第64話 周の鏡
半ば伝説になりかけている殷王朝。
それに対峙する周。
今、歴史が紐解かれる。
ーーー 三人称です ーーー
時は紀元前11世紀の中国大陸。
殷王朝が栄えていた頃。
殷最後の王、紂王は非常に優秀な人物である。
優秀過ぎて、家臣の物言いを全て論破出来るほどだった。
嘆くべくは、臣下に紂王を凌ぐ者が現れなかったことかもしれない。
故に紂王は臣下を始め、全ての人々を見下し始めてしまった。
「紂王様ぁ、次は何をなさいます?」
妖艶な女が王に語り掛ける。
「んん~。なんじゃ妲己よ。
もう酒池肉林は飽いたのか?」
紂王はだらしない顔で妲己を見つめる。
「いえいえ。
紂王様の為さることは、いずれも素晴らしきことばかり。
この妲己、お慕い申し上げておりますのよ」
濃厚な色香に包まれた妲己にしなだれかかられ、ますます鼻の下が伸びる紂王。
「紂王よ!
忠言をお聞きくだされ。
先王の典法をないがしろにされ、毒婦の言にばかり耳を傾けられては、いずれ国も傾き、滅びることになりましょうぞ」
臣下の比干が堂々と言いのける。
「叔父上。
また諫言とやらか。
朕は聞き飽きたぞよ」
紂王はせっかくの妲己との触れ合いを邪魔され、すこぶる不機嫌だ。
「先王がなんだ! 今の王は朕ぞ。
朕がすることは殷王国の為すことである」
その言葉は暴君そのものであることに、紂王は気付きもしない。
「紂王様。
比干様は聖人と呼ばれているそうですね。
そうそう、聖人の心臓には顔と同じ七つの穴が空いてると聞き及びました。
本当なのかしら?」
妲己の目が怪しく光る。
「おお、朕もぜひ見てみたいぞ」
「妲己も紂王様と同じ思いでございます」
「そうかそうか。
衛兵よ。比干を捕らえよ」
「なんと為されます!」
「比干の心臓を取り出し、観賞いたす」
「お止めくだされ!
紂王! 紂王よ!」
この次の瞬間に、殷の一番の忠臣がいなくなった。
「なんと酷いことを……」
鏡に映るその光景を見て、嘆く男が一人。
「姫発様……いえ、今は武王でしたな。
武王様、このまま放っておいて宜しいのですか?
紂王の酷さは、日を追うごとにますます苛烈さが増すばかり。
民の疲弊もいつまで保てるか……」
なんと鏡が言葉を発するではないか。
そして、鏡が語り掛けた男が父の跡を継ぎ、武王と改名した、後の周王朝を打ち立てた英雄である。
「照魔鏡よ、そちの言うこともわかるが、まだその時ではない」
実際、周は何度か殷を攻めたが、殷の国は疲弊しているはずなのに、その軍勢は強大なままで、いまだ太刀打ち出来ないでいる。
「照魔鏡、殷の内情を探れ。
軍の強さが不可解だ。
また、あの毒婦の正体を暴け」
「あ、あの殷の中へ行けと?
