。「法源の時なんか、手探り状態だったから二百キロ近くキロはあったね」
コーヒーを飲み干しながら言う西村の言葉に朝倉は顔をしかめた。
突然神室の目が輝やいた。
「そうそう、その人も聞きたいのよ。和田総括が言っていた第一号って、その方なの?」
朝倉は、まずい、と言いたげに西村を見る。その時西村は、いけねえ……と言う顔をした。二人のやりとりに、神室はどぎまぎした。
「な……何か気に障ることでも言いました? あたし」
無言だった朝倉がトマトジュースを飲み干すと、暫くコップを見つめ、決心がついたようにしたように話し始めた。
「覚えているか、七恵。以前、総括は君のことを第二号と言ったろう……確かに第一号は存在した。ま、今でもいるが、名前は法源浩一郎、男性。三十二歳。彼は我々にとってバイオヴォーグ第一号だった。彼は変電設備専門の電気技術者で変電設備に点検中、偶発的な事故により遮断されていたと思われていた六百ボルトトランスに手を触れた。さらに間の悪いことに彼は遮断されていないことを知らなかった。瞬時にして感電した法源は反射的に両手で電線を握った」
「握ったの? だったら手を離せば良かったのに」
西村は首を横に振った。
「通電状態じゃ筋肉が勝手に硬直し手を離そうにも離せなくなるんだ」
「そうなの?」
朝倉の言葉は続く。
「同僚が異変に気がついたときは五分は経過していたそうだ。電気特性により、当然彼は全身火傷を負って死んでいただろう。しかし彼は泡を吹いて悶絶していた。いや黒焦げに近い状態だったが、兎に角彼は生きていた」
神室は目を丸くした。
「それで法源さんはここに運ばれたわけ?」
「君と同じように内臓も破壊された状態で運ばれてきた。もっとも君の方が重態だったがね、法源もケロイド状の四肢は使い物にならなくなっていた。それより重要なのは、その彼をここに運び込んだのは誰あろう、和田総括だった」
神室は口に手を当てる。
「あたしをここまで運び込んだあの総括が?」
西村はボリボリと頭をかいた。
「和田総括の、なんて言うか、嗅覚というか、天賦の才というか、天性の感というか、すごいものがあるンだな。さらに総括は手回しがよくて彼の場合も、バイオヴォーグの材料になる人間はいないかって、主だった医療機関に極秘に打診してた」
気を紛らわすかのように神室は左手でミルクティーをすすった。
「最初に彼の姿を見たときはさすがに驚いた。それももちろんそういった要請に対しての準備は怠りなかったが、いかんせん初仕事だったので、手探り状態だったことは否めなかった」
「このときの手術時間は二十六時間費やしましたね、先生」
朝倉は続けた。
「人工筋肉の接合、血管や神経の接合、特に神経結合の時は緊張した。いくら人工生体とは言え、失敗したら手足は永遠に動かなくなる」
神室はミルクティーを置いた。
「それで法源さんは? 和田総括は失敗したってお話しになってましたけど?」
「いや、手術は成功した。驚異的な回復力で彼は数週間で復活した」
朝倉の言葉に神室はすっかり興奮した。
「すごい、それで?」
西村が言葉を繋いだ。
「彼はこの計画に対し非常に協力的だったね。実験にも進んで受けてくれるし、軍事訓練にも積極的に関わったし……。とくに特殊部隊を編成しようと画策していた和田総括にとっては大層喜んでいたよ。未来の軍事を担う人材が、出来たってね、しばらくは全く問題なく経過したんだが、実は……君も法源に会っていたんだよ」
「ええ? どういう意味?」
西村の言葉に驚いたように言う神室に朝倉が答えた。
「君の手術中彼はモニタールームでじっと見ていた。手術が終わりストレッチャーに乗せられている君をまじまじと見ていた。多分……仲間が出来たと思ったんだろうな。そして君がいる病室にも私とともに出入りした」
「同じ境遇の人間が増えたと思ったのね。でも全く記憶にないわ……」
「無理はない。君は高熱を出していて、生死の境を彷徨っていた時期だからね。しかしあるとき……」
「あるとき?」
神室は言葉を待った。
意外な答えが西村の口から飛び出た。
「彼は六区で殺人を犯した」
「えっ!」
神室は目を丸くして口に手をやった。
「理由はわからないが、とにかく女性職員を殺した。取り押さえようとした警備隊員が吹っ飛ばされたりして大変だった。そりゃそうだろう、相手はバイオヴォーグだからね」
「殺人を犯した人が抵抗するってちょっと分からないわ。どんな理由があるにしろ、放心状態と言う事もあるわ。あ、待って、……ここの何でも把握しているジュピターが殺人現場を見たのよね? そうよね? その法源さんを殺人者として」
必死に言う神室の言葉に朝倉は首を振った。
「残念だがジュピターは現場を把握していない。非常に希なケースだが、ジュピターの死角で殺人がおこなわれたのだ。もっともその事件以後、ジュピター専用熱感知器や音声検知器、音波計装装置その他各所に増設されたので、今では死角はない」
