10話・猛獣カスグニ―
さて、宿屋をとったはいいものの、善は急げというしな、というステラの鶴の一声で先ほどまでキャラバンとともに来ていた道を蜻蛉返りすることになった一行だった。
とはいえ、ラグンラビットを仕留めたのは、ルーデルカンスの村から徒歩で半日とかからない距離の場所だった。リースも伴い走って移動をすれば三時間もかからない。
ラグンラビットの巣の近くまで走り通しで、長距離を走ることに慣れていないリースはペース配分もわからず、かなり荒い息をしていたが、ステラはもちろんシェリアすらも涼しい顔だ。
ステラは身の丈ほどの大剣を、シェリアはレイピアとはいえリースとさして年もかわらず女だというのに、この体力。
自身の体力のなさを見せ付けられたようで落ち込むが、そこはこれからの特訓で挽回するんだとリースが握りこぶしを固めて決意する中、ステラはしゃがみこんで、地面をなぞっていた。
「ラグンラビットを仕留めたのが一週間ほど前。狩りつくしてはいないから、カスグニーも移動はしていないはずだ」
「先生、術で痕跡を追いましょうか?」
「……そうだな、頼む。シェリア」
「はい」
カスグニーの居場所を探すのにわざわざ魔術を使う必要はない。だが、リースに魔術を見せるいい機会ではあるだろうと判断し、頷いたステラの前でレイピアと同じく肌身離さずもっているロッドをシェリアが水平に構える。
ふわりとシェリアの長い髪が風もないのに揺れて浮き上がる。
そっと閉じられた瞳にはきっとカスグニーの姿を思い浮かべているのだろう。
「我、魔術を行使する者。汝、我の求めに従い姿を示せ!シークアイト!」
詠唱を唱えた瞬間、ステラたちの足元も淡く光りだす。
「うわっ」と飛び上がったリースを放っておいて、ステラは淡く光る足跡――カスグニーのものだ――のあとを追いかける。
すでに術を唱え終わったシェリアも後に続く。
一人置いていかれてはたまらないとリースも恐々後に続いた。
三十分ほど足跡を追いかけて駆け足で走ったステラは木陰で立ち止まり、二人を制した。
視線の先には親子なのか、しなやかな筋肉のついた肉体を包むのは自然界では目立つ薄黄色の毛皮。月夜のない晩のような真っ黒な色の目の大柄なカスグニーが一匹、小柄なカスグニーが二匹いる。カスグニーは四足歩行の猛獣だが、立ち上がれば一匹は人間ほどの大きさはあるだろう。子供二引きは大型の犬くらいのサイズだ。
「ち、子供連れか。困ったな」
「えっと、なにか、悪いことでもあるんですか?」
「子供連れのカスグニーは、というか野生の動物は大抵気性が荒い。それと、……まぁ、個人的な感傷ではあるのだが、野生動物とはいえ、あまり子供を殺すのは好きではなくてな」
「眠らせますか?」
「頼む」
「対象はどうします? 子供だけですか? 親もですか?」
「シェリア、お前カスグニーと戦う気はあるか?」
「はい!」
ステラの挑むような笑みと物言いに、にこりと眩いほどの笑みで返事をしたシェリアは二年共に旅をしただけあって、流石にステラのそのあたりの心境はわかっている。
シェリアの言葉にステラが頷けば、シェリアは先ほどほど派手ではなく、気付かれぬよう小声で詠唱をした。
とたん、じゃれあっていた二匹のカスグニーの子供がころんと転がるように寝てしまった。
そのあまりに唐突な眠りに親のカスグニーがぐるると喉を唸らせる。異変を察知して警戒しているのだ。
「いけ、シェリア」
「はい!」
ステラの言葉にざっと木陰から飛び出したシェリアにカスグニーの視線が集まる。挑発的に笑うシェリアの手にはすでにロッドではなくレイピアが握られていた。
「先生の前だもの、いいところ見せるんだから!」
はっ、と鋭い気合とともに襲い掛かってきたカスグニーにむかってレイピアを突き出す。
狙いたがわずカスグニーの片目を潰した正確無比なレイピア裁きにステラの隣ではらはらと見守っていたリースが息を呑む。
なにしろ、リースの村ではカスグニーには決して近寄ってはならないと幼少時から言い聞かされていた猛獣なのだ。
