第二話 思い出のあの子
「……あの、もしかしてだけど、日葵ちゃん?」
「え……?」
目を合わせないように挨拶したのに、自分の名前を呼ばれ思わず小石川君の顔を凝視してしまう。
最近は人と目を合わせることに苦手意識を覚えていたというのに、この瞬間だけは全く気にならなかった。
後にも先にも、私のことを日葵ちゃんと呼んだのは思い出のあの子しかいない。
親は名前だけで呼ぶし、クラスメートや友達は、私のことを基本的に名字で呼んでいる。
……でも、だからと言って小石川君があの子だとは到底思えなかった。
私の記憶が正しければ、確かあの子の名字は小石川ではなく、山田というありふれた名字だったハズだ。
正直おぼろげにしか覚えてないので自信はないが、あだ名が山ちゃんだったのは鮮明に覚えているので、少なくとも山の付く名字だったことは間違いないと思う。
それに、あの子は眼鏡をかけていなかったし……って、まあ10年以上も経てば目が悪くなることもあり得なくはないか……
「僕のこと、憶えてないかな? 昔はみんなから山ちゃんって呼ばれてたんだけど……」
「っ!?」
山ちゃん!?
嘘!? 本当に!? そんなことってある!?
「あ、その反応は、憶えていてくれたってことかな?」
「……ほ、本当に、あの、山ちゃんなの?」
「うん! ってことはやっぱり日葵ちゃんなんだね! 嬉しいな~、まさかこんなに早く再会できるとは思わなかったよ」
「っ!? う、嬉しい!? な、なんで……?」
「だって、絶対また会いたいって思ってたからね」
ど、どういうこと!?
ダ、ダメだ、完全にキャパシティオーバーである。
頭が茹だってしまい、全く働いてくれない。
そもそも、なんで名字が違うのだろうか……
「でも、だって、名字が――」
「あ~、それはちょっとワケありで……」
「っ!? ご、ごめんなさい! 私ったら、何も考えずに……」
私は山ちゃんの名字が変わっていることに動揺し迂闊にも理由を尋ねてしまったが、流石にデリカシーに欠けた質問だった。
少し考えれば、名字が変わるような何かがあったことくらい、想像できただろうに……
「あ、いやいや、別に大したことじゃないから気にしないで! ただ、昔のことを知っている日葵ちゃんにはちゃんと説明したいから、あとで時間くれないかな?」
「それは、大丈夫だけど……」
「じゃあ放課後、一緒に学校案内もお願いするよ」
「う、うん」
流されるまま返事をしてしまったけど、よくよく考えればそれって、放課後を二人で過ごすってこと……?
何か、とんでもないことを承諾してしまった気がする。
どうしよう……、自慢じゃないが、私は今まで男の子と二人で行動したことなど一度もない。
そりゃあ昔は一緒に遊んだ仲かもしれないけど、正直今の山ちゃんは見た目もだが中身も昔とは別人のように思える。
昔の山ちゃんは、自己紹介のときも言っていたようにヤンチャというか、もっと活発で元気いっぱいの少年だったハズだ。
それに比べ今の彼はどう見ても文系男子で、性格も大人しそうな童顔の美少年になってしまっていた。
こんなの、ドキドキし過ぎて心臓が耐えられる気がしない……
休み時間に入り、私の席の隣はチラホラと人が集まってきていた。
恐らく同性である男子は様子見をしているようだが、異性である女子の中には積極的な子も数人いて、軽い質問攻めをしているカタチだ。
小石川君はわかりやすく誰からも好かれそうなイケメンというワケではないので、現状派手めな女子はあまり興味を示していないようだが、優しそうな男子が好みの女子からは明らかに高評価のようである。
「小石川君って、もしかして吉澤さんと知り合いなの?」
「っ!」
私は隣の状況を無視してスマホを眺めていたのだが、急に自分の名前が出てビクリとなる。
「ああ、うん。小さい頃仲良くしてたんだ」
「へぇ~、吉澤さんとね~」
視線は向けなかったが、どうやら質問をしたのは同じ美術部の神田さんのようだ。
言葉に含みを感じるのは、恐らく気のせいではない。
何故ならば彼女こそが、私に強い劣等感を抱かせた原因と言ってもいい存在だからだ。
「私、吉澤さんと同じ美術部なの!」
「っ! っていうことは、やっぱり日葵ちゃん、まだちゃんと絵を描いてるんだ!」
そこで私に話題が移るカタチになり、反応せざるを得なくなってしまった。
小石川君と話すこと自体は問題ないのだが、この状況で返事をするのは非常に気が重い。
「う、うん。一応、ね……」
「そっか~。正直、凄く気になってたんだよね~」
そう言われ、私はどう反応していいかわからず俯いてしまう。
気になってたとは? 何故? まさか、期待されていたとか……?
いや……、それは私の都合の良い解釈に過ぎないだろう。
だって、私は――
「あ、もしかして吉澤さんって、昔は絵が上手だったの?」
「え? あ、うん。先生とかには良く褒められてたけど……」
「へぇ……、そうなんだ~。吉澤さん凄いんだよ~! 今も先生ウケは良くて気に入られてるみたいだし。ね? 吉澤さん?」
「ハ、ハハ……」
その皮肉たっぷりな言葉にどう反応しろと? と言ってやりたかったが、そんな返しをすれば何をされるかわかったものではない。
だから私は、ただ作り笑いをして受け流すしかなかった。
「でも神田さんも凄いんだよ~! だってこの前、有名なコンクールで優秀賞貰ったんだから!」
「優秀賞!? それは凄いね!」
私の反応に対し神田さんが何か言う前に、別の子が神田さんを持ち上げるかのようにアピールを始める。
よく見れば小石川君の周囲に集まっている女子は、ほとんどが神田さんの取り巻き――と言っては失礼かもしれないが、ともかく彼女と仲良くしているクラスメートだった。
……つまり、ここは完全にアウェイということになる。
自分の席だというのに、私は堪らずトイレに避難することにしたのであった……