それではワシに死ねと言うのと同じことになりまする」
「では、ここで割ってやろうか」
「ひ、ひええー。
ど、どうかご勘弁を!」
「では、疾くと行け」
照魔鏡は、殷王朝も怖いが、それ以上に武王個人が恐ろしいのだ。
武王は、神格が受肉した現人神である。
照魔鏡からすると、傲慢で不遜、最も厄介な存在なのだ。
照魔鏡は、がっくりと肩を落とし、渋々殷へ向かうのだった。肩はないが。
照魔鏡は、まず軍の内情を探る為、幹部達が集う貴賓室に潜むことにした。
人の手に持てるサイズの鏡として、壁際の棚の上に自らを立て掛ける。
しばらくすると、軍の将軍達が入ってくる。
「今回も快勝でしたな」
「周の臆病ども、尻尾を巻いての逃げっぷりも見事でした」
室内が笑いに包まれる。
「それもこれも、胡喜媚殿と王貴人殿のおかげよ」
将軍が二人の美女を眺める。
「危ういところを胡喜媚殿の二刀で救われましたな」
「いや、王貴人殿の繍鸞刀の凄まじさも見事なり。
一度振るえば、百の首が転がっておったわ」
「ほほほほ。
私どもは、単に後押しをしたに過ぎません。
これも、将軍の皆様のお力のおかげですわ。
なんとも頼もしい限りでございます」
胡喜媚は言いながら、将軍にしなだれかかる。
「そ、そうか。
日々鍛錬を欠かさぬからな」
将軍は、鼻の下が伸びるのも隠さず、顔が蕩けていく。
「将軍様。
私、今夜空いておりますの。
勝利の美酒と洒落込みませんか?」
「う、うむ。
軍議はこれまでと致し、解散としよう」
入室したばかりだというのに、将軍は胡喜媚を連れだって貴賓室を後にする。
「ああ、胡喜媚殿……」
副将軍の一人が宙に手を伸ばす。
「あら、私では役不足でしたか?」
王貴人がその手を握り、自分の胸に当てる。
「いえいえ、そんな。
王貴人殿ほどの貴婦人の美しさは、中華広しと言えど見当たりません!」
「わ、わしも王貴人殿の方が美女であると保証する!」
「まあ、嬉しい。
皆様、私と一緒に……これから楽しみませんこと?」
副将軍達の喉がゴクリと鳴った後、ふらふらと王貴人の後に付いて貴賓室を出ていった。
シンと静まった貴賓室で、蒸気も無いのに、鏡の一つがだんだんと曇っていく。
(なんと言うことだ!
化け物が二人。
しかも強烈なヤツだ!
胡喜媚は雉の化け物、王貴人はワシと同じ付喪神か。琵琶の気配がある。
二人共妖力が半端なく高かった。
武王でなくては対処出来るはずもない)
照魔鏡はもう帰りたかったが、武王の「割るぞ」の言葉を思い出し、仕方なく玉座の間に転移する。
こちらでも据え付けの鏡に紛れ、潜むことにする。
そして翌日、衛兵や国の重臣達が続々入ってくる。
しばらくは、ざわざわと重臣達の話し声があちらこちらでする。
「紂王様の御成~り~」
衛兵の声が響き渡ると、重臣達が一斉に跪き、頭を垂れる。
その中を悠々と歩む紂王。
その隣には妲己が紂王に肩を抱かれて、一緒に進む。
そして、紂王が玉座に座り、妲己が隣に侍る。
「将軍から、先の戦いの報告がございます」
文官が告げる。
「周軍が盟津まで攻めて来ましたが、我々軍が奮戦に奮戦を重ねて、この度撃退に成功しましてございます」
(ふん。
実際は、武王が時期尚早と見て、引き上げたに過ぎんがな)
照魔鏡は内心で悪態をつく。
「さすがは朕の軍勢よの。
次は周の首魁の首をあげて見せるが良い」
長年争い続けた周の長の名前すら、紂王の記憶に無いようだ。
「ははぁ」
将軍は一礼して下がる。
妲己が辺りを気にするようにキョロキョロとしている。
「どうしたのだ、妲己?」
その様子に紂王が訝しむ。
「何か臭ってきませんこと?」
(むっ。ばれたか!?)
照魔鏡に緊張が走る。
妲己が何かを見定めたかの顔をした後、ニヤリと笑い、妖艶さが増した。
次の瞬間、突如として衛兵の一人が炎に包まれた。
「ぎゃああぁぁ!」
炎に包まれた衛兵は、床を転げまくるが炎は収まるどころか、ますます勢いが増す。
「まあ。火の気がしたんでしょうねぇ」
そう言った妲己は、口元を手首でかざし、笑いを堪える。
「うむ。
玉座の間に火の気を持ち込むとは言語道断。
その者を疾く退けよ」
紂王が言った時には、すでに炭と化していた。
その者が実は周の間者であることを知られぬままに。
(見えた!見えたぞ!
妲己は妖狐の化身か。
しかも尾が九つもある。
あれが噂に名高い九尾狐か!?
