誰に読まれたのか
「想定読者は自分自身とGoogleクローラー」で駄文を書き連ねているのだが。
ある日、昨年2024年2月に投稿したエッセイが、今年2025年5月になってページビューが増えているのを見つけた。よくよく見ると、2024年6月にさらに大きなページビューの山があった。短編が投稿後4ヶ月経ってから読まれるのも不思議だし、スマホから多く読まれているのも例外的である。
何が起きているんだよぉ。
感想もポイントも増えていない。ユニークユーザーが大半を占めていて、Google検索経由でやってきたとしか考えられない(じゃあ、想定読者じゃん)。でも、何を検索したんだ。
「牛乳を点滴されるとなぜ人は死ぬのか」(N5665IQ)、題材にしたのは、1990年と1994年の牛乳点滴事件である。実はこれらの事件、検索してもあまり情報が得られない。1990年の北海道の事件に至っては、新聞記事さえヒットしない(図書館などで縮刷版をあたるしかないが、和解の記事は北海道新聞の地方欄だったかもしれないから、縮刷版でも見つからない可能性がある)。「牛乳+点滴」で検索すると、拙作が6番目にヒットする。Google GeminiやApple Siriでは1990年の北海道の事件は出てこない。ネットで検索できないことは、ChatGPTなどの生成AIは知らないんだよね(専門誌の有料記事は検索対象外らしい)。
ということは、
どこかの看護大学などで「牛乳を点滴した医療事故の事例を調べなさい」みたいな課題が出て、拙作がヒットしたのだろうか。ピーク時はユニークユーザー数340人を記録しているけど。
ネットに頼らないで、図書館で文献読もうよ。
「牛乳を点滴されるとなぜ人は死ぬのか」(N5665IQ)の後書きではイントラリポス関連でリフューディング症候群のことを書いたが、当該作の構想段階では「看護大学の学生が卒論の題材として看護師が関係している医療事故の事例をまとめようとしていたが、自分の親が当事者(看護補助者A)であったことを知り、インタビューする……」という物語を考えていた。しかし情報が無さすぎるし悪趣味だし文才はないし、と取りやめた経緯があった。ツテを辿れば当事者まで辿り着けた(かもしれない)けど、そこに正義は無いじゃん。