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第一話 バイオヴォーグ誕生  作者: SecondFiddle
1/3

第一部バイオヴォーグ誕生

開発コードネーム 「B」


 日本政府の威信と日本産業界の叡智を担って開発製造された、質、量ともに世界最大級の純国産超大型旅客機「しらとり」は、フランスに向けての記念すべき初フライトの間もなく、山梨上空で第八エンジンから出火、迷走したあげく国防院管轄裾野演習場近くの富士山中腹に激突、我が国航空史上に残る古今未曾有の大惨事となった。

 即座に経産院に事故対策本部が設けられ、国防院押坂駐屯地陸上隊数百名と輸送用大型ヘリ「Heavy7」数機、消防庁、地元警察官数十名、救急搬送車両数十台と医者看護師が集合され、大規模な捜索が始まった。

 きな臭い煙が立ちこめた墜落現場に到着するや、夥しい遺留品、散乱する機体や焼けただれた木の上に引っかかっている衣服の切れ端や体の一部、靴を履いたままの足首等、死臭が漂っている現場は酸鼻を極めた状態が捜索隊の目に映る。

 国防院押坂駐屯地第四陸上隊隊長相良がマイクを口に当て号令を下した。その命令は全員の通信ヘルメットの中で響いた。

「全員に手渡しているブロック図を参考に、第一から第三部隊は生存者の発見。第四以下の部隊は散乱する遺留品を収集。散開ッ」

 相良の命令に細分化されている各部隊がそれぞれに任務に赴く。

「北三ブロック、第二部隊小泉小隊はいります」

「西五ブロック、第一部隊鈴木小隊到着」

「東二ブロック、第二部隊田中小隊遺留品多数発見。収集に当たります」

 事故対策本部に設置してある無線機に次々と報告が入る。

「せぇ~の」

 西八ブロック担当第一部隊小泉小隊所属佐藤陸士が、数人の仲間とともに機体の一部と思われる大きなアルミ製の部材を退かした。そのとき佐藤陸士は、その下から四肢が分断され手足がなくなっている黒焦げに近い遺体を見つけた。

「遺体発見」

 冷静な佐藤はヘルメットから通信用マイクを下げた。「場所は」そう言いかけた佐藤だったが、注視していた遺体が微かに動いたのを見逃さなかった。

 佐藤は本能的に体を折り曲げ、遺体を覗くように顔面近くまで顔を近づけた。

 よく見ると女のようだった。

 佐藤の耳が微かに呼吸しているのに気がつくと「生存者だ! 生存者発見ッ」

 広大な一角で佐藤陸士が叫ぶと、その声に数人の男が集まった。

「おおい、担架だ、誰か持ってきてくれ」

「酷え……生きているのか?」

「大丈夫だ。呼吸がある」

「兎に角運べ」

 てんでに怒号が飛び交う。

 近くで待機していた搬送隊員がすぐさま担架をもってやってきた。

「そっと持ち上げろ」

 四人の男がその物体を持ち上げ、担架に乗せた。ヘルメットに備え付けられているマイクに向かって現状を報告した。

「こちら、第四救急隊、これから生存者を搬送する。生存者は女性のようだが四肢断裂で損傷が激しい。熱の影響か裂断部は炭化している。出血が止まっているのは不幸中の幸いか、どうぞ」

