ざまぁ中毒の侯爵令嬢。なかなか婚約破棄されなくて焦ってます!!
最後までお付き合い頂けたら幸いです!
アメリアは美しく聡明、それでいて如何にも貴族といった高飛車なところはなく、誰からも愛される子供だった。
生まれてからずっと侯爵領で過ごし、十五歳になる年に初めて王都に出て来た。貴族の子女が集まる宮廷学院に通う為だ。
それまでは侯爵家の人間としか過ごすことのなかった彼女にとって、学院は刺激的なところだった。
毎日のように貴族の子息から誘いの声をかけられる。侯爵家の次女という身分も関係していたかもしれないが、何よりアメリアは飛び抜けて輝いていた。学院の中でも大いに話題になる程に。
アメリアが初めて恋に落ちた相手は、最近成り上がった男爵家の長男だった。その男は学院でも見目麗しいとよく噂される人物で、遊び人とも言われていたのだが……。
男から熱心に誘われたアメリアは舞い上がり、すぐに逢瀬を重ねるようになる。家柄の差など全く気にならなかった。ただただ男と一緒に過ごす時間が幸せだった。男に誘われて一ヶ月もしないうちに、お互いの将来を約束するようになっていた。
男の態度がおかしくなったのはそれからすぐのことだった。アメリアと一緒にいても何処か心ここに在らずで、すぐにいなくなることが何度も続く。
「私が何かしてしまった? 嫌われるようなことを言ってしまった?」
アメリアは自問自答を繰り返す。しかし、彼女には思い当たる節がない。悩み、次第に塞ぎ込むようになる。
もう一人ではどうしようもなくなった頃だ。アメリアは彼女と同じく王都で暮らしていた姉に相談した。その後、姉が情報を集めた結果、男爵家長男の不貞が明らかになる。最近学院に来た、子爵令嬢に熱を上げているというのだ。
アメリアは深く傷付き、いよいよ寝込んでしまった。
そして、その様子を見ていたたまれなくなった姉が動く。そもそも後ろ暗いところの多かった男爵家だ。成り上がる為に働いた不正が侯爵家の力で明らかにされ、その子息も学院を去っていった。
アメリアは悲しみに包まれる。ただ、悲しみだけがあったわけではない。彼女の中には没落した男爵家とその子息に対する愉悦のような感情も芽生えていた。自分を裏切ったものが落ちぶれる様子は、アメリアを恍惚とさせたのだ……。
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男爵家長男との失恋はアメリアの心に影を落としたが、周りからの評価はまた別のものだった。今まではただただ美しく眩い存在のアメリアだったが、そこに儚く脆い何かが加わる。
それは以前にも増して貴族の子息達を魅了した。貴族だけではない。王族も……。
第三王子フランク。好色のフランク。
この国の王族が宮廷学院に通うことはない。しかしある日、フランクは気まぐれにも学院に顔を出し、アメリアを見つけてしまった。フランクは舌舐めずりをする様に彼女に視線を送る。
第三王子とはいえ、王族。侯爵家としては無碍に出来ない。
フランクの悪評を知らないアメリアではなかったが、何度も誘いを断ることは出来ず、いつしか二人きりで会うようになっていた。
意外な事に、いざ話してみるとフランクは真面目で噂されているような人物ではないように思えた。もちろん、過去に遊び回っていたのは事実だったが、今はすっかり落ち着いている。アメリアは徐々に心を許すようになる。
そして、二人は婚約者同士として周囲に知られるようになっていたのだが……。
「アメリア。君との婚約を破棄したい」
この言葉を聞かされた時、アメリアの中には悲しみや怒りよりも先に期待感が溢れた。あぁ、自分はまた裏切られた。今後、フランクが落ちぶれたりしたら、その姿を見て喜びを覚えるに違いない。
「……分かりました」
