11 あの日の余波
「渚、こっち見て?」
「?」
つい自分の世界に入り込んでしまっていた僕に、結斗くんが声をかけた。はっとして顔を上げると、テーブルの上に置いた僕の手を、包み込むように握りしめた。
「俺がこんな仕事をしているから、堂々とデートもできなくてごめんな」
「えっ? あ、だ、大丈夫」
「渚は寂しくないの?」
結斗くんは、僕の目をしっかりと見つめて言った。熱い視線が僕を射抜く。僕の心臓がどくんと跳ね、恥ずかしくなって思わず目を逸らした。
「結斗くんが……。テレビ越しに、励ましてくれたから、今の僕がいるんだ……。だから……寂しくても、大丈夫……」
「俺は、寂しいよ。本当は俺の可愛い恋人の渚だって自慢して歩きたい」
結斗くんの指が、僕の手の甲をゆっくりと撫でる。夜の雰囲気に飲み込まれているのだろうか。結斗くんの意味ありげな指の動きに、胸のドキドキが大きくなっていく。
結斗くんだけじゃない。僕だって、堂々と手をつないで歩きたい。こんなに素敵な人が僕の恋人なんだって、声を大にして言いたい。
でも今はそれは叶わないこと。それならせめて、僕の結斗くんへの気持ちを、もっと伝えたいって思った。
僕は勇気を出して、握られた手をきゅっと握り返した。そして、まっすぐ結斗くんを見た。
「……僕も、寂しい。もっと、いっぱい会いたい。……でも、結斗くんがこの仕事をしていたおかげで、僕は結斗くんに出会えたんだ。……だから寂しいけど、結斗くんを応援し続けるよ」
「ありがとう。……もちろん、恋人としてだよね?」
「うん。推しだけど……大切な恋人、だから……」
顔がどんどん熱くなるのを感じる。きっと僕の顔は真っ赤だろう。
「ありがとう渚。……愛してるよ」
「……僕も、アイシテイマス……」
「ふふ、カタコトになるのも、可愛い」
思わずカタコトになってしまったけど、そんな僕さえも可愛いと言ってくれる結斗くん。やっぱり恥ずかしいよ。
「名残惜しいけど、もう帰ろうか。……戸締まりもしなくてはいけないだろうしね」
結斗くんはそう言って立ち上がろうとした時、ふと動きを止めた。
「どうしたの?」
「なんでもないよ、ごめんね。さぁ行こうか」
どうしたんだろう? って思ったけど、僕はそのまま立ち上がり、結斗くんの後ろをついて屋上から建物内に戻った。撮影が終わったから一緒に帰りたかったけど、念のために別々で帰ることにした。少しの時間だけど、一緒に過ごすことができてよかった。
幸せの余韻に浸っていると、階段の途中で結斗くんは急に振り返り、素早く僕にキスをした。
「っ!」
びっくりして階段から落ちそうになった僕の腰を支え、結斗くんはごめんごめんと楽しそうに笑った。
◇
短い時間だったけど、久し振りのふたりきりの時間を過ごした日から、一週間が過ぎていた。
結斗くんの熱愛報道否定後も、憶測記事がネットを賑わせていたけど、やっとそれも下火になってきた。有名スポーツ選手の、違法賭博の話題で持ちきりだったからだ。
夕飯のときに付けていたテレビ番組でも、特集を組んでコメンテーターが何やら言ってたけど、正直良くわからない。お母さんと「違法賭博って言っても良くわかんないよね」そう話しながら、食事をしていた。
人の興味なんて、あっさり移り変わるんだなぁ……と思いながら、あまりテレビに興味のない僕は、夕飯後すぐ自分の部屋に引きこもった。
大学の課題を先に済ませ、お風呂とか明日の支度も全部終わらせてから、パソコンの前に座った。あと少しで日付も変わろうという時間で、軽くネットで情報収集してから、動画の編集作業を開始する。いつもこれくらいの時間からで、ゲーム動画の収録や編集作業は朝方まで続く。
いつものルーティンで、Titterを立ち上げた。まずは推し活。本人から情報を得られるけど、それとはまた違う。ファン同士で交流したり、新しい情報をファンクラブやネットで知ったりするあのドキドキ感。僕の生きがいなんだ。
そんな僕の目に留まった、トレンドのハッシュタグは、『#葛城結斗』僕の最推しの名前だった。
人気俳優だから、今までも幾度となくトレンドには上がっている。その時は何の疑いもなく、良い知らせだと思って期待をしながら情報を見たけど。……今日は、あの熱愛報道を思い出し、一瞬不安がよぎる。
「もうあの問題は解決したんだし。大丈夫!」
心を落ち着けようと、誰に言うでもなく声に出してつぶやきながら、ハッシュタグをクリックした。
「えっ……」
画面に映し出された記事のタイトルと写真に、僕は言葉を失った。なぜ? どうして? そんな言葉しか思い浮かばない。
「なんで、この写真が……」
『人気俳優、葛城結斗の恋人は、あの人気アイドルT!?』という見出しとともに、屋上で会ったときの写真が掲載されていた。その下には、『ふたりは親友ではなく、恋人だった!』と書かれ、僕の顔にはモザイクがかけられていた。けど、親友、人気アイドルT……とまで書かれていたら、みんな高代光だと想像するだろう。
「どうしよう……」
マウスを持つ手が震える。冷静に考えようとしても、頭がうまく動かない。
なんであの時の写真が? 手を握ってるだけの写真だから、きっとごまかせるはず。でも、もしかしたら僕たちのことを知っている人がいて……?
いろいろな可能性を考えるけど、動揺して考えがまとまらない。
僕は震える手をもう片方の手で抑え、落ち着くようにと必死に擦る。でもだめだ、震えが止まらない。体中が震えているような気もするし、頭もぼーっとしてきた。
どうしよう、どうしよう……。
まずはどうにかして落ち着こうと、一階へ降りていき台所へ向かった。震える手で蛇口をひねり、コップに水を汲んで口に運ぼうとした瞬間、手からするりとコップが滑り落ちた。流しに置いたままだったコップの上に落ち、ガシャンと音を立て破片が飛んだ。その音に、ボーっとしていた僕ははっと我に返った。皆寝静まっているような時間に、コップの割れる音はやけに大きく感じた。
「なぎ、どうした!?」
コップの割れる音はもう聞こえないはずなのに、耳鳴りのようにずっと頭の中で響き渡る。自分の思考さえも飲み込まれそうになった時、潮の僕を呼ぶ声がした。コップの割れる音に気付いて、急いで来てくれたのだろうか。
「ご……ごめっ……、ごめんね……。ぼく…っ」
潮の顔を見たら、ずっと堰き止めていた何かが決壊するように、感情の渦と涙が溢れ出してきた。次から次へと出てくる涙も、嗚咽も止まらない。
「えっ? どうした?」
潮はまだあのことを知らないのだろう。だからなぜ僕がこんな状態になってしまっているのか、検討もつかないといったふうにあたふたしているようだった。でも僕の視界は涙で遮られ、周りの状況を判断できるような状態ではなかった。
「話を聞くから、とにかく部屋に行こう。ここの片付けは、後で俺がやっておくから」
潮は台所の状態を確認したのかそう言うと、フラフラしている僕を支える。
「指、怪我してない?」
「ゆ、び?」
「コップ割れちゃったから」
「だいじょ……ぶ」
頭もボーッとして体もフラフラしていて、もう何がなんだかわからない。潮が声をかけながら、僕を部屋まで連れて行ってくれたことは、薄っすらと記憶にあるけれど、その後の記憶はぷつりと途切れていた。