25話・加護
「?」
不思議な感覚にラキトは僅かに首をかしげた。守護龍が空へ飛び立って、その後から体が火照っているような感覚がする。だが、それは熱から来るものではないことが本能的に理解できる。同時に反射的にありえないと否定する。
――だって、守護龍の加護をうけたなど、そんな馬鹿なことがあるはずがない。
ラキトは確かに上流貴族の出身ではあるし、遠い祖先に皇族に連なる系譜の者がいることも知っているが、ただそれだけだ。
守護龍に認められたなにをしたわけでもない。
まぁ、赫き竜と渡り合うための選別なのだろう。このときばかりはそう考えを片付けて、いつまでも空を見上げているステラの肩に手を置く。
びくりとらしくもなく肩を跳ねさせたステラが振り向いたのに微笑を浮べて、そっと手を引く。
ヒールの低い靴を選んだとはいえ、森の中は歩きにくいだろう。自然な仕草でエスコートするラキトに、またステラも身を任せる。
二人して皇宮から屋敷に戻った頃には日が傾いていた。
守護龍の力で常に陽光の光が差し込んでいる森の中では時間感覚がわかりにくいが、ずいぶんと話し込んでいたらしい。
飛び出してきたシェリアとリースに滞りなく終わったと伝えればあからさまにほっとした安堵の表情をみせた。
二人にとって、いや、ほとんどの人々にとって守護龍は確かに存在する唯一神でありながらも遠い世界の話であるのだ。その存在と対話をするというのだから、またされたほうが緊張しただろう。
まぁ、実際のところはあれなのだけれど。とラキトは若干遠い目になりつつ、遅まきながらステラのドレスを褒めている弟子とその様子を見守っているステラの弟子を見守る。歓談は執事が夕食を知らせに来たことで場を移すことになった。
ステラは脱ぎたがったが、折角なのだからとシェリアが押し留め、ステラはドレスのまま晩餐だ。
その姿だけで屋敷が華やかになる。本当に、ずっとここにいてくれればいいのにという想いが隠し切れない。
「ラキト様、先生にいつ告白するんですか?」
だからだろう。想いを教えていないはずの弟子がこうやってからかってくるのも。
「近々予定している」
「嘘! あの奥手なラキト様が?!」
そんな素っ頓狂な声を上げられるようなことだろうか。何事かと振り返ったステラとリースにひらりと手を振ってなんでもないと告げると、きらきらと年相応に目を輝かせる弟子の頭に軽い拳骨を一つ。
「いった」
「お前こそ、あのリースという少年と上手くやっているのか」
「なっ、なんでそこでリースがでてくるんですかっ」
途端に慌てだしたシェリアも大抵わかりやすい。
全くいらぬところまで似たもの師弟かと肩をすくめて、晩餐の会場へと足を踏み入れた。
初めての晩餐会、それも貴族階級のものとあって、ガッチガチに固まっていたリースだったが、ステラが寝込んでいた間に出された食事の際にマナーは気にしなくていいと告げられていたことを思い出して、そろっと視線をシェリアにすがるように向ければ呆れたようにため息を吐かれた。
「ラキト様、そこにマナーが何一つわからないやつがいますけど」
「ああ、構わない。自由に食べていい。ここは私の屋敷だからね、だれも文句はいわない」
「ありがとうございます……!」
「とはいってもあまりがっつかれるとステラの評判に関わるから、ほどほどになさい」
「は、はいっ」
基本的にステラが寝込んでいた際は、シェリアと二人で部屋で精霊術書を紐解いている間に食べていたので、マナーを気にしなくていいという言葉をすんなり受け入れられたリースだが、ここまで本格的な晩餐となるとさすがに物怖じしてしまう。
ラキトの釘をさす言葉と、視線がさらに怖い。
「おい、ラキト。そんな言い方をするな。教えていない私も悪いんだ。……リース、本当に気にしなくていい。ここのものは旨いから味わって食べるといい」
「はい……」
ステラにフォローされて、それでも自分からは手が出せなくて。
全員が食前の守護龍への祈りを捧げ、誰かしらが食べるのを真似しようと目を光らせていると意外にも真っ先にナイフとフォークをとったのはステラだった。
「本当に腹ペコだ。病人食は味がないし、薬はまずい」
そういってぱくぱくと食べだしたステラにつられるようにシェリアが手をつける。続いてラキトも。恐る恐るリースも手を伸ばした。
そうして、四人だけの晩餐会が始まった。
ステラが一見ぱくついているようにみえてその仕草が洗練されていることはリースにもなんとなくわかった。だから、ぎこちなくステラを真似ていく。
前菜のコリネスのサラダ、ルイギーンのスープ、焼きたてのパン、コルトリア皇統国ではポピュラーな魚、グリーネスの魚料理、口直しのクリューネのソルベときて、――当然ながら途中でデザートがでてきたことにリースは驚いたが、シェフがお口直しに、と言葉を添えてくれたのでなんとなく意味は理解した――メインの肉料理へとたどり着く。