「了承してくれて助かる!」
声を弾ませ、くるりと踵を返して去っていくフランクの後姿を見つめるアメリアの表情は猟奇的だった。
その日以降、アメリアの瞳は氷のように冷淡で他を寄せ付けないものとなる。実の姉でさえ、背筋を伸ばしてしまうほど厳しく、そして圧倒的。
誰もが美しいと思う反面、近寄り難い存在。誰からも好かれ、周囲の人々を和ませていた幼い頃の面影はもうなかった。
それからしばらくの間、アメリアの興味は第三王子フランクの凋落にあった。
アメリアに婚約破棄を申し出たからには、次の恋が始まった筈。そう考えて彼女はフランクの周囲を侯爵家の者に探らせた。
放蕩を重ねるフランクの警戒は緩い。自分は王族であるという甘えだろう。アメリアのところにはフランクの女性にまつわる情報が容易に集まってきた。
今、フランクが接近しているのは隣国の第一王女エレノアだった。国同士の力関係もあって、隣国の王子王女はこの国の宮廷学院に留学することが通例となっていた。そこにフランクが手を出そうとしているのだ。
学院で見かけたエレノアはまだ幼く、ただ可愛い存在に思えた。フランクにとっては格好の獲物だろう。
アメリアはエレノアの周囲に侯爵家の息のかかった者を放ち、慎重に見張った。いくら馬鹿な男とはいえ、フランクはこの国の第三王子。なんの咎もなく、糾弾は出来ない。
──見逃さない。そしてエレノアには何もさせない。
執拗とも言えるほどの熱意が功を奏する。
ある日、フランクの凶行の兆しがアメリアの耳に届いた。それは彼が王都のスラムにある薬屋から、眠り薬を購入したというものだった。
アメリアの瞳が鋭くなる。未だにフランクの誘いを断っていたエレノアに業を煮やしたのでは? そして、強引な手段に……。
その翌日、学院内でエレノアを見つけたアメリアは思い切って声を掛けてみた。
「初めまして。エレノア様。私はフェルダー侯爵家のアメリアと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
「えっ、アメリア嬢!」
「……何か、ありましたか?」
「いえ、話し掛けてもらえると思っていなかったので……」
エレノアは自分とフランクの過去の関係を誰かに聞いていたのだろう。そして、気にしていたのだ。
「フランク王子とのことならお気になさらず。もう過去の話ですから。ただし……」
「……ただし?」
小柄なエレノアが上目遣いをする。その瞳には不安の色があった。
「お気を付けください……」
そう言ってエレノアの前から立ち去る。エレノアはまだ話をしたそうだったが、二人でいるところをあまり人には見られたくなかった。
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「アメリア様! 動きがありました!」
夕食を終え、屋敷の自室で本を読んでいた時だ。喧しく扉が叩かれる。部屋の外にいたのは執事長だった。
「どこで?」
「学院の旧寄宿舎です! フランク王子の馬車が入っていったと……」
アメリアの冷たい瞳の奥に小さく火が灯る。
「馬車を!」
「すぐにでも出せます!」
二頭立ての馬車はもう暗くなった王都の大通りを慌しく抜け、王城近くの宮廷学院の敷地へと入っていく。馬車の客室にはアメリアと執事長だけがいた。執事長と言っても元々は侯爵の懐刀と言われた凄腕の剣士だ。アメリアに不安はなかった。
フランクのものであろう馬車は旧寄宿舎の近くに停められていた。御者が一人いるようだが、構うことはない。アメリアの乗る馬車は堂々とその横に停められる。
「お、おいっ。何をしている?」
御者の声が控えめだった理由は、旧寄宿舎の中で行われようとしてことに後めたい思いがあったからかもしれない。
「フェルダー侯爵家の者だ」
