第七話 私のルーツ
結局、その後は学校案内をする雰囲気にはならなかったため、解散することとなった。
また別の日に――という約束もしなかったので、学校案内についてはこのまま流れる可能性が高いと思っている。
多分だけど、虎太郎君にとって学校案内というのはあくまでも口実で、本題は屋上での話だったんじゃないかな……と。
絵本については色々と考えた末、「ちょっと探してみるけど、見つからなかったらゴメンなさい」と回答しておいた。
ただ、これはその場しのぎの嘘でしかなく、実際はすぐ取り出せる場所に絵本は保管されている。
あの絵本は私の宝物であり、ルーツとも言える存在だ。
それを失くすなんてことは、絶対にあり得ない。
でも……
少しの躊躇いを感じながら、机の一番下の引き出しを開く。
その奥には、書籍の隙間を埋めるように、色あせた木箱が置かれていた。
……絵本は、この中に保管されている。
(うぅ……、やっぱり、怖い……)
この絵本は私にとって宝物で、それは今も変わらない。
でも、今の私は、この絵本を見ることに恐怖心を抱いている。
この絵本のお陰で、私は絵本作家を目指すことになった。
正確にはこの絵本を褒められたことがきっかけではあるけど、そもそもこの絵本がなければそのきっかけ自体生まれなかっただろう。
……それはつまり、言い換えればこの本があったからこそ、辛い思いをすることになったとも言えるのだ。
一時期は、これがまるで呪いのようだと感じていたこともあった。
この絵本のせいで、才能のない私がこの道に縛り付けられているのだと……
だから私は、一度この絵本を捨てようとしたことがある。
しかし、こうしてここに残っているということは、結局捨てられなかったということだ。
どう心を偽ったところで、私の、絵を描くことが好きという気持ちは消せなかったのである。
……この絵本を捨てようとしたことで、私はそれを改めて認識させれた。
そして私は、もう一度本気で絵の勉強をしようと決心する。
今の高校に入ったのも、有名な画家が講師を務めていると地元で噂になっていたからだ。
中学校では現実から目を背けて入部しなかった美術部にも、今度こそちゃんと入部した。
……そしてそこで神田さん達と出会い、改めて現実の厳しさを知ったのである。
考えてみれば、将来画家を目指すような子達が有名な画家に絵を学びたいと思うのは、当然と言えば当然のことである。
素晴らしい才能を持つ生徒が集まってきたとしても、何もおかしくはなかったのだ。
結果、私はさらなる劣等感を味わうことになり、絵に対する自信が完全にへし折られてしまった。
それでも美術部を辞めなかったのは、講師である佐良山 四季先生が私の絵を好きだと褒めてくれたからだ。
上手下手で表現せず好きという言葉を使ったのは、恐らく私への配慮だと思うけど、そうだと理解していても悪い気はしなかった。
ただ、それが原因で神田さん達に目を付けられることになり、今のような状況になってしまっている。
少しでも見返せないかと本気で挑んだコンクールも、結果は完全に選外。
対して神田さんは優秀賞で、他の子達も何らかの賞に引っかかっている子が多かった。
私は元々弱小メンタルという自覚があるので、決心を鈍らせるには十分な結果だったと言える。
……今の私にとってこの絵本は、文字通り最後の砦と言ってもいい存在だ。
だからこそ、この絵本を見て自分がどんな感想を抱くのかが、とても怖かった。
もし自分で、「この程度の絵本が描けたくらいで、絵本作家を目指す気になったのか?」などと思ってしまえば、今度こそ私は筆を折ることになるだろう。
それが怖くて、私はこの絵本を封印していたのである。
しかし今日、虎太郎君と再会したことで、私のモチベーションは少なからず回復した。
我ながら単純だとは思うけど、思い出のあの子である虎太郎君と話すことで、私の荒れ果てた心が少しずつ癒されていったのである。
そして何より、私の絵本がきっかけで作家を目指そうと思ったと言われたときは、あまりの衝撃に全身が震えあがった。
木箱を開けると、懐かしい匂いが香ってくる。
それはほとんどが一緒に入れられた乾燥剤や防腐剤の匂いなのだろうけど、まるで一年ぶりの再会を祝わってくれたような気分になった。
……たったそれだけで、私の絵本があの頃の輝きを取り戻したようにさえ思える。
恐怖からか、未だに手は震えたままだ。
それでも、私の手は確実に、絵本を開こうと動いていた。
たとえその先に恐怖が待っていたとしても、私の心は前に進みたいと思っているのかもしれない。
私の指が、ゆっくりと絵本を開いていく。
――開かれたそこには、私の全てが描かれていた。
『僕、日葵ちゃんの絵本だーい好き!』
『……ホントに?』
『うん! だって、日葵ちゃんが絵を描くのすっごく好きって気持ちが伝わってくるから!』
『っ!』
ああ、そうだ……
私は……、絵を描くのが、絵で自分の気持ちを表現することが……、大好きだったんだ。
気付けば、私はスケッチブックを引っ張り出し、絵を描き始めていた。
ここ数日絵を描けなくなっていたことが嘘だったかのように、とても、とても筆が軽い。
――そして絵が描き上がった瞬間、初めて窓から陽が差していることに気付く。
どうやら、私は夜通し絵を描き続けていたらしい。