20話・プレゼント
どさりと倒れたステラの体をとっさに支えることはシェリアにもリースにも出来なかった。リースは目の前で展開された突然の事態に、シェリアはまさかの師の行動に。
けれど硬直から立ち直るのはシェリアのほうが早かった。ステラが横向きに倒れたのでボウガンの矢がそれ以上食い込んでいないことを確認し、すばやく呪文を唱える。
胸元のネックレスに手をかざして、今のシェリアには少しばかり荷の思いけれどこの状況では他に手はないと魔術を行使する。
「我ここに在り。だが、汝の元へ我が求める。ゲートオープン!」
そうして空間が歪んだ。歪んだ空間の先はシェリアのもう一人の師であるラキトの下だ。
「リース、先生を担いで! 早く!」
シェリアが下げているネックレスにもラキトの魔力がこめられている。それを総動員しても人が通れるだけのゲートを長時間開くのはシェリアにはまだ辛い。
額に脂汗をかきながら叫ぶシェリアにすばやくリースはステラの傷に触らぬようにステラを担ぎ上げる。大剣をシェリアがもっていたことが幸いした。
「まて、人間」
だが、それを止める絶対の声が発せられる。
本当は無視して早くシェリアの言うとおりにしたいのに、リースの足が縫いとめられる。視線は否応なく止めた相手、赫き竜とステラが呼んでいた竜へと向かう。
赫き竜はひたりと見定める視線を意識を失ったステラに向けて、リースやシェリアにもわかるようににたりと笑んだ。
「その人間の清涼な気。よい、よい。それを食らわば我が子はもっと回復するだろうて」
「そんな!」
悲鳴を上げるシェリアに目を見開いて言葉もないリース。
コルタリア皇統国では竜は絶対の存在だ。神といえる存在だ。だから、朝と寝る前には祈りを欠かさないし、竜への信仰もまた根深い。
だが、そんな存在に、こんな理不尽を振りかけられたら、どうすればいいのだ。
大人しくステラを渡せるわけがない、かといって竜の言葉を無視してこのまま動けるはずもない。
成人したとはいえ子供が二人。なす術もなく佇んでいると、そこに割りいる凛とした声があった。
「それは成りません。彼女はこの国の貴重な人材、ここで死なせる訳にはいかぬのですよ」
静かに、静寂に、けれど凛として。
涼やかな声はそういった。弾かれたように顔を上げたリースの前ではゲートから一人の銀髪の男が出てきたところだった。
「無理をするなと、言ったのですけれどね」
男はそういって苦笑するとリースの抱えるステラの傷のある頬を一撫でする。それだけで、頬の傷は癒えいまだボウガンの矢は刺さったままではあるものの、死人のように青白かった頬に赤みが差す。
「赫き竜よ、この代価はいずれ我らがきちんとした形で払いましょう。ですから、いま一時だけ、見逃してはもらえませんか。彼女の命を懸けた守護を寄り代に」
「……ふん、その瞳の奥、あのいけすかぬ守護龍がみておるな。我もやつに喧嘩を売るほど阿呆でもない。ゆけ、瞬きの間だけ待ってやろう」
気に食わぬ、と隠しもしない声音で告げて赫き竜はまた子を守るように丸くなる。
「礼を述べます、誇り高き赫き竜」
男は優美に一礼をしていまだゲートを維持したままのシェリアの頭をなでる。シェリアの表情が随分と和らいだ。魔力を譲渡されたのだ。
「彼女を預かりますよ」
「はい」
壊れ物を扱う仕草でステラを抱き上げた男の視線は慈愛に満ちていて、男にとってステラが大事な存在なのだと知れた。
だからこそ素直に渡したリースの前で、男は悠々とゲートを通っていく。シェリアに促されゲートをくぐる直前、ふと振り返った赫き竜は瞼を下ろしたままだった。
そのままステラは治療をということで別の部屋につれていかれた。
きょろきょろとするリースの横で、知った場所なのか妙になれた様子のシェリアが盛大なため息をついていた。
「な、なぁ、シェリア、ここって……」
「ラキト様のお屋敷よ。あのゲートはラキト様の元へ直通でつなぐようになっているから」
まぁ、ラキト様のほうが都合が悪かったらあかないんだけど。その点タイミングは無駄に良かったみたいね。とどうでもよさ気に付け加えられる。
長い銀糸の髪に蒼い瞳を持ったあの男が、ステラの親友であり幼馴染であるという、シェリアの魔術の師であるというラキトなのだと遅まきながら理解して、同時にシェリアが立派過ぎる屋敷に慣れた様子なのも理解する。
ここはおそらく、シェリアが修行時代を過ごした場所だろう。