「可哀想な気もするわ……」
「可哀想? 殺人を犯した者に同情はいらんよ。とにかく取り押さえられた法源は、軍法会議が開催されるまでここの地下の独房に入っている」
神室は驚いた。
「独房? この施設にそのような場所があるの? 信じられない」
朝倉は首を横に振る。
「残念ながら、この六区でも起こりうる事象だ。彼以外にもここに来て精神がおかしくなり二井見先生でも手に負えなくなった患者が少なからずいる。全員独房入りというわけでは無いが、何故か皆凶暴性が顕著になる。この六区の実験や雰囲気などが精神状態を不安定にさせているのかもしれない。私と西村はなんとか堪えることが出来たのは、実験と開発に没頭出来たからではないかと思うが、その凶暴性が、彼、法源浩一郎にもあったのだろう」
「でもかなり経っているんでしょう?」
神室の問いかけに朝倉の声が沈んだ。
「事件が発生してからか? それとも独房に入ってからか? 実を言うと、数週間の予定が、かれこれ二ヶ月にはなろうとしている。軍部でも法源の噂を聞いているので法廷で暴れだしたりしたら、怖がって開けないとのではないかと穿った見方もあるが、いずれにせよ、いつか、法源は裁かれなければならない」
「そんな力があるなら独房だっていつ破られるかわからないじゃないじゃありません?」
「むろん、一般人と変わらないまでにパワーダウンは施してある」
ジュピターが話に割り込んだ。
「朝倉先生、和田総括がお呼びです、おつなぎしますので手近のインカムをお取りください」
「やれやれ、一体何のようだ?」
朝倉は立ち上がりガラス際の受話器を取った。
「朝倉か、話がある。俺の執務室へ来てくれ」
「今すぐにか?」
「なるべく早いほうがいい。じゃないと夕飯にありつけんぜ」
それだけ言うと通話が切れた。
「何が夕飯、だか」
受話器を置いて戻ってきた朝倉が言った。
「お二方、私は和田総括に呼ばれた。これから彼のオフィスに行ってくる。今日はオフだからな、ゆっくりしてくれ」
和田の執務室にノックした入ると、皮の椅子にふんぞり返っている和田がいた。
朝倉の顔を見た。
「この前はご苦労だったな」
朝倉は皮肉交じりに言った。
「わざわざお招きにあずかる光栄はそれだったのか」
「そうじゃねえ。陸海空が合同して極秘に開発しているスーパースーツが出来上がった事を報告しようと思ってな」
和田の言葉に朝倉は驚いたようだった。
「スーパースーツって、この前神室に着せるといっていた、例のアレかい、機関砲で撃たれてもびくともしないという噂の戦闘服か?」
「そんな噂はどうでもよい。まだ試作品段階だ。かなりの重量物になってしまったから一般隊員には未だ着せられない代物だな。俺はそれなら背筋と腹筋を補える必要がある神室がうってつけと思ったんだ。それを神室に着せる。あいつはさらにパワーアップするだろう」
「そんなことを私だけに話しても良いのかね。西村や神室に話したらどうする?」
朝倉は和田に促すように言った。
「六区内部の機密事項とはいえ、お調子者の西村に話したらどうなるか分からん。下手すりゃ第六区全体に知られてはいけないものまで、広まる可能性が高い。新参者の神室に至っては自分のことで頭がいっぱいで状況が飲み込めないだろうさ。その点、先生は口が固い。口外することはない。それに彼女は近いうちに陸上軍特殊戦闘部隊に配属される。そうなればおまえらの出る幕はない」
あっさりという和田の言葉に驚いた朝倉が言う。
「配属が決まるのか……だがそう言ってもメンテナンスは必要だが。バイオヴォーグチーム全員を神室とともに配属しれもらわないと」
「何言ってる? お前達はここでバイオヴォーグを量産するんだ。俺たちの口を出す問題では無い。上層部には何かお考えがあるんだろう。それにB計画について言っておきたいことがある」
「なんだね?」
「軍上層部からの極秘報告資料によると、我がB計画の進捗率がさらに悪くなったという」
「進捗率? 海上軍のG計画と比べてか?」
「Gだけでなく、その他の国家機密と比べても、だ。このままだと予算が削られる方向にならんともかぎらん。来週、全体のテレビ会議がある。そこで何か話が出るはずだ。むろん俺は抵抗するがな」
和田は皮肉交じりに続けた。
「近いうち神室を軍関係者に見せてやりたい」
朝倉は顔を伏せた。
「それは……まだ無理だ」
それから四時間、神室のことを中心に話し合いがおこなわれた。ジュピターは口出しすることなく黙って聞いていた。
和田との話が終了した後、エレベータに乗り込んだ朝倉はつらつらと考えていた。
……せっかくここまで育て上げた神室を手放すことになるのか……しかし上層部はどうやって神室を管理するのか? 鎮痛剤、安定剤、拒絶緩和剤……その他薬物が彼女には必要だ。私と西村君ひいては医療スタッフともどもごっそりと移動か? 総括は移動は無い、と言っていた。あるいは技術供与しなければならんのか?
