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第七話 身を守る術

 第七話    身を守る術



 「玉芳~」 二階から千扇が呼ぶと、

 「はい、姐さん……」 玉芳は二階へ駆け上がる。



 「今夜、大事なお客さんだから、部屋を綺麗にしてくんなんし」

 「わかりました」 玉芳は早速、取りかかる。



 玉芳は桶に水を入れる。 吉原には数カ所の井戸があり、そこから水を汲んでくる。 吉原は生活の排水が流れる『お歯黒ドブ』に囲まれており、水自体も決して衛生的ではない。


 しかし、生活に水は欠かせない為、綺麗に見える水をすくって使うのである。



 「では、掃除します」 玉芳は千扇の部屋から掃除を始める。


 窓を開け、布団のホコリを出していく。

 冬になれば火鉢の掃除も禿が行うのだ。



 いくら中見世クラスの妓楼でも、決して狭くはない。 玉芳は毎日、一人で掃除をしていく。


 (早く、新しい禿が来ないかな~) つい思ってしまう玉芳である。



 掃除が終わると、お茶などで使う水を溜める為に井戸に数回汲みにいく。

 そこに集まる禿や新造などと話し込んでいる。


 これぞ、井戸端会議と呼ばれるものである。



 「お前たち、まだアッチの勉強はしていないのかい?」

 他の見世の妓女が言う。


 禿や新造の居ない見世では、妓女が水汲みで井戸に来るところもあり

 「いえ……まだ……」 玉芳は小声で答える。 他の見世の禿も首を振った。



 禿は大部屋の隅や、物置などで寝かされる。 大部屋であれば妓女の営みの声が丸聞こえになっている。

 大体は何をしているか知っているものだ。



 井戸で話していると、ある妓女が紙を見せてくる。

 「これを中に入れておけば妊娠しないんだよ」 そう言って説明する。



 三原屋に戻った玉芳は、それとなく千扇に聞いてみる。


 「姐さんも紙を……?」 玉芳が聞くと、千扇は頷く。

 「そりゃそうさ……」 


 千扇は引き出しを開け、木箱を取り出す。 蓋を開け、中身を見せると


 『紐、和紙、薬草、酢の入っている小瓶』が入っていた。

 「こんなに?」 玉芳は驚いている。



 「これは命を守る為の道具だ。 お前も用意しなきゃね」 千扇が微笑む。


 「これは何に使うのです?」


 「紙は中に入れておくと妊娠しない。 妊娠したら仕事も出来ないから食事も出ないだろ…… 酢は客が帰ったら洗う為さ」


 避妊の紙とは、奈良県吉野地方で作られた和紙である。 御簾みすのように薄いことから御簾みすがみと言われていた。


 こうして妓女は自分の命を守っていくのである。



 夜、床入りの時刻では玉芳は深い眠りに入っているが、情事の音で目が覚めてしまうこともある。


 中級妓女にならないと、二階の個室は与えてもらえない。 酒宴の部屋はあるが、中見世の客はお金が掛かる事はしない。 目当ては夜伽よとぎである。



 一般の妓女は大部屋を仕切り、そこで営みをしなければならない。

 すなわち、隣の営みは丸聞こえなのである。



 大体の禿は、この声が聞こえると『騙されたんだ』と気づく。

 女衒の話だと「きらびやかな町で、良い服を着て白いまんま(飯)がたらふく食べられるよ」 などと言って吉原に連れてくる。



 地方の農民の娘で五万から四十万の間で買い取られる。 金額の差は顔や器量で変わってくる。


 武家などの娘は話題性や教養もあり、百万以上とも言われていた。

 旗本などの失脚した武家は、娘を売ってまで金を作らないとならなかった。



 一見、聞けば不幸な身だが、農村の下級で育った子の識字率は低い。

 吉原に入れば勉強や芸を一通り習う。 こういう部分では良いのかもしれない。



 玉芳は吉原で字や芸事を身につけ、以前の暮らしより豊かになっていた。

 ただ、ここは吉原であり妓女になるために教育されている。



 ある日の井戸端会議で、

 「この生臭いのは何ですか?」 玉芳は鼻をつまんでいる。

 「これかい? 魚の空気袋さ」 妓女が言うと


 「何に使うのです?」


 「この袋を男性のアレに被せるんだよ。 そうすれば安心だろ?」

 妓女は笑顔で答えるが、この生臭いのが入ってくると思うと恐ろしくなってくる。



 「こうやって干しておけば臭いも消えるし、破けない限りは洗って使えるからな~」

 現代で考えると恐ろしいことだが、江戸時代である。 ものが無い時代、限りある資源の有効活用が必須であった。



 「お前さんも新造までは時間あるし、しっかり勉強するんだよ」

 小見世の妓女は優しく教えてくれていた。



 玉芳は、三原屋に戻ってから井戸端会議のことを話す。


 「お前、井戸に行ってから戻ってくるのが遅いと思ったら……」

 采の言葉で玉芳が恐怖を覚えると、

 「なんだ、しっかり吉原に慣れてきたじゃないか」 そう言って采はニコッとする。



 肩の力が抜けた玉芳は 「……はい」 と、だけ答えた。



 しかし、玉芳を守るものは妊娠だけではなかった。


 江戸では梅毒や麻疹はしかが流行っていた。 数万人の死者を出す流行病はやりやまいは、すぐに吉原にも襲いかかってくる。



 江戸は百万人を超す世界一の大都市であり、人口密度と比例して病の拡散の早さが想像を超えている。


 しかし、流行病だけで見世を休ませる訳にもいかず、妓女は客を取り続けなければならなかった。



 「如月―っ」 数日前から発熱を訴えていた如月が大部屋で倒れる。


 「医者を―」 玉芳が外に出ようとすると

  “ガシッ” 如月が玉芳の腕を掴んで首を振る。

 「姐さん……」 