いやもうリースには立派過ぎて、高級すぎて一歩足を踏み出すのも恐ろしいような空間なのだが、シェリアは気にした様子もなく「あー、疲れた……」と呟いて伸びをしている。
「おい、師匠が大変なときに」
「大丈夫よ。ラキト様の手にかかれば、瀕死の状態でも持ち直すわ」
その信頼に裏づけされた自信には思わずリースが頷き返してしまうほどのものがあった。
だから、とシェリアは続ける。
「私達は下手なことはせずに、ラキト様を待つことしかできないのよ」
その瞳によぎった寂しげな色に、気付いてしまったから。
シェリアがステラを尊敬しているのは短い旅の間でも本当によく知っていたから。力になれないことが歯がゆいのだと、それは自分も同じだけれど。魔術を行使するものとしてシェリアのそれはリースより数段上なのだと理解して。
何か出来ないかと思ってしまった。
それで、思いついたのが、先日購入したイヤリングだ。
結局渡せないままだったが、辛うじて血に汚れることを避けられた小包は肌身離さずもっていた。
だから、それをずいとシェリアの胸元に押し付ける。少しでも気がそれればいいと思っての行動だった。
「なによ?」
「いいから、やる」
短く言えば、シェリアは怪訝な顔をしたものの包みを開いて、目を丸く見開いた。そうしていると素直にかわいいんだけどなぁ、などとシェリアに聞かれればひっぱたかれそうなことを考えてしまったのは秘密だ。
恐る恐る反応を横目でうかがうリースの前で、シャンデリアの灯りにイヤリングをかざしたシェリアは、はぁとため息をついた。
そのなんともいえない、なにかいいたげなため息のつき方に、リースもむっとする。
「なんだよ、人が折角」
「アンタ本当に、なんなのかしらね。昔からこうなの?」
「……は?」
リースの言葉を遮って呆れた声音で紡がれた言葉に、リースは眉を寄せる。
そんなリースの前でイヤリングをゆらゆらと揺らしながら、シェリアはもう一度ため息を吐き出して。
「作った人、魔術師ね。魔力がこもってるわ。純度が高い。いざというときのために魔力を充電することも出来るでしょうね。こんなの、商業と職人の国ステランデディス中立国でも中々お目にかかれない一品よ。一体これいくらしたのよ。まさか盗んでないでしょうね?」
「ばっ、馬鹿いえ! ちゃんと買ったさ! 師匠に貰った小遣いで釣りがきたぞ!」
「あー、じゃあ職人は無自覚で商人も知らなかったのね。アンタ剣といい精霊の化石といい本当にヒキがいいわねぇ」
探しても中々見つからないわ、こんなの。
と、これまた呆れたようにため息を吐くが、そのため息の中にやりきれない、というような雰囲気を悟ってしまってリースは些か居心地が悪い。
そりゃあそんなに価値のあるものだと思わず、ただ、シェリアのしているネックレスに似ているな、揃えたら綺麗だろうな、とそれだけで買ったのだ。
そこまで言われるほどのものだとは思いもしないし、正当な値段で買ったとは言いにくくなった。とはいえ、いまさらどうしていいかもわからない。
ラキトという男が皇宮仕えなのは聞いている。だからここはきっと帝都だ。いまさら西の端まで返しにはいけないし。
そんなリースの心境を思ってか、己の中で整理がついたのか、シェリアはイヤリングを握り締めて、肩をすくめる。
「ありがたく戴くわ。魔術師にとってこの上ない贈り物よ」
「お、おう」
「あと、センスも中々ね。純粋に気に入ったわ。ありがと」
褒められているのだろう、これは。だって礼もいわれているし。
シェリアからの礼という慣れないものに思わず顔を紅くしたリースをシェリアは怪訝な表情で見つめていたが、軽く首を傾げるだけで、すぐにイヤリングを両耳につけた。
「どう?」
「に、にあってる」
どもってしまったのは仕方がないと言い訳をしたかった。
だが、シェリアは常ならつっかかるリースの様子にも気にした風はなかった。それだけシェリアも疲れているのかもしれない。
「お二人とも、お部屋の準備が出来ました」
「あら、久しぶりね。クイナ」
「はい、お久しぶりですシェリアお嬢様」
「お嬢様?!」
お着せの上品なメイド服を身に纏ったメイドの案内にも驚いたがシェリアがお嬢様と呼ばれていることにも驚いた。
思わず声を上げたリースに、シェリアは肩をすくめてリースの知らない事実を告げたのだ。
「私、養子なのよ。名目上はね」
「え? え?」
「だから、私は養子なの。ラキト様の」
とはいっても本当に名目上のものだから、ファミリーネームは違うけど。とこともなげにつげるシェリアに住んでる世界が違う、とくらりと眩暈がしたリースだった。