基本、カスグニーはラグンラビットを主食とするが、その他の動物も食べる。人間は捕食対象ではないが、極々稀にカスグニーが異常繁殖した際など食料が足りなくなると人間をも襲う。
だから、見かけても決して近づかないのが常識とされる。
それだけ、カスグニーは気性が荒く凶暴な生き物だ。
片目をつぶされたカスグニーが怒り狂った咆哮をあげる。それにステラは当然ながら、シェリアすらも怯まない。
これが、経験の差。
握り拳にさらに力をこめて、真っ直ぐに目の前で展開される狩りを見届ける。
二度目の攻撃は飛び掛ってきたカスグニーの下を危なげなく通り抜けたシェリアがとんと地面を蹴って宙で一回転し、またカスグニーの前に戻る。毛皮が欲しいといわれている以上、無駄な傷はつけられない。
そして残っている片目をつぶして怒りと痛みでほえるカスグニーの顎から脳天を突き刺し、終わった。
ぴくぴくと痙攣するカスグニーの黄色く滑らかな毛皮はステラが剥いだ。残った肉の部分も血抜きをして持ち帰ることにする。適当な値段で捌けると算段をつけてのことだ。
あまりに手馴れた様子に手を出せずにいるリースに気付いてステラがこいこいと手招きをする。
「なんですか、師匠」
「食べてみろ。カスグニーの肉は珍味だ」
血抜きをしたばかりの生肉を切り取って渡される。
生の肉を食べることへの抵抗はあるが、こうやって渡された以上、生のままでも問題はないのだろう。
ごくりとつばを飲み込んでから、目をつぶってえいっと口の中に放り込む。
「にがっ!!」
噛んだ瞬間口内に広がったのはいかんともしがたい苦さだ。まずい、まずすぎる。
思わず口の中の生肉をぺっと吐き出してうええええーとどうしようもないまずさにのたうつリースの前に笑いながら水が差し出される。
反射的に受け取りごくごくと飲み干しても、なんとも形容のしがたい苦さが口の中に残る。
眉を顰めるリースの前に、今度差し出されたのは飴玉だった。
「それで口直しでもしておけ」
ステラの差し出した飴玉をありがたくいただく。甘い味が口内に広がり、苦さとまずさを消し去ってくれるのをまちながら涙目でリースはステラを見上げた。
「……師匠、珍味っていってもアレは」
正直、ないと思う。好き好んで食べる変人など理解できない。
顔にでかでかと書いてあるその言葉にまたステラが小さく笑う。
横で剥いだ皮をなめしていたシェリアがふんと鼻を鳴らした。
「カスグニーの肉は本来燻製で食べるのよ。燻製にすることで生肉の苦味がなくなって仄かに甘くなるの。まぁ、たまに?その苦味がいいって人もいるみたいだけど」
「何事も経験だ。言葉で教えられるより体験したほうが早いだろう?」
それがまずいことこの上ないとわかった上で肉を渡された理由だとでもいうように笑う師にリースは涙目だ。
「男ならその程度我慢しなさいよ。私は吐かなかったわよ」
「お前も食ったのかよ?!」
「業腹なことにアンタと同じような状況でね」
道理で生肉を渡されたとき、視界の隅にいたシェリアがなんともいえない顔をしていたはずだ、といまさらながら納得がいって、それでも横暴にはかわりないとぶすりとステラを睥睨すれば。
ステラは意に介した様子もなく残りの肉を専用の布でくるんでしまうとそれを背負って「ん?」と顔を上げた。
「私のやり方に文句があるなら、すぐに村に帰って構わないぞ」
「……ありません!」
あんまりな仕打ちだとは思うが、この程度で破門になるなど馬鹿らしい。
それでも声音は若干拗ねたものになってしまって、ステラが笑いながら片手でぐしゃりとリースの頭を撫でる。
「さ、帰るか」
「肉、持ちます」
「そうか?なら頼むよ」
シェリアが皮をもっているのに、自分が何も持っていないのはおかしいと手を差し出せば、渡されたのはずんと重たい肉の質感。
予想以上の重さに僅かに足元がふらつく。
「さ、鍛練の一つだ。走るぞ」
「はい!」
「わかりました!」
元気よく声を上げたシェリアと若干やけっぱちな気持ちで是と返したリースにステラはおかしそうに笑っていた。




