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第一話 玉芳の過去

 第一話    玉芳の過去



 一八八七年(明治十年) 一月。 

 「なんか兵隊さん、多いわね…… 何かあったのかしら……?」 玉芳たまよしが部屋の窓から外を見る。


 玉芳は吉原で勤め、主人である大江おおえ 辰二郎たつじろうに身請けされたもと花魁おいらんである。


 「よし、外に出てはいけませんよ!」 


 玉芳の横には子供がウロチョロしている。 娘の佳、四歳になる。

 玉芳は主人の大江と一緒になってから佳を産み、現在は大江の仕事である佃煮屋の手伝いと主婦をしている。



 玉芳いるー?」 玄関の戸を開け、声を掛けているのが鳳仙ほうせんである。 鳳仙も吉原で花魁を勤めたもと妓女ぎじょであった。


 「いるよー どうしたの?」 玉芳が顔を覗かせると、

「なんか戦争らしいよ」 鳳仙が言う。



 「ふぅ……」 玉芳がため息をつく。


 玉芳が花魁の時代に戊辰ぼしん戦争せんそうが起きて、東京の浅草一帯には多くの犠牲が生まれていた。 働いていた吉原も彰義しょうぎたいの治療などで使用していた為に、営業ができなくなっていた時期があった。



 この時から戦争には嫌な反応をしてしまう。



 「まぁ、戦争は九州らしいし大丈夫じゃないかな?」 鳳仙はニコッとする。


 明治十年、一月から西南戦争が始まっていた。 東京からは新政府軍の兵士が鹿児島まで繰り出されるようになっていく。



 「そういえばさ……今はこうして一緒にいるけど、前は全然話さなかったよね~」 鳳仙は、笑って話していると


 「そうだったね……あの頃が懐かしいわ」 玉芳が笑う。




 一八六一年(文久元年) 春。

 時代は徳川政権、十四代将軍 徳川 家茂いえもちの時代である。


 「通ります 通ります。 玉芳花魁が通ります……」

 カンッ カンッ― 拍子木ひょうしぎの音が高らかに鳴り、一人の花魁が誕生した。


 三原屋の玉芳花魁、まだ十八歳である。 



 黒い着物に高下駄を履き、髪には六本のかんざしす。

 下がった目尻に桃色のシャドウで目尻をあげて見せる。 この日は玉芳が花魁を襲名し、お披露目で仲の町を練り歩く『花魁おいらん道中どうちゅう』であった。



 大きな傘の下、り出す足は外に半円を描くように引きずる。

 花魁の外八文字そとはちもんじという歩き方をすると



 「わ~ 綺麗♪」 遠くから横目で眺める少女、鳳仙である。 この当時は鳳仙ではなく、益代ますよと名乗っていた。 まだ十六歳の新造しんぞうである。 新造とは、妓女の見習いである。



 益代の目は玉芳に向いていた。 その姿は神々しく、世間を見下して歩くようなイメージだった。



 益代は鳳仙楼という妓楼で働いていた。 鳳仙楼も江戸町に見世(店)を構える大店である。 つまり、ライバルの店の花魁に見惚れていたのだ。



 十八歳で花魁を襲名した玉芳だが、決して順風満帆な人生だった訳ではない。 



 一八五一年(嘉永かえい四年)