アヤツの前では下手に動けん。
もし動こうとすれば……そう思うだけでも、燃やされかねん。
いつになるかわからんが、妲己の気が逸れるその時まで我慢せねば……)
照魔鏡は、しばらく玉座の間の鏡に徹することを覚悟した。
それから二年後、再び周と殷の争いが巻き起こる。
その時、周の軍勢は、戦車300乗、士官3,000人、兵士45,000人。
対する殷は、70万人を超える大軍勢。
両軍は牧野で激突する。
かの有名な牧野の戦いだ。
圧倒的戦力差のはずが、殷の紂王は逃げ帰ることとなる。
殷の軍勢のほとんどが抑圧された奴隷兵であり、相手が周の武王と知った途端に背を向け、逆に殷軍に襲いかかったのだ。
這々(ほうほう)の体で逃げ帰った紂王が玉座の間にたどり着くと、妲己にすがり付こうと近づく。
「まあ、紂王様。
いかがされましたか?」
「おお、妲己。妲己よ……」
あと一歩というところで紂王の足がはたと止まる。
「な、なんじゃ……妲己の顔が歪んでいく……」
そこにあるはずの絶世の美女の顔に鋭い牙が生え、耳が頭の上に生えてきた。
白銀の美しい体毛に、尾が九つも生え、紂王を睥睨している。
「紂王様?
お加減が優れませんか?」
その九尾狐の口から、いつもの妖艶な声が聞こえる。
「お、おまえは妖怪であったのか!?」
紂王が思わず口走る。
妲己は、人化したままの己の手を見やるが人の手に間違いは無い。
しかし、像が二重に重なり、白銀に包まれた狐の手にも見える。
「チッ、何てこと!」
「正体見たり、九尾狐よ!」
照魔鏡の声が玉座の間に響き渡る。
妲己の周りにいくつもの炎が浮かび上がる。
「何奴じゃ!」
妲己が叫ぶと同時に炎が辺りにぶつかっていく。
周囲一帯が炎に包まれてもお構い無く、妲己の炎の連射が続く。
紂王の身体が燃えるのも気にせずに。
「貴様の旦那が燃えておるのに、良いのか?」
「ふふん。
このお人形遊びもここまでよ」
「だ、妲己……」
紂王が燃えながら手を伸ばして来る。
「紂王様。大変楽しゅうございました。
また遊びましょう。
あなたが生まれ変わったならね」
妲己は妖艶な笑みを浮かべたまま、紂王を炭に変えていく。
「そこか!」
妲己の炎が、いくつも並ぶ鏡を狙って当たる。
その一枚がフッと消え、その1メートル宙空に現れる。
(この炎はただの炎ではない!
妖気が過分に含まれておる。
ワシの転移がままならん)
「そうかえそうかえ。
鏡の付喪神かえ」
妲己は照魔鏡に狙いを定めて炎を打ち出す。
照魔鏡も短い転移を繰り返して避けていく。
「きょ、距離が出ん!」
妲己の妖気に当てられたからか、照魔鏡は端から屋外に転移しようとしているのに、短い距離しか転移出来なくなっていた。
(妲己め。
隙を作る為、正体を明かしたのに。
紂王に正体がバレれば動揺するかと思えば、笑いながら殺すとは)
「妲己姉様!」
「妲己お姉様、これは一体!?」
胡喜媚と王貴人の二人が駆けつけ、唖然とする。
「今!」
次の瞬間に、照魔鏡は屋外に転移した。
「ここを」
「一刻でも」
「早く」
「離れ」
「なければ」
「危うい」
「ぞ!」
照魔鏡は一言ずつ転移を繰り返し、殷の領地を離れることが出来た。
「ほんにおっとろしい妖怪がいたもんだ。
胡喜媚と王貴人だけで十分過ぎると言うに。
妲己はいかん。
武王でも敵うかどうか……?
いや、もうワシ、関わらんでおこう。
約束通り、妲己の正体を暴き、紂王は死んだしな」
照魔鏡は、武王からも妲己からも逃げおおせ、幾ばくかの年月をひっそり潜むことになった。
その後、殷王朝は周によって滅ぼされ、幕を閉じることとなる。
だが、三人の美女達の姿を見た者もいなかった。
また、史実では、紂王は敗戦後に焼身自殺したとあるが、誰も真実を知るよしもない。
歴史ものは、残っている史実との照合が大変でした。
それでいて、これはライトノベルなので、出来るだけ簡単に読めるようにと苦労しました。
お楽しみいただけると幸いです。