執筆長が怒気の籠った声で一蹴すると、もう何も言わない。
「さぁ、アメリア様」
「ええ」
見上げた旧寄宿舎は二階の一室だけ明るい。急がなくては……。アメリアは足を早めた。
暗い旧寄宿舎の中を執事長の持つ灯りが照らす。埃っぽい空気が、フランクへの嫌悪感を膨らませた。
ミシリと軋む階段をあがると、廊下が仄かに明るい。フランクの護衛の者がいるのだろう。アメリアが執事長の顔を見ると、その瞳が厳しくなった。灯りをアメリアに渡すと、執事長は剣帯から短剣を抜いて音もなく滑るように走り出す。
──グッ……。
それは一瞬だった。冒険者のような格好をした男は声を上げる間もなく、執事長の剣に倒れて廊下の端に転がされる。アメリアが軽く照らすと、意識を失っているだけのようで少しだけホッとした。
執事長を照らすと事も無げな顔をして、扉に向けて顎をしゃくる。この中で──。
──ギイッ。と開いた扉に反応したのはフランクだった。
「誰だ!?」
「私です。アメリアです」
執事長に伴われて中に入ると、フランクはベッドに横たわるエレノアの側に立っていた。エレノアのドレスは乱れている。何をしようとしていたのかは明白だ。
「なんでアメリアが!? さては、まだ俺に未練があって──」
「黙りなさい! この獣が!! 恥を知れ!!」
アメリアがこのような言葉遣いをしたのは初めての事だった。それがフランクを苛立たせる。フランクは彼女の方へと大股で歩き出し、拳を構え──。
──ドンッ! と壁にぶつかったのはフランクだった。アメリアの目の前には執事長の拳がある。音のした壁の方を見ると、ズルリと床に落ちるフランク。
「あんなのが王子だなんて、私は恥ずかしいですよ」
執事長は手を振りながら、呆れたように呟く。
「ええ。そうね。あんなのが婚約者だったなんて、私の人生で最大の汚点だわ」
アメリアがそう言うと、執事長は罰の悪そうな顔をした。
「ふふふ。ところで、エレノア様は大丈夫かしら?」
「見たところ、問題ないでしょ。もうすぐエレノア様の側近の者も来る筈です。その前にとっととこのボンクラを縛ってしまいますね」
薄暗い部屋の中、意識を失ったまま硬そうなロープで縛り上げられるフランク。その姿はなんとも情けなく、間が抜けていた。
「アメリア様。頬が緩んでいますよ」
「ふふふ。だって仕方ないでしょ?」
──ずっとフランクのこんな姿を待ち侘びていたのだから。
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あの夜の出来事は王城を揺るがした。
放蕩王子、淫蕩王子と陰で囁かれていたものの、これまでフランクの悪事が表に出ることはなかった。しかし、エレノアへの蛮行はとても隠し通せるようなものではなかった。侯爵令嬢に告発されたのだから……。
フランクが出家という形で王領にある教会の施設で幽閉されることになったのは、両国の力関係を考えると最大限の罰だったのかもしれない。
一方のアメリアは学院の最後の年を淡々と過ごしていた。
十七歳になったアメリアの美貌には益々磨きがかかっていた。しかし、彼女に声を掛ける貴族の子息は学院にはいない。
冷酷なアメリア。
彼女に関わると碌なことにならない。貴族達の間ではそう噂されていた。アメリア自身もそれでよいと考えていた。別に自分が嫁がなくても、侯爵家が途絶えるようなことはない。それどころか、この国の第二王子と姉の婚姻が間近に迫っていた。
侯爵家は安泰だ。自分はただ静かに過ごしていればいい。
彼女はそんな風に思ってから、手元の本に視線を落とす。
そこは学院の中庭にあるベンチで、アメリアのお気に入りの場所。昼休憩の時間帯は誰も近寄らず、彼女の専用となっていた。その日を除いては……。
「……あの、アメリア嬢」
