言ったでしょ。今度は上手くやるって
適度に除雪された道を歩くこと約5分。見慣れた戸を開けて羽代ストアに入る。
「ごめんください」
声をかけてみたものの返事がない。
店内の電気はついているから、営業中だと思うんだけど。
「ごめんくださーい!」
慣れない大声を出しても、やはり返事はない。
僕はポリタンクをぶら下げて入り口で立ち尽くす。
この展開は想像の一つとしてあったけれど、かなり低い確率だった。
さてどうしようか。
「はーい」
暫くして奥から声が聞こえた。沙夜ちゃんの声だ。
僕はその声を聞いて胸を撫で下ろした。
「すみません、お待たせして……なんだ、千明くんか」
「なんだって事はないでしょ、一応お客さん」
「冗談よ冗談。こんな時間にどうしたの?」
「灯油ってあるかな?」
「ああ、残念だけど……」
そういって彼女は少し悲しそうに視線を落とす。
「え、もしかして……ないの?」
「あるわよ」
「いまの残念だけど……ってのはなに?」
「焦らした方がいいかなって」
「そんなん焦らされても嬉しくもなんともないよ」
「ごめんね」
彼女は悪びれたそぶりも無く、おどけてみせる。
「灯油、どのくらい欲しいの?」
「とりあえずこのタンクの分だけ欲しいな」
「じゃあこっち来て」
そう言うと、沙夜ちゃんは外へ出た。
僕も彼女の後について外へ出る。
「出てこないからてっきりお店閉まってるのかと思ったよ」
「この時間じゃ誰も来ないし、店先に出てたって暇だし」
「他の人ならきっとブチ切れるところだよ」
「入り口で小声で呼ばれても聞こえないわよ」
「もういいよ、僕が悪かったってことで」
「拗ねないの。ほら、貸して」
沙夜ちゃんは僕に手を差し出した。
僕は持っていたポリタンクを二つ、彼女に渡す。
「じゃ、ちょっと待っててね」
そう言って店の裏手の方へ消えていく。
引火性液体は外に保管してあるらしい。確かに店の中に置いたら、あの独特な匂いが充満してたまったものじゃないな。
寒さに耐えて軽く足踏みをしていると、沙夜ちゃんがポリタンクを両手で持って奥から出てくる。
「……ん、しょっと」
苦しそうな表情で一歩一歩ゆっくりと歩み寄る沙夜ちゃん。
僕はその状況を咄嗟に理解して、すぐさま彼女の傍に駆け寄った。
「暗いから足元気をつけて」
「……うん、ありがと」
僕は彼女が持っているタンクに手を伸ばす。硬く冷たいそれが手に触れたところで、それを受け取ろうとした、そのとき――
「きゃっ」
強く引っ張りすぎたか、沙夜ちゃんが体勢を崩して転びそうになる。僕はポリタンクを持つ手を離し、彼女を受け止めた。
「~~~~っ!」
声にならない声を上げる僕。
それはきっと傍から見たら抱き合ってるような構図に見えるのかもしれない。
いずれにせよ、なんとかギリギリで僕は彼女を受け止めることは出来た。
「あっ……」
「……だ、大丈夫? 沙夜ちゃん……」
「……うん」
「そ、それは、よ、よかった……」
「ありがと……あの、もう……」
そういって沙夜ちゃんは僕の腕の中でもがく。
「も、もう大丈夫だから……」
なんだか少し照れたように、彼女は僕の腕を振り解こうとする。
けれど、僕の腕は言うことを聞いてくれなかった。
「えっと……? どうしたの、そんな顔して」
不思議に思った沙夜ちゃんが僕の顔を覗き込む。
「お、重くて……」
「なっ、失礼ねっ! 重くなんかないです!」
「ち、ちがっ! っていうか痛い……」
「えっ? ごめん、どこかぶつけた?」
どちらかというと、痛みで動けないという状況。
「あ、足にタンクが……乗ってます」
「あっ」
僕の両足の甲に、18リットル目一杯に詰まったポリタンクが乗っていた。
沙夜ちゃんを支えようとして手を離した際に、それはもう思いっきりと。
「ご、ごめんね……私……」
「……いいよ。気にしないで」
「う、うん……」
彼女には似つかわしくない声。
