19話・赫き竜
太陽の輝きも眩しい昼間。体はへとへとだが、食事を取るのも惜しいと宿を飛び出そうとしたリースは「どこにいくんだ?」という聞きなれた声に呼び止められた。
思わずぎこちない仕草で振り返れば、そこには昼食であろうラグーの煮込みを食べているステラとシェリアの姿。
「え、あれ?師匠たち、どうして」
「急用がはいってな。これを食べたら出るつもりだった」
しれっと答えるステラにシェリアは内心でよく言いますね、とため息をついた。ステラがリースを待っていたのは明らかだ。
普段ならぱぱっと終える買い物に無駄に時間をかけていたもの、一瞥もくれることのない装飾品の店に立ち寄ってわざと時間を潰していたことも知っている。
だが、それをリースに教えるよりもシェリアは言いたいことがあった。
「リース、私アンタに光の指すほうに行けっていったでしょ。どうして確かめないのよ」
じろり、とジト目で見つめれば、リースはわたわたとしながら懐の琥珀色の化石を取り出す。淡く光るそれは確かにステラとシェリアの座るテーブルのほうへ向かって光っていた。言い訳のしようもない。
「……悪かった」
「一回で覚えたら、まぁ、苦労はしないわよね。いいわよ、さっさと何か頼んで食べちゃいなさい。先生もそれくらいまってくれるわよ」
「ああ」
シェリアの言葉に頷いたステラにこれ幸いと部屋から持ってきた路銀の金を出して、クラベッハのバター焼きを頼む後姿に、シェリアはこっそりとため息を吐き出した。
食事を終えてようやく出発となった。
リースの分も買い込んであった日持ちのする食料はリースの分だけ分けて入れて、次の街まで歩きで二週間だ。
長く歩くが、その分次は村ではなく街ということでそれを教えられてからリースは落ち着きがない。
街といっても小さなもので帝都には遠く及ばんぞ、とステラが釘をさしてもそわそわしているのだから、憧れというものは簡単に拭い去れるものではない。
一日歩き通し、特に問題なく夕暮れを迎え早めにテントをはって猛獣よけの術をしき、ステラとシェリアは夜の鍛練を、リースもまた課せられた課題をこなし終え、当たり前だが先に終わっていたステラとシェリアがリースが終わるのにあわせて食事を炊いてそれを食べる。
なんの変哲もない日々は一週間は続いた。食後にリースがへばってすぐに落ちるように眠るので魔術、精霊術の講義は行われていないことが変更点といえば変更点だが、そこらへんは二人とも承知の範囲だったのでとくにリースには何もいっていないが、当の本人が酷く悔しそうだったので、さすがに見かねたステラが道中に口頭で説明できることだけ教えてやってくれとシェリアに告げたのだ。
剣の重さにも慣れ真っ直ぐ歩けるようになったリースに、シェリアは口頭でまずは専門の魔術の講義をおこなっているのだが、これが中々にリースは吸収がいい。
わからないところは恥じることなく聞き返すし、一度聞けば何度か反芻した後は忘れない。
シェリアが危惧したほど頭の出来も悪くなく、そもそも一人で敬語を練習して身につけている点からして、元の頭の回転もいいのだろうと思っていた。
「だから、魔術的には火の元素は火種と成るものがあったほうが楽なのよ」
「それって精霊術の範囲じゃないのか?」
「そうでもあるけど、言ったでしょ、魔術と精霊術は表裏一体。重なる部分もどうしても出てくるの。元々力をどこから引き出すかが違うだけで、最終的にやることは同じだっていう人もいるくらいなんだから」
「へぇ」
感心したように頷くリースはいまだ剣を抜かせての稽古をさせないステラにも文句を言わないし、シェリアにも講義の面では素直になるいい生徒だった。
そうこうしているうちに、平和な旅路は二週間を終え、新たな街、オールラドンにきた。
「うわああああ、すげええええ」
「ここは西への最後の中継地点にもなっているからな。商人が多い」
ステラの説明に目をキラキラと輝かせながらあっちこっちへと視線を向ける。シェリアはきたことがあるので、そこまであからさまではないが、やはり興味はある。視線はばれない程度に泳いでいる。
「五日ほど滞在する予定だ」
「五日、ですか?」
その言葉に振り返ったリースが不思議そうにする。今まで村への滞在はほぼ一泊だったからだろう。
「手持ちに不足はないが、一応路銀も稼がねばならんしな。適当な場所で稼いで来る」
「え?例えばどんなところですか?」
「んー、まぁ、大抵は飲み屋だな。ここにも馴染みの店がいくつかある」
