文句縛神(中編)
文句縛神(前編)の続き
そのあと直ぐ、俺はササキの両親に居間まで案内された。
居間に入ると、そこには見知った顔の、白装束の中年男性が、デン、と我が物顔で座っていた。
「おう、端岸の坊っちゃんか。お久しぶりだねぇ、東京はどうだい?」
俺はさっと、口角を無理に引き上げて、その人に挨拶をした。
「どーも、お久しぶりです、守屋さん」
守屋は綺麗な笑顔を俺に返して見せた。どうやら、俺が作り笑いをしたことは、とうに見破っているようだ。
守屋は近くの「神社」の「神主」だ。わざわざ鉤括弧をつけたのは、彼の管理している「神社」は、元からあった神社を改装して作った、彼の父親が戦後作った宗教法人の宗教施設だからだ。彼の「神社」はこの地域にあるものじゃなく、過疎で廃村になった隣の村にあるのだが、彼はこの地域で、冠婚葬祭等の催し事があると、直ぐに首を突っ込み、彼なりの形式でこなそうとし、高額な金をせびって来る。噂によれば、隣の村が廃村になった責任の一端が、彼にあるとの話もあるほどで、まぁ総括すれば、守谷はこの地域の嫌われ者だ。だけど、彼の「神社」がもともと普通の神社だったので、人々は彼と彼の「神社」を拒絶しききれずにいる。
どうしてこの男が、ここにいるのだろう。俺が訝しげな視線を、ササキ父に向けると、彼は巨大な体躯に見合わない小さなため息をついた。そして、座布団の上に座ると、今の座卓の上にある小さな小冊子を手に取って、広げた。
「ササキがああなったのは、2日前の朝だ。
あの日は朝の十時になっても、朝ごはんも食べずに部屋から出てこなかった。『ささきー、起きなさーい、ご飯よー』と、母さんは何度も声をかけたが、やはりササキは部屋から出てこなかった。
流石に叩き起こさないと、と思って、俺が母さんと無理矢理部屋に入ったら、ササキはああなってた……広辞林を枕にして、どれだけ揺さ振っても目を覚さない。それどころか、さらに不思議なことに、広辞林がササキの頭に張り付いたように動かないのだ。
そして、ササキの机に、これが置いてあった。元は広辞林に付属の小冊子だったようだが、その、中身がな……」
ササキ父は、忌々しげに小冊子を俺に渡した。
俺は小冊子を訝しげに開く。一見、無味乾燥な文字が並んでいるようにも見えたが、読みはじめると、目をまるくする内容になっていた。
『はーっはっは! 苦しんでいるようだな、小娘の家族ども。俺の体を汚した罰だ!』
「なんですかこれ……うぇ!?」
戸惑う俺を嘲笑うかのように、更なる異変が起きる。小冊子に並んでいる文字が、虫のようにかさこそと動き始めたかと思うと、別の文字列を作ったのだ。
『見ない顔の少年だな。定めし、小娘の友人か、いや、想い人か! ういうい。特別に、貴様にも、あの小娘の身に何が起きたか教えてやろう!』
「もののけの類だね!」
突然、守谷が掠れるような大声を上げた。
「とっとと私がお祓いしないと、えらいことになるよ! 端岸の坊やも木先ご夫妻を説得してくれんかね。私のお札は霊験あらたか。今なら一つ百万から……」
「お前は一体何者なんだ?」
俺は、守屋を無視して、その小冊子に語りかけた。側から見れば滑稽かもしれないが、小冊子は俺の言葉に答えて、また新しい文字列を並べ始めた。
『フフフ。よくぞ聞いてくれた。
我が名は「文句縛神」。
広辞林として、この世に生を受け、人々に言葉を与える使命を請け負った神霊である』
俺は一つ唾を飲み込んだ。成る程、守屋の言う通り、この小冊子と、ササキの頭に張り付いている広辞林は、この世ならざる物の類らしい。普段ならオカルトなど信じない俺も、強制的に受け入れざるを得なかった。
「お前が、ササキを眠らせているんだな? どうしてこんなことを」
『あの小娘が、我が体を傷つけ、インクを染み込ませよったからだ!』
文句縛神は、小冊子にそう、文字を並べた。
『あの小娘、2日前の夜に、書庫から我を引っ張り出したかと思えば、ある単語を調べ始めた。それだけならばまだいい。人間の感じる、ありとあらゆる事象について、言葉を教えるのが我の役目だ。
