22 一歩を踏み出す勇気
「うーん、今日もいい天気だねー!」
僕は、雲ひとつない空に向かって、大きく伸びをした。日本にいた頃は、便利なのはいいけど、とにかくごちゃごちゃしていた。沢山の人で溢れかえり、街の灯りも一晩中強く放たれ、眠らない街だった。ここノヴァリアは全くと言っていいほど正反対だ。自然に囲まれた小さな国で、人々が自由気ままに暮らしている。都会で見えなかった夜の星も、ここでは無限に広がる星空を堪能することができる。
「渚! 今日は久しぶりのオフだから、街に買い物に出よう!」
「いいね! 僕買いたい物があるんだ!」
「そのまま夕飯も食べに行こうか。星空を眺めながら食事ができるレストランがあるんだ」
「うわー、すごい!」
日本で最後に掲示板に書き込みをしたあと、また大騒ぎになったらしい。けど、僕たちは次の日から山にこもってしまったから、テレビもスマホもしまい込んでいた。都会では見えなかった日本の星空を楽しんでから、ノヴァリアに旅立つことにした。世間はゴールデンウィークだから空港も混雑しているだろうし、人混みを避けるためというのもあった。
だからノヴァリアに来て真っ先に、エリオさんに星空がよく見える場所を聞いたんだ。そしたら、どこからでもきれいに見えるさって言われて、結斗くんと二人で笑いあった。
日本では騒ぎになっていたみたいだけど、ここまで追ってくるマスコミはいなかった。実際には来なくても、ネット記事では好き勝手書かれてるんだろうなと思うと、モヤッとするけど仕方がないのかな。潮が特に言ってこないというのはその程度なのだろう。潮は日本での報道など教えてくれるけど、一時的に面白がっているだけだろうって。
あれから三年がたち、すっかりノヴァリアの生活にも馴染んでいた。結斗くんは楽しく舞台の稽古に励んでいるし、僕はゲームプレイ動画の配信と攻略サイトの運営を続け、それに加え培った技術を活かし、結斗くんの所属劇団のファンクラブ運営のサポートをしている。ゲーム攻略サイトは少しずつ規模も大きくなり、一人で運営をするには大変になってきたので、大学時代の数少ない友人に協力を仰いだ。その友人にも今は結斗くんのことは隠しているけど、いずれ伝えられたらいいなって思ってる。
海外移住なんて大胆なことをした僕は、はじめは早まったかと思いおろおろしていた。でも、エリオさんと蒼汰さんをはじめ、現地の人達がみな優しく協力してくれたおかげで、何不自由無く過ごすことができている。何より結斗くんの存在は大きくて、僕が不安になるといち早く察知し、声をかけてくれる。僕も前よりだいぶ素直に甘えることを覚えたので、正直な気持ちを伝えられるようになった。
引きこもって人との接触を怖がっていた僕が、海外でこんな生活をしているなんて誰が想像しただろうか。朝起きたらカーテンを締め切った暗い部屋で、パソコン画面とにらめっこしているのが現実で、ノヴァリアでの生活のほうが夢だったんじゃないかって思う時がある。でも夢なんかじゃない、現実なんだ。
「渚、そろそろ出かけようか」
「あ! ごめん、今から支度するから待ってて!」
色々と思い返し感慨にふけっていたら、結斗くんに呼ばれた。もうそんな時間か。僕は結斗くんをなるべく待たせないように、慌てて支度をした。
二人で街へ繰り出すと、たくさんの人で賑わっていた。観光客が多いのだろうか、普段より人が多いように感じる。その中に、日本人らしき人が目に留まり、そう言えば日本ではゴールデンウィークだったなと思い出す。
日本では、人目を気にして思うように結斗くんと会うことはできなかったけど、ここでは堂々と会うことができるし、イチャイチャしていたって問題ない。ここノヴァリアは同性婚も可能というだけあって、街中では男女と同じように、同性同士のカップルの仲睦まじい様子もよく見かける。皆幸せそうだ。