足音に気が付いてはいたけれど、アメリアはあえて読書をやめなかった。しかし、声を掛けられれば別だ。それに声の主にも覚えがあった。
「エレノア様。……と?」
本を閉じて顔を上げると意外なことに人影は二つあった。一人はエレノア。もう一人は──。
「俺はジルベールだ。エレノアが世話になった」
その名前は隣国の第一王子のものだった。小柄で華奢なエレノアとは対照的に背が高く、見るからに逞しい。精悍な顔つきからは早くも王の気配が感じられた。
慌てて立ち上がり、アメリアは礼をする。
「やめてくれ。俺は堅苦しいのが苦手なんだ。せめてこの学院にいる間は息抜きさせてくれ」
そう冗談ぽく語るジルベールの様子は、好感の持てるものだった。少なくとも見栄ばかり気にして、つまらない噂話に興じるだけの、この国の貴族達なんかよりはずっと……。
「しばらくは学院に?」
「あぁ、一年ほど世話になる」
簡単に挨拶をして、ジルベールとエレノアは去っていく。アメリアはその後姿をしばらく眺めていた。
翌日の昼休憩の時間。学院の中庭のベンチに腰掛ける人物が二人。一人は当然アメリア。もう一人は意外なことにジルベールだった。
いつものようにアメリアが本を読んでいると、ジルベールがつかつかと歩いてきて何も言わずに彼女の横に座った。大きな身体を背もたれに預け、少しすると寝息を立て始める。
留学のゴタゴタで疲れていたのだろうか? 昼休憩が終わる時間になってもジルベールは起きない。
「……あの、ジルベール様」
「……」
「ジルベール様。時間ですよ」
「……そうか。ありがとう」
眠そうな目を擦りながらジルベールは立ち上がり、アメリアを置いて去っていく。その自然な距離感が彼女には心地よく感じられた。
そんな事が何度か続き、いつの間にかアメリアとジルベールはいつも中庭のベンチで過ごす仲になる。といっても、特別何かするわけでもない。他愛もない会話をするだけだ。
勿論学院では噂になったが、二人ともそんなことは気にしなかった。
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ジルベールが学院にやってきてから、半年が経った頃だ。
いつものようにアメリアが中庭で本を読んでいると、少しぎこちない様子でジルベールが現れた。具合でも悪いのだろうか? 心配になるが、別に顔色はいつも通りだ。
「ジルベール様、何かありました?」
「……実は昨日、ある噂を聞いてな。少々焦っている」
「噂……ですか?」
「あぁ。ある侯爵令嬢の婚姻についてだ」
侯爵令嬢の婚姻……? そんな噂があったかとアメリアは首を捻る。一体、誰のことだろうと。
「俺は女性との駆け引きが苦手だ……。正面から伝える。アメリア、君のことを愛している。妻として迎えたい」
今まで見たことのないジルベールの顔に、吹き出しそうになる。
「ふふふ。ジルベール様。その噂はエレノア様から聞いたのでは?」
「そうだが……」
「ジルベール様はかつがれたのですよ。私には婚姻の話なんてありませんもの。それどころか、皆私を怖がって近寄って来ませんから」
ジルベールは顔を真っ赤にして慌てる。アメリアにとってその様子は意外で、可愛らしいものに見えた。
「取り消されますか? ジルベール様」
「まさか! さっき伝えたことは俺の本心だ。君を愛している」
今度はアメリアが顔を赤らめた。さっきは笑いを堪えるのに必死だったけれど、二度目の愛の告白は彼女の心の真ん中に直接飛び込んできた。
「……アメリア」
「喜んでお受け致します」
二人の様子を影でこっそり見ていたエレノアは飛び上がって喜び、その足で学院中に婚約の話を触れ回るのだった。
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婚約が成立してからも、アメリアとジルベールの距離には大きな変化はなかった。いつも二人で中庭で過ごし、たまに夕餉を共にする。