「こちら救急本部、了解。至急神原総合病院に搬送せよ」

「了解……よし、行くぞ」

 担架に運ばれた哀れな物体は、近くに停車している救急車に運び込まれるべく山道を下りながら搬送していたが、とある男の前を横切った瞬間「待て」と声が轟いた。

 二人は声の主を見た。

 身長は二メートルはあるかと思われる軍用ジャケットを羽織った大男だ。左頬にはケロイド状の大きな傷があるのを見て取れた。

 怪訝そうに歩みを止める搬送隊員。

「コイツは男か女か」

「女性のようですがね、それよりアンタ一体誰? 早く運ばないと命が」

 先頭の救急隊員が訝しそうに質問した。

 大男はジャケットの懐から身分証を提示した。

「俺は国防院碓氷基地所属の和田だ。生きているのか?」

「そうだ」

 後ろの隊員が答えると「よし、コイツは基地に運ぶ」

 二人は大男の声に面食らった。

「どういう意味だい? いくら国防院のお偉方か知らんが、人命第一だ。早いとこ搬送しないとそれこそ死んじまう。おい行くぞ」

 後ろの人間に声をかけると、担架を持ち直し歩き始めた。

「聞こえんか」

 和田はそう言うと懐からレシーバーを取り出し何かを指示した。

 すると担架で運ぶ二人の前にやはり和田と同じ軍用ジャケットを羽織った男が数人踊り出てきて担架を取り囲んだ。「これは我々で処置する」

「なんだと」先頭の男が気色ばんだが「待て待て」と後ろの男が制した。

「これ以上話しても、軍が強制的に持っていくだろう」

「物わかりが早いな」

 二人に近寄ってきた和田は笑うように頬をあげた。しかしそれは、笑う、と言うより脅しに近い表情だった。

 担架を渡したあと呆然と立っている二人の前に、一人の痩せた男が出てきた。

「何だい、君は?」

 ふと我に返った一人が尋ねる。

「大日本帝国日々新聞社の佐野と申します」

 男は名刺を差し出した。

「今のやりとりが気になりましてね、悪いと思いつつきいていました」

 もう一人が憤慨した。

「ここは一新聞記者の来る所では無い。立ち入り禁止になっているはずだ。捜索の邪魔だから、出ていってもらおう」

「現場が混乱しているのは分かりますよ。ここだけ立ち入り禁止の線が貼られていなかったものでね 」

 佐野と名乗った人物は辺りを覗うように見た。

「落ち着いたらでけっこうです、名刺に書いてある電話にご一報くだされば」

「ブン屋に言うことはない。さっさと出てってくれ」

 肩のインカムが鳴った。

「北二地区、生存者発見。至急搬送を頼む」

「聞いたろ。ここから近い」

 そう言われた佐野はさっさと退いていった。

「なんだよ、アイツは」


 二日後、帝国日々新聞社の佐野宛に一本の電話が鳴った。

「はい、佐野ですが」

「……この前、墜落現場で会った者です。私は……」

 佐野はその声にぴんときた。

「名乗らなくてもけっこうです。しかしあの時は大変無礼でした」

「いや、それは済んだこと……それより医療関係に従事している身にとっては、助かるかもしれない命を横取りした軍部の奴らが憎々しく思えてね」

「やはり、何かありましたね」

「私は二日間考えましたよ。でもあいつらの横暴には」

 声の主はいささか震えている。

「軍の奴らは何か企てている節がある。あんな凄惨な現場になんで軍が介入したのか……」

 それから延々と二時間以上電話でのやりとりがあった。

「やはり何かある」

 電話を切った佐野の顔は紅潮していた。

 

 事故での混乱の中、神奈川、山梨にまたがるかねてから噂のある国防院航空軍第三区域重点警戒基地碓氷航空基地にその生存者は運ばれていった。

 碓氷航空基地には、国家防衛上特別なエリアがある。第六エリア、通称「技研B」と称する国家最高機密では最高にランクされる独立した特別区域である。内外部からの接触は一部を除いて一切絶たれており、航空写真においては平屋の白いビルが見えるだけで、その実体は容易に覗うことが出来ない。

 しかしここでは昼夜を問わず国家防衛上最高機密の実験がおこなわれているのであった。


 何故緊急搬送病院ではなく、わざわざ離れた航空軍基地に運ばれたのか、軍からの発表もなく理由は定かではなかったが、事故発生後三日後に発表を待ちわびて大勢集まっているマスコミの前で事故調査委員会より事故の経緯、調査報告が続き、そして最後に碓氷航空基地に運ばれていった生存者の「死亡」の発表がなされた。

「生存者三名の内一人が懸命な治療のかいもなく亡くなりました」

 複数のマイクの前で六十代後半の白髪の調査員会委員長が悲痛な面持ちで言う。

 すかさず佐野の声が響く。

「大日本帝国日々新聞社の佐野と申します。亡くなった方はどなたですか」

 いきなりの質問に事故調査委員長が困惑した。

「質問はあとで承る予定でしたが……キャビンアテンダントの方ですが、氏名年齢など目下調査中であります」

 佐野は興奮したように続けた。

「調査中? これだけ時間が経っているのに? まあ、これは後回しにしても、この亡くなった方は、私の資料で軍部の連中に無理矢理持って行かれたと証言している人間がいます」

