1話・ステラ
ステラは流浪の旅人だ。
といえばかっこいいのかもしれないが、その実、傭兵稼業をやりながら世界中をあっちにいったりこっちにいったりしているのが現状だった。
なにをするにも先立つものが必要で、ステラにとって先立つもの、つまりは金銭の収入源は傭兵稼業だった。
元々世界を見て回りたいと家出同然に家を飛び出した身ではあるが、実家で師事していた剣の師の教えが良かったこと、ステラが女だからと侮られることのないよう鍛練を欠かさなかったことから、今ではかなり名の通った傭兵だ。
肩につくかどうかというボブの太陽の光を集めたかのような金の髪を靡かせて戦う様は剣舞のよう。美麗な踊り子の可憐な踊りのようだ。真剣でいて真摯な碧眼の瞳に射抜かれれば、誰もが貴方の前に頭をたれる。とは彼女の親友たる魔術師ラキト・ルツ・ギルナンドの言葉である。
ステラ自身はそんなご大層なものだとは欠片も思っていないが、魔術師見習いを卒業し世界を見て回るためにステラの宛てのない旅に同行しているラキトの愛弟子シェリア・ウールも同じことをいうものだから、師弟とはここまで似るものだろうかと若干の照れくささと呆れを抱いたものだ。
さて、ラキトから彼の愛弟子シェリアを預かって二年ほど。
そろそろシェリアも世界の様子――世界には人間のみならず魔術的素養を持ったものにしか見ることの出来ない妖精に精霊、成人しても人間の半分ほどの大きさしかないドワーフ族、人間の倍の寿命を誇り魔術的に先天的に優れた素質を持つエルフ族、それら全てと交流を持つことが適ったことで人間の枠に囚われない世界のありよう――を知っただろうし、ラキトの元に返そうかとシェリアが思案していた頃だ。
これがシェリアと共にする最後の傭兵業かなと思いながら辺境の村までの行商のキャラバンの護衛を終わらせて、約束の金額に途中想定以上に野党などに狙われたことから上乗せされた報酬を貰い、懐にしまったステラはシェリアに声をかけた。
「シェリア、ここからは歩いて帝都に向かう。体力はもう大丈夫だろう?」
「はい! もちろんです、先生!」
ステラの元に預けられたばかりの頃は魔術的素養に優れ、魔術を自在に操ることは出来ても旅をする体力が心もとなかったシェリアだが、二年を通してシェリア自身の意思でステラに師事し剣術の基礎を学び、体力をつけた今では丸一日歩き通しでも、一週間の野宿にも弱音を吐くことはなくなった。
シェリアと共にする旅の最後にあえて西の最果ての村を選んだのは、シェリアに自信をつけさせるためだ。
シェリアはどうにも師であるステラと自身を比較して、己などまだまだだと思っている節がある。だが、それは大きな間違いで、シェリアは得物こそステラとは違うが、本来が魔術師であることを考えれば破格の才能を剣術でもみせていた。
二年でものにしたとは思えない強さがその証なのだが、どうにもシェリアにはその意識が薄い。だから、これは師であるステラから最後の贈り物のつもりだった。
魔術はもちろん、剣術にも自信を持って皇宮仕えの親友の下に返してやりたいという。
だからこそ、帰りもぜひ傭兵として雇いたいというキャラバンからのありがたい言葉を辞退し、交流のある他の傭兵団を斡旋しておいたのだ。
「じゃあ、一晩ここの宿に世話になるか」
まだ日は高い。すぐに出立してもいいが、急ぐ用事があるわけでもない。
親友のラキトからシェリアを預かっているとはいえ、彼は「この子に世界を見せてほしい」としかいわなかった。シェリアをラキトの元に返す時期はステラに任されているということだ。
んー、と思い切り伸びをして深く深呼吸をする。
草木の香り、堆肥の匂い、甘い香りは果実だろう。
西の特産品といえばなんだっただろうか、などと思考を巡らせつつ、ああそういえば、宿を取るといいながら、肝心の宿屋がなければ話にならないな、とステラはいまさらなことを思案した。
人の行き来の少ない農村は宿屋がないことが間々ある。その場合どこか適当な家の軒先か馬小屋を借りたりするのだが、さて、貸してくれそうな場所はあるだろうか。
