第一章 事の始まり プロローグ
キース王国の一本道。ここはそう呼ばれる場所のようだ。
泣きやんだミアがたどたどしい口調で説明してくれた。ミアは一人旅をしているとのことだったが、その理由は首を振って話そうとしなかった。。
「大変だね」
本当はそんなこと言える立場では無いかもしれない。だが、ミアを見ているとどうしても言わなくてはいけないような気がした。
ミアが一つ小さく深呼吸をする。
「あ、あの、おにいちゃん。……私としばらくでもいいので、一緒にいてくれませんか」
何もかもの事情を知っているらしい少女は、何も事情を話すこと無く普通に振る舞っていた。
「いいぞ」
何の事情も知らない俺は、それ故にすぐに同意した。
俺は立ち上がり、それを見て歩き出したミアの後ろを歩く。
機嫌が良くなったのか陽気に歩くミアは、着ている服以外何も持っていないようだった。
それは俺も同じだが、仮にもミアは何ヵ月も旅をしてきているのだ。まるで近所に買い物に行くような格好でよくここまで
「私、今日の朝に家を出たばかりなの。だから旅ってどんなのか分からなくって」
思わずコケそうになる。
「家ごと持ってきちゃった」
コケた。
家を持ち歩く。つまりそれは魔法ですか。
「どうしたの、おにいちゃん」
俺を心配そうに見下ろすミアは、何かに合点がいったのか詠唱を始めた。
「大空に住まう幾万の光の精霊よ、我の声に従い是者、サカイ・エイムの傷を癒せ」
まるで天使の囁きのような繊細で美しいその詠唱に、俺がほんのわずかだけ感じていた痛みが消え去った。
立ち上がって軽く砂を叩く。
「精霊魔法か」
「うん。らくだから。でも圧縮は無属性だから自力なの」
何だこいつは。
俺の驚きを伝えるために、まずは魔法について話しておこう。
基本的に魔法は大きく三つに別けられる。エネルギー型、非エネルギー型、精霊型だ。
エネルギー型魔法は更に細分化されて、属性型と無属性型に別けられる。火や氷、風などを発生させたり、空を飛んだりするのが属性魔法で、雷を発生させたり、テレパシーや透視、召喚や圧縮などが無属性魔法と言われる。
非エネルギー型魔法は、予知や占いといった俗に言う古典魔法だ。
精霊型魔法、つまり精霊魔法は魔力が無くても使え、精霊と呼ばれる生物に任せる純粋精霊魔法と予め特定の動作をするように仕込んだ触媒を用いるなどをする触媒精霊魔法がある。狭義では精霊魔法は純粋精霊魔法の事を指し、触媒精霊魔法は触媒魔法と呼ばれる事が多い。
後者は誰でもできる。だが、前者は精霊と仲が好くないと扱えない上に無属性魔法が扱えないという欠点がある。
一般的に難しいのは順番に、精霊魔法、古典魔法、無属性魔法、属性魔法、触媒魔法だと言われている。
ただし、エネルギー型無属性魔法には精霊魔法に匹敵するほどの、いやそれ以上の難易度を持ったものが幾つもあり、そのうちの一つが圧縮だ。
物を圧縮する、と言ってもその物の形状や性質を保ったまま効率的にかつ持続的に圧縮させなければならず、家などという大きな物を圧縮させるには相当の魔力が必要だろう事は容易に想像できた。
また、属性魔法や純粋精霊魔法の中にも数多くの分類が存在し、その中でも治療が含まれる光系統魔法は高難易度に属する。
そういった圧縮や光系魔法を易々と使いこなす少女ミア。
一体何者なんだ。
「おにいちゃん、あと少しで村に着くみたいだよ」
そう言われて先を見ると、集落らしき場所が見えていた。
「ああ、そうだな」
少し、ほんの少しだけ少女に聞きたかったが、それにはまず俺が何者かを知る必要があるだろう、と思った。
商人達にはチェン(三番目の)村と呼ばれているらしいこの村落に存在する数少ない宿は、日も暮れかけたこの時間帯、全て旅人や商人で埋まっていた。
ミアの家を出したらどうかと尋ねたが、目立つ事はしたくないらしい。
どうしたものか、と一人で頭を抱えていると、一軒の家から少年が駆けてきた。
「旅人のお二人さん、宿を探しとんのか?」
俺達の側に来て立ち止まると、少年は僅かに息を切らせながら聞いてきた。
俺が頷くと、少年はさらに続けた。
「うちに泊まるか?」
「はい」
ミアが嬉しそうに即答する。
まあ、野宿よりはいいかもしれない。
「旦那の方は、それでええんか?」
「ああ、いいよ」
「そか。ほな、こっちや」
そう言って歩き出した少年に着いていく。
「今日は大商人の方々が来とってな。災難やったな」
「大商人?」
「おや、旅をしてんのにキース国の大商人様を知らんとは驚きやわ」
気になって聞いてみたが、返ってきたのは人によっては嫌味に聞こえかねない台詞だった。少年が言うと違ったが。
「バサック公爵お抱えのアイーダ商会の事を、この国では大商人様と申し上げるんや。いつもあんように国中を巡ってな、どんな貧しい村にでも行って、儲けよりも信用第一で動いとんのや」
「そうか」
少年が、さっき出てきたばかりの家の前で立ち止まった。
「どうぞ、入ってや」
「お邪魔しまーす」