 「医者なんか呼んだら、私の借金が増えちまうよ……休んでなんかいらんないからさ……」 そう言って、如月は立ち上がる。


 「姐さん……」 玉芳の目に涙が溢れる。


 これを見ていた采も、

 「これじゃ、客は取れないね……感染うつしても大変だ……おい、玉芳! 如月を二階の物置で寝かしてやんな! お前が看病しろ」


 玉芳は如月を担ぎ、二階に連れていった。 身体の小さい玉芳はフラフラになっていた。


 「姐さん……ゆっくり休んでください。 私、また来ますね」

 玉芳は微笑んで、如月の手を握る。



 翌日、その翌日も如月の体調は戻らなかった。 

 「姐さん……この部屋の窓を開けますね。 空気の入れ換えをします」

 玉芳が声を掛けると、

 「た 玉芳……ごめんね……堪忍ね……」 如月は涙を流している。



 「姐さん……涙、拭きますね」 如月の涙は首筋に落ちていく。

 玉芳が服の襟をずらすと、如月の首筋には青紫色の発疹が出ていた。


 「姐さん、これって……?」 

 「ごめんね……堪忍ね……」 如月は寝言のように呟いている。



 その翌日、如月の息が荒くなると

 「実家に帰すか……」 文衛門が言う。 これにより若い衆に声を掛けに行く。


 「姐さん、実家に帰って休んでください。 良くなったら、また……」


 「く 苦界十年……終わるまでは泣くまいぞ……」 如月の最後の言葉だった。

 若い衆の話だと、実家に運んでいる最中に亡くなったということ。



 如月は十八歳の生涯を終えた。


 玉芳は泣きながら如月の荷物をまとめていた。


 「玉芳……これが吉原だ。 これに打ち勝って、本物の花魁になるんだよ」

 采が言えるのは、これしかなかった。



 玉芳は、如月の最後の言葉を思い出している。


 「私も、年季が明けるまで泣かない」 そう誓った十歳の玉芳であった。



 如月が亡くなり一週間が過ぎた頃、医者が吉原にやってくる。

 医者は七人。 幕府公認の妓楼街が病気の巣になってはいけないと、医者を派遣してきたのだ。



 医者は各妓楼を周り、楼主に確認をする。

 「ここの妓女に蒼毒そうどく(梅毒)に掛かった者はいないか?」


 「へぇ、一人いましたが実家に帰らせました」 文衛門が答えると


 「残りの者はどうだ?」

 「大丈夫です」


 確認を終えると医者は去っていった。


 大部屋では妓女が震えていた。 もし、自分が感染していたら……そう思ってしまう。


 吉原の妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われている。 そのほとんどが病である。 その中で多くが梅毒に感染して亡くなっている。



 外見は華やかであるが、労働環境は最悪な吉原。

 玉芳も他人事ではないことを知っていく。



 「玉芳― ちょっと来な」 千扇が二階から呼ぶと


 「はい。なんでしょう?」 正座をすると、

 「これ、持っておきな」 千扇は紙に包んである薬を差し出す。


 「これは?」

 「一応だが、梅毒の薬だよ」 千扇がニコッとする。


 「でも、私はまだ……」 

 「これは私の薬だよ。 私が感染したら、自分で飲めないだろ? お前が持っていておくれ」 


 「わかりました」 玉芳は返事をする。



 「こうなると、売り上げどころじゃないね……」 采が そろばんを弾く。


 「お婆……一応、報告です。 千扇姐さんの薬を預かりました」

 玉芳は紙の包みを采に見せる。


 「これ、どこで手に入れたか聞いたかい?」

 「いえ……特に聞きませんが……」



 采は、ここ最近で噂を聞いていた。

 「玉芳……最近、露店か何かで薬を売っている者を見なかったかい?」


 采が聞くと、

 「あぁ、なんだか最近は露店が増えた気がします」



 そんな会話から、采と玉芳は露店を探しにいく。

 すると、数件の露店を発見する。


 「これは何の薬だい?」 采が露店の男の聞くと、

 「これは梅毒の薬ですよ」 男は答えた。


 「いくらだい?」 「三十文」 

 現在の価格だと千五百円程度である。


 「そんなに安いのかい?」 采は驚いている。

 現代の価格で同じくらいである。 それも保険を使っての値段だ。



 「どれ、一つ買っておこうかね」 采は薬を買った。



 三原屋に戻り、 「おい橘。 これを調べておくれ」 采は若い衆である橘に薬を渡す。


 橘は袋を切り、薬を舐めてみる。


 「んっ? これ……小麦粉ですよ」 橘が言うと、采は唖然とする。


 江戸時代の後期、小麦粉は安価で手に入った。 これを薬と言って販売していたのである。


 「やってくれるね~」 采がニヤッとする。


 玉芳は二階に上がり、千扇の部屋に向かった。



 「失礼しんす……姐さん、さっきの薬は何処で買いました?」

 玉芳は慌てて千扇に聞くと、

 「あれね、露店で売っていたのよ。 安かったから買っちゃったのよ」


 「わかりました。 処分していいですか?」 玉芳が言うと、

 「なんでよ? せっかく買ったのに……」 少しだが千扇は憤っている。



 「さっき、露店で同じ薬を買って橘さんに見てもらいました。 あれは小麦粉でした……」


 玉芳が説明をすると、千扇は目を見開き

 「私……騙されてたの?」 そう言うと

 「おそらく……」 



 しばらく黙っていた千扇が、

 「ありがと~ 危なく何個も買うとこだったわ~」


 千扇は玉芳に頬ずりをする。


 こうして三原屋では露店での薬を買うのを禁止したのであった。



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