ぐるりと小さな村を見回すと、ふとステラの視界に全力疾走をしてこちらにかけてくる少年が目に入った。
ぱちりと瞬きをしても、少年の進路は変わらない。
この先に用事があるのかとステラが左に三歩ほどどけば、進路を修正してくる。その頃にはすでに目の前に茶の髪をざんばらに切った活発そうな少年はいた。
「アンタがあの有名な金色の傭兵だと聞いてきた! 俺を弟子にしてくれ!!」
ステラが用を問うより早く口を開いた少年は怒涛の勢いでそう告げて勢いよくと頭を下
げた。
目を丸くするステラの横で、燃えるような赤毛が揺れる。赤く長い髪を白いリボンでポニーテールにしたシェリアが目を吊り上げていたのだ。
「いきなりなんなのアンタ!」
「俺が話してるのはお前じゃねぇ!」
「なにその態度! そんな態度の奴は先生と話す資格なんかないわよ!」
「なんだと!」
なにもステラに弟子入りを志願する人間は目の前の少年が初めてではない。旅をする中で、名が売れるのと同時にそういったことも多々あった。
だが、一緒に旅をし始めた当初は呆気に取られていたシェリアは今ではなぜか弟子入り志願をする相手に食って掛かるのだ。こうやって口論になるのも、最近ではいつものことだ。
わずかばかり痛む頭を押さえたい気持ちを抱きつつ、二人の間に割ってはいる。
「とりあえず、話を聞くから落ち着け。シェリアもいつもいっているだろう、食って掛からない。とにかく少年、落ち着ける場所はあるか?」
ぽんぽんとシェリアの赤毛をなでてやり、少年へ向き直れば、少年はむっとした顔を崩さないまま村の奥を指差した。
「あっちに宿屋……ってことになってる廃屋がある」
「そうか。ならばそこにいこう」
大方住んでる人間が亡くなったので、名目上宿屋にしているのだろう。
小さな村では珍しいことでもない。キャラバンの面子と一緒になるかもしれないが、村人の人数が少ないとはいえ、こんな村の真ん中で喧嘩を見守るつもりは毛頭ない。
すたすたと歩き出したステラに慌てた様子でシェリアと少年がついてくる。空き家はすぐに見つかった。人が住まない家というのはすぐに見分けられるものだ。
一応ノックをして、それから玄関を開ける。中は思ったより小奇麗に整えられていた。
思わず室内を検分するステラに少年がぼそりと呟く。
「キャラバンの人たちが定期的に使うから、綺麗にしてるんだ。……そうしてると、たまに割り引いてくれるところもあるから」
「なるほど」
たしかに埃塗れの場所よりは綺麗な場所で寝泊りしたいだろうし、その値引き分は宿屋利用の賃金代わりなのだろう。
元々普通の家だった名残でリビングにあたる場所はテーブルとイスがそのままある。奥の部屋にベッドがあるのだろう。だが、動かそうと思えばテーブルもイスも動かして雑魚寝もできるようだった。
ひとまずイスに座ったステラにならってシェリアが隣に座る。所在なさ気にしている少年には目の前のイスを勧めれば大人しく腰を下ろした。
「それで、少年。ひとまず名前を聞こう」
「俺はリース。リース・シカレット」
「そうか。ではリース、なぜ私の弟子になりたいというんだ?」
「……強くなりたい」
「それだけか?」
「強くなって! 強くなって……! 俺のことを認めてもらうんだ……!!」
拳を握り締めて強い口調で言い放ったリースにステラはふむと頷いて、シェリアははんと鼻で笑った。
「馬鹿らし」
「なんだと!?」
「シェリア、人にはそれぞれ譲れないものがある。それは人によって違うと教えただろう。そういう態度は感心しない」
「……はい」
ステラの窘める言葉に僅かに間は空いたものの素直に頷いたシェリアに目元を和ませる。
「わかったなら、いうべき言葉があるだろう」
それでも言葉は厳しく伝えれば、シェリアは向かいに座るリースに向き直った。
初対面が初対面だったので、思わずといった様子で表情を硬くするリースにシェリアは簡潔に一言。
