最終話 いつまでも一緒に……
虎太郎君が扉を開くと、ムワッとした生暖かい空気が頬を撫でる。
もう九月も中頃に迫っているというのに、この暑さだと流石に夏休みの延長を要求したいところだ。
ただ、流石に日が暮れるのは早くなってきており、視界にはオレンジがかった空が広がっていた。
「結局またここに来ちゃったけど、流石に暑いね」
私が虎太郎君を案内したのはこの屋上と食堂だけなので、恐らく必然的にここしか連れてこれる場所がなかったのだと思う。
他にも、授業で使った美術室や化学室であれば場所を覚えているだろうけど、先程までいた美術部は候補外だし、化学室も化学部が使っている可能性を考えると二人きりになる場所としては適していない。
その点、この時期の屋上であれば生徒はほぼ立ち寄らないので、密会するには最適な場所と言えるだろう。
「この絵本、見つかったんだね」
「う、うん……」
本当は探してなどいないのだけど、つい咄嗟に頷いてしまった。
嘘を重ねるようで心がズキリと痛む。
「……結構傷ついちゃってるけど、もしかしてさっき?」
「っ!? ううん、それは、多分最初から……」
途中から大事に保管していたとはいえ、元々幼い頃に幼稚園や学校に持ち歩いていたものだから、保存状態は最初からあまり良くなかった。
新しく傷ができた可能性はあるが、今更気にしても仕方ないレベルである。
中身さえ無事であれば、大きな問題は無い。
「そっか。……それで、早速だけど読ませてもらって、いいかな?」
元々その予定で持ってきたものなので、断る理由はない。
ただ――、
「あ、あの、その前に、謝らせて」
「……? 謝る?」
「うん……。じ、実は、探さないと見つからないかもっていうのは、嘘だったの」
「嘘? なんでそんな――」
「それは、私自身それを見るのが怖かったのと、虎太郎君に見せて、ガッカリされるのが怖かったから……」
さっきは咄嗟に頷いてしまったが、虎太郎君に読んでもらうと決めた以上、隠し事をするつもりはなかった。
むしろ、こちらからもう一度読んで欲しいと頼むつもりである。
「怖い……、か。僕も創作する身だから、その気持ちはわからなくもないよ。けど、こうして持ってきてくれたってことは、僕が読んでも構わないってことかな?」
「……うん。虎太郎君には、もう一度ちゃんと読んで、欲しい。私の、ルーツを」
恐怖はまだある。
しかし、それ以上に私は知りたいのだ。
あの日の虎太郎君の言葉が、本当に心から思って出た言葉であったかどうかを。
そして、昨日あの絵本を読んで感じた私の感覚が、本物だったと確信したいのだ。
「ルーツ……。確かにこの絵本は、僕にとってもルーツと呼べる存在だ。だからこそ僕は、日葵ちゃんと、日葵ちゃんの描いたこの絵本に執着したのかもしれないね。そう考えると、僕も少し恐怖を感じる。……でも、僕も前に進むため、読ませてもらうよ」
そう言って、虎太郎君は絵本を読み始めた。
子どもの作った小さな絵本なので、読み終わるまでに2分もかからないような内容なのだが、その短時間すら異様に長く感じる。
最後まで見届けるつもりだったのに、空気に耐えきれず目を逸らしてしまった。
……そして、少ししてからパタンという音が聞こえる。
恐る恐る視線を戻すと、虎太郎君は何故か空を見上げていた。
「こ、虎太郎君……?」
「ああ、ゴメン。ちょっと、感極まっちゃてね」
そう言って虎太郎君は眼鏡を外し袖で顔を拭ってから、私に向き直る。
「ありがとう日葵ちゃん、僕もちゃんと思い出せたよ。あの頃の感動と、この絵本を目指そうと思った気持ちは本物だったって。やっぱり僕は、日葵ちゃんの絵本が大好きみたいだ」
「っ!?」
その言葉と、笑顔で、フラッシュバックするようにあの日の映像が脳内で再生される。
(ああ……、そういうことだったのか)
私はあの日、あの言葉で、絵本作家になると決めた。
そして同時に……、あの子のことを好きになってしまったのだ。
その気持ちはもうとっくに色褪せていたけど、どうやら今も心の中で大切にしまわれていたらしい。
そして、あの子と再会したことで、また淡く色を帯び始めたのだ。
