第六話 火の用心
第六話 火の用心
一八五三年(嘉永六年) 吉原には火事が多かった。
吉原とは、元々は現在の人形町にあった。 これを『元吉原』という。
元吉原は 一六五七年の明暦の大火が江戸の町を焼き尽くし、壊滅的な被害を受けた。
この火災をきっかけに、吉原遊郭は現在の台東区千束に移転し、『新吉原』として再建される。
新吉原は元吉原より規模が大きく厳しい管理体制が敷かれ、繁盛していった。
しかし、それでも火事が多い吉原には理由があった。 それは放火である。
江戸時代、火事の多い江戸では放火犯には重い罪が課されていた。
家は木造であり火の回りが早く、次々に焼き尽くされてしまっていた。 吉原では火災が起きて、見世が消失してしまうと幕府から仮の遊郭や税の免除などの特例処置があった。
そこに悪い妓楼主が放火をするなど、災いが起こったりもしていた。 後にバレてしまうのだが、迷惑な見世もあったのは事実である。
玉芳は吉原を散歩していた。 この日は稽古が休みであり、気晴らしに午後は
九朗助稲荷に来ていた。
吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。
(早く、花魁になれますように……) 玉芳は手を合わせていた。
「火事だー」 そこに大きな声が聞こえてくる。 玉芳は走って煙りの立つ方へ向かう。
そこには大きな炎があがっている。 小見世が並んでいる長屋のような建物である。
小見世からは多くの人が走って出てくる。 悲鳴が響き、多くの者が消火に向かっていった。
「よし!」 玉芳も消火に加わり、樽に入った水のリレーをする。
しかし、火の勢いは収まらない。 玉芳が唖然として火を見ていると、
「危ないから下がりなさい―」 男性が玉芳を抱え、火事から遠い場所に移した。
「あの……ありがとうございます」 玉芳は頭を下げ、助けてくれた人の顔を見る。
そこには見知らぬ男性の姿だった。
「大丈夫なら良かった。 子供が無茶したらダメだよ」 男性は玉芳の頭を撫でた。
その後、玉芳は三原屋に戻ると
「なんだい? 服がビショビショじゃないか―」 采が驚いたように言う。
「すみません― さっき火事があって、火消しを手伝っていました」 玉芳は正直に話すと、
「そうか……お前は逃げずに向かっていったんだな」 采が目を細めて言う。
采が火事の現場を見に行く。 近くだと営業に関わる問題だからだ。
(小見世か……妓女の放火かな?)
采は遠目ながら火事の原因の見世を地図で調べる。
「霞屋か……」 采は過去の火事を思い出している。
霞屋は過去に三度の火事を起こしている。 それも原因不明のまま片付けられていた。
采は三原屋に戻り、前に発行されている吉原細見を引っ張り出すと、
「これか……何かあるね」 采の目が鋭くなっていく。
「おい、玉芳……ちょっと噂を拾ってきてくれ」
※噂を拾う……噂から情報を集めること
「わかりました」 玉芳は頷き、火事の現場に向かう。
そこには数は少なくなったものの、まだ野次馬が残っていた。
数人で集まっては火災の噂をしている者もいて、玉芳はこっそり後ろに立つ。
「これ、放火かねぇ……」 「霞屋さんでしょ?」
色んな声が聞こえてくる。 玉芳は頭に叩き込んでいく。
そこに、一人の女性が目に入る。 その女性は火事の現場を見てニヤッとしていた。 瞬間の出来事であったが、玉芳は見逃さなかった。
そこに、三原屋から如月がやってくる。
「玉芳、何してるの? お婆に言われて、お前の見張りをしろって言われたのだけど……」
「ありがとうございます。 火事の噂を拾ってこいと言われまして……ちょっと気になってるのが……あれ?」
玉芳が説明している間に、先ほどの妓女が消えていた。
「あれ? あれ?」 玉芳がキョロキョロとしだすと、
「だから、何をしてるのよ?」 如月も一緒になってキョロキョロする。
玉芳と如月は、少し離れたところに移動していく。
そして、玉芳が説明すると……
「それで、笑っていた妓女が気になるのね?」 如月は分かったようだ。
それからも玉芳は情報を集めに吉原中を歩いていた。
(さっき、お婆が言っていた霞屋は何回も火事を起こしている……やっぱり保険の意味で主人か、それとも妓女が……) まだ十歳の玉芳の推測は、この二択だった。
●
「なんか三原屋って、こんな事が多いの? 余計な事を探るのをさ……」
鳳仙は呆れたように話す。
「そう? 一応、同じ吉原だったしね……」 玉芳は、あっけらかんと言うが、 「まぁ、ある意味お家芸みたいよね♪ 梅乃なんか見事に」 鳳仙は手を叩いて笑っている。 これには玉芳も笑うしかなかった。
吉原の事件や余所の見世に顔を利かせて首を突っ込み、命まで落としかけた禿の梅乃を引き合いに出していた。
「梅乃は別物よ。 私は、行けと言われたから行くだけで、梅乃みたいに自分から飛び込んでいく訳じゃないわよ」 玉芳は笑いながら説明していた。
●
玉芳は江戸町を歩いていた。 情報が欲しくて歩いていたが、気づけば江戸町に来てしまったのだ。
「あれ?」 玉芳は目を疑う。
江戸町で目にしたのは、先ほど火事の現場で笑っていた妓女である。
(霞屋の妓女じゃない? どういうこと?)