だがあの小娘は、次の瞬間、ページに折り目をつけたかと思うと、その単語にペンで丸を囲いやがった!』
「……まぁ、確かに、厳密に言えばあまりいいことじゃないかもしれないが、それだけで?」
『はん! 少年。貴様、お前ら人間の方が、俺たち辞書よりも偉いと思っているな?』
小冊子は、はぁ、とため息をつくように、文字列を少し傾けた後、忙しなく文字を動かし始めた。
『我ら辞書は人間よりも偉い! なぜならば、お前らはありとあらゆる事象を、言葉でしか表現できないからだ。
例えば、災害で家が失われた時も、想い人に別の相手ができた時も、お前らは「悲しい」と表現するだろう。二つとも、まるでその時の自分の気持ちが、全く同じであったかのように。
だが、実際は違う。家を失った悲しさと、恋が成就しなかった時の悲しさは全然違う。家を失えば、これから住むところがなくなる。自分がこれからどうやって生きて行けばいいか、お金の心配、家族が雨風凌げるところで夜を越せるのかという不安もある。でも失恋には、住むところがなくなるような心配はない。お金の心配はない。将来が完全に絶たれるわけじゃ無い。でもその代わり、自分のどこが悪いんだろうという自己嫌悪、相手が自分に振り向いてくれなかったことに対する八つ当たりのような感情……そういうのに苛まれる。
でもお前ら人間は、そういう違いをつけることもできず、ただ「悲しい」としか表現できない。仮に、「家を失って悲しい」とか、「失恋して悲しい」とか表現しても、どのように悲しいのかがわからない。その言葉を聞いた受け取り手は「お金の心配があるよな」とか、「悔しいよな」と思うかもしれないが、「悲しい」と表現した当人は、「子供の頃から住んでいた思い出の家が」とか、「俺の顔が悪いからだ」と思っているかもしれない。
さらに細かく説明して、「思い入れのある家が流されてしまった、悲しい」とか、「俺の顔が悪いから失恋したんだ、悲しい」と説明しても、家に対するどんな思い出があるのか、自分の顔のどこにコンプレックスがあったのかまでは説明出来ていない……』
文句縛神は、そこで一つ息を吐くように、一瞬白紙になったかと思うと、また文字を出現させ、文章を作り出した。
『お前ら人間は、自分の気持ちを相手に伝えるために、言葉を多用する。だが、自分の気持ちをより正確に示すためには、無限に言葉を積み重ねなければならない。しかし、それでも、自分の気持ちを完璧に相手に伝えることはできない。
なぜならば、お前ら人間の使う言葉が、有限だからだ。
我ら辞書には、お前らの使う言葉の全てが書かれている。お前らは、我らの体の中に刻まれた言葉のみを使って、コミュニケーションをとっている。逆に言えば、お前らは、我らの体に刻まれた言葉以上のことが表現できないのだ。
人間の行動、思想、限界。すべてが我らの体に刻まれた言葉に、縛り付けられているのだ。だから我らはお前ら人間より偉いのだ』
「……なる、程」
俺はとりあえず、納得するような素振りを見せた。文句縛神の主張は、かなりめちゃくちゃだと思ったが、今はそんなことはどうでもよかった。
「で、それがササキの今の様子とどうつながるんだ?」
『あの小娘が我の体を汚した瞬間、我は怒りに燃えたのだ』
文句縛神は文字を震わせながら、文章を作る。
『我ら辞書が、人間の行動を縛るのだ。何者にも、内容を書き換えたり、汚したり、あるいは特定の文字に優劣をつけるようなことは許されない。あの小娘はそれをやったのだ。
怒りの局地に達した我は、とうとう超常的な力に目覚めた。あの小娘が寝るのを待って、力を行使した』
「その、力とは?」
『我の目覚めし力、それは、取り憑いた人間の行動や表現を縛る能力だ』
文句縛神は、文字を踊らせる。
『我は寝ている小娘の枕を剥ぎ取り、代わりに我が体を滑り込ませ、小娘の頭に張り付いた。
そのまま朝になって、そこにいる小娘の母親が、小娘を起こすために「起きなさい」と声をかけた。呑気な小娘は、一度呼ばれた程度では起きない。母親はもう一度「起きなさい」と声をかけた。一回、二回……。
三回目に母親が「起きなさい」と声をかけた瞬間、我の呪いが発動した。
小娘は「起きる」という行為ができなくなったのだ』