ただ、アメリアの心の中は単純ではなくなっていた。過去の記憶が、彼女の幸せな未来への想像に待ったをかける。
本当にこのままジルベールと結ばれるのだろうか? かつての二回の婚約はあっけなく破棄された。今回だって同じような結末にならないとは限らない……。
「アメリア? どうした?」
「……えっ、いえ。何も」
「さっきから同じ頁ばかり見ているぞ? 何か考え事か?」
「……大丈夫です」
ジルベールの心配そうな眼差しが、アメリアには何故か嘘っぽいものに見えた。
「……ちょっと、先に行きますね」
その日の昼休憩。彼女は珍しくジルベールをベンチに残して立ち去った。
一度抱いた不安が簡単に消えることはない。むしろそれは大きくなりアメリアの心を蝕んだ。そしてそれを癒すのはジルベールの優しい言葉ではなかった。
──婚約破棄されてもいい。あの甘美な時間を味わえるなら。
アメリアは不安から逃れる為に、婚約破棄された自分とその後に惨めに落ちぶれるジルベールの姿を想像した。一度だけではない。何度も何度も……。
この想像に浸っている限り、婚約破棄なんて怖くない。むしろ待ち遠しい。
いつしか、婚約破棄への不安が期待へと変わっていた。
自分はいつ婚約破棄されるのだろう? 早く……早く……。
アメリアの瞳に狂気が宿りつつあった。
#
「……エレノア、少しよいか?」
宮廷学院の寄宿舎内にある、特別豪奢な部屋に二人の男女がいる。その二人とは隣国の王子と王女。ジルベールとエレノアだった。
兄の真剣な表情にエレノアは何事かと身構える。
「どうされたのです? お兄様。突然いらして」
「……俺は、アメリアに婚約を破棄されるかもしれない」
「えっ! そんな、まさか!! 何があったのです?」
エレノアは周りを気にすることもなく大声を上げて驚く。ジルベールの言葉はそれほどまでに意外な内容だった。二人の関係は順調だと思っていた。エレノアが二人の婚姻の儀に着るドレスを作らせ始めるぐらいに……。
「……最近、アメリアの様子がおかしいのだ。何か感情の読めない瞳をして、会話も上の空だ」
「体調を崩されているのかしら?」
「……それは大丈夫みたいだ。……俺は嫌われてしまったのだろうか?」
「そんなことは無いと思いますけど……」
ジルベールの困った様子に釣られてエレノアは腕を組む。
「アメリア嬢は過去に二回、婚約破棄をされています。そのことが関係しているのかもしれません……」
「……しかし、俺から婚約破棄をするなんて有り得ないことだ」
「勿論、そうでしょう。でも、アメリア嬢にとっては違うのかもしれません」
「……一体、どうすれば?」
「少し、作戦を考えましょう」
この時、小柄で華奢なエレノアが随分と大きく見えたことを、ジルベールは覚えている。
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その日は空の雲が厚く、中庭に差し込む陽の光もなかった。肌寒さを感じながらも、アメリアはいつものようにベンチに座って本を読んでいた。いや、ただ眺めていた。
本を読むフリをして、ジルベールが現れるのを待っていたのだ。今日こそ、ジルベールは私に婚約破棄を宣告するに違いない。妄執とも言える思いがアメリアを支配する。
──早く。早く。早く。
しかし、いつまで待ってもジルベールは現れない。おかしい。何かあった? 心配になったアメリアは学院の中を探し回るが、彼の姿はない。
その日は結局、ジルベールに会うことが出来なかった。
翌日もまた、ジルベールは中庭に現れなかった。これはいよいよ変だ。今までにこんなことはなかった。一体、ジルベールに何が?