玉芳は妓女を尾行した。
妓女が見世の角を曲がり、小路に入る。 玉芳は小走りで後を追いかけ、角を曲がると
「ゴンッ―」
玉芳は顔を殴られた。 「いたっ―」 玉芳は顔を押さえ、しゃがみこんでしまった。
時間が経ち、目を開けると誰もおらずガランとした小路だけだった。
「あれ? 私、何があったの?」 状況が理解できず、周囲をキョロキョロする玉芳に話しかけてくる。
「あんれ? お前、あの時の……」
「あっ、富士静花魁……」 玉芳が頭を下げると 「痛っ―」 また顔を押さえる。
「どうした? なんか顔が赤いぞ?」 心配そうに富士静が顔を覗き込む。
「すみません……この角を曲がったら、いきなり殴られて……」
玉芳が説明すると、
「殴られた? 誰に?」 富士静が聞くと、玉芳は首を振る。
「ありがとうございます……痛いけど、富士静花魁を見たら良くなりました」
玉芳は頭を下げ、走って戻ろうとすると
クラッとして、玉芳は倒れてしまった。
その頃、「おーい、玉芳~」 如月は玉芳を探していた。
少し時間が経ち、玉芳は気がついた。
「う……ん?」 玉芳は起き上がる。 布団に寝ていたようだ。
「ここは?」 玉芳は周囲をキョロキョロする。
「気がついたかい?」
「えっ? 富士静花魁……?」 玉芳は目をパチパチさせている。
「お前が小路で気を失ったから、ここに連れてきたんだよ」 富士静はキセルを吹かせている。
「ありがとうございます……すみません、私なんかの為に……」
「いいんだよ。 それで、誰に殴られたのさ?」 富士静は前のめりになって聞くと、
「今日、火事の現場に居たのですが……そこで火事を見て笑っていた人がいたのです……それで江戸町を歩いていたら見かけて……」
玉芳が経緯を富士静に話すと、
「そうか……なら、私も探すからよ」 富士静の表情が厳しくなる。
「いえ……これは私がいけないので……」 玉芳が遠慮がちに言うと、
「花魁ってのは、自分だけじゃなく吉原の代表みたいなものなのさ。 そこいらの禿でも、吉原の家族みたいなものだからね……」
富士静が微笑む。 これには玉芳が墜ちてしまった。
(カッコイイ……)
それから玉芳は三原屋に戻り、采に話をする。
「なんだって? それで、お前は富士静に救われたってのかい?」
「はい……お世話になりました」 にこやかに話す玉芳に、
「はぁ……」 采は肩を落とした。
翌日、采と玉芳は菓子折を持って近藤屋に来ていた。
「この度は、ウチの玉芳がお世話になりました……」 采は頭を下げ、富士静に菓子折を渡すと、
「三原屋さん……いい禿ですね♪ 一生懸命で、素敵な禿ですよ」
富士静が言うと、采は恐縮する。 そして玉芳は気を失ってしまった。
「玉芳―っ」
采は玉芳を抱き、三原屋に戻っていった。
「うん?」 玉芳が目覚める。
「起きたかい?」 采はキセルを吹かせている。
「はい……ここは?」 玉芳はキョロキョロする。
「お前、その気絶癖をなんとかしな! 連れて帰るのに苦労したよ」
采が呆れたように言うと、
「すみません―」 玉芳は正座をして謝った。
その後、富士静を中心とした捜索がはじまる。 この噂は吉原全体に響き渡り、妓女たちも捜索に参加していった。
数日が経ち、意外なところで犯人が見つかる。
それは吉原で捜索が始まってから、色々な見世の妓女が報告に来ていた。
その報告に玉芳が富士静の元に訪れていた時のこと。
「失礼しんす……玉芳ですが……あれ?」 玉芳が目を丸くする。
「んっ? どうした?」 富士静が玉芳を見ると
「あの……この方は?」
「あぁ……近藤屋の錦糸だよ」
錦糸はバツの悪そうな顔をする。
玉芳は少し考えて 「そうですか。 私は玉芳と申します」 頭を下げた。
錦糸も玉芳に合わせ挨拶をする。
「それで、まだお前を殴ったヤツの情報はない。 玉芳はどうだい?」