居住区の階にエレベータが止まった。エレベータの扉が開くと目の前に西村がいた。
「おや朝倉博士、お疲れ様です。今お帰りですか」
「ああ和田総括と話し込んでね。居住区に帰るところだが、ところで君は?」
「なんたって八時過ぎですからねえ。飯食いに一階レストランに行くんです」
「七恵は?」
「突然、夜の軍事訓練とかで呼び出されましたよ」
「夜間訓練か。……新兵も大変だ」
「大丈夫ですよ、七恵は」
「どうしてそんな事が言えるのだ?」
「だって新兵だけにしんぺいねえってね、えへへ」
朝倉は呆れた顔をした。
「何をだじゃれを言っているんだ、君は。それより夕飯か……じゃあ、私もご一緒しよう。話がある」
「良いですね。博士の話聞きたいです」
エレベータに乗り込んだ西村はにこにこしていた。
……お調子者か、総括はよく見ているな……。
翌朝、和田に呼ばれた迷彩服姿の神室が執務室にいた。
和田の後ろにはやはり迷彩仕様の戦闘服を着込んだ二人の男が両手を後ろに組んで直立不動でたっている。
「後ろにいる二人はお前に着てもらう特殊戦闘服を作成した技術者だ」
二人は同時に敬礼をした。
「近藤と近松だ。特殊繊維開発をこの二人を中心にして陸海空と協力して制作している。今回その特殊繊維を駆使してお前にしか着れない特別服を作った。両手足はバイオヴォーグだが、それ以外は生身の体だからな、いざ戦闘、となったときそこが弱点となる。その弱点を補うように作ったのが外骨格仕様の特殊戦闘服だ」
和田の矢継ぎ早の、意味の分からない言葉に神室は目を丸くした。
男達のさらに後ろに、陸上選手が着るような上半身がタンクトップで下半身はショートパンツ、しかも上下一体形成式の黒光りするボデイスーツと幅広のベルトが立てかけてあるのを神室は見た。しかし、とても和田が言う戦闘服には見えなかった。
「特殊戦闘服? これが? これをあたしに着なさいって言うの?」
「欠点は二十キロはある代物だ。鍛え上げられた軍人といえどもこれに重装備をしたらとてもじゃないが耐え難い。だがお前には出来る。着替えろ」
命令口調の和田に神室が反論した。
「ここで着替える訳? みんなのいる前でレディに裸になれと……それじゃあんまりでしょ、うら若き女性に対して失礼じゃありません?」
和田は傷跡の残る左頬を上げて笑った。
「うら若き女性だと? 相変わらず減らず口をたたく奴だな……分かった分かった。誰もお前の裸をみたいと思わん。彼処に衝立があるからその裏で着替えろ。……ああ、念のために言っておくが……下着はつけとけ」
「いやらしい方ねえ」
和田の答えに両手を広げ衝立の裏に引っ込んだ神室は、ガサゴソと衝立の向こう側で音を立た。衝立の上に迷彩色を施した戦闘服がかけられた。衝立の向こう側には下着姿の神室がいる。近藤、近松とも微動だにせず衝立を見つめている。
「この特殊戦闘服はとりあえずスーパースーツと呼ぶ」
それにも頓着せず和田が喋る。
「確かに重いわね。……これはどうやって着るの?」
「前面に隠しファスナーが仕込まれてだろう? それを引き下げ着るんだ。着終わったら引き上げろ。この特殊繊維はびくともしない素材で作られており、三十ミリ連続機関砲の弾丸を跳ね返す力を持っている。それを幾重にも織り込んでいるので現在陸海空で使用している防弾ベストよりも数十倍の抵抗力がある」
「へえ……そう?」
衝立の向こうから神室の声が響く。
「ただ、同じ箇所を集中的に狙われると特殊繊維が疲弊して、いずれは貫通と言うことにもなるがな。兎に角お前が実験台だ」
「このベルトは何?」
「それは最新式ボディローガーだ。腰に巻き付けろ。それは瞬時にして特殊戦闘服からのダメージデータが解析され、そこからでた解析結果が直ちにジュピターとリンクし、問題点を洗い出し、改良を加えていくようになる」
