第九話 才能
虎太郎君とは、放課後屋上で落ち合う約束をした。
食堂前と違って普通は人が立ち寄る場所でもないから、神田さん達と遭遇することもないだろう。
虎太郎君の用事というのは、注文していた教科書が入荷するとのことで売店に確認しに行くのだそうだ。
それで全ての教科書が揃うのかはわからないけど、もし揃うのなら今日で嬉し恥ずかしの教科書共有イベントは終わりということになる。
正直少し残念という気持ちはあるが、アレはアレで心臓には悪いため少しホッとした面もある
ということで、虎太郎君の用事については恐らくそんなに時間はかからないだろう。
モタモタしていると、私の方が待たせることになってしまうかもしれない。
……かなりの抵抗を覚えつつも、なんとか美術室に辿り着く。
私の用事というのは、美術準備室にいるであろう四季先生に謝罪をすることだ。
神田さん達に嫌がらせを受けるようになってから何かと理由をつけて部活を休むことがあったが、二学期になってからは理由もなく無断でサボっていた。
四季先生はそういうことをあまり気にするタイプには見えないが、たとえそうだとしてもケジメとしてキチンと謝っておきたい。
抵抗を覚えたのは何か言われるかもしれないという後ろめたさ以外に、美術室自体の印象が悪くなっているせいもある。
今日は幸い美術部が休みの曜日だが、神田さん達に会うかもしれないと思うだけで胃が痛い。
恐る恐る美術室の扉を開くと……、そこには最悪の状況が待っていた。
「あれ~? 吉澤さんどうしたの? 今日は部活ない日なのに――ってそれは関係ないか~! だって最近は部活ある日でも来てないもんね~!」
そうあざ笑いながら言ってきたのは、神田さんの取り巻きAである磯崎さんだ。
彼女は神田さんチームの音声役というか、とにかく声が大きいうえに女子にしてはガタイもいいため、単純に怖い。
「ああ、もしかして、退部届でも出しに来たとか?」
磯崎さんの圧力に固まっていると、神田さんが笑いながら追い打ちをかけてきた。
磯崎さん達取り巻きがそれに反応して、「なるほどね~」といった感じで同調している。
実に陰険なやり取りだとは思うが、実際昨日までの私だったら十分あり得る話だったので、「確かに」と他人事のように感じてしまった。
それはそれとして、気分自体はあまり良くないため無視して横を通り過ぎようとする。
しかしすれ違う直前、磯崎さんに腕を掴まれ阻止されてしまった。
「ちょっと、無視は感じ悪いんじゃない?」
「っ……」
感じが悪いのはどちらだと言ってやりたかったが、神経を逆撫ですればさらに痛い目を見る可能性があるため我慢する。
「し、四季先生に、話があるから……」
「話って? 美術部を辞めますって話じゃなきゃ、何を話すつもりよ?」
磯崎さんの声色から、先程の明るい雰囲気が消える。
……もしかして磯崎さんは、私が四季先生に神田さん達のことを相談するとでも思っているのだろうか?
完全に勘違いなのだが、それならこの強引さもわからなくはない。
「わ、私はただ、先生に謝りに来た、だけ……」
「本当に?」
「本当だから、放して――」
少し強引に手を引き放そうをすると、それに反応して磯崎さんがさらに強い力で腕を引っ張ってくる。
その力があまりに強く、私は後ろにバランスを崩し尻もちをついてしまう。
同時に、肩に下げていたカバンからノートやスケッチブック、そしてそれに挟んであった絵本が飛び出してしまった。
回収しようと慌てて手を伸ばすが、床の滑りが良いのか思いのほか遠くに滑って行ってしまった。
それを見た磯崎さんが、素早く席を立って絵本を回収してしまう。
「何これ? へったくそな絵……、もしかしてコレ、吉澤さんが描いたの?」
「っ! 返して!」
「っと」
思い出を穢されたような強い不快感に突き動かされ、絵本を強引に奪い返そうと手を伸ばすが、磯崎さんと私では身長差があるため手を後ろに反らせて簡単に回避され、私は再び体勢を崩し膝をついてしまう。
しかし、運が悪いことにその瞬間美術室に入ってきた生徒に磯崎さんの手が直撃してしまったようだ。
その生徒は眼鏡をかけていたようで、カランという音を立ててそれが床に落下する。
「……痛いなぁ」
「っ!? こ、小石川君!? ご、ごめんなさい!」
っ!?