大柄ないかにも傭兵という男がいると客が萎縮して困る。かといって、酔った勢いで客が暴れだしたとき押さえられないのも困る。という店にステラは人気があるのだ。
そのあたりをシェリアが説明し、リースがほうほうと聞いているのを聞き流しながら、さて、どこの店に顔を出そうかとステラは思案する。
たいていの場合、そういう店は馴染みの傭兵をやとっているものだが、ステラがいけば、その傭兵に臨時休暇をだしてやれるということで喜ばれるのだ。
ひとまず、近い場所から顔を出して行こうと決めて歩き出そうとしたステラの胸元がふいに光りだした。
眉を顰めてステラは正反対、街の外へきびすを返す。
「師匠?」
「悪い、そこで待っていてくれ」
突然の方向転換に戸惑うリースに、ステラの押さえられた胸元が光っていることに気付いたシェリアが無言で急かす。
軽く手を上げてステラは急ぎ足で群衆の間を抜け出した。
そして街の外の人に話を聞かれないだろう場所まできて、胸元からペンダントを取り出す。
ステラの瞳の色にあわせたイエロー・ダイヤの嵌められた大振りのペンダントは魔術師の使う魔術の媒介だ。
教えられた作法でペンダントの上で指を動かせば、ぼうっとペンダントの上に人の顔が浮かび上がり、徐々に鮮明になっていく。
『よかった、ちゃんと繋がりましたね』
「どうした、ラキト。お前がこれを使うなど、よっぽどだろう」
ほっと息を吐く幼馴染で親友のラキトに、ステラはますます眉を寄せる。
大抵の場合ラキトからの連絡は彼の弟子であるシェリアを経由する。
そのほうが魔術の造形に深くないステラの負担とならないからだ。投影魔術はかなりの魔力を消費する。そのほとんどをペンダントの向こう側の、恐らくは帝都にいる魔術師ラキトが担っているとはいえ、ゲートをつなぐのはステラには少し荷が重い。
やや気だるい体を適当な木に預け問いかければ、ラキトはいつになく強張った表情で要件を告げた。
『今はどこにいますか?』
「西の街、オールラドンだ」
『……ギリギリ、ですか』
「なんだ、どうしたというんだ」
苦い顔をするラキトにただ事ではないとさとったステラも厳しい表情で問い直す。
『赫き竜が暴れている、という情報があるのです』
「赫き竜といえば次代の守護龍と名高い竜じゃないか」
『はい、その赫き竜です。付近の農村は全滅、赫き竜が暴れている影響で気候にも悪影響がでているようです』
「それはエーデルで情報屋から私も聞いたな。理由が赫き竜だとは言わなかったが、最近の気候のずれはいずこかの竜の気がたっているからだと言っていた」
その程度お前も把握しているだろうし、どの竜が原因かわかれば連絡する気でいたんだがな、とため息混じりにステラが呟けば、重々しい口調でラキトが言葉を続ける。
『早急に対策が必要です。帝都からも部隊を派遣しますが、なにしろ遠い』
「そこで、私か」
『その通りです。先遣隊として視察だけで構いません。見てきていただけませんか』
「構わん。赫き竜の住処は西の山脈だったな。ここからだと馬で走り続けて五日ほどか」
『くれぐれも、無理はしないでください』
「わかっているよ」
それが通信の限界だった。再び揺らめく陽炎となったラキトが念を押すように『無理をしないでくださいね』と告げたのを最後に、ペンダントは何も映さなくなった。
「予定変更、だな」
それも大幅に、と口の中で呟いて待ちぼうけを食らわせている弟子二人の元へ戻るのだった。
シェリアとリースにわけは後で話すと告げ先に宿をとる。一泊もしないうちに発つ予定であるので部屋を取るのは金の無駄でしかなかったが、人に聞かれては困る話をしようと思えば仕方ない。
宿の部屋で、帝都からの命で緊急の仕事が入ったことを告げれば、リースは酷く緊張した面持ちをしたが、シェリアは逆に険しい面持ちだった。
「先生、私もついていきます」
「危険だ」
「そのときのための私です!先生になにかあったらラキト様にあわせる顔がありません!」
言い募るシェリアはこうなったら引くということを知らない。ため息一つ吐き出して、もう一人の弟子であるリースに告げる。
「お前は」
「お、俺もいきます!」
とたんに渋い表情になるステラにリースは必死で言い募る。
「何の役にも立てないかもしれないけど! でも! 俺も行きます! 行かせてください!」
ほとんど土下座をしそうな勢いのリースに説得の時間はそれだけ無駄だと判断し、ステラは立ち上がった。
「馬には乗れるか?」
「はい、村で乗っていましたから」
「農耕馬とは勝手が違うと思うがな」
ぽつりと呟きながらくるりと踵を返す。
