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13 旅行の約束

(うしお)の事務所は、もちろん渚の存在を知っているから、うちの事務所に隠しておくわけにもいかないと思うし。……(なぎさ)の過去についても触れなくてはいけなくて……。ごめんな』

「ううん……。大丈夫。前だったらパニックになってたかもしれないけど、今は結斗(ゆうと)くんもそばにいて支えてくれるし、潮もいるし……」

『渚の存在を説明したうえで、事務所にはうまく対応してもらうから。だから、もう少し待ってて』

「うん……」


 正直言うと、まだ怖い。トラウマが完全に消えたわけじゃないから、引きこもりの僕の存在が他の人に知られていくなんて、考えただけで震えが出てくる。けど大丈夫大丈夫と心の中で唱える。僕には、こんなに素敵な恋人がいるんだ。


『もうしばらく、制限があって思うようにいかないけど、決まったら連絡する』

「うん。僕は大丈夫だから、結斗くんも頑張って」

『良い知らせができるように、頑張るよ!』

「待ってるね。毎日メッセージ送るから」

『もう、電源は切らないから大丈夫。俺も送るから』


 前を向いて頑張ろうと思っても、まだ心の何処かでトラウマが邪魔をする。けど、結斗くんの声を聞いてるだけで体の震えも治まって、心が軽くなって行くのを感じた。中学生の時、画面越しに励まされた結斗くんの声は、今でも僕の特効薬なんだ。この世で一番大好きな人の声。

 僕はゆっくりと深呼吸をして、その優しい声を耳に捉えると、しばらくの間幸せな時間を過ごした。まだしばらくは落ち着かないだろうけど、大丈夫、そう思いながら通話を終了した。



 結斗くんと僕の写真を撮られてから、一ヶ月ほどが過ぎた。どうなってしまうんだろうという不安に怯えていたけど、今の僕のまわりは驚くほど静かだ。あれだけ騒いでいた人たちも、今はもう別の話題に夢中になっている。

 結斗くんの事務所と潮の事務所で、あの報道に対しての対応をしたみたいだ。前回の偽装された熱愛報道は事を荒立てていなかったけど、熱も冷めやらぬうちに今回の強引なこじつけによる報道。事務所もさすがに毅然とした態度で臨んだらしい。


『出版社からの謝罪と、訂正記事を出すことになったみたいだよ』

「そうなんだね。でもまた騒がれたりしないのかな」

『読者は、訂正記事なんて見ても面白くないと思うよ。あの不倫報道のほうが食いつきが良いみたいだし』


 結斗くんはスマホ越しに、人間の興味なんてそんなもんだよねって言って笑った。

 まだドラマの撮影が続いているので、結斗くんとはこうやって毎日通話することしかできない。でも欠かさず連絡をくれるから、僕の心は十分満たされていた。……まぁ、実際会って手を繋いだり、抱きしめてほしいって思うけど。僕は結斗くんに抱きしめられる自分を想像して、ぽっと顔が熱くなるのを感じた。


『撮影も明日で終わるから、もうすぐ会えると思うよ』

「え? 本当?」

『うん。最終回に向けて、番宣とかあるからもう少し忙しいけど、やっと仕事も一段落着くよ』

「ずっと忙しかったもんね。お疲れ様」

『渚で癒やされたいなぁ』

「ぼ……僕も、結斗くんに癒やされたい……」


 推しが恋人になるなんて無理って思ってたし、実際恋人になってからもしばらくは会話もぎこちなかったけど、今じゃだいぶ素直な気持ちを伝えられるようになってきた。それもみんな、結斗くんがまっすぐに偽りのない愛で僕を包んでくれるから。


『本当はサプライズで連れて行きたかったんだけど……』

「サプライズ?」

『前に、ノヴァリアに行ってみたいって話してたよね。撮影終わったら、二人でノヴァリアに旅行しようよ』

「えっ……?」


 結斗くんの提案をすぐに理解できずに、頭の中でゆっくりと噛み砕いていく。忙しくて会うのもままならない結斗くんと旅行? しかも海外でノヴァリア? こうやって通話で話せるだけでも十分幸せなのに、二人きりで海外旅行? ちょっと情報量が多すぎるでしょ。