なんであんな絵を描いてしまったのか、正直自分でも理解しがたかったのだけど……、答えは実に単純だった。
私は、今でも、虎太郎君のことを――、
「あ、あの!」
「ん?」
「も、もう一つ、見て欲しいものが、あるの」
私はカバンから、絵本を挟んでいたスケッチブックを取り出す。
幸い絵本が薄かったお陰で、変に歪んではいないようだ。
「こ、これ」
「これは、スケッチブック?」
「うん。それ、開いてみて」
このスケッチブックは新品のため、一枚しか絵が描かれていない。
そこに描かれているのは当然、私が昨夜、色鉛筆のみを使い無心で書き上げた――
「……これって、もしかして、僕?」
「~~~~~っ!」
自分で見せておいて、恥ずかしさで顔から火が出そうになる。
私は口下手なだけで、結構感情的な人間だ。
だから、処理できないほど大きな感情が生まれると、時々自分でも信じられない行動に出てしまうことがある。
昨日の徹夜もそうだし、今のも完全に暴走状態だった。
「……え~っと、感想、言ってもいいかな?」
私は顔を真っ赤にして目を逸らしながらも、首を縦に振っていた。
もう、感情が、制御不能……
「やっぱり、日葵ちゃんは凄いよ。この絵本と同じで、その、凄い気持ちが伝わってくる。……大好きって気持ちが」
その言葉を聞いた瞬間、私の思考回路は完全にショートした。
――それから数か月後。
「そうだ、神田さんと吉澤さん、昼休みに入ったら美術準備室に来るよう四季先生が」
「はい、わかりました」
「?」
今日は美術部がお休みの日だし、私自身呼び出されるような覚えはなかったので固まっていると、ハキハキと返事をした神田さんが一瞬こっちを見てキッと睨みつけてきた。
もう、一体なんなのやら……
「あれ、もしかしてまだ神田さん達と仲悪いの?」
「……まあ、良くはないけど」
あの日以降、神田さん達から嫌がらせを受けることはほとんどなくなっていた。
磯崎さんからも正式に謝罪されたので、恐らく四季先生に何か言われたのではないかと予想している。
それが原因かはわからないけど、磯崎さんはその後美術部を辞め、バレー部に転部した。
元々なんで美術部にいるのかわからないフィジカルをしてたので、お似合いと言えばお似合いなのかもしれない。
「あの、なんか行かなきゃいけないみたいだから、お昼は……」
「ああうん、それは大丈夫だけど、日葵ちゃんも気を付けてね? もし何かあったら――」
「うん、ちゃんと相談する」
あれから私と虎太郎君の関係は、実のところあまり変化していない。
友達以上恋人未満というのが、多分一番近い状態だろうか。
あの日私は告白以上に恥ずかしいことをしでかしたが、厳密には告白をしたワケではない。
しかも暴走状態だった私は結局あの場を逃げ出し、しばらく顔を合わせることもできなかった。
女子目線では察して欲しいところだけど、完全に自業自得なので文句を言える立場でもない。
ただ、虎太郎君と会話するようになってから、少しだけ私の口下手は改善されつつあった。
口下手の最大の原因は滅多に喋らないことだったので、虎太郎君との他愛ない会話で慣れてきたのだと思われる。
このまま普通に喋れるようになれば、今度こそちゃんと告白できるようになるかも……って私は一体何を考えてるんだ!
「し、失礼します」
美術準備室に入ると、既に来ていた神田さんと目が合う。
神田さんは何故か、顔面蒼白だった。
「吉澤も来たか。神田には今知らせたが、お前達二人の作品がコンテストで入賞した」
「……えぇっ!?」
いきなり呼び出されて何事かと思ったが、本当に覚えのないことだった。
少なくとも私は夏休み以降、コンクールやコンテストの類には一切参加していないので、可能性としては提出課題から四季先生が勝手に応募したのだと思われる。
普通コンクールの類は個人で応募するものだが、学生であれば学校単位で応募することも可能なケースが多い。
「神田は佳作に入った。そして喜べ吉澤、お前は最優秀賞だ。まあ色鉛筆のコンテストなんで知名度はあまりないが、一番評価されたのは間違いないから誇っていいぞ?」
さ、最優秀賞!? 私が!?