玉芳は数秒の間を開け、「まだ……」 だけを伝えた。
三原屋では玉芳を殴ったヤツの情報が流れ、いつも叩いたりしている妓女が怯える様になっていた。
そこに玉芳が三原屋へ戻ると、妓女たちは視線を向けずに黙っている。
「??」 最初は意味が分からず、ギクシャクした状態が続いていると、噂を聞いていた千扇は笑っていた。
「お前、黙っていなよ♪ 犯人が捕まるまではアイツらも大人しくしているんじゃない?」
千扇は、偶然がキッカケで変わればいいと思っていた。
「それが……見つかったんです……」 玉芳が小声で言うと、
「それで、誰だったの?」 千扇が食い入るように聞いてくる。
「それが……」 玉芳が犯人を言うと、
「それはマズイわね……」
捜索の言い出しっぺの富士静と同じ見世の妓女であることに悩んでしまう。
それは本人というより、見世の問題になりかねないからである。 三原屋は中見世の小さい妓楼である。 相手が大見世だと、事を荒立てたくないものだ。
千扇と玉芳は困っていた。
それから玉芳は、江戸町に足を運んでいた。 それは富士静ではなく、錦糸に会うためだった。
(どこにいるかな?) 玉芳は江戸町を歩き続けるも、会えずに数日が経ってしまった。
ある日、三原屋で
「玉芳、買い物に行ってきておくれ」 采に言われ、千堂屋に向かう。
「すみません。 コレを買いに……」 玉芳がメモを渡すと、仲の町に錦糸が歩いていた。 それを見つけた玉芳は、 「すみません。 また来ます」 そう言って錦糸を追いかけた。
錦糸は九朗助稲荷に向かっていた。 そっと後について様子を伺う。
錦糸がお参りを済ますと、視界に玉芳が立っていた。
「お前……」 錦糸が言葉を漏らす。
「やっと会えました。 錦糸さん……」 玉芳が正面から錦糸に言うと、
「ふん……殴ったのを根にもって探していたのかい?」
「いえ……それもありますが、どうして火を付けたのですか?」 玉芳が切り出すと、錦糸は黙る。
(こんな小娘が気づくはずがない。 カマを掛けてきているだけだ……)
錦糸は表情を変えなかった。
「私は、ただの禿です。 出過ぎたことをしました……」 玉芳は頭を下げる。
「何? ここまで追いかけてきておいて、これで終わるつもり?」 錦糸は、玉芳が終わらせようとしたことに納得がいかないようだ。
「はい。 これで終わりにします。 それじゃ」 玉芳が再度、頭を下げると錦糸が掴みかかる。
「お前に何が分かるんだい! 私は小見世に売られるんだよ。 だから、売られないように燃やしてやったのさ! それを勝手に終わりにするって……」
錦糸が言った瞬間だった。
「それは自白だね」 隠れて聞いていた富士静と采が出てくる。
「お婆……富士静花魁……」 玉芳も驚いていた。
「お前が帰ってこないから千堂屋に行ったんだよ。 そしたら錦糸を追って行ったと聞いたからね」 采がニヤッとすると
「私も千堂屋で采さんに会って話を聞いたんだよ」 富士静もニヤッとする。
「そんな……」 錦糸は膝から崩れ落ちる。
「采さん……三原屋さんの禿を殴ってしまい、申し訳ございません……近藤屋の花魁として、謝らせていただきます」
富士静は膝を付き、采と玉芳に謝った。
誉れ高き花魁が、外で膝をついて謝ったのだ。
「よしなよ……花魁にそんなことさせる訳には……」 采は慌てて富士静の腕を持つと、
「いえ……これが大見世、近藤屋のケジメにありんす……」
この言葉に玉芳は衝撃を受けた。 (これが花魁になる人なんだ……)
その後、錦糸の処分は近藤屋に任せ、玉芳は采と買い物の続きをしていく。
その後、花魁の姿勢を知った玉芳は変わっていくことになる。
三原屋で、妓女が雑談をしている姿を見た玉芳は
(ふん……小物が……) などと、悪い子供の顔になることもあった。