 調査委員会委員長が困った顔をした。

「無理矢理という話は聞いておりませんが、設備の整った基地内での治療が賢明という判断の下で基地に連れて行ったと思われます」

 佐野はさらに続けた。

「設備が整った、とおっしゃいますが、事故現場近郊には立派な設備を有している総合病院があり、実際二人の生存者はそこで治療を受けています。つまり遠い基地までヘリで輸送するより生存する確率は高かったと思われますが、この様な判断は何時どのようにして決定されたのでしょうか? これは軍部がなされた、あるいは連れ去られた、と勘ぐられても仕方ないと思われますが如何でしょう」

 発表していた委員長が傍らの委員に助けを求めるかのように顔を見た。委員長に代わって別の男が言った。

「総合病院では手のつけられない状態だったという話を聞いております。四肢が断裂しており、言い方は悪いが…死んでいるのと同じ状態だったということです」

 委員長が後を継いだ。

「この件に関しては調査の上後日発表したいと思います」

 一方的に打ち切られ、その返答に納得しない佐野は腕組みをして椅子に座り込んだ。

 委員長の言葉のあとに司会者が続けた。

「では少し早いですが、せっかく質問が出たので、このまま質疑応答に入りろうとおもいます。……次に質問の方はいらっしゃいますか」

「朝読新聞社の加藤です。しらとりは頑丈に作られていて、特にエンジンは八つの内五個が破壊されても飛行するという設計のなっていたはずですが、事故では二つのエンジンが爆発しただけで墜落しました。設計とのこのギャップはどこから来ているのでしょうか? 」

 委員長が応える。

「おっしゃるとおり、三つのエンジンでも飛行は可能な設計になっております。ですが、この様な事態を引き起こしてしまったのもまた事実です。さらに申せばこれもまた原因不明で今後の調査結果待ちです」

 次々と質問の矢が飛ぶ。

「全日本同胞報道社の佐々木です。この様な事故を起こしてしまった以上、しらとり号の技術を世界に売り込むのは事実上不可能と思われますが、如何お考えでしょうか」

「確かにここで成功していれば、日本の技術力、ひいては売り込みにも関与出来たと思います。しかしこの構想は政府と開発した民間企業の事ですので、事故調査委員会としては本論と相違しますので、ここでの発言は差し控えたいと思います」