「……はぁ!?」
俺が思わず驚きの声をあげる。
『はっはっは! 驚いたか。そう、我に取り憑かれた人間は、同じ言葉を三度かけられると、その行為が一切できなくなってしまう呪いにかけられるのだ。
今あの小娘は、母親に三度かけられた「起きる」という行為の他に、その後父親に三度かけられた、「食事」「目を覚ます」行為ができなくなっている。これが我の力だ!』
「なんだそれ、メチャクチャじゃないか!」
俺は思わず声を荒げる。
『だから言っただろう、そもそも俺たち辞書は、お前らのはるか上に位置している存在なのだ!』
文句縛神は得意げに文字を並べた。
「じゃあ、どうしたらいい。ササキは、食事と、目を覚ますことを縛られて、もう二日になる。早くしないと死ぬかもしれないじゃないか。
まさか、お前を丁重に祭ればいいとかいうんじゃ無いだろうな?」
『フハハハハ! そいつは気分がいいが、残念なことに、それでは我の呪いは解けん。というか、一度発動した我の呪いは、ある条件をみたす以外、我自身でも解けんのだ』
「とんだポンコツじゃないか!」
『なんとでも言いやがれ、あの小娘がどうなろうと、我は一向に構わん!』
俺は一つため息をつくと、気を無理やり落ち着けて、文句縛神に質問をする。
「じゃあ、その、ササキから呪いを解く条件ってのはなんなんだ?」
『フフフ、よくぞ聞いてくれたぞ、少年。
我の呪いを解く方法、それは、小娘がマークしたある言葉を、小娘に向かって三回唱えることだ。さすれば、我の呪いから、小娘は逃れることができるだろう』
「……随分とよくできた呪いだな」
俺は思わず唸ってしまう。
「別の『広辞林』を持ってきて、片っ端から単語を言えば、いつかは当たるかもしれないが……」
『そうとも、お前が言葉を述べるたびに、小娘はどんどん行動が縛られていく。うっかり「脈」とか、「呼吸」とか言ったら、小娘は即死だぞ』
「……なるべく一発で、ササキがお前の体にマークした単語を当てなければならないってことか」
『理解が早くて助かるよ、フハハハハ……』
文句縛神は、コロコロと文字を踊らせた。
そこで、今まで黙っていたササキ父が、おもむろに口を開いた。
「菊男。俺と母さんも、できるだけのことは考えた。まず、ササキがマークしたページには折れ目がついている。どうやらそのページは、サ行から始まる言葉のページだというところまではわかったんだ」
『けっ、つまらないことする。だが、俺は小娘の頭に完璧に張り付いている。ページも開けないようになってるから、直接確認するような手は使えんぞ』
「でも結構絞りましたね。すごいです、おじさん」
俺は素直にササキ父にそう答えた。だが、ササキ父の険しい表情は変わらない。
「だが、サ行から始まる言葉はたくさんある。そしてその中には、『生』、『死』と言った重要な言葉がある……」
『言っておくが、「死」を縛って、安全に解除とか考えない方が良いぞ。腐敗したり、ゾンビ状態になって戻れなくなったりするからな』
文句縛神は他人事のように文字を並べる。ササキ父は、一瞬、小冊子を睨むと、俺にまっすぐな視線を向けた。
「お前さんを呼んだのは、ササキと一番、文字のやりとりをしている人間だったからだ。ササキはお前が東京に行ってからと言うもの、食事中もお前にラインで返信をしていたんだぞ。
頼む。娘が、なんの単語にマークをしたか、心当たりはないか……」
ササキ父は、俺に懇願するように頭を下げた。
俺はササキ父に、子供の頃からよく叱られていた。ササキ父は、俺の中で、大人の男のイメージそのものだ。だが今は、その大きな背中に悲壮感と儚さを強く感じた。
「サ行から始まる、単語……」
俺は必死に思いを巡らす。ササキとのやりとりは、この半年というもの、全部文字でのやり取りしかない。顔合わせも、声すらも聞いていない。
それでも俺たちは、言葉を投げかけ続けていた。言葉だけでは、自分の気持ちを、完璧に伝えられないかもしれないが、それでも相手のことを気遣うことはできるのだ。
考えろ。ササキは一体、何を考えていた。何を感じて辞書を引っ張り出し、そして調べ物をした?