僕も、結斗くんの腕に自分の腕を絡ませた。
「ん? どうした?」
「結斗くんと、腕を組みたいって思っただけ!」
「渚が甘えてくれるの、嬉しいよ」
結斗くんは満面の笑みで僕を見つめた。僕も結斗くんを見つめ微笑む。本当にこんなに幸せでよいのだろうか。
「ねぇ、あれ、葛城結斗じゃない?」
「……えっ。隣りにいるのって、高代光? うそ、マジ?」
「腕、組んでない?」
「ほんとだ……」
幸せに浸っていると、人混みの中から日本語が聞こえてきた。結斗くんのことを認識している様子だし、潮の名前も聞こえたから、きっと勘違いしている。どうしよう……僕の脳裏に過去のスクープが蘇り、急に不安が押し寄せてきた。血の気が引くように体が寒くなり、全身が小刻みに震え始めた。
「渚?」
「だ、大丈夫。なんでも、ない……」
「なんでもないことないだろ? 顔色が悪いし、震えてるじゃないか。ちょっと休もう」
僕は頭が真っ白になって、ひたすら「大丈夫」を呪文のようにぶつぶつと繰り返す。結斗くんは明らかな異変に気付き、急いで近くのホテルへ連れて行ってくれた。群衆の中から「ホテルに……?」という驚きの声が聞こえた気がした。
「大丈夫か? 少し落ち着いた?」
「う、うん……大丈夫。ごめんね、せっかくのお出かけなのに……」
しばらくのあいだ結斗くんは僕を抱きしめ、背中をひたすら擦ってくれた。息苦しささえ感じていた僕も、少しずつ呼吸も安定し、やっと落ち着きを取り戻してきた。
「何があった?」
「観光客かな、日本語が聞こえてきたんだ。結斗くんと潮の名前が聞こえてきたから、僕が腕を組んでいるの見られたんだ。……どうしよう! また騒ぎになっちゃう! 僕のせいで!」
あのときの声を思い出した僕は、また不安が押し寄せてくる。結斗くんに迷惑をかけたらどうしよう。そんな思いが頭の中をぐるぐると巡っていく。
「大丈夫、落ち着いて。ここは日本じゃないし、事務所も辞めたんだ。今は小規模劇団の一員なんだ」
「でも! 週刊誌に書かれて結斗くんの仕事に影響が出たら!」
「むしろ、宣伝ありがとうって思うよ。ノヴァリアで細々と活動してきたけど、そろそろドカンと大きなことをやってみたかったんだよね。日本での仕事も受けてもいいなって思ってた頃だし。話題にしてくれたほうが好都合だ」
結斗くんは、そう言って笑った。どうしてもマイナスに考えてしまう僕と違って、結斗くんはいつでも前向きだ。僕の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
「それに、ノヴァリアに来てもう三年。こちらでの生活も安定してきたし、そろそろいいかなと思っていたんだ」
「そろそろって?」
「僕たちのことを、公表してもいいかなって」
「え……っ」
僕は言葉を失ってしまった。結斗くんのことだから、今の思いつきで言ったわけじゃないと信じてる。けど、僕はどうしたらいいんだろう……。
「渚は、こうやって海外に来て、みんなとうまくやっている。日本の友達とも協力してサイト運営もしている。だから、俺はもう一歩踏み出してもいいと思っているんだ」
「もう一歩、踏み出す……」
結斗くんの言葉を繰り返して口に出してみた。引きこもりで家からほとんど出なかった僕が、こうやって日本を出て新しい土地でうまくやっていけてるんだ。もう昔の弱い僕じゃない。ひと皮もふた皮も向けた、成長した僕なんだ。「大丈夫」かつて結斗くんがかけてくれた、魔法の言葉を何度も繰り返す。……うん、大丈夫だ。きっと、大丈夫。
「僕、もう一歩踏み出してみるよ」
僕の決意の言葉を聞き、結斗くんは大きくうなずいた。




