8 月美と昼飯
それから、月美に腕を抱きしめられ、部室へと向かった。
その間、通行人たちの好奇の視線に晒され、
本日の昼時の話の種を提供したことは言うまでもない。
部室に着くと、
月美は電気ポットに水を入れ、お茶の準備をする。
中途半端にお湯になったあたりでスイッチを切り、
急須に茶葉とお湯を入れて、
コップを棚から取り出し、持ってきた。
その間、俺は弁当を広げていたので、
食べる準備は万端だ。
急須からコップに茶を注ぎ、
さて、食べよう。
「いただきます。」そう言おうとすると、
月美が俺の弁当を自分の元へと引き寄せているのを見て、
思わず声を上げる。
「おいおい、月美さん、君、そんなに大食いじゃなかったろう?
なんで俺の弁当まで食べようとしているんだい?
それじゃあ、俺、午後の授業もたないんだけども。」
「え?別に食べようとしてないよ。」
やだな〜、先輩と月美は笑う。
「だって、このお弁当は先輩が食べるんだから。」
そう言って、
俺の手から箸を掠め盗ると、
俺はなんとなく言わんとしていることがわかった。
「先輩は作ってくれたんだから、
僕もなにかお返しをしないとね♪」
可愛いらしく、どこかいたずらっぽく月美は笑う。
本当に楽しそうだ。
本来なら乗ってやるところだが、
俺は腹が減っていた。
今日は3時限目に体育があったのだ。
それも体力測定で走る系。
よって、俺の空腹は限界に近かった。
早く弁当を掻っ込みたい。
「…いや、お茶を入れてもらったから…。」
「そんなのはこんなに愛の籠もったものとじゃ比較にならないよ。」
「いや、でも…。」
「ふむ、そこまで言うのなら、僕も諦めるよ。
それならこのお礼には僕も愛情の籠もったお弁当で返すしかないね。
残念だな…。
先輩、きっと先輩は僕の愛に耐えきれずにお腹を壊してしまうだろうな…。」
明らかに脅しだった。
月美本人が言うので、一体どんなものが出てくるのか、
興味が惹かれないでもなかったが、
自殺願望はないので、
誰かを唆して試してからにしようと思う。
毒見役を。
しかし、その適役は今現在、月美の印象が最悪なので諦めようと思う。
「…じゃあそれでいいです。」
諦めた俺はいただきますと手を合わせた。
にっこりと笑う月美。
「じゃあさ、じゃあさ。
先輩まずはどれが食べたい?」
正直どれでも良かったが、ここは敢えてボケてみようと思った。
「お茶。」
「はい、どうぞ!」
口元にコップを持ってくる月美。
…お茶までも飲ませてくれるらしい。
甲斐甲斐しい月美に、
俺は思わず軽く目元を揉む。
…どうやらボケは失敗したらしい。
「はい、どうぞ。
あっ、そうだ、ふ〜ふ〜もしなくちゃだね♪」
ふ〜ふ〜とコップに冷ますため息を吹きかける。
「あの〜、月美さん?」
「な〜に♪先輩、お茶冷めたよ♪」
楽しそうに、どこか健気にお茶を差し出す姿に、
すぐさま白旗を上げた俺はコップに口をつけた。
「やった♪」
嬉しそうな月美に目元が緩むが、
俺は重大なことに気がついてしまった。
これで完全に食事の主導権を握られてしまったということに。
「…。」
「で、先輩、まずはなにから食べたい?」
「ああ、じゃあまずは玉子から。」
「うんうん、いいよね、玉子。私も大好き。
先輩が作ったのは、
甘い系かな?それともしょっぱい系かな?
パクっ…あむあむ…うん、これは甘い系、
お出汁が効いていて甘い愛の味がするよ〜、
じゃあ先輩、あ〜ん。」
「…はい、あ〜ん。」
玉子焼きが口に放り込まれた。
…ん?
…今さっきなにかあったような……やめよう。
なんか指摘をすると、
やぶ蛇で、どっと疲れる気がする。
「あっ!箸交換するの忘れてたね♪
僕ったら、うっかりしていたよ。
でも、僕と先輩の仲なら気にしなくてもいいよね♪」
「…まあ、な。」
俺の口から漏れたのはそんな言葉だった。
昼休みが終わるまで、
そんな感じで食べさせられ続けて、
月美のうっかりも何度も起こったのは言うまでもない。
―
覗きは犯罪である。
それはわかっていたとしても、恋する乙女は時として、
それを断行せねばならない時はあるのだ。
今がその時だと白沢花音は、
周りに誰もいないことをを確認すると、
そっと一室の扉に隙間を作り、覗きこむ。
実は花音は朝、寝ぼけた兄から情報提供を受け、
可愛い後輩という存在との昼食の予定を知った。
なので、昼休みが終わると同時に兄の教室の様子をとある物陰から、
覗っていたのだ。
一体可愛い後輩とはどんな人物なのだろう。
男?それとも女?
もしかしてその半々だろうかとも考え、
女の勘ですぐさま女であると断じた。
その勘が外れてくれることを祈りつつ、様子を覗っていると、
移動教室から帰ってきた充希たちの教室に、
ひときわ目を引く可愛らしい女の子が現れた。
まさかと思い、よりしっかりと観察を続けると、
その少女が神崎月美だということがわかった。
そこから、月美の独壇場を手に汗をかきながら見ていると、
いつの間にか、その場から二人は消えていた。
二人の居場所に心当たりのあった私はすぐさまそこに向かった。
すると、今のような状態になっていたのだ。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
肩と肩がぶつかるほどの距離で二人は寄り添うように、
座っていた。
それだけならば、先程までの道程でなんとなくそんな気はしていたので、
信じられないとまでの驚きとはならなかっただろう。
しかし、それには続きがある。
「はっ?なにあれ?
えっ、嘘。
お茶飲ませた?」
えっ、えっ?と困惑する花音。
はい、あ〜んなどという暴挙が二人きりの一室で行われていたのだ。
自分がやりたいと願っていた行為がなんともないといった様子で、
次々と行われていく。
それも充希もまんざらでもなさげに。
悔しいという気持ちと羨ましいという気持ちがせめぎ合い、
いつの間にか熱中しながら、その光景を覗いていた。
そして、味気のない菓子パンを片手に覗き続け、
気がつくと、花音は真っ白になっていた。
「あはは…月美さんって充希くんとあんなに仲が良かったんですね…。」
一瞬、ちらりと中からも視線が送られたのだが、
放心していた花音は気がつくことはなかった。