とてもじゃないが、信じられない。
あ、でももしかして、だから神田さんはあんなに顔面蒼白に…………、ん? ちょっと待って? 色鉛筆の、コンテスト……?
「し、四季先生? 色鉛筆のコンテストって、ど、どういうことですか?」
私は美術部に入ってから、一度も色鉛筆で絵を描いた記憶がない。
だから何かの間違えじゃ……と思うも、それ以上に、なんだか凄く嫌な予感がする。
「ああ、実は小石川って男子生徒にこの絵を見て欲しいって頼まれてな。で、見てみたらこりゃスゲーって感動したから、参加できそうなコンテストにねじ込んでおいた」
や、やっぱりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっ!!!
まさかとは思ったけど、やっぱり虎太郎君の仕業だった……
でも、流石にないと思ったのだ。
だって、自分の肖像画だよ?
それを誰かに見せられるなんて、どんだけメンタルが強いのだろうか……
「……四季先生、私やっぱり、納得いきません」
「そう思うなら実際に見てみればいい。ほら、現物はしばらく戻ってこないが、画像が既にネットで公開されてるぞ」
そう言って四季先生は、自分のスマホを弄ってから神田さんに渡す。
それをしばらく凝視していた神田さんは、次の瞬間スマホを放り出して美術準備室を出ていってしまう。
「おい! 人のスマホを投げ捨てるな! ……ったく、本当プライドが高いヤツは厄介だな。才能だけ見れば、アイツは吉澤に匹敵するくらいイイもん持ってるってのに……」
「……え? 四季先生、それはどういう――」
「はぁ……、お前はお前で自己評価低過ぎだし、本当今年は問題児ばっかだな……」
◇
「え~っと、つまり神田さんは、日葵ちゃんに対抗意識燃やして同じコンテストに参加し、見事に惨敗してプライドズタボロになったってこと?」
「虎太郎君、言い方……。あと、私まだ怒ってるんだからね?」
私が問い詰めるまでもなく、虎太郎君はあっけらかんと「あ、もしかしてついにバレた?」とすぐに白状した。
どうやら虎太郎君は、美術部で私が評価されていないことを疑問に思っていたらしく、あのスケッチブックを持って四季先生に詰め寄ったらしい。
結果としてそれは完全に誤解で、四季先生は私のことを物凄く評価していたのだそうだ。
その後の話は四季先生の言っていた内容と変わらず、絵を見て感動し、意気投合した二人はそのまま参加できるコンテストを二人で探し出したのだとか……
勝手にあの絵をコンテストに登録したことについて、正直初めは怒りがこみ上げたものの、そんな話を聞いてしまうと嬉しさの方が勝ってしまう。
悔しいから、表面上はまだ怒っているけどね。
しかし、私って本当にチョロい……
「でも、最優秀賞か~。嬉しいけど、少し困ったね」
「困った?」
「うん、僕もアレに匹敵する告白作品を書こうと思ってたんだけど、いっきにハードル上がっちゃったなと」
「……それだけは、絶対にやめて」
流石にドン引きする……と思いつつも、なんだかんだで喜びそうな自分が怖い……
その後私達は、ネットと学校であの絵が一気に拡散されたことにより目出度く(?)学校公認のカップルとなってしまった。
死ぬほど恥ずかしい思いをしたが、私を取り巻く環境は最初に比べれば間違いなく改善されている。
これで文句を言うのは流石に贅沢というものだろう……
虎太郎君は私にとって恋人であり、ライバルであり――、
あの絵本を超える作品を一緒に作るという、新しい目標に向かって歩く仲間でもある。
願わくば、いつまでも一緒に……
これにて完結となります。
お読みいただきありがとうございました!
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