「なにを当たり前のことを言っているんです、当然でしょう」
「当たり前でもつらいものはつらい。ああ、これ旨いな。どこの肉だ?」
その間もこんな軽口を叩き合っていたのだが、ステラのほうが肉料理までの攻略に本気を出していた。
本当に病人食は口に合わなかったらしい。そしてようやっと返答したかと思えばこの台詞だ。いまさらすぎる感が結構あった。
「養殖のラグンラビットにございます」
ステラの問いに答えたのは壁際に控えていたシェフだ。その言葉にほうと感心したようにステラが頷く。
「養殖は天然物とは違って味が落ちると聞いていたが、さすがラキトが召抱えるだけはある。いい腕だな」
「お褒め頂き光栄にございます」
シェフ帽をとってぺこりとお辞儀をするシェフにそんな違いがあるのかと緊張しつつソースのたっぷりとかかった肉をほおばったリースは、頬が落ちるかというくらいの旨さに思わず声を上げていた。
「うっめー!」
「ちょっとアンタ、さすがにそれはないわ」
本当に思わず声を上げてしまったリースは咎めるシェリアの声にはっとして体を小さくしたが、ステラもラキトもくすくすと小さく笑うだけだ。それがまたいたたまれない。
「最高のお言葉、ありがとうございます」
さらにはシェフからそんな追撃も加わって、さらに小さくなりながら、美味しすぎる料理を平らげていくのだった。
その後もイリネのチーズに希少なフラット果実と本物のフルコースを体験することとなる。
皿が出される前にシェフが簡単に説明をしてくれるので、原材料はわかるのだが、美味しいけれど肩がこりそうだというのがリースの素直な本音だった。
マナーを気にしなくていい今はいいが、これでマナーが云々かんぬんいわれてしまえば、味などきっとわからないだろうと思う。
一通りの食事が終わり、デザートが各自の前に配られた。コルトリア皇統国守護龍の好物だとまことしやかにささやかれているザッハトルテが本日のデザートだった。
ペース配分など当然わからないリースは大分おなか一杯だったが、鼻腔をくすぐる香りにはやはり食欲をそそられる。
そそくさとデザートに手をつけようとしたところで、なごやかな歓談の中すすんでいた話題をステラが、ところで、とさえぎった。
「ラキト、出発はいつになる?」
「明朝にでも。急いだほうがいい案件なのは事実です」
「そうだな。シェリア、リース、お前達は引き続き留守番だ」
二人のやり取りに思わずシェリアもリースも手が止まる。驚きに目を見張る二人に、上品な仕草でケーキを口に運びながら、ステラが「なんだ」と問いかける。
「せ、先生! まさか、またあの竜のところにいくんですか?!」
「反対です! 危険すぎます!」
悲鳴のような声を上げたシェリアと止めるようにがたりと立ち上がったリース。当然の反応ともいえた。
二人は目の前でシェリアがボウガンの矢に貫かれ、崩れ落ち、命を懸けて竜の子に生命力を渡したというのに、さらに食われかけたところを目にしているのだ。
だが、弟子二人の様子にもステラは頓着せず、ぱくりとケーキを口の中に入れて租借すると、「手は打ってある」と告げるだけだ。
沈黙が落ちる空間で、咳払いをしたのはラキトだった。自然とリースとシェリアの視線がラキトに集まる。
「今回は私がゲートを直接山脈の麓に開きます。そこからは私とステラ二人でいきます」
「そんな!」
「ラキト様!!」
再びあがったリースとステラの悲鳴にもラキトは落ち着き払ったままだ。いっそ憎らしいほどに。
「守護龍の助けを得ました。あちらも守護龍を敵に回すほど愚かではないでしょう」
もしそうだとしたら、すでに私達はここにはいません。
そう紡がれては、二人は押し黙るしかない。竜には竜の生き方がある。守護龍は人間側に極力あわせてくれるが、それでも元は竜だ。不安はないとは言い切れない。なによりステラはいまだ万全ではない。
「出発を遅らせることは……?」
せめて、とシェリアが口にしたことはステラによって切り捨てられた。
「できんな。すでにあれから八日が経過している。これ以上放置すればまたどこかの村が焼け落ちる」
すでに焼け落ちている可能性は、あえて口にせずとも伝わったのだろう。押し黙るシェリアとリースに、ようやくステラは小さく微笑んだ。
「案ずるな。ラキトのいったように守護龍の手助けを得れた。今度は大丈夫だ」
ステラの大丈夫という言葉を二人は疑ったことがない。それはステラに確かな腕前があるからだ。
それでもあれだけの圧倒的な存在を前に、不安になるなというのは無理がある。押し黙る二人に、ラキトが一言付け加える。
「守護龍は国に縛られる代わりに、守護する国の中ならば絶対の力を発揮します。さらには元々が守護龍のほうが赫き竜より上位種なのです。心配は要りません」
大人二人にこうやって念を押されては、もうシェリアもリースもなにも言えない。
ただ、不安げにゆれる瞳で最愛の師であり尊敬する師をみつめるしかないのだった。