居ても立っても居られなくなったアメリアは学院寄宿舎のエレノアの部屋の扉を叩いていた。
少し間があってから、扉が半開きになる。中からはエレノアが上目遣いで覗いていた。
「……アメリア嬢」
何かを察したような表情だ。
「エレノア様。突然の無礼、お許し下さい。しかしどうしても気になることが御座いまして……」
「……兄の件ですね? お入り下さい」
この部屋は隣国の王族向けということだろう。部屋の造りも調度品もなるほど豪華なものだった。しかし、そこにぽつんと立っているエレノアの様子は不釣り合いなほどに頼りない。一体、何があったのか……?
「……兄は昨日、この手紙を私に託して、何処かへ消えてしまったのです」
「ジルベール様が?」
「ごめんなさい。本当は昨日の内にこの手紙をアメリア嬢に渡すべきだったのですが、突然のことに気が動転してしまって……」
「いえ、大丈夫です。しかし、一体……」
アメリアの中のジルベールは手紙等を託すような人物ではなかった。それだけに、エレノアから受け取った手紙がとても重いものに思える。
封蝋のついた封筒を借りたペーパーナイフで開けると、二つ折りの便箋が出てきた。アメリアはゆっくりと開く。
『アメリア。突然手紙なんて驚いただろ? 俺も驚いている。でもそれぐらい、思い詰めているんだ。アメリア。俺は君のことを愛している。でも、君の心が俺から離れているような不安を感じているのも事実だ。いつ、婚約破棄を言い出されるのではないかと、怯える日々。こんな気弱なところを見せてしまうのは恥ずかしいが……。今晩、学院の旧寄宿舎で待つ。もし、俺と永遠に連れ添ってくれるなら、来て欲しい。そうでなければ、すっかり俺のことは忘れてくれ。俺も二度と君の前には現れない。アメリア、待っている』
「……違う。……違うの。ジルベール様」
アメリアは手紙を取り落とし、瞳に絶望を宿す。
「私だって、愛していたの。ただ、不安だっただけ。どうしたらいいの、ジルベール様……」
力なく泣き崩れ、絨毯に倒れる。しかしそこへ、不粋な闖入者が現れた。
「おい、エレノア。本当にこんな花を贈るだけでアメリアの愛が永遠に……」
現れたのはジルベールだった。その手には氷のように透き通った花弁を持つ花の束が握られている。
「ジルベール様!」
「アメリア!」
アメリアは立ち上がり、倒れ込むようにジルベールにしがみついた。ジルベールはそれをゆっくりと抱き締める。
「一体、どうしたのだ。アメリア。そんなに泣きじゃくって」
「ジルベール様こそ! あの手紙はなんですか!」
「……手紙? なんのことだ?」
「えっ、手紙をエレノア様に託されたのでは?」
「まさか。俺は手紙なんて柄じゃない。俺は昨日からこの花を採りに王都の東にある湿原に行っていたんだ。この花はアメリア、君の大好きな花だろ?」
「とても綺麗な花ですね。初めて見ましたけど……」
アメリアは気付く。二人してエレノアにかつがれたのだと。ジルベールも眉間に皺が寄っている。
視界の端に、こっそり部屋から抜け出そうとする人影──。
「エレノア!!」
「エレノア様!!」
「ひっ! ごめんなさい!!」
そう叫びながら、エレノアは寄宿舎の廊下を駆けていった。
部屋に残された二人はいまだ抱き合い、離れる気配はない。
「ところでジルベール様。エレノア様から何と言われてその花を採りに行かれたんですか?」
「……この花を贈れば、君からの愛を永遠のものにすることが出来るって。なんで信じてしまったんだろうなぁ。俺は正気ではなかったのかもしれない。後でエレノアには説教をしないと……」
「あら、それは不要ですわ。エレノア様は嘘をおっしゃっていませんもの。私の愛は──」
ジルベールに唇を塞がれ、アメリアの言葉が最後まで紡がれることはなかった。ただ、言葉よりも情熱的なものが、しっかりとジルベールには伝えられたのだった。
短編書きました!
『予知の聖女の先回り 〜売国王子が婚約破棄? もちろん対策済みです!!〜』
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