「無茶だよ、無茶無茶!!」
突然、俺の思考を掻き乱すような声がかかった。守屋だ。
「サ行の単語なんて、それこそ山のようにある。こんな悪霊の言うことなんて、聞いちゃいけないいけない。
ここは私に任せて、今ならお札一枚十万円からでどうかね」
「……さっきは百万と言ってなかったです?」
俺が聞くと、守屋は飄々とした表情になる。
「それだけササキちゃんのことを思っているということだね。さっきから端岸の坊ちゃん、私に当たり強くないかね。君が高校受験の時も、実は陰ながら応援と祈祷をしてたんだよぉ。おかげで君は一発合格。どうだいあの日は随分と快適に問題を解けただろう、え?」
俺は守屋のあまりの図々しさに閉口しそうになる。守屋は続けて、どこか下卑たような笑みをササキの両親に向けた。
「或いは、私が一晩、ササキちゃんにつきっきりで祈祷をするというのはいかがでしょう。今回の霊はとても強力です。私とササキちゃん2人きりで、一晩、あのおぞましい部屋で悪霊祓い……ひっ」
守屋は突然、小さく悲鳴を上げて、押し黙った。ササキ父が、恐ろしい形相で、守屋を睨んだからだ。
だが、守屋は、ササキ母の瞳が、少し揺れているのを見逃さなかった。
「なぁに、ただの祈祷ですよぉもちろん。お母様、私の祈祷は一級品です。一晩、一晩あればあの霊退治してみますよ、ねぇどうです。とりあえず、一晩十万から」
ササキ母が、少しだけ、守谷に目を合わせた。
すると、小冊子の文字がまた急に動き始めた。
『我、流石に悪どすぎると思う、この男』
どうやら、流石の文句縛神も呆れてしまったらしい。
だが、怪異にすらあきられた男、守屋はめげない。彼は文句縛神を糾弾するように指を刺して声をはり上げる。
「黙らっしゃい、この悪霊め!この私の聖なる力に恐れをなしたかっ!」
『いやお前、ただのおっさんだろ? オーラが一般人よりも控えめなんだが……』
文句縛神が、戸惑うような文字列を並べるが、守屋は一向に引かなかった。
「えい、うるさい。ササキちゃんのお父様お母様、悪霊の声なぞ耳を貸してはいけません。いや違う、あの悪霊は私の力を恐れて嘘を言っているのです。さぁ、私のお札、買ってください。今なら一枚200万から!」
ササキ父は、歯を食いしばって守屋を睨んだ。だが、ササキ母が、自分に、何処か懇願するような目を向けているのに気づいて、目をそらす。
……解決策がない今、本心では藁にだって縋りたいのだ。
俺は自分にできることを必死に考え始めた。
一体、ササキは辞書になんの単語をマークしたのだ。というか、どうしてササキは辞書を引いたのだ?
俺は何かを掴もうと、ササキ父に質問をする。
「おじさん、ちょっと質問なんですけど、ササキのスマホって、ネット検索とかできるんですか?」
「なんだ、こんな時にそんな質問を」
「大切なことなんです」
ササキ父は、鼻を鳴らしながら首をかしげた。ササキ母が俺の質問に答える。
「検索自体はできるのよ。でも、ウイルスとか、怖いでしょう? 個人情報や履歴も残るし。使ってもいいけど、変なサイトに入るかもしれないから、調べ学習の時も注意するようにって、何度も何度も伝えているわ」
「なるほど。ちゃんとしているんですね……あ……」
その時だった。俺の脳にひらめきが舞い降りたのは。
「まさか……まさか、いやそんなわけ……いやしかし」
「菊男? どうした何か思いついたのか?」
ササキ父が訝しげに俺を見やる。
俺は反射的に、答えてしまった。
「俺、俺がやります。ササキの呪いの解除、できるかもしれません」
「本当!?」
ササキ母が、目を丸くする。
「一体、どんな方法で」
「それは」
俺は言い淀んだ。
「すみません。うまくいくかわからないので、もしよければ、俺とササキを2人きりにしてくれませんか?」
「……だめだ」
ササキ父は途端に顔を曇らせた。
「俺たちの前でやって見せなさい。ササキの命がかかってる」
俺は思わず、守屋を睨んでしまった。本当は、ササキのためにも、ササキの両親のいないところでやりたかったのだが、守屋のせいで、ササキ父の警戒心が上がってしまってる。
「……わかりました。せめて守屋さんは来ないでいただけますか?」
「な、なんですとぉ!」
守屋は目を釣り上げたが、
「もし俺の作戦が失敗した時、何が起きるかわからない。最終手段の守屋さんは、居間で待っていた方が良い」
というと、悔しそうにしぶしぶ頷いた。
結局、居間には、ササキ母と守屋が残ることになった。
「責任は、全部俺が取ります。任せてください」
俺はササキ母にそう声をかけると、ササキ父とともに、ササキの部屋に向かった。
文句縛神(後編という名のオチ)に続く
※次回はドストレートなセンシティブワードがきます。中学生レベルですが、苦手な方はできればここでブラウザバックしてください。