 ノヴァリアとは、以前結斗くんがゲスト出演していた番組で紹介された国のこと。『LGBTQ+』への取り組みがとても進んでいて、その様子が放送された。結斗くんと一緒にその番組を見ていて、僕はこんな国があるんだと衝撃を受けたんだ。その時に、二人でいつか行ってみたいねって話をしたんだけど、まさかこんなに早く実現するなんて思っていなくて……。


「でも結斗くん、撮影終わってからもお仕事あるでしょう?」

『今回のドラマが決まった時に、事務所に相談してたんだ。しばらくまとまった休みもなかったから、ドラマが終わったら一ヶ月の休暇がほしいって』

「人気絶頂の結斗くんなのに、よく事務所はOKしたね?」

伊藤(いとう)さんも色々と助言してくれたんだ。そのために、仕事も調整してきたしね。……渚は、嬉しくないの?』

「えっ? そ、そんなことないよ、うれしいよ! でも、まだ先のことだと思ってたから……なんかびっくりしちゃって」


 結斗くんがちょっと拗ねたような声で言うから、僕は慌てて首を横に振った。スマホの向こうの結斗くんに見えるわけじゃないのに。なのに結斗くんは、『そんなに大きく首を振ったら首取れちゃうよ?』って笑って言った。まるで見ているみたいじゃないか。僕は恥ずかしくなってしまったけど、心はぽっと温かい気持ちになった。


『ドラマの番宣とか、放送終了後にもお礼企画とか予定されているから、九月の中旬くらいには行けると思うんだけど……。渚は大学の夏休み期間だよね?』

「うん。通信制だからどうにでもなるけど、僕の履修の授業は十月の半ばで、それまでは自主学習になるかな」

『じゃあ、ちょうど良いね。飛行機や宿泊先の手配は、伊藤さんにお願いするけど良い? 本当は二人でゆっくり探したいんだけど、今回は時間がなくて』

「うん、お願いしたいな」

『了解。……渚と旅行かー。楽しみだな』

「……うん。僕も楽しみだよ」


 僕は、極度の人見知りとあがり性をきっかけに、いじめを受けたトラウマがある。そのトラウマのせいで人に接するのが怖くなり、常になにか陰口を叩かれているんじゃないかという恐怖があった。結斗くんと恋人になったことだって、同性愛なんて気持ち悪い、おかしいって後ろ指をさされている気がして怖かった。そんな閉鎖的な考えを持つ国で育った僕には、『LGBTQ+』に対する考えが違いすぎることが衝撃だったし、ノヴァリアという国に強く惹かれた。


 本音を言うと、まだ遠くへ出かけるのは怖い。それなのに、飛行機に乗って海外へ行くなんて、ハードルが高すぎると思う。でも、今は結斗くんがそばにいてくれて、握った手は絶対離さないと信じている。トラウマなんかに負けない、僕は少しずつ一歩ずつ前に進むんだ。……結斗くんの隣を歩いても、恥ずかしくない自分になるために。


『また連絡するよ。準備するものもあるからね』

「うん」

『撮影が終わったら、一緒に買物をしようか。まとめて揃えられるから、ネット通販が良いかな』

「うん」

『じゃあ、名残惜しいけど、そろそろ切ろうか』

「結斗くん」

『ん?』

「ありがと。……大好き」


 僕を好きでいてくれて、大切にしてくれて、新しい世界をたくさん見せてくれる結斗くんには、感謝しかない。日頃の感謝や大好きっていう愛おしい気持ちを込めて、僕はスマホの待ち受け画面の結斗くんにチュッとキスをした。こんな大胆なことしちゃって、なんか恥ずかしくなって、「おやすみ!」と言って急いで通話を終わらせた。

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