「ごめんなさい、私が悪かったわ」
と謝罪の言葉を告げ頭を下げた。呆気にとられた様子のリースの前でシェリアの頭を撫でてやる。
そろっと上目遣いに見上げてくるシェリアに一つ頷けば、シェリアはほっとした面持ちで顔を上げた。
「弟子の非礼は私からも詫びよう。すまないな」
告げて頭を下げれば、あたふたとした気配。それでも頭を下げ続けていれば、やがて困ったような、不貞腐れたような声が振ってきた。
「頭なんて下げなくていいよ。そういうの……慣れてないから」
「だが、礼儀は大事だ。日常においても剣術においても、な」
僅かに含みを持たせた言い方をすれば、リースははっとした表情になる。聡い子供だと、ほんの少し口角を上げて、ステラは告げた。
「一方的に名を聞くのはフェアではないな。知っているようだが、名乗らせてもらおう。ステラという。剣士として傭兵を生業に世界を旅している」
「シェリア・ウールよ。本来は魔術師、でも今は先生と一緒に旅をしながら剣術を学んでいるわ。一応この間、見習いを卒業したところよ」
ステラとシェリアの真っ直ぐな視線にたじろいだ様子をみせたが、それでも確りと自分で自分を取り戻して、やや大きな声でリースは胸を張って宣言した。
「俺はリース・シカレット! 夢は世界で一番強い剣豪になることだ! そして皇宮に仕えるんだ!!」
と、大声で宣言したはいいものの、恥ずかしいのかステラとシェリアの反応が気になるのかちらと二人に視線をよこす様は微笑ましくもあった。
「そうか、それは胸を張っていい夢だな」
「ほ、ほんとか?!」
「ああ。なんだ、恥じることでもあるのか?」
身を乗り出して確認を取るリースに、ステラが逆に真顔で問い返せば、リースは視線を泳がせてぼそぼそと小声で呟くように弱音を吐いた。
「だって、こんな、辺境の村の、農家の子供が、剣士とか、皇宮務めとか、普通、馬鹿に、するだろ……」
そんな弱音をはんと笑い飛ばしたのはステラの隣に座るシェリアだ。
「出自が何? そんなものいいハンデじゃない」
強気な発言に自然とリースの視線がシェリアに向かう。シェリアは交戦的な笑みを浮かべてぴっと人差し指をリースの鼻先に向けた。
「いい、出自がどうのこうの言う奴らはね、自分に自信がないだけ、そうじゃなければいいわけをしないといけないくらい弱いだけよ。そんな奴ら、気にするだけ無駄なのよ」
力強く言い切った姿はリースに噛み付いていたのとはまた種類の違う強さがあった。
シェリアの出自を知るからこそ、ステラは精神的にも強さを身に着けた愛弟子に心が温かくなる。
出自など関係ない。したいことをすればいい。
なにを恐れることがある、己に自信を持てば胸を張って生きていける。
それは幼い頃からステラが胸に抱き続け、今なお大切に胸に抱き、掲げている言葉だった。
強くなったな、と思う。肉体的にはもちろん、精神的にも。それがとてもうれしい。
弟子は幾人かとってきたが、シェリアがもっとも長く続いた弟子だった。それだけに感慨も深いというものだ。
一人内心でうむうむと頷いているステラの前で、シェリアの言葉をかみ締めるように神妙な面持ちをしていたリースは勢いよく顔を上げるやいなや、イスから立ち上がり、机に叩きつける様に手を載せて思い切り頭を下げた。
木の机に頭をぶつけた、ゴン!といういかにも痛そうな音が室内に響いた。
「金色の剣士、ステラ師匠にお願いします! どうか、俺を弟子にしてください……!」
痛切なほどの懇願を、断る理由はステラにはない。
だからステラはそっと手を伸ばして机の上で震えているリースの手の甲に手のひらを乗せた。
「いいだろう。現時点をもって、お前は私の弟子だ」
告げれば、ぱっと顔を上げたリースが顔を輝かせている。そこに、すかさず、だが、とステラは付け足した。
「泣き言を言った時点で、破門とする。……私は厳しいぞ、ついてこれるか?」
にやりと挑発的に笑えば、こちらも挑戦的な眼差しで返されて、ステラは満足気に頷いた。