06 幸せな時間
「潮!? なんでここにいるの? 仕事じゃないの!?」
ドアの前でニヤニヤしながらピースをしている潮に、僕は驚いて問いかけた。だって、どうしても外せない仕事だって言ってたじゃないか。だから引きこもりの僕だけど、潮のためだと思って頑張って学校に来たのに。僕は不満げに頬を膨らませた。
「渚が学校に来る前に、色々準備をしようと思って、仕事に行くふりをして学校に来てたんだ」
「え? どこにいたの?」
「変装して、結斗のスタッフに紛れ込んでたんだ」
「え? マジか!」
僕の隣では葛城くんも同じように驚いていたから、知らなかったの? って目で問いかけたら、うんとうなずいた。そっか、教室で二人の正体を明かすというサプライズは二人で考えたけど、僕とのことは葛城くんも知らないことだったんだ。
「はっ? なにそれっ! 僕を騙したんだね! 僕は必死で──」
僕はさすがに頭にきて、潮に文句のひとつでも言ってやろうと意気込んで声を張り上げたけど、続きの言葉を言う前に、潮が言葉を被せてきた。
「こうでもしないと、なぎは結斗に会おうとしなかっただろ?」
「だって! ……推しは遠くから見守るのが僕のスタイルで……。推しに直接会うなんて、そんな恐れ多いこと……! なのに、こんなに近くで話をしてるなんておかしいし……」
「ぷっ」
「な、なんで笑うの!?」
「かわいいなって思って。……潮、機会を作ってくれてサンキュ。告白できたよ」
「こ、告白!」
必死になって潮に説明しているそばで、葛城くんはクククッと小さく肩を揺らしている。僕が告白という言葉でさらにオロオロしている姿を見て、もう一度可愛いと言った。
僕は男なのにそんなにかわいいを連発されて、なんか複雑な気持ちになった。子供の頃は葛城くんのほうが可愛くて儚げで、僕が絶対守ってあげるって思っていたのに。今の葛城くんと僕の身長差は、十五センチくらいあるだろうか。僕はさっき抱きしめられた時、すっぽりと胸元におさまったのを思い出し、一気に顔が熱くなった。
そうだ。僕は推しに認識されていただけじゃなく、推しとめちゃくちゃ近くで会えて、推しと色々会話して、推しと……キスまでしてしまったんだ! しかも、僕は推しにプロポーズまでしていたことが判明した! 嘘だろ、きっとそれはなにかの間違いだ! 僕の推し活のマイルールが、今日一日でこんなに大きく変更されることになるなんて、誰が想像した?!
「渚くんからのプロポーズは、まだ有効だよね?」
「えっ……でもっ」
「俺のこと、どう思ってる?」
「か、葛城くんは、僕の大切な推しで……」
「うん、推しとしての思いは聞かせてもらったけど、俳優の葛城結斗じゃなくて、俺個人を見て?」
「えっ、あっ」
気付いたら壁際まで追い詰められていて、いわゆる壁ドンをされていた。どうしようとオロオロしながら潮に助けを求めようとしたけど、いつの間にか姿を消していて、特別教室は再び葛城くんと僕の二人だけになっていた。
「潮は気を利かせて部屋から出ていったみたいだな。……ほら、誰も見てないから、気持ち聞かせて?」
な、なんだろう。葛城くんは、こんなに押しが強かったっけ……?
壁ドンをされ、顎クイをされた僕は、強制的に葛城くんと視線を合わせることになった。恥ずかしくて何度も視線を外そうとするけれど、葛城くんがそれを許さない。僕の本当の心を打ち明けるまで、この獲物をとらえるような視線は僕を離すことはないだろう。
僕は葛城くんの熱い視線から逃れることはできないと覚悟を決めると、大きく深呼吸をした。その様子を見ていた葛城くんは、顎に添えていた手をそっと外すと、先ほどとは違った優しい微笑みを向けてくれた。
「僕は……葛城くんの言葉に励まされ、ずっと心の支えにしてきました。俳優としてどんどん知名度も上がって、どんどん出演作も増えて、それを応援することが僕の生きがいでした。……いじめられて引きこもりになった僕にとって、一筋の光でした」
葛城くんは、僕の独白を、急かすことなく優しい微笑みを浮かべたまま聞いてくれていた。
「だから僕にとっての推しは、遠くから応援するものでした。だけど……葛城くんの思いを聞いて、気付いたんです。僕はいつの間にか……推し以上の感情を持っていたんだって」
ドラマの彼女役に気づかぬうちに嫉妬したり、週刊誌やネット記事にスクープされたのを見て胸がチクリと傷んだり。それは全部葛城くんへの特別な思いがあったからなんだって、やっとわかった。
そこで僕はもう一度、深呼吸をした。ちゃんと、思いを伝えないと。
「……葛城結斗くん。……僕は、あなたのことが好きです。……愛しています!」
僕はそう言い終えると、葛城くんの胸に飛び込んだ。とくんとくんと早い鼓動が伝わってくる。
葛城くんも、こんなにも僕にドキドキしてくれているんだと思うと嬉しかった。
「嬉しい。渚くんの気持ちが聞けて、俺は幸せだ」
嬉しそうな声に顔を上げると、本当に幸せそうに微笑む葛城くんの笑顔があった。僕も嬉しくて幸せで、顔がゆるむのを抑えきれなくなる。……ううん、抑える必要なんてないんだよね。二人で気持ちを伝え合い、両思いになったんだ。
「渚くんからプロポーズされた時、嬉しくて舞い上がって、俺の気持ちを伝え忘れたって、家に帰ってから気付いたんだ。だからまた明日伝えようって思ったのに、結局そのまま会えなくなってしまった。……だから、気持ちを伝え合える日を、ずっと夢見ていたんだ」
胸にすっぽりと収まったままの僕の頭を、葛城くんはゆっくりと撫でてくれた。
……あ! 嬉しくてつい胸に飛び込んじゃったけど、すごく大胆なことしてない!? あわわってなって、僕は慌てて葛城くんから離れようとした。けど、ぎゅっと抱きしめられたままで、僕は離れることができなかった。
「もう少し、こうしててもいいかな」
「……う、うん」
ちょっと恥ずかしかったけど、僕も同じ気持ちだから、もう少しだけ葛城くんの胸の中で幸せな時間を過ごすことにした。
「俺たち、今日から恋人だね」
「こ、恋人……!」
「違うの?」
「ち、違くないけど……信じられなくて……」
「ははっ、なにそれ? 可愛いな」
「推しは、遠くから応援するのが、僕のスタイルだから……」
「もう、恋人だよ? ……あ、俺のこと結斗って呼んで?」
しどろもどろに答える僕に、葛城くんはグイグイと距離を縮めてくる。さっきまで推しがこんなに目の前に! ってあわあわしちゃってたのに、恋人になって、そしたら今度は名前を呼び捨てしてって!? いやいや待って待って! 推しを呼び捨てとか、ありえないでしょ!
「ええっ!? む、無理! 推しを呼び捨てだなんてそんな恐れ多い!」
「推しじゃなくて、恋人! 俺も渚って呼ぶから」
葛城くんはそう言って、抱きしめている僕の体を離すと、ニッコリと微笑んだ。
「ふぁ、ふぁいっ」
僕は変な声を出してしまったけど、葛城くん……じゃなくて、結斗くんは満足そうにウンウンとうなずいた。