「やっぱりあたしは実験台?」
「無駄口叩くな、早くしろ」
和田の言葉に神室は無口になった。
程なくして黒ずくめのタンクトップに短パン、陸上選手のような出で立ちで神室が出てきた。それはまさに女スパイさながらだった。
「このボディローガー、まるで変身ベルトみたいだわ」
神室は男達の前に立って両手を広げた。
和田は目を細めた。
「反対だ。ボディローガーは前では無く後ろに装着する。ベルトを回せ」
「え? そうなの?」
神室はベルトを回した。
「どう?」
「重いか?」
「体がちょっと締め付けられるような感じですわ」
「外骨格仕様になっているからな……だが」
「だが?」
神室は問いかけた。
「……露出度が高い。その上に迷彩服を着ろ」
衝立の迷彩服をとりながら、神室は笑った。
「和田総括におかれましては、殿方の目の毒、とおっしゃりたいわけ?」
しかし神室のおどけた言い方には和田は反応しなかった。
「締め付けられるように思うのは無理はない。お前の弱点を補うように作っている。さらに形状記憶合金繊維でもあるから着ていれば徐々にフィットするようになるはずだ。だが、これで終わりじゃ無いぞ、神室。これはあくまでも試作品に過ぎん。……近藤、近松、何か言い添えることはあるか」
和田の言葉に近藤が言う。
「いえ、なにも。しかし驚きました。こんな重いものを着こなせる人物がいるとは。さすがB計画ですね」
「彼女は特殊だ」
和田に向かって二人同時に敬礼した。
その夜、神室は自室のベッド中で悪夢に襲われていた。
それは乗っていたジェット機が失速し迷走状態になっている悪夢だ。最近何度も見る、彼女にとってそれは悪夢だ。
……落ちる! ……危ない!
神室は、ガバッとベッドから飛び起きた。額には脂汗……呼吸が乱れている。
「ああ……」神室は両手で顔をおった。
「どうかされましたか」
瞬時にジュピターの声が響く。同時に各種センサーが血圧、体温、脈拍など収集する。
「大丈夫……」
「安定剤をお飲みになっては」
「大丈夫よ、ジュピター」
しかしジュピターは注意深く神室のデータを蓄積した。そしてジュピターの予測通り、神室はまんじりともせず夜を明かした。
次の日の朝、相変わらずソファにふんぞり返っている和田の前に、たったままの朝倉と迷彩服の下にスーパースーツを覗かせている寝不足の神室が呼び出されていた。
「お似合いだな」
和田は神室を見るなりそう言った。
「最初は窮屈な感じでしたけど。慣れって恐ろしいものね」
和田が徐に言う。
「まあ、二人とも、そこのソファに座れ。……神室、お前の配属先がきまった。お前は二日後にニマルサン輸送機でここから厚木に向かう。そこから陸路で東京西麻布まで行ってもらう」
和田の言葉に朝倉が切り出す。
「報告書を読んでいないのか? 彼女は飛行機に乗れない体だ」
「何?」
和田は朝倉を睨みつけた。
「総括も知っての通りしらとり号墜落事故の生存者の一人だ。彼女にとって墜落事故はトラウマだ。当分空を飛べる乗り物には乗れないぞ。昨夜も寝ていないという報告がジュピターからあった」
「寝てない? そんな事より輸送飛行機もジェット戦闘機も、ヘリにも、乗れないか?」
和田は神室を見つめた。
「そうだ。二井見先生の報告書にも記述があるはずだと思う」
朝倉は首をゆっくりと横に振った。
「全く不便な女だな。他の陸上軍と連携する場合、輸送機やヘリの方が早い。それをちんたら車なんかで行けるかよ。何のためのバイオヴォーグだ?」
「なんなら、走って行きましょうか?」
寝不足ながら神室は茶々を入れた。
ふんぞり返っている和田がいきなり立ち上がった。それを見た二人は恐怖を感じ身構えた。
「おいおい、何だと思ってるんだ、お前をとって喰らおうというわけじゃないぜ」