 その他マスコミ各社がこぞって様々に質問を浴びせたが、委員長からの答は「調査中」の一点張りだった。

 腕組みした佐野は質疑応答を上の空で聞いていた……。

「おい佐野、何をぼうっとしているんだ、記者会見は終わったぞ」

「ああ、吉田キャップ?」

 五十代半ばの吉田に肩を叩かれた佐野は振り返った。

「これは何か隠された陰謀があるように思うんですがね。キャップはどう思われます?」

 佐野の言葉に吉田は応えた。

「軍が関係していると言うことだろう? 深追いはよすんだな、佐野。国防院に噛みついた奴はろくな死に方をしない。さあ記事を書くために帰社するぞ」

「ろくな死に方をしない?」

 佐野は吉田の言葉をいぶかった。

「いやいや、今のは喩えだ」

 吉田は、丸めがねを押し上げながらにたにたと笑った。

『部長は何かを知っているんじゃ? ……』

 佐野は急にそのようなことを思い、吉田の後ろ姿をおった。


 遡ること二日前。

 碓氷基地地下三階、第二手術室では秘密裏に手術がおこなわれた。

 手術室には数名の青衣を身に纏った男女数名が、衣服を剥ぎ取られ手術台に寝かされている人間を取り囲んでいた。

いや、人間と言うより両手足がもぎ取られ、全身強度の火傷で黒くアザラシのような物体にしか見えなかった。複数の管が纏わり付き、辛うじて生命を維持しているようだ。

 手術室では人工心肺と呼吸器が無機質な音を立てている。

 年配の男性が宣言した。

「前回と違い、今回は女性。例の航空事故の犠牲者の一人だ。成功すれば二例目となる。搬送中のデータから抜粋すると、名前は神室七恵≪かむろななえ≫二十七歳。国際線キャビンクルー、つまり客室乗務員として勤務。数カ国語に堪能、とある。しかし我々はこの様な姿になっても生きながらえているという生命力に驚嘆するとともに、この生命力を持ってすればB計画の礎となるだろうと言う事が言えそうだ。諸君、今度は失敗は許されない。心してかかろう。まず第一にこれから全身検査をおこなう。手術に耐えうると判断できれば、修復作業、平行してバイオヴォーグ手術を施工する。バイオアーム並びにバイオレグの接合圧着および神経縫合、並びに人工眼の埋め込み、これらを一気におこなう」

「凄いな」

 のぞき込んでいる一人が言った。「炭化してまるで生きているとは思えない」

「無駄口を叩く暇があるなら、心肺機能のチェックを怠らないように」

 のぞき込んでいる男に年配の男が注意するように言い、手術室全員を見回した。

「血圧低下」技師が声を上げた。「六十切ります……心拍数低下、危険状態です」

 同時に一斉に各種計器類が異常を示すように警報を鳴らす。

「血圧上昇剤注入。輸血準備」

 年配の男は冷静に命令した。医療スタッフが慌ただしく動き回る。

「諸君、困難事例の開始だ。長時間にわたるぞ。準備は良いな?」

 医療スタッフの一人が年配の男に向かって言った。

「了解です、朝倉先生」


 こうして、これから数奇な運命を歩む女が一人誕生した。


 数ヶ月後……。

 地下二階第三実験室では、五メートルの長さのあるゴム状のベルトコンベア式自走マシン、ハイロードで神室は順調に走っていた。ハイロードマシンの両端にあるモーターがゴウゴウとものすごい音を立てている。

 彼女は「走る」と言うより低空でジャンプするような動きだ。

 配線が伸びているヘッドギアをつけ、腰の周りにはさらにおびただしい配線が伸びている。それら配線の先は各種機械類に接続されている。片足にかかる負荷、血圧、心拍数、脳波などがリアルタイムで計測されているのだった。

 ハイロードマシンの脇に、神室の様子を見ながら朝倉と三十代前半の背の高い男、五十ぐらいの女性が測定器の前で陣取っている。

「西村君、記録は」

 西村と呼ばれた三十代前半の背の高い男が言った。「ただいま時速八十キロです。……でも」

「なにがおかしいかね」

 西村の言葉に朝倉が訊いた。

「朝倉先生もご存じの通り、前回の実験でもそうでしたが、八十キロ付近で止まります。計算では時速は百二十キロは出るはずです」

 西村の言葉に朝倉は腕を組んだ。

「確かにそうだ」

 朝倉はうなずいた。そしてハイロードの上で軽快に走っている神室に言う。

「どうだ、調子は?」

 走っている神室の額から汗が飛んでいる。

「大丈夫ですわよ。でも……」

「でも? 何かね」

「これだけ走っていると、疲れますわ」

「疲労感? あるはずはないが」

 朝倉は独り言のように言うと、すかさず、傍らにいた五十ぐらいの女性、脳神経内科兼心理学者の二井見が朝倉の声に反応した。

「いくらバイオヴォーグと言っても生身の人間ですよ……まず、脳神経から考えますと、今まで以上に走れる脚を持つと言うことは、はっきり言って本人にとっては恐怖です。思い通りに走らないのではなく、高速で走った経験がないから、恐怖で走れないのよ」