「いますぐ発つ。行くぞ」
「「はい!!」」
元気な声が二つ返ってきたのを、ステラは軽く肩をすくめることで許容した。
その後馴染みのキャラバンからいざというときのために取っておいた金貨で馬を三頭買い上げ、山岳へと最低限の休みだけで走り続けた。
リースは早々に根をあげるかと思われたが、歯を食いしばってついてきた。その根性は賞賛してもいいだろう。
馬が倒れる寸前まで酷使し、たどり着いた山岳の麓の村。そこは、一面の焼け野原だった。
「……ひでぇ」
思わずといった様子でぽつりと呟くリースの隣で、馬上からくんと匂いを嗅ぐ。
「人の焼けた匂いがしない。一瞬で焼き尽くされたな。痛みも感じる暇はなかっただろう」
それは、せめてもの救いかもしれない。
そう胸のうちで呟いてつかの間の黙祷を捧げる。ステラに倣い、シェリアとリースもそうする。
目を開いても光景は変わらない。なにも残っていない、消し炭としかいえない、村があったと知らなければその名残を探すことも難しい場所だ。
「ここからは徒歩だな」
どこか適当な場所で馬を木につないで歩くというステラに二人が沈痛な面持ちで頷いた。
山岳の麓ぎりぎりまで馬で進み、馬を木に繋ぐ。
険しい山道をするすると登っていくステラにシェリアもリースも無言で付き従う。二人の脳裏をよぎるのは、村の惨状。死体すら残らず焼き尽くされた跡。
それが竜の仕業だとステラは言う。恐ろしいと感じるのは人間の本能だ。帰りたいと思ってしまうのも致し方のないことだ。
それでも二人はステラについていく。シェリアはステラによせる絶対の信頼があるから、リースは少しでも強くなりたいから。
ステラが竜の元に行くと告げたときから、なにかがリースに呼びかけるのだ。早く、早く、と。それがなんなのかわからない。言葉にしがたい感覚のため、今は急ぐステラとシェリアには告げていないが、決して無視してはならないと思っている。
だから必死にリースは食いついていく。先をすすむ二人のあとを荒い息で追いかける。
山岳を上り始めて一時間ほど、ステラが横に手を出してしゃがみこんだ。
先を歩くシェリアが倣いステラの隣にしゃがむ。リースはシェリアを挟んで隣に座り込み、ステラが鋭い眼差しで見つめる先を見て、息を呑んだ。
そこにいたのは、竜だった。赤黒い、全身を鱗で覆われた巨大な竜だ。
比較の対象が思い浮かばないほどに大きい。あの竜が降り立てば、リースの村など全て覆われてしまうのではないかというほどの巨大さ。
圧倒されるリースの中で警戒心が鳴り響く。それでも動けない。呼吸が細く短くなる。あの圧倒的な存在の前でリースは自身が酷く矮小な存在に思えた。この世に存在する価値などあるのかと、自身に問いかけたくなるほどに。
「臆するな。前を見ろ。お前はそこに在るぞ」
ステラが小声で、それでも力強く言う。
その言葉にはっとして、我を取り戻し、深く呼吸を繰り返す。
そんなリースの様子を確かめて、ステラは背に背負っていた大剣をシェリアに渡した。
「赫き竜と話して来る。どうにも、様子がおかしい」
「そんな、危険です!」
「だが、このままでは原因がわからん。ここに帝都の部隊がきても逆効果にしか思えんしな」
有無を言わさぬ声で武器をシェリアに押し付けたステラはしゃがんだまま少し移動し、そこからすくりと立ち上がった。
すたりすたりと確固たる歩みで竜の前へと歩み出る。
ぎょろりと血よりなお紅い竜の瞳がステラへと向けられる。
だが、ステラは内心を億尾にも出さず、堂々たる面持ちで竜の眼前へと歩み出た。
「誇り高き赫き竜に尋ねたきことがあってやってきた。答えてはもらえぬだろうか」
朗々たる声に竜が鎌首をもたげる。背の二枚の羽が僅かに動く。何かを守るように体を丸くしている竜にステラは真っ直ぐな瞳を向けるのみ。
「人間風情が、何用だ」
「貴方が麓の村を焼いたと聞いた。その訳を教えてはもらえぬだろうか。私には誇り高き貴方がそのようなことをするとは思えない」
哄笑があたりに響く。
木々を揺らし石を割り大地に皹をいれるような、憎憎しさに満ちた哄笑だ。
それでも引かぬステラに竜はひとしきり笑い終えると、ひたりと視線をすえた。
「金の髪に翡翠の瞳、その身に宿る澄んだ気と加護の力、そうか、主、守護龍の知己か」
「数え切れぬほど世話になっている」
「我はあのような腑抜けとは違うぞ、人間めが……!」
憎悪を隠しもしない言葉に声音。なぜここまで人を憎むのか、その理由が知りたいとステラは言葉を重ねる。
