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夜のデートは楽しかったですか?



「……ありがとうございました」


僕は6年ぶりの演奏を終えて弓を降ろすと、ボウ・アンド・スクレープ――いわゆる西洋式のお辞儀をして、たった一人の観客に向けて謝辞を述べる。


「……………………」

「えっと……沙夜ちゃん?」

「……あっ、えっ……?」


沙夜ちゃんは僕の呼びかけに、まるで夢から覚めたかのようにハッとして、目をぱちくりとさせる。


「もしかして、寝てたとか?」

「……なっ!? そんな訳ないでしょ!」

「冗談だからそんな耳元で叫ばないでよ……」

「……まったく」


ぷくれる沙夜ちゃんを横目に僕はイル・カノーネの弦を半音だけ緩めると、そのままケースへと仕舞った。


「あれ? もしかして1曲だけ?」

「今日はこれで十分でしょ」

「今日は、ってことはまた弾いてくれるってことよね?」

「さあ……気分次第ってとこかな」

「ほっっんと可愛げがないわね。昔は遙香よりも天真爛漫だったあの頃の千明くんを返してくれないかしら」

「残念、もうダンボールに詰めてイギリスに送っちゃった」

「じゃあ今度は私が代わりに取りに行ってあげるわよ」

「それ、僕に見返りなくない?」

「ふふっ、それもそうね」


結局、彼女は何も感想を言わなかった。

僕もあえて訊くこともない。

いつものように冗談を言い合う。

湿っぽい感じは、きっと僕らには似つかわしくない。

沙夜ちゃんも、そんな心境なんだろうか。


そんなことを考えていると、僕らの間をひときわ強い風が吹き抜けていった。


「……っ」


羽をなくした鶏のごとくせしめる冷たい風に、沙夜ちゃんは首をすぼめる。


それが、閉幕の合図だった。


「もう帰ろっか」

「そうね。千明くんに風邪でも引かれたら、私が遙香に首絞められそうだし」

「遙香はそんなこと……しないと思うよ、うん」

「……今、満面の笑みで私にチョーク掛ける遙香の姿が浮かんだって感じね」

「ノーコメントで」


こうして僕らはかつての母校を後にした。





帰り道、遙香の武勇伝を題材とした昔話で盛り上がった。


女子のスカート捲りで有名な近所の悪ガキが、無謀にも遙香に挑もうとして躱された挙げ句に投げ飛ばされ、そのまま失神。

頭の打ち所が悪かったのか、後日その悪ガキは遙香に惚れてしまい、ラブレターを届けてほしいと僕に頭を下げに来たことがあった。


「――で、最終的に千明くんが彼に恨まれるオチになったって話ね」

「うん。あの時の彼の心境は、未だに理解できないよ」

「私は理解できるけど」


沙夜ちゃんはあっさりと言った。


「だったらあの時教えてよ。僕なりに頑張ってフォローしたつもりだったのに、いきなり決闘申し込まれて大変だったんだから」

「うーん、別に教えてもよかったんだけど、千明くんだからこそ解決できない問題だったからね」

「僕だからこそ? もうちょっと具体的に」

「そうねぇ……」


長い黒髪を手で梳いたり、くるくると巻きながらして考え込む沙夜ちゃん。


付き合いが長いだけあって、彼女がこういう仕草をする時は、だいたい僕限定で嘘をついたり、緊張してる場合が多いってことを知ってる。


便利だし、指摘して直されても困るから本人には絶対言わないけど。


「……たとえば……たとえばの話だけど、も、もし私が他の男と恋人に見えるくらい仲良くしてたら、千明くんはどう思う……?」

「なんでそんな緊張してんのさ」

「い、いいから答えなさいよ……」

「うーん……」


僕は返答に窮してしまう。

そのたとえ話を元に色々と思考を働かせてみるも、まったくその想像(シーン)が頭に浮かばなかったからだ。


別に沙夜ちゃんを軽く見ている訳じゃない。

彼女は昔から男女問わず人気者だったし、容姿だってあの彩音ちゃんに全く引けをとらないくらいの美人だ。実際僕も何通かラブレターの中継役を頼まれたこともある。


けれど、僕の知る限り、沙夜ちゃんが誰か特定の男子と二人で遊んだり、一緒に帰ったという話は聞いたことがないし、そういう意味では僕の思考に靄がかかるのは仕方ないのかもしれない。


「ごめん、僕の中では想像できないから答えようがないや」

「そ、そう……」


僕の回答に、何故か俯いて顔を赤らめる沙夜ちゃん。


「そういえば、沙夜ちゃんって恋人とかいるの?」

「…………い、いないけど」

「そっか」

「う、うん……」


たとえ話にするくらいだから、そうだとは思ってたけど。


「沙夜ちゃん」

「は、はい……」

「恋人ができた時は別に言わなくていいけど、結婚するときは言ってね。幼馴染み代表でスピ――ぐぁっ!」


そこまで言いかけたところで、思いっきり足を踏まれた。

下手人はもちろん沙夜ちゃん。


「な、なんで……?」

「頭良いんだから自分で考えなさい!」


そう言ってややガニ股基調で再び歩き出す沙夜ちゃん。

まさに怒り心頭といった感じだ。


……ううむ。


なんとなく違和感には気づいていた。

もしかしたらお互いに、何か勘違いをしているんじゃないか、と。


しかし他意がないことを証明しようとして言った最後の言葉は、ものの見事に地雷を踏み抜いてしまったようだ。


やっぱり僕は、こういう話題にとことん向いてないらしい。







「「…………」」


あれから沙夜ちゃんのヘソは曲がったままだ。

背後で僕がいくら謝罪を述べようとも、こっちを振り向きさえしない。


そもそも僕は彼女が何故ここまで怒ってるのかすらよく理解してないのに、とりあえず許してもらおうだなんて考えは甘すぎるのか。理不尽とかどうとか、そんなことを考える前に。


