03 いよいよ学校へ
潮と二人で前向きな話をしたあの日。引きこもりの僕だけど、身代わりで学校に行くのも良いかも……なんてちょっと思っちゃったけど、いやそんなことは全然なかった。あのときの自分に言ってやりたい。いくら双子の片割れのお願いだからって、簡単に聞くもんじゃないって。
僕は潮が普段している陰キャ風の変装をして、潮の手配した車で学校までやってきた。裏門まで迎えに来てくれた事務員に案内され付いていくと、学生が学んでいる校舎があるエリアではなく、道路を挟んで向かい側にある建物だった。これなら学生に見つかる可能性は限りなく低いだろう。そのことを確認した僕は、家を出てから初めて、肩の力が抜けた気がした。
初めに指定されたのは、今日一日の流れについての動画を見るというものだった。潮の話だと、卒業前に唯一クラスメイト全員が集まることのできるのは今日のみで、一日で色々と準備をするらしい。そもそも、何のために集まるのかハッキリとした内容は教えられていなかったし、理由のわからないまま、再生された動画を見ていた。
これは一般生徒に向けてのものだろうか『まずは教室に全員集まって~』というナレーションが聞こえる。僕の場合はどうしたら良いんだろう? って考えていたら、事務員さんが教室に入ってきた。
「麻倉潮くん。本日の予定なのですが急遽変更になりまして、君も教室へ行ってもらうことになりました」
「……え? 教室に?」
「はい」
「そ……そうですか」
予定外の言葉に、僕の頭の中はパニックになっていたけど、ここで拒否するのは明らかに不自然だ。かといって、心の準備は全くできていない。人と会うつもりなんてまったくなかったのに、急にクラスメイトのもとへ行けなんて、神様は僕に試練をお与えになるのか。
僕は心の中で半べそをかきながら小さくうなずくと、言われるままに事務員さんのあとについて行った。
外に出ると、道路を挟んだ向こう側に建物が見えた。すぐ隣の敷地だから、教室にたどり着くにもそう時間はかからないだろう。大した心の準備をする間もなく、僕は魔物の巣窟に飛び込まなければならない。大げさだと笑えば良い。引きこもりの僕にとっては、それだけ大きな覚悟が必要なんだ。
事務員さんは僕を教室の入口まで案内すると、そのまま戻っていってしまった。自分の仕事があるから当然だろう。ひとりきりになって心細くなったけど、潮の代わりに学校へ来たんだ。このまま帰るわけにいかないので、僕は後方のドアに近づき、そっと教室内の様子をうかがうことにした。
恐る恐るわずかに開いた隙間から顔をのぞかせると、そのタイミングで教室内に『わーっ』とどよめきが起きた。あ! 見つかった!? 僕はとっさに壁際に身を隠したけど、教室から出てくる人はいない。あれ? 僕が見つかったからじゃないの?
ドキドキしながら再び教室の中を覗くと、窓際に人だかりができていた。
「うっそー! 結斗くんなの?」
「え? 本物の葛城くん?」
「びっくりしたー! 全然気付かなかったよ!」
「おいおいおい、俺らの教室に、葛城結斗がいるってどういうことだよ?」
教室の中では、僕の推しの葛城くんの名前を呼ぶ声があちこちから飛び交っていて、わけがわからず入り口で立ち尽くしてしまった。誰に向かって言っているの? 何があったの? クラスメイトに聞く勇気もなくおろおろしていると、人混みの中から葛城くんが現れ、教壇の前に立った。え? なんでこんなところに僕の推しの葛城結斗くんがいるの!?
「騙すみたいになっちゃってごめんね。先生方に協力していただきながら、学業と仕事の両立をしていたんだ。もうすぐ卒業だから、みんなに伝えておきたくて」
「えーっ、そうだったんだー? 顔隠してる陰キャくんが、まさか結斗だったなんてびっくりだよー!」
「あまり学校にも来られなかったしね。ドッキリ成功かな?」
「大成功!」
葛城くんとクラスメイトがワイワイと楽しげに話をしているけど、僕には全く何が起きているのかは分からなかった。でも、少ない情報の中で導き出された答えは、この学校には正体を隠して在学していた人が二人いたらしいということ。僕の弟の潮と、僕の推しの葛城くん。……え? どういうこと?
「……もうひとつ、サプライズがあるんだ」
「え? まだあるの?」
「うん、もうひとつのサプライズはね……」
葛城くんはそう言いながら、後方のドアで固まっている僕を見た。え!? な、なんで葛城くんがこっちを見るの?
「ちょうどよかった。麻倉潮くん、こっちに来て?」
「え? 麻倉潮くんって、病気がちであまり学校に来られないっていう、麻倉くん?」
先生からは、潮は持病のためたまにしか学校に来れず、基本はオンラインで授業を受けていると説明されているらしい。だからこの学校で『変装をした潮』の姿さえも、見たことがある人はほぼいないのだろう。
クラスメイトはびっくりした顔で、僕の方を見た。それをきっかけに、クラスメイト全員が僕を見たから、僕はプチパニックになってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!」
急に注目を浴びたことでとにかくその場を離れたくなった僕は、何に対して謝っているのかわからないけど「ごめんなさい」を何度か繰り返すと、逃げるようにその場を離れた。そのままの勢いで校舎を出て、道路を挟んだ向こうの建物の特別教室に逃げ込んだ。幸いなことに、まだ鍵は開けたままになっていた。
「び、びっくりした……。ど、どうしよう。大丈夫かな、変に思われなかったかな」
部屋のソファーに腰を下ろすと、まだ鳴り止まない鼓動を落ち着けるように、何度も大きく深呼吸をした。そして、これからどうしようかと、まだ落ち着かない思考の中で必死に考えていた。
コンコン
どうしようかと考えるのが精一杯で、周りのことは全く意識していなかったから、突然耳に入ってきたノックの音に、ビクッと体を震わせた。……さっきの事務員さんだろうか。ドキドキしながら「はい……」と小さく返事をした。
「葛城結斗だけど」
「か、葛城くん!?」
「開けてもらって良い?」
想定外の人の声に、どうして良いのか分からずオロオロとしてしまうけど、ここで拒んだら変に思われるだろう。今の僕は「麻倉潮」なんだ。もっと堂々としてなければいけない。よしっと気合を入れると、ゆっくりとドアを開け、何事もなかったようにニッコリと微笑んだ。
「どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフだよ。何、急に逃げて。クラスメイトのみんな心配してたぞ」
「あ、ああ。ごめん。久しぶりの教室だったから、緊張しちゃってさ。……それより、正体バラしちゃってよかったのか?」
葛城くんと話すことになるなんて思わなかったから、普段潮がなんて呼んでいるのか聞いてなかった。ドキドキしながら、僕はなるべく名前を呼ばないように話を進めた。僕が潮じゃないってバレたら大変だ。
「何言ってんだよ。二人でサプライズしようって決めたじゃないか」
「……え? サプライズ?」
ここで聞き返して知らないことがバレるのはダメなのに、びっくりして思わず聞き返してしまった。脳内で色々と考えてみたけど、やっぱり葛城くんの言葉の意味がわからず、ポカーンと口を開けたまま葛城くんを見つめていた。