 朝倉が二井見を見た。

「その恐怖を克服すれば走れるようになるのかな」

 二井見の言葉に朝倉が遮るように言った。

「克服出来れば、出来るようになるかもしれませんわね」

「二井見先生、意味が分からんが」

 朝倉は首を捻る。

「疲労感を感じるのも、脳の仕組みね」

 自信たっぷりに二井見が自分の頭を指さした。

 朝倉が西村に命令した。

「今日はもう少し速度を上げてみよう。神室、スピードを上げるぞ、いいかな。西村君速度を九十に」

「はい」

 ハイロードの速度計をゆっくりと回し始めた。

 速度が徐々に上がるにつれ、必死になって走っている神室はそのスピードに追いつけなくなり、後ろに下がっていく。

 神室は絶望したように叫ぶ。

「ああ……もう駄目ッ!」

「もう止めましょう」

 突然二井見が叫んだ。「彼女、限界だわ」

「西村君、止めたまえ」

 西村がスイッチを切るとベルトは徐々に遅くなり、最後は完全に停止した。

 停止したハイロードマシンの上で神室は体をくの字に折り曲げ、全身で呼吸をしていた。

 西村はその神室の姿を見つめながら言った。

「八十キロが限界だなんて、和田総括にはどうやって報告すれば良いのでしょう」

 二井見が答える。

「さっきも申し上げたとおり、恐怖心がそうさせるの。例え走る能力があったとしても自然とブレーキがかかるのよ」

 二井見の言葉に西村が反論した。

「走ろう、とする欲求が神経回路を興奮させ、動き出す仕組みになっているんです。僕の開発したバイオヴォーグレッグはそれ自体機械だから、恐怖心を覚えることはないはずです」

 西村の反論に二井見はさらに反論する。

「それは機械的に、でしょ? 機械と人間は違うのよ。このB計画に携わってきて思ったことがあるわ」

「思ったこと?」

 男二人が同時に言った。

「そう。朝倉先生、西村さんを始め、あなた方は人間の心が分かってないのよ」

「心?」

 さらにまた二人は怪訝そうな顔をして二井見を見つめた。

「そう、全てはこの脳のなせる技だわ。さあ、もう良いでしょう、終わりにしましょうよ」

 朝倉は理解しがたいような顔をした。

「今日の実験は終わりだ」

 ようやく呼吸が整った神室はヘッドギアを外した。

「やっと解放よねえ」

「これで解放じゃないぞ。まだ次の室内実験が残っている」

 朝倉の言葉に神室はハイロードから降りた。

「はいはい、なんたって人使いが荒いんだから、先生は」


 殺伐とした第六区内部では地上一階は別天地、唯一のオアシスだった。

 高級レストランと見間違えるような豪華な食堂、ゆったりとくつろげる喫茶室、奥には腕利きのバーテンダーが常駐するバーラウンジがあり、朝からでも酒が飲めるようになっている。理髪店や美容室、ブティックに書店、さながら複合施設のように賑わっている。


 第六区は俗世間から隔絶された世界でありながら、何故そこまで軍は関与するのか?


 暑くもなく寒くも無く、さらに正面は五メートルにも及ぶ全面硬質硝子張りで開放感に満ち、向こうには青々とした森林が顔をのぞかせ、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、どこからともなく弦楽四重奏の音色が優美に奏でている。

 椅子に座っている神室の目の前には、紙コップに注がれた天然果汁百パーセントのパイナップルジュースが置かれている。そして神室を囲うように三人が座っている。

 朝倉が言った。

「さあ、コップを手にしてご覧」

 言われるままに手を差し出す神室だった。左手が紙コップを掴んだ。

「持ち上げて見たまえ」

 さらに朝倉は命令するように言う。

 徐々に左手を持ち上げる神室だったが……「あ」という神室の短い声とともに紙コップが拉げた。

 左手にはしたたり落ちるアップルジュース……。

「全くもう……」

 神室は嘆息した。

 二井見が傍らにあった台拭きを神室に差し出した。「さあ、拭いて」

 神室のやりとりを見ていた朝倉と西村は、ひそひそ声を上げた。

「つかみ加減が分からないようだ。特に瞬間的な圧力が」

「いや、僕の開発した圧力センサーは指先一つ一つにいっぱいに埋め込みましたよ。加減が分からないと言うのはどうも納得がいきません。掴んだときの情報に遅延があるように感じますが、あるいは筋電位信号の感知能力に問題があるのかもしれませんよ」

 西村は考え込むように腕を組んだ。

「電位信号検知機能をもっと俊敏にしなければならないというとこですかね?」

「両肩に埋め込んでいる生体電子モジュールが……」と言ったところで二井見は二人の言葉を遮った。「そこのお二人さん、技術論は後にして、お茶しましょう。七恵さんには当面、鉄のカップが必要だわね」

 そう言いながら二井見は神室をみて笑った。神室は首をすくめるようにしてはにかんだ。


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