扉が開かれて中が見える。どうやら普通の民家のようだ。
ミアが無警戒に中に入っていき、その姿を見た俺と少年は苦笑した。
「旦那も苦労なさるわな」
「そんなことは……まあ、あるかもな」
そう言って中に入った。続けて少年も入ってきて扉が閉められる。
ミアは、と捜してみると、この一つ目の部屋にはいなかった。
「奥の部屋やろ。旦那はそこの椅子に座っていてな。直に彼女は戻ってくるさかい」
自信たっぷりにそう言った少年は、部屋の隅にあった棚からカップを取り出す。
勝手に部屋を散策されたらたまったものではないだろうに、と思いはしたが、あまりにも自信たっぷりなのでおとなしく座って待つことにした。
少年は魔法陣の埋め込まれた板の上に三つのカップを置き、起動コードを呟いた。魔法陣と三つのカップが一瞬だけ光り、その直後にはカップの中に液体が入っていた。湯気が立っている。
それを少年が運んでくる。それと同時に奥から何かが崩れる音がした。
くすりと笑いながら少年がテーブルにカップを並べていると、ミアが戻ってきた。
「お嬢さん、大丈夫やったか?」
ミアはフラフラと歩きながら、俺の隣に座った。
「……本が……山になった」
夢見心地なのか天井を見つめていたミアは、そう言うとテーブルに突っ伏した。
もう一度少年がくすりと笑い、ミアの下に椅子を置く。
「お二人は、今日はここでゆっくりしてってや。布団はあるさかいな」
「ああ、ありがとう。だが、ミアは一体」
「見たいんか?」
俺が頷くと、少年は立ち上がって奥に歩き出した。俺も立ち上がり後を付いていく。
そして一つ扉を過ぎて目にしたものに、俺は呆然とした。
「どや? これで彼女が倒れた理由が分かったんやないか?」
少年は部屋の真ん中に立ち自慢気に両手を広げて、部屋を埋め尽さんばかりの本を示した。
ざっと題名を見回すが、それは『魔法解析理論』や『魔法大全』といった魔法の専門書が多かったが、中には『古ミナイス帝国建国記』のような歴史書も見つけられた。全てが文字だらけの本だろう。
確かに、これならばミアは長くこの部屋にはいられないかもしれない。
戻るとミアはまだテーブルに突っ伏していた。
「おい、大丈夫か?」
そう聞くと、ミアは首から上だけをあげて
「もう……だめ」
と言ってまた突っ伏した。
ノイジと名乗った少年は、主に法陣魔法を使うようだった。これは触媒魔法の一種に分類され、魔法陣というものを触媒とする。
魔法陣とは、一般的には大気中の魔力素子(正式な名称は魔法力素粒子)を利用することで、起動コードのみにより魔法を使える触媒のことだ。
「旦那は、記憶が無いんか?」
突拍子もなく出た質問に、表面的には平静を装ったが狼狽した。
記憶を探りどこで気づかれたのかを考えたが、見つからなかった。
「せやな、旦那がミアというお嬢さんと最近一緒になったことはすぐに分かったんやな。そやけど、何でそれを隠そうとしたのかって考えるといくつか考え付いたんやけど、旦那が“妙に”魔術に詳しいようやからそれも鑑みると、旦那の記憶が一部分だけ無くなったんちゃうか、と思ったんやな」
俺はちらとミアを見やり、未だにテーブルに突っ伏していることを確認すると、降参だという意味も込めて両手を軽く上げた。
ノイジは小さく微笑むと、さらに続けて言った。
「ここからは僕の勝手な想像なんやけど、旦那は異質な存在のはずなんや」
「異質な、存在?」
「せや」
ノイジはじっと俺を見つめる。
「旦那には、MTCが存在していない風なんよ。この世界の生き物すべてにはMTCが備わっているものなんやけどな、植物も含めて」
「エムテーシー?」
「MTC、つまり魔力変換回路のことでな、簡単に言ってしまえば魔力素子を純粋エネルギーっゅうものに換える回路のことなんや。個人的には古典魔法もこの部類に入ると思ってはいるんやけど、どうも合理的な説明が難しいさかい。まあそれは色々と異論があるとしてもや、ほとんどの魔法はこのMTCに魔力素子を通すことで魔法を使うんやな」
そうだったのか、と俺の無知を恥じていると、服の袖が引っ張られた。ミアが起きたようだ。
「おにいちゃん、きよく、ないの?」
どうやら、聞かれていたらしい。
良い機会なので、これからしばらく旅で世話になるであろうミアにも一通りのことを説明した。
俺の記憶が無い事、ミアが最初に目にした人物であること、知識は残っていること。
ミアは最初は驚きの声を上げたものの、次第に落ち着いてきたようだ。
「やっぱりそうだったんだ」
震える声でそう言ったミアに以前と同じ疑問を感じた俺は、ミアを見やる。
対面にいるノイジは苦笑していた。
「どういう、ことだ?」
「えっ?」
俺がした質問の意味を理解していないのか、ミアは首を傾げる。
やはり、ノイジは笑っていた。まるでこの状況を楽しんでいるかのように。
俺はミアに何でもないと言って、ノイジに質問することにした。
「ノイジは何か知っているのか?」
「知っているも何もな」
そこで言葉を区切り、俺とミアを交互に見る。
「偶然や」