上辺だけの謝罪を繰り返すのは、あまり利口な選択とは言えないと判断し、僕は僕で貝に閉じこもった。


「……嫉妬よ」

「……えっ?」


お互い無言で歩き続けること約10分。

沙夜ちゃんが急に口に開いた。


「さっきの答え」

「例の悪ガキに僕が恨まれたって話?」

「うん」

「でも、なんで僕相手に?」

「遙香のお兄ちゃんだからって? そんなの関係ないわ。好きな人が、自分以外の異性と仲良くしてるだけで不安になるものなのよ」

「……なるほど」


とは言いつつ、僕にはその気持ちが解らない。


僕にとって遙香は従妹で、愛情はあっても恋情は無い。それは、遙香に視点を移してみてもやはり同じだろう。

恋愛対象になり得ない相手に、何を不安に思う必要があるのか。


本当に、何も、解らないのだ。


「……難しいね、恋愛って」

「ふぅん。千明くんでも解けないものがあるのね」

「茶化さないでよ。僕だって真剣に考えてるんだから」

「ま、これに関しては考えるだけ無駄よ」

「なんで?」

「恋愛って、考えてするものじゃないから」


含蓄のありそうな言葉だった。

今の僕にはとても理解できそうにはないけれど。


「そんなことよりも、どうするのよそのヴァイオリン。まさかまだ私に預かっててほしい、なんて言わないわよね?」


この話題を掘り下げても埒があかないと判断したのか、沙夜ちゃんは僕とイル・カノーネの去就について訊ねた。


「うん、とりあえず僕が持っておくよ」

「それは助かるわね。この子のせいで私の家の地価が100倍以上に跳ね上がって、夜もおちおち寝てられなかったし」

「その節は色々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


僕は沙夜ちゃんに向かって慇懃に頭を下げた。

気持ちの上ではイル・カノーネと一緒に。


「本来なら保管料として目玉が飛び出るような額を請求したいところだけど、それは今日の演奏に免じて相殺してあげましょう」

「じゃあ、今度もう一曲弾くから次は通帳とキャッシュカードくれる?」

「ふふっ、考えとくわね」


僕の冗談に、沙夜ちゃんがようやく笑ってくれた。


そうして僕たちは再び歩き出す。今度は二人並んで。


沙夜ちゃん。

昔はもう少し颯爽としていた印象だった。

でも、あのすまし顔の裏で、言葉にしていなかったり、言葉にしているのとは違ったりする思いを抱えていて……それを不思議と僕の前だけは見せてくれる人だった。


そんなことを歩きながら考えていると、僕の手に彼女の指が微かに触れた、ような気がした。


「ご、ごめん……」

「いや……」


どうやら触れたのは気のせいではなかったらしい。沙夜ちゃんは僕に謝った。

でも、どうして? 別に指があたったくらいで。


そういえば、昔はよく手を繋いで家に帰ったっけ。

彼女に触れられた自分の手を見て、そんなことを思い出した。


「そ、そういえば――」

「うん?」

「千明くんが屋上から出ていってしばらくして、グラウンドにヘリコプターが降りてきたのよ。こんなことってある?」


それを聞いた瞬間、僕は思考の中で一つの可能性がふっと浮かんだ。

けれど、まだ大丈夫だ。その可能性は限りなく低い。


「……へえ。確か学校のグラウンドって緊急用ヘリポートに指定されてることが多いって聞くけど、急病人でもいたのかな?」


不謹慎だけど、そうであってほしいという願いも込めて僕は訊ねた。


「うーん……そんな感じじゃなくて、なんか着の身着のままって感じがする女の人達が出てきたのよ」

「…………」

「千明くん? どうしたの、そんな青白い顔して」


沙夜ちゃんは歩きながら僕の顔を覗き込んだ。


僕は間近に迫る、手の施しようのなくなった未来図に、不安感が胸を潰し、心臓は血液の代わりに胆汁を送り出していた。


「ちなみに、そのうちの一人は長い銀髪だった、とか……?」

「そうそう。で、もう一人がメイド服の――って、もしかして知り合い?」

「……沙夜ちゃん、そういうことはもう少し早く言ってほしかったよ」


気がつけば、ちょうど僕の家の前。


「??? それはどういう意味――って、きゃあっ!?」


薄暗い月明りの下、幽鬼のように玄関の前で佇んでいたのは、銀色の長い髪を背中に垂らした美少女――彩音ちゃんである。


「……………………」


目が覚めるような美しい相貌から一切の感情を消している彼女は、口に髪を一房くわえていて、爬虫類のような冷たい眼差しで2人並んだ僕達を睨み、そして言った。





「…………おかえりなさい。夜のデートは楽しかったですか?」





……どうして神様は僕にそんな重荷を負わせようとする。


僕は泣き笑いの気持ちで一杯だった。

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