磯崎さんの反応で初めて気づいたが、どうやら殴られた被害者は虎太郎君だったようだ。
眼鏡が外れると雰囲気がかわるため、全然気づかなかった。
「まあ、ワザとじゃなさそうだし許すのはいいんだけど……、何やってたの?」
「こ、これは、えっと……」
気の強い磯崎さんが珍しく狼狽えている。
しかし、それも無理はないだろうと思った。
何故なら、今の虎太郎君は普段の温和そうなイメージから全く想像できないほど、冷たく鋭い目つきをしているからだ。
少しドキリとしてしまったのは、またしても「ゲインロス効果」から……なのだと思う。
「あ、あのね? 吉澤さんが、私達が挨拶しているのに無視して美術準備室の方に行こうとしてたから、ついこうなったというか……」
「……無理やり止めたからこうなったってこと?」
「う……、うん、まあ、結果的にそうなった……って感じ」
「そう。でも、強引なやり方は感心しないかな。もし怪我なんてさせたら……、大変なことになってたと思うよ?」
虎太郎君の底冷えするような声色に、神田さん達全員が気まずそうな表情を浮かべる。
彼女達は性格こそ悪いが、相手に怪我をさせるほどの覚悟はないため、陰険な行為しかしてこなかったのである。
今回ばかりは行き過ぎたという自覚がある……、のかもしれない。
「ご、ごめんな、さい……」
「うん、でも謝るなら、日葵ちゃんにだよね?」
虎太郎君の表情はいつものように柔和だが、目が笑っていないので迫力が凄い。
多くの女子から恐れられているあの磯崎さんが、まるで小鹿のように震えていた。
「それと、コレは返してもらうよ。この絵本は、僕が頼んで持ってきてもらったものなんだ」
そう言って虎太郎君は、磯崎さんの手に握られていた絵本を優しく奪い取る。
虎太郎君には探してみると言ってあったので、見つけたから持ってきてくれたと解釈したのだろう。
「おいお前ら、流石にうるさいぞ……、って、なんだこの状況は……」
そのとき、喧騒の気配を感じ取ったのか、美術準備室から佐良山 四季先生が現れる。
姿を見たのは久しぶりだが、相変わらず画家とは思えないラフな恰好をしており、同性の私でも思わず見てしまうほどの大きな胸が隠されることなく強調されている。
私は慌ててノートやスケッチブックを回収し、立ち上がる。
「す、すいません、ちょっと転んじゃって……」
「おお、吉澤か! 久しぶりだな! 転んだって……、大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「は、はい、多分大丈夫です」
私は鈍くさいので受け身も取れず、それゆえに打ったのは完全にお尻だけであった。
お尻というのは尾てい骨以外は基本的に頑丈なので、痛みはあるが大したダメージは受けていない……と思う。
膝についても、勢い自体があまりなかったのでほとんど痛まない。
「それは良かった。絵描きにとって手の怪我は致命的だからな。折角才能あるんだから、こんなところで潰すなよ?」
「……え?」
その言葉に耳を疑ったというか、頭が理解を拒んだ気がする。
何かの間違えだとか、遠回しな嫌味だとか、とにかく言葉を別の意味で捉えようと頭が回転していた。
それは神田さん達も同じようで、全員が完全停止していた。
そして、一早く復帰した神田さんが勢いよく立ち上がる。
「そ、それは、どういう意味ですか、先生?」
「どういう意味も何も、そのままの意味だが? ……って、それより、君は誰だ? 見ない顔だが、もしかして新入部員か?」
四季先生は神田さんに返答しつつ、すぐに興味を虎太郎君の方に向ける。
「いえ、僕は吉澤さんの幼馴染で小石川 虎太郎と言います。部活は一応文芸部に入ろうと思っていますね」
「そうか。で、その小石川君は何をしに来たんだ?」
「吉澤さんを迎えに来ました。僕は転校してきたばかりなので、学校案内をしてもらおうと思っていまして……。昨日に引き続き申し訳ありませんが、吉澤さんをお借りしても宜しいですか?」
「ん? 今日はそもそも美術部は休みだし、私の方針としても部活は基本自由参加のつもりだから全然構わないぞ?」
「ありがとうございます。それじゃ、行こうか日葵ちゃん」
虎太郎君はそう笑顔で言ってから眼鏡を拾ってかけ直し、そのまま私に近づいてきて手を握ってきた。
「え? え?」
そして完全に停止状態だった私の手を引き、虎太郎君はそのまま美術室の外に出てしまう。
四季先生に謝る目的だったハズなのに、予想外の出来事があり過ぎて待ってと言う余裕もなかった……