英雄のその後
「うぉおおおおおおおおおおおお!」
若者の慟哭が血塗れた大地に鳴り響く。彼はサンズ王国最強の兵士、18歳のアックス・サンドリア。
アックスの獅子奮迅の活躍により、サンズ王国はスモーク共和国との30年に渡る戦争に勝利した。アックスは建国の英雄アレックスの生まれ変わりと呼ばれ、もてはやされた。
だがアックスには大きな悩みがあった。戦時において『緊急を要する』という雑な理由で上官の指示に従ってしまい、不要な被害を増やした可能性についてである。本音ではほぼ間違いなく余計な戦いをしてしまったと思っていた。だが彼は頭が悪い。本当に緊急を要したのか、本当に戦う必要があったのか、賢い人に詳しく聞きたかった。国の頭脳たる大臣は戦争に勝ったら教えてくれると約束してくれていた。だから祝勝会で聞くことにした。
「教えてください大臣! 本当に、こんな戦いは必要だったのですか! 何故もっと早く講和できなかったのですか!」
「きみ、英雄殿なんだからもっと堂々としてくれないと」
「誤魔化さないでください! 戦争が終わったら教えてくれると言ったではないですか!」
「ああ、もちろん約束は守るとも。今、我々の方で懸命に戦後処理を行っているのだよ。戦争責任、戦争犯罪についても逐一チェックするとも! 我々文官、政治の専門家の戦いはこれからなのだ! かく言う私も三日三晩、徹夜で書類仕事さ! もうへとへとで」
「そんなことはどうでもいいんです! 早く、どうして彼等の命を救ってはいけなかったのか! 教えてください!」
「あー、もう分かった。常識から覚えてくれ。敵国の民というのは我々の管轄ではなくてだね」
「そんなことはどうでもいいんです! 戦いの理由は何なのですか!」
「だから常識をまずね……」
大臣は明らかに煙に巻こうとしていた。アックスは頭がよくないが感情の機微は分かるのである。
実際、サンズ王国は開戦当初から黒い噂が絶えなかった。そも開戦の理由であるペンギン湾事件がサンズ王国の自作自演だと言われているのだ。すなわち、サンズ王国のメディアが報道しているような、スモーク共和国の軍がサンズ王国の商船を爆破したとする主張は偽である。サンズ王国が自らの国の商船を爆破し、その責任をスモーク共和国になすりつけたのである。アックスもその噂を何度となく耳にし、真相を知りたがっていた。
祝勝会の日、アックスに勢いよく肩を掴まれた大臣は右肩を脱臼してしまっていた。彼は包帯を巻いたまま職場に出ていた。そしてお気に入りの女性秘書にそのことを話しかけるのだ。「名誉の負傷」だの「武官なんて野獣だよ。これだから知能の低い猿は嫌いなんだ」だのと。セクハラでお尻を触ったりしながら。そこへ、部下が慌てて走ってくる。
「だ、大臣! 大変です!」
「大きい声を出すな! 仕事に集中できんだろうが!」
「し、しかし! アックスがブラデス男爵を捕縛し、ペンギン湾事件の真相を暴露……ッ!」
「な、なんだってえええええ!」
サンズ国のブラデス男爵はペンギン湾事件の作戦の責任者だった。彼がアックスによって捕縛され、作戦の全容が明かされてしまったのだ。自国の恥部が全世界に晒され、アックスはまた1つ伝説を増やした。
「戦時の30年においてサンズ王国は食糧配布制に移行し、貨幣制度は凍結されたはずだった。にも関わらず、いつの間にかカパッサ社の株価が100倍にも跳ね上がっている。これはおかしい! 軍事会社だから未来への投資? いいや、軍事会社だからこそ、戦後は縮小するはずだ! これは明らかに国の不正、贔屓である!」
「そうだそうだー!」
その後もアックスは現状に満足することなく、国の不正を暴き続けた。スモーク国民の悲しむ顔、戦中の後悔がそれだけ深く彼の心に刻まれていたのである。根は公平な男なのだ。スモーク共和国内でもアックス支持者が出るほどだった。
戦時並かそれ以上の活躍が平時でも続いたことにより、アックスは軍と民衆から絶大な支持を得ることになった。また貴族においても、武闘派で知られたクルスト伯爵家などは全面的にアックスを支持しており、顔を合わせる度に娘との婚約を迫っていた。当の娘のトゥエル・クルストは、幼馴染の女騎士としてアックスと共に戦い、ベタ惚れという表現も甘いほどに惚れ込んでいた。だが、奇跡的と言えるほどにアックスは鈍く、親友または戦友的な生ぬるい関係が続いていた。
「クッ、クソー。国試で30%も取れん脳足りんの分際でぇえええ!」
「大臣、まずいですよ。このままでは」
「分かっている。策は考えてあるさ。猿の相手は猿だ」
だが一方で、そんな若き英雄を嫌う一派も存在した。現在の権力者や戦争で利益を得た者達である。彼等は保身のために結託し、アックスを怒涛の勢いを崩すための策をひねり出す。
「ミッドクロス島の3ヶ月の調査、ですか?」
まさかの王から勅令。初めて聞いた名の、遙か彼方の島の調査。脈絡のない話にさしものアックスも動揺する。
