文句縛神(前編)
※センシティブワード注意
三つに区切って投稿してます。
その日。俺、端岸菊雄は、故郷Y県のとある片田舎へと向かうローカル線に揺られていた。高校のある東京からここまで三時間。汽車は昼下がりにもかかわらずガラガラで、座席に寝そべっても文句は言われないだろう。だが、最低限の良識を持ち合わせている俺は、座席に座っているのがだんだん辛くなり、今はドアの脇の仕切りに身をもたれかけさせるようにしながら、LINEを開いたスマホを眺めていた。
LINEの画面には、緑のコメントと白のコメントが、サンドイッチのように積み重なっている。約半年分のやり取りは、何度スクロールをしても始めのメッセージまで遡れないほど続いていた。
俺が地元を離れて半年。木先ササキとは、ほぼ毎日LINEでやりとりをしている。
木先ササキと俺とは近所に住む幼馴染だった。彼女の家は俺の実家から一キロメートルも離れていない。高校の友人に、一キロ先は近所と言ったら、興味深そうな顔をされるが、俺の地元は玩具箱のような東京の住宅街とは違うのだ。
家族ぐるみの付き合いで、小学校に入る前からよく一緒に遊んでいた。中学に入ってしばらくも、よく顔を合わせていたが、高校受験を控えた時期がやってくると、俺は、ササキが地元に学校に行くと知っていながら、東京の学校を志望した。地元が嫌になったわけじゃないが、それ以上に、新しい刺激が欲しかったのだ。
東京は刺激的だったが、それはつまり今以上に幸せになれることを意味するわけじゃないと気づいたのは、上京して一ヶ月も経った頃だろう。東京暮らしが苦というわけではないけれど。
その頃から、俺はササキに沢山メッセージを送るようになった。ササキは直ぐに返信をくれた。愚痴や不安やたわいもない話に反応してくれる人が、決して当たり前の存在なのではなくて、かけがえのない人なのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
やがて俺は、ササキの方からメッセージが届くと、授業中でも返信するようになった。
季節はめぐり、ササキと離れた東京暮らしが半年に近づいた。学校が夏休みに入り、俺は地元に一度戻ることになった。一ヶ月前、ササキにそのことを伝えると、
「本当!? 楽しみ!! いつ??」
というメッセージと共にスタンプがきている。リップサービスかもしれないと思ったが、その後一緒に夏祭りにいく約束までしたので、もしかしたら本当に喜んでいるのかもしれない。
だが、二日前から、ササキとのLINEのやり取りに異変が起きた。
ササキからの既読がつかなくなったのだ。その直前まで、俺が帰った後何をしようかと、かなり盛り上がっていたのにもかかわらず、だ。
直前に、気に触ることを言ってしまったのかもしれないと思って、幾度となくチャットを遡ったが、心当たりはなかった。
何かあったのだろうか、と思い、電話をかけようとも思ったが、気が引けた。頻繁に連絡をとっているとはいえ、ササキとは、文章のやり取りだけしかしていなかった。なんの心当たりもなかったが、ササキは俺から距離をとりたくなったのかもしれない。そんなときに電話をかけられたら、本格的に引かれるかもしれない。そう思うと、俺は電話をすることができなかった。
代わりに、家族にメールを送って、帰郷の段取りを話すついでに、ササキのことを聞いてみた。
「元気そうよ。おとといも挨拶したわ」
母からのメッセージはそれだけだった。
ササキに恋人でもできたのかもしれない。
さきほどから、何の根拠もなく、俺の頭の中をそんな考えがよぎる。
ただ文面をやりとりするだけの関係。もう半年も、顔を合わせたことも、声を聞いた事もない。俺に高校の友達がいるように、ササキにもきっと、ササキの高校の友達がいる。俺がササキに話せていない高校のエピソードがあるように、ササキにだって、俺の知らないササキの日常がある。
その中に、俺の知らない男の話があるのなら、俺は実家に帰った後も、ササキに会わない方がいいんじゃないかなぁ……。
俺はまた、スマホの画面に目を落とした。LINEのチャット欄は、俺の既読のつかないメッセージが三つ並んだところで終わっている……。
……おや?
それは俺が、LINEの画面を閉じようとした瞬間のことだった。
俺の最後のメッセージ三つに、ふいに既読がついたのだ。
ホッとしたような気持は一瞬。すぐに不安な気持ちが募り始める。今まさに、この瞬間、ササキは俺のメッセージを見ている。何かがひと段落ついて、ようやっとスマホを見たのか。それとも、何か俺に伝えづらい事を、今使える決心がついたのか……。
ポン!
という音と共に、ササキからメッセージが届いた。二日ぶりのメールにしては、端的で、短い一文だった。
「部屋に来て すぐに。ササキ ベッドで待ってる」
……え?
「ベッドで」って、何だ? これは、もしかして。
もしかしなくてもエロ……いや、センシティブなお誘いではなかろうか!?
俺は思わず生唾を飲み込んだ。
ササキに嫌われたのかとも思った。あるいは恋人でもできたのかと思った!