 「つる……これから頑張ってくれ……」

 『つる』 これは玉芳の幼名であり、本名である。 



 つると父親が吉原に訪れている。 その見世は『三原屋』である。 三原屋は小見世から中見世に上がったばかりの妓楼である。



 鳳仙楼のような格式が高い見世は、大見世。

 格式が低く、引手茶屋を通さずに遊べるのが小見世こみせ。 その中間にあるのが中見世なかみせである。



 そして、吉原を囲むように川の水が溜まったのが『お歯黒ドブ』と呼ばれ、そのドブの近くにある見世が、河岸かし見世みせと呼ばれていた。



 河岸見世は安く、格式など無い。

 年季が明けて、行くところが無くなった妓女が多く在籍する。

 また、三十路過ぎの女性が多いところでもある。



 「よろしくお願いいたします……」 つる の父親が頭を下げる。

 「これが証文しょうもんだ……」 三原屋の主人が紙と金を渡す。

 三原屋の主人は、三原みはら 文衛門ぶんえもんである。



 つるは三原屋に売られたのである。


 「おとっつぁん……」 つるは涙を流し、最後まで父親の背中を目で追っていた。


 妓楼は女衒ぜげんを仲介し、少女を買う。

 少しの金を家族に、そして報酬を女衒に渡すのが花街の常識である。



 「つる……今日から仕事だ! 挨拶をしな」 キセルを持ち、妓女の前で話しているのが主人の妻。 三原みはら さいである。

 采は三原屋の『り手』である。 遣り手とは、会計や妓女の管理をする者であり、だいたいは『ばば』と呼ぶ。



 「つるです……よろしくお願いいたします」 引っ込み思案だった つるは、小さい声で挨拶をする。


 この時、つるは八歳だった。



 つるの実家は貧しく、借金をしていた。 返済のあてもなく、途方に暮れていたころに吉原に娘を売ることが決まったのだ。



 こうして、つるは三原屋の禿になったのである。



 妓楼の二階に来た采とつるは、

 「つる、今日から千扇ちせんに付くんだよ」 采は、つるを千扇に預けて一階に行ってしまう。



 「つる、よろしくね♪」 千扇は微笑んだ。



 翌日

 「おはようございます、姐さん」 つるは朝早くから千扇の部屋に向かい、掃除などを献身的にこなす。



 当時の三原屋は規模も小さく、七人の妓女で経営をしていた。

 千扇が寝ている時には見世の掃除や、他の妓女の世話をしなくてはならない。



 「お待たせいたしました…… いたっ―」 

 「待たせるんじゃないよ! ったく―」 千扇は優しかったが、妓女数名は冷たく扱ってくる。



 「ぐすっ……」 つるは陰で泣いていた。


 吉原は幕府公認の妓楼ぎろうがい、一見は華やかであるが職場環境は最悪である。

 叩かれたり、蹴られたりと現代では虐待と言われるようなことが当たり前であった。



 また、これを『見て見ぬふり』が当たり前だったのだ。


 まだ勝手も解らず、言われたことも出来ない つるには過酷な毎日であった。


 夜、妓女たちは引手茶屋に向かう者や、直接客を受け入れるグレーな中見世は様々な方法で客を掴んでいく。


 まだ、三原屋の規模が小さいから許されていた。



 ある晩、宴席えんせきで つるはミスをする。 客に酌をすると、客の服に酒をこぼしてしまう。


 「お前、何してるんだー」 妓女は凄い剣幕けんまくで つるを怒鳴る。

 「すみません、姐さん……」 膝を付き、客と妓女に謝ったが後に妓女から強い折檻せっかんを受けていた。



 これには采も気にしていなかった。 ミスをしたのは つるであり、それを叱るのは昔からの習慣であったからだ。 



 ただ、やり過ぎると裏目に出る。

 つるの顔にアザが出来ている。 身体なら服で誤魔化せるが、顔はそうはいかない。 折檻がバレバレである。



 「これじゃ、見世に出せないな……奥で反省しときな!」 妓女は強く言い、仕事に戻っていく。

 宴席に出られないとは、客から貰える食事すらも与えてもらえない。 つまり、夕食が食べられないのである。



 基本的に妓楼からは朝食しか貰えない。 一汁一菜、少々の白米だけである。

 花魁など稼げる妓女は、自費で食事を頼むことが出来る。



 ただ、多くの妓女は借金がある。 この返済期間を年季ねんきと言うが、年季が明けるまでは地獄のような待遇で暮らすと言われている。



 『苦界くがい十年じゅうねん』 多くの妓女の年季が明けるまでが十年と言われているが、妓女はそれまで我慢をしなくてはならない。



 しかし、十年を待つ間に命を落とす妓女が多い。 吉原の妓女の平均寿命は二十三歳と言われている。 早くに命を落としてしまうのだ。



 妓女が命を落とす原因の多くが梅毒である。 梅毒を治す、または医者を呼ぶなどは妓女の自費である。 借金がある妓女は医者も呼べないのである。



 見世にも出られず、回復の見込みの無い妓女は実家に戻される。

 「見世で死なれても困る! 証文は返してやるから、死に水を取ってやりなさい」 などと恩着せがましく言う。


 また、身寄りの無い妓女は、死んだら白布で亡骸なきがらを包み浄閑寺に投げ捨ててくるのだ。



 そんな過酷な仕事をしているのである。



 そんな中、千扇だけは つるに優しかった。 つるにとって、千扇だけが心の拠り所だった。



 しかし、三原屋では千扇が一番の売れっ子妓女であり、つるを構う暇が無いくらいに忙しくなっていく。


 つるは、しかたなく他の妓女に付くが


 「お前、本当に使えないな!」 などと毎日のように怒鳴られていく。

 一か月を過ぎた頃には、痩せて虚ろな目をしていた。



 ある時、つるは叱られた後に妓楼を走って逃げだした。


 「もう嫌だ― なんで、こんなみじめな目に……」 泣きながら走っていくと、男性に止められる。



 「こら、出ちゃダメだろ」 走った先は吉原よしわら大門おおもんだった。

 吉原の出入り口は一つしかない。 大門である。



 その大門には四郎しろ兵衛べえ会所かいしょというのがある。


 そこには足抜あしぬけをしないか見張りをする者がいる。

 ※足抜けとは脱走である。

 男性は、吉原に自由に出入りできるが女性は出来ない。

 仮に、女性が来客として来る場合は、四郎兵衛会所で許可証を発行してもらうのである。



 勿論もちろん、吉原から出る時は厳しいチェックをされる。

 なりすましの防止をする為だ。



 つるは、大門で捕まった。

 「お前、どこの見世の娘だ?」 厳しく言われ、

 「あの……三原屋……」 つるが答えると、一人の会所の男性が三原屋に戻しに行った。



 「足抜です」 会所の男性は、つるを放り投げるように三原屋の前に置いた。


 つるは去っていく会所の男性を睨んだ。


 それを見ていた文衛門が、

 「お前、本気で花魁を目指さないか?」 つるに優しく声を掛ける。

 「おいらん?」 つるは目を丸くする。


 「そうだ。 花魁は吉原では菩薩ぼさつだ。 今までお前を売った親も、叩いてくる妓女も見返してやるんだ」


 つるは半信半疑であったが、文衛門に言葉を信じて頷いた。



 ここからが、吉原でのスタートとなったのであった。



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