そんな言葉を聞きたくて、僕は手を伸ばしたわけじゃない。
「……言ったでしょ、汽車の中で」
「えっ……?」
「次は、上手くやるからって」
「……! そう……うん、そうだったわね」
「うん。で、そろそろ――」
退いてほしい、と言おうと思ったら。
「……やっぱり暖かいね、千明くんは」
「……へ?」
彼女は僕の胸に顔を埋めて、呟いた。
微かにではあるけれど、聞き取れてしまった僕は、思わず間抜けな声が出てしまう。
「……なんでもないわ、ありがと」
僕を突き飛ばすように振りほどいて、沙夜ちゃんは僕の足に住み着いたポリタンクを撤去する。で、改めて足の指がじんじん痛む。タンスの角に小指をぶつけたときの様な、そんな痛みだ。
「はい、これでおしまい」
二つ目のポリタンクを並べて、彼女は手を叩く。
「……どうもお世話になりました」
僕はポケットからお金を取り出し、沙夜ちゃんに手渡した。
「どういたしまして。それにしても寒いわね」
「そうだね。灯油切れてあわてて買いに来た次第だよ」
「この季節の必需品だものね。こんな寒い日はジンギスカンでも食べて暖まりたいわ」
「あれ、夕飯まだなの?」
「もう済んでるわよ」
「というか、この季節はジンギスカンよりも鍋じゃない?」
「鍋はもう昨日食べたもの」
「じゃあ今日の夕飯は?」
「ジンギスカンよ」
「沙夜ちゃんが無類のジンギスカン好きっていうのは覚えてるけどさ……そのうち羊に呪われるよ」
「はいはい。って、そんなことよりも、あぁ寒い寒い」
沙夜ちゃんは僕の忠言を無視して、腕を前で組んで手と腕を擦り合わせる。
「上着着たら?」
「そっと自分のコートを肩に掛けてくれるとか、そういう気遣いはないんだ?」
「いや、僕達そういう仲じゃない気がするし」
「別にそういう仲じゃなければしちゃダメってこたーないでしょ」
「昔、勘違いされるようなことはするなって、僕に口酸っぱく言ってた人が目の前にいるんだけど」
「ふふっ、そうだったわね」
彼女は悪戯っぽく笑うと、そそくさと店の中に入り、コートを羽織った姿で直ぐに戻ってきた。
「ねぇ、ちょっと散歩にでも行かない?」
「なんで突然」
「なんか折角コート着てきたし、とか思ったから」
「構わないけど……寒いんじゃないの?」
「だからコート着てきたんだけど」
「いやまぁ、そうだろうけどさ。身体震えてるよ」
「……まぁ、寒いけど。慣れてるから平気よ」
「それならいいんだけど……風邪でもひかれたら、アレだし」
「心配してくれてるの?」
「夢見が悪いかなって」
「そうよね、毎晩枕元に立って呪われろー呪われろー……って誰が妖怪枕返しよっ」
「言ってない言ってない」
散歩をする前にまず、このたっぷり詰まった灯油を家の持っていこうとタンクを持ち上げる。両手に18キログラム、計36キログラムの重さは伊達じゃない。寒さに悴む手に重く圧し掛かるポリタンク。
「手伝う?」
「いや、大丈夫」
口では言ってみるものの、実際結構重い。僅か数百メートルの羽代ストアと星野家までの距離がとても遠く感じる。
それでも意を決して僕は小走りでポリタンクを抱え駆け出す。こういうのは勢いが肝心だ。
腕を振ることが出来ず足だけが細やかに動く妙な歩行スタイルに、沙夜ちゃんが声を殺して笑っているのに気づいた。ぶっちゃけかっこ悪い。
「ただいま……行ってきます」
手早く玄関の隅にポリタンクを置いて、僕はすぐさま家を出た。玄関から漏れる光に手をさらすと、寒さと重さで真っ赤になった掌があった。もう冷たさが痛覚をかき消して麻痺している。手を動かしてみてもぼやけた感覚があるだけ。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。もう麻痺してるよ」
あまり大丈夫ではなかったけど、僕はそういって悴む手をポケットの中へと滑り込ませた。