守護龍の加護を受けているからこそ、目の前の火の竜の頂点に立つ赫き竜は対話をしてくれているのだと理解していた。
「なにがあったというのだ。我ら人間が狼藉を働いたのだろうか」
理由もなく人間の村を襲ったとあっては竜の中の竜、次期守護龍と目される存在でも他の竜からの反発は免れまい。
そう思っての言葉に、降り注いだのは怒りに満ち溢れた言葉だった。
「狼藉? そのような可愛らしいものか! やつら我が子を攫おうとしおったぞ!」
「攫う? 竜のお子を?」
「そうだ人間! 我は貴様らを許さぬ。我が子を傷つけた貴様ら人間を滅ぼしてくれようぞ!」
そういいながらも、赫き竜はその場から動かない。それでようやく、ステラは得心がいった。人間に害されたという子供を赫き竜は守っているのだ。
馬鹿な人間もいたものだと、ステラも頭が痛くなる。それどころではないが、眩暈を起こして倒れそうな心持だった。
どんな理由があれば誇り高き竜の数千年に一度しか生まれぬ子供に手を出そうという気がおきるというのか、とっくに死人になっているであろう狼藉ものたちを叩き起してでも問いただしたい気持ちだった。
だが、これで理由はわかった。傷つけられたという赫き竜の子を癒せば打開策も見えるだろう。
そう思いステラが声を出そうとしたときだ。
「師匠、危ない!!」
背後からの切羽詰った声音に、思わず振り返った。その左頬を掠めるようにボウガンの矢が飛んでいく。目を見張り反射的にサイドステップで距離を取ったステラの前に、明らかに野党とは思えぬ、金に飽かした装備品でごてごての鎧に身を包んだ一団が現れた。
「貴様ら……っ!」
首謀者の一団かとこれ以上、赫き竜の怒りを注ぐなと背中に手をやって、そこに愛剣がないことに気付く。思わず舌打ちしたステラの前で、二度目の襲撃に赫き竜は完全に堪忍袋の尾が切れていた。当然である。
「まだこりぬか人間がああああああああ!!」
咆哮と共に火を吐くが、それは瞬時に盾を構えた男達に防がれた。竜の本気の一撃だ。それを防ぐとは、と目を見開くステラのまえで、男達は得意満面にそれぞれの得物を取り出す。
「剥製にしてやるぜ!」
「竜の剥製たぁ、高く売れるだろうよっ」
「人生十回やっても金にこまることはねぇ!」
そういって襲いかかってくる男達にステラが徒手空拳でも応戦しようとしたときだ、地響きと共に、今度こそ地面が割れた。
本能的に危機感を感じたステラが視線を上げれば、宙に舞い上がった赫き竜。
「舐めるな、人間がっっ!!」
あたり一面を焦がす先の一撃の十倍の威力はあろう炎を吹き出し、赫き竜は尾を振って炎から命からがら逃れた残った男達を蹴散らした。
だが、ステラには見えた。男達のうち一人が、悪足掻きでボウガンの矢を撃ったことを。
そしてそれが、今まで赫き竜に守られていた竜の幼体に真っ直ぐに向かってしまったことに。
それは、反射的な行動だった。なにを考えていたわけでもない。ただ、守らねばと思った。
このコルタリア皇統国に生きる人間として、絶対の守護神たる竜の子を。
だから、それは必然であったのだ。
「先生!」
「師匠っ」
悲痛な二つの声が静まり返った静寂を切り裂く。
ステラはボタボタと胸から映えたボウガンが血を流すのを見つめながら、小さく口端をあげた。
「赫き、竜、よ。お子は、まも、た。どうか、いかりを、しずめ」
そこまでが限界だった。がっくりと膝を突いたステラの元にシェリアとリースが真っ青な顔で駆けつける。先ほどの炎からは辛うじて免れたらしい。良かった、と安堵する。
「人間が、その程度で取り返しがつくとでも?」
「いいえ、我らの犯した過ちは、この程度では、償えぬと。だから」
重たい腕を動かして首からペンダントを取り出す。イエロー・ダイヤの親友から貰ったそれは膨大な魔力がこめられている。
ダイヤを怯える竜の子の前に置き決められた印を己の血で描く。
「お子に、月の加護があらん、ことを」
ステラの親友、ラキト・ルツ・ギルナンドは月の神子と呼ばれる希代の魔術師だ。
魔術ではどうしてもアルドリア国におくれをとるコルタリア皇統国で数百年に一人といわれる、直に魔術師から魔法使いへと位があがるだろうと噂されるほどの人物。
そんな彼がこめた魔力を全て使いきり、そこにステラのなけなしの生命力を搾り取るように上乗せすれば、少しは竜の子の傷もいえるだろう。
とろりと溶け出した宝石が血で描いた印を巡り、淡く発光する。そして、その光は生命力となって竜の子の中にはいっていった。
そこまでを、確認するのが、ステラの限界だった。