「了解!」
俺は即リプを打ち込んで、一瞬安堵した。
だがすぐに、俺は焦りで極限状態になる……恥ずかしながら、俺は恋愛経験が、ほぼゼロと言っていい。
こんなことなら、高校の悪友が得意げに披露していた、スタバで出会った女の子と「卒業」した話を「やめろよお前ー」で一蹴せずに、ちゃんと聞いときゃよかったが、もう遅い。
俺は勝手にバクバクとなる鼓動を抑えつつ、これからの行動をよくよく考える。
とはいっても、流石に今日いきなりゴールインというのは、性急すぎるような気がした。もうちょっとなんかこう、段階的なものを踏むものじゃないだろうか? いや、向こうがその、想いが溢れて〜みたいな状態なら、据え膳なんとやらでバンジージャンプする心構えはあるが、いやしかし、まずはその、着実にABCを踏みたいとーいいますか。
なのでとりあえず。今日のところは、顔合わせをして、思い出を語るくらいまでを目標とする。
俺は一つ息をついて、スマホを閉じ、ポケットに突っ込んだ。
汽車は、相変わらずノロノロと、俺の地元の最寄り駅に向かって走り続けていた。
午後二時、汽車はようやく目的地についた。
駅の改札(無人)を抜け、俺はササキの家までの道のりを歩き始めた。いや、ほぼ駆け足といってもいいかもしれない。いつもなら小一時間ほどかかる道のりを、長旅だったというのに、俺は三十分ほどでササキの家に着いてしまった。
ササキの家は、農家もやっている平家建ての一軒家だ。町道に面している門はあるものの、裏の畑の畦道を使えば、門を通らずに家に行ける。
俺は、門を通らず、裏から家に入って、直接ササキの部屋を訪れることにした。
素直に玄関から入ってもいいのだが、その時はササキの両親に、挨拶をしなければならない。少々面倒だし、気まずいし、多分変な勘ぐりをされるだろう。
おまけにササキの父親は、日焼けと筋骨隆々な体の気難し屋で、「ダルマ」という愛称を近所の子供たちに名付けられた、典型的なオヤジという感じの人だ。ついでに娘には甘いときている。俺がササキの部屋に入ろうものなら、さぞ不機嫌になるだろう。
そんなわけでこっそり裏から入ることにしたわけだ。
彼女の両親に見咎められないように、あたりの様子を伺いながら、俺は裏の畑の畦道をそそくさと通り、ササキの家にこっそりと侵入した。相変わらず、田舎のセキュリティとはガバガバなものだ。
抜き足差し足で家の廊下を歩き、とうとう、ササキの部屋の扉の前までたどり着く。
俺はそこで、少しいたずら心が湧いた。特に理由はないが、久しぶりにササキに会うのだ、ちょっとびっくりさせてみるのもありかもしれない。
俺は、部屋の扉の前で、小さく咳払いをすると、野太い声で、ササキがいるであろう扉の向こうにに向かって声をかけた。
「うおぉーいサッちゃん、飯だぞう」
これは、ササキの父親の声真似だ。かなり上手くできただろう。
俺は、ササキが無防備に自分部屋の扉を開け、俺の姿を見て驚きの声を上げるのを、にやにやとしながら、今か今かと待った。
扉は、ギュン! と鋭い音を立てて凄まじいスピードで開いた。
俺は唖然とした。部屋の扉を開けたのは、他でもない、ササキの父親だったのだ。
ササキの父親は、顔面蒼白になっている俺を、猿を見るような目で睨みながら、俺の声マネよりもさらに低い声で、俺に声をかけた。
「よく来たな、菊男」
「あ、どーもです、ササキのおじさん」
俺は冷や汗をかきながら、必死に舌を回した。
「お、お久しぶりです。ええと、すみません、その、裏から入っちゃって……」
「構わん、俺の指示だろう?」
ササキの父のぶっきらぼうなその言葉に、俺はさらに冷や汗をかく。
「えっ……と、つまり、それって。
あの、もしかして、おじさん、ササキのスマホ使って、俺にメッセージ送りました?」
「そう言ってるだろう?」
俺は目を白黒させた。娘のスマホを勝手にいじって、なおかつメッセージ送るか? 普通。
「ササキはどうしているんです?」
「メッセージに書いただろう、『ベッドで待ってる』と」
ササキ父は、そういうと、巨体を揺らして、横にずれた。俺はササキの部屋に一歩足を踏み入れ、そして、言葉を失ってしまった。
ササキは、彼女のベッドで、パジャマ姿で眠っていた。その姿は、告別式の遺体を思わせた。そしてなぜか、彼女の頭には、枕の代わりに、ランドセルを思わせるような分厚い辞書『広辞林』が一冊敷かれていた。
彼女のベッドの隣には、ササキの母親が、思い詰めた様子で、彼女の手を握っている。
「2日前から、ずっとああなんだ。息はしているが、目を覚まさん」
ササキ父は、重々しく、小さな声で、俺にそう告げた。
文句縛神(中編)に続く