「いやあ、あんたの身の動きが怖いんでね」
朝倉は半ばおどけた。
「現役時代は陸上軍特殊部隊にいたからな。内戦状態のベベリアに赴任したとき部下達には鬼和田、と陰口を叩かれた。部下をしつけないと生きては帰れない地獄のような場所だった。いくら後方支援部隊と言っても、ゲリラが襲ってきたり、暴徒が略奪したり、大変な目に遭った。しかし我々の身の安全には換えられない。時には独断で部下に発砲命令を下し、数十名のゲリラを倒したこともある。この左頬の傷だってその時に敵の銃剣で斬られたものだ」
そう言いながら和田は机の引き出しから書類を取り出した。
「話を元に戻す。この書類は昨日届いた。目を通せば分かるが、お前は産業経産院警備部警護課国際通訳係に出向だ。そこで通訳として働いてもらう」
「通訳?」
神室は意外な和田の言葉に戸惑いを覚えた。
「陸上軍配属で無くて残念だったな。俺もこの出向書類に目を通したとき、疑った。軍人が通訳だと? だが書類に目を通すにつれ、この任務は神室にうってつけと思った。何故なら、各国から集まる大臣級の外国人が多数来日されている現在、特に軍部が招いた要人は軍も一緒になって警備に当たることになっている。そこで警備の他にお前の通訳が活かせるというわけだ。さらにバイオヴォーグお披露目という初仕事でもある。もっと完全な形で送り出したかったが、勝呂基地司令から早急にという命令があってな。……ところでお前、何カ国語話せる?」
神室は、いきなりの質問に和田の真意が計りかね、面食らった。
「お前、国際線の元ベテランアテンダントだったろ? それなりに外人とやりとりがあったはずだ」
脅しをかけるような和田の声だった。
「そういうことね……確かに欧米の言葉は分かります。五カ国ぐらいかしら? でも通訳には国家資格が必要だったと思いますけれど?」
和田はニュッと、と左頬をあげた。
「その笑い方何とかなりません?」
「不気味だ、と言いたいのか? これは俺のトレードマークだ、覚えておけ。厳密な意味ではそれは必要だが通訳とは表向きだ。いいか、お前の任務は各国から来賓する要人警護任務に専従する軍人としての護衛官だ。意味が分かるか? お前の命と引き替えにしてでも、要人を守る。それがお前に与えられた任務だ。初仕事としては重いがそれほど重要なのだ。さらに特別警察と国家安全保障委員会と連携して仕事をこなす。また各国からの要人をガードする専従員の中には母国語しか話せない者もいる。今や通訳は人手不足らしいから意思の疎通が図れればそれでお前は十分使い物になる。三日後には通訳係に出向だ。軍事訓練は出先でも行なう。尚、出向に対して色々決まり事がある」
まくし立てる和田に神室は目を丸くした。
「決まり事?」
「そうだ、当たり前だが決してここの軍事施設を漏らしてはいけない。漏らせばこの六区の存続、ひいてはお前の命も保障できんぞ。秘密を漏らしたことが分かったらいくらバイオヴォーグといえども軍は徹底的に追跡する。射殺命令も出る。多勢に無勢、どんな手段でも使う。下手に逃げたりしたら……」和田は神室を指さした。
「お前は天国行きだ」
そして後ろ手に組み部屋の中を熊のようにゆっくりと歩き回った。
「軍の許可書はいつでも取り出せるように常に携帯。但し盗まれてはいかん。もし盗まれた場合は地を這ってでも取り返せ。軍専用携帯電話の所持。これも奪われたら取り返せ。常に報告を怠らない。必要とあらばたとえ真夜中でも呼び出す。高精度次世代型GPS内蔵腕時計をする。瞬時にしてどこにいるか分かるようにしておかなければならん」
「ずいぶんと厳しい事ね」
「馬鹿野郎ッ!」
突然の和田の大声で神室はびくっとした。
「国家機密の塊のようなお前だ。自覚しろっ!」
しかし出向が延びる事件が碓氷基地で勃発するとは、誰も想像していなかった。