「もしや断るなどとは言いませんよな? 不正の糾弾など人気ばかり気にして、面倒な仕事は他に押し付ける。こんな偽善者が英雄の正体では興ざめというものですよ」
王を味方につけた大臣が茶々を入れる。勝ち誇ったようなにやけた顔。イラッとしてしまうアックス。
「もしや嫉妬か? ユーマ」
「し、嫉妬などと。おほほっ」
王の指摘に手のひらで口元を隠す大臣。王はため息を吐きながらアックスの方を見る。
「そこの国家の頭脳たる大臣の考えは知らんが、わしは嫌がらせで言っているのではない。内にばかり目を向けても広い視野は育たぬ。一度自然豊かな土地で生命の豊かさを知るのもいいだろう。お前は今後、我がサンズ王国を担う立場になるのだからな」
穏やかな王の言葉。アックスは急速に怒りが冷えていった。
「もったいなきお言葉。それではサンドリア家の長子、アックス。謹んでお請け致します」
「うむ。頼んだぞ」
現在のアックスに王の言葉を断る程の権力はなかった。最初から答えは決まっていたのだ。問答の間は気持ちに折合をつけるための時間。無論、アックスの実力と人気であれば実力行使による革命も可能だが、血の流れる展開は望んでいなかった。
王城を出るアックス。門のすぐ傍で待っていた彼の部下や同士達が駆け寄る。そして勅令の内容を知る。
「な、なんだとおおおお!」
「大臣のやつらめ! これじゃあ島流しじゃないか!」
仲間達は憤慨した。悪いのは薄汚く戦争で儲けていた連中である。にも関わらず、彼等を糾弾したアックスが罪人扱い。人の道に外れた行いである。
「落ち着け。期限はたった3ヶ月だ。王の命でもあるし反対するわけにはいかない」
「何が王だ! ふんぞり返っているだけの軟弱者の癖に!」
「おい! 聞かれるだろ!」
「それがどうした! 俺達は本物の英雄なんだぞ! たかが英雄の子孫に、なんで従わなくちゃならないんだ!」
「軽率な発言はよせ。我々が何故団結しているかの理由くらい考えろ。これだから平民は」
「なんだとぉ!」
王城及び王都には英雄アレックスの銅像がいくつも立っている。彼は無敵の力により戦乱の世を治め、サンズの国を作った。現在の王はアレックスの直系の子孫である。英雄の血が王の権力を保証しているのだ。であれば、長きにわたる戦争が終わったばかりの現在。たかが血と真の英雄、どちらが上か。答えは明らかだろう。特にアックスの賛同者には元々貧しかった平民が多いので王のような権力者を嫌う者が多い。とは言えアックス自身は貴族であり、賛同者にも軍や貴族出身者もいる。彼等は崇め奉っていた王を簡単に捨てられるわけではない。結果、仲間達で言い合いが起こったというわけだ。
「よせ、もう決まったことだ」
だが、リーダーであるアックスが発言すると、いざこざはピタリと止まる。
「むしろちょうどいいかもしれない」
「えっ?」
にやりと笑うアックス。
「俺ばかりが君達を引っ張っていると俺の独裁になってしまう。ひいては俺がいなければ何もできないようになってしまうのではないかと危惧していた。俺が国の中心を離れる3ヶ月、君達がどれだけ動けるか。結果を楽しみに待つことにしよう」
ドキッとするアックスの支持者達。図星だったのだ。彼等はアックスに従うことで強くなった気でいた。国なんて弱い、権力者なんて弱い、何でも変えられると思っていた。だが、アックスがいなければ、何もできない。弱い自分に戻ってしまう。そんな本音を見透かされているような気になってしまった。
「アックスお前、バカなのに調子に乗りすぎだぜ。俺がお前のファンの女の子を奪ってやるよ」
「ふっ、できるならやってみろ。マーテ」
「俺だってお前と一緒に戦ってきたんだ。貴族のクズ共なんかボコボコにボコってやんよ」
「ちゃんと不正の証拠を集めろよ、カーズ」
アックスに向けて強い自分をアピールする男達。彼等にも厳しい戦場を共に生き抜いたという自負がある。だが、女の支持者は、あまり発言しなかった。アックスを好んでついてきているだけで、政治的な思惑のある者は多くないためだ。
そして出発の日となる。港にはサンドリア子爵を筆頭としたアックスの家族と家来、またアックスの賛同者が大勢集まっていた。
「アックス、今更お前に言う必要などないかもしれないが、どこに危険が潜んでいるか分からない。人里離れた場所と言っても、油断し過ぎないようにな」
「ありがとうございます。父上」
父との言葉を最後に、アックスは船へと歩く。付き人には10人ほどの部下。大歓声に包まれながら、アックスを乗せた船は出港する。
その船が遠ざかるのを実ながら、アックスの父がポツリとつぶやく。
「英雄の生まれ変わりか。おもしろい言い回しだ。アックス、お前は真に英雄の肉体を持つ者なのだからな」
「大丈夫でしょうか。真実を知ってしまったら」
アックスの母親が、夫に話しかける。
「あいつを信じて待つさ。俺達の自慢の息子だからな」
「……そうですね」
2人は寂しそうに、心配そうに、ジッと船を見つめ続けた。