マヨヒガとの遭遇
箸休め的短編。
今、俺たちの前には、
「いや、たしかにトイレないと困るって言ったし風呂に入りたいと愚痴ったし布団で寝たいとぼやいたよ?」
『旅は道連れって言うじゃねえか! こいつ連れていこうぜアスカ!』
『布団。お風呂。おしるこ』
日本家屋が建っていた。
木造平屋建て、茅葺屋根に椿の垣根。庭の池には鯉が泳ぎ鹿威しと水琴窟まである。そして門は開いていた。
お福はすでに入りたそうに門の前に立っている。疾風丸も賛成のようだ。
「どう見てもマヨヒガだよな? こいつまでこっちに攫われてたのかよ……」
もちろん風呂と台所もあるだろう。小豆はシーデンスの町を出る前にまた購入しておいたのでおしるこはできる。
マヨヒガは主に東北方面に伝わる妖怪だ。山の中に突如として現れる一軒家。家主は居らず、もてなしはあるものの何か一つ持ち帰らないと家から出られない。そして二度と巡り合うことはないという、日本でも有名な言い伝えである。
「お福ちゃんに惹かれてきたのかな? どちらも福をもたらすモノだ」
そう、マヨヒガに出会った人は富貴に恵まれる、といわれている。ざしきわらしに家が必要なように、マヨヒガも福を呼び込むものが必要なのかもしれなかった。
『なあ、早く来いよ。こいつけっこーボロくなってんぞ』
マヨヒガの中に入っていた疾風丸が心配そうに言った。お福もそそくさと門を潜り、じっと見つめてくる。
「……お邪魔します」
マヨヒガに足を踏み入れると、外から見た光景が変化していた。
「……なるほど」
『な? こいつも力を奪われてたんだよ。どうにかしてやろうぜ』
『ん』
茅葺屋根はところどころに穴が開き、池は枯れ、邸の床は腐っている。
この子も助けを求めて仲間を探していたのだろう。つんと鼻の奥が痛くなった。本当に、どこまでもこの世界の魔法は俺たちを搾取しようとしているのか。
今にも崩れそうな柱に手を当てて霊力を分けてやると、すぅっ、と綺麗になっていった。これで床が抜けることはない。
ひとまず各部屋を回って霊力を流し、傷んでいた畳や床、柱などを直していった。台所に火が入る。なんと竈だった。
「鍋と食器、調理器具もあるな」
『アスカ、お福、布団見つけたぜ』
霊力が巡ったからか、わらわらと付喪神が出てきた。持っていた小豆と砂糖を渡すと任せとけ! とばかりにいそいそと調理をはじめる。それをお福が目を輝かせて見ていた。
「これなら仲間が増えても大丈夫だな。ただ、マヨヒガって連れて行けるのか?」
それが問題だ。マヨヒガというのは基本一回こっきりのボーナスステージのはずなのだ。
マヨヒガ自体が付喪神という説もある。それなら本体があるはずだ。いくらなんでもこんなでかい家を背負って旅は無理である。想像してみただけでげんなりだ。
「……考えてもしょうがない! 風呂だ、風呂に入るぞ!」
『問題の先送りはよくないぜー……?』
疾風丸がもっともなことを言うが、どうしようもないことなら悩むほかないのも事実である。風呂に入ってさっぱりしたらいいアイデアが浮かぶかもしれないし、その後は久しぶりに日本食が待っている。急がば回れだ。
風呂場はタイル張りの床に陶器製の風呂があった。広さはさほどない一人用サイズ。すでにたっぷりと湯が張られ、礼のつもりなのか柚子が浮かんでいる。
異世界に生まれてからおそらくはじめての風呂だ。おそるおそる手を入れてみる。夢じゃない。
「うわー……」
あまりの嬉しさに涙が出てきた。疾風丸はそんな俺を見て何か言おうとし、ただ尻尾を振った。
十三年分の垢をまず落とそうと、全裸になって体を洗う。ありがたいことに石鹸とシャンプー、リンスもあった。どういう基準で時代設定しているのかわからないが、快適さを提供しようという心意気は伝わってくる。
陰陽寮でも研究していたが、マヨヒガの出現条件は不明なままだった。
「ぷはー……」
全身がお湯に浸かると思わずため息が出た。
「はあ。やっぱ風呂は良いなぁ」
『だなー』
疾風丸は湯桶に張ったお湯の中に入ってご満悦である。
「ああ、もういっそのこと……」
『その先、言うなよ』
「わかってるよ」
ここに住んでしまおうか。そう言えばきっとそうさせてくれる。マヨヒガは霊力を補充できるし、そのつもりがあってのもてなしだ。
風呂や食事、日に干された布団。マヨヒガは何か一つを持ち帰らない限りでられない邸だ。○○しないと出られない部屋と同じで脱出するには条件を満たさないといけない。
ただし欲張ってあれこれ持ち出そうとすると富貴ではなく不幸が訪れる。感謝ではなく恐怖すると恐怖の館に早変わりする。迷い込んだ人間の心によって変わる、不可思議な現象だった。
「……だから、一緒に行こうな」
誰の目にも止まらない異世界はマヨヒガにとってさぞ居心地が悪かっただろう。寂しかったのだ。
俺も、疾風丸も、お福も。寂しい者同士が慰め合って力を合わせている。きっと他の子も、帰れぬ故郷を思って泣いているに違いない。
その夜。
庭に面した部屋に布団を並べて休んでいると、いきなり耳元で電話が鳴った。
――ジリリリン。ジリリリン。
「!?」
『な、なんだぁっ!?』
飛び起きるとなんともレトロな黒電話が鳴っている。
隣で眠っていたお福が開いていない目で迷惑そうに起きた。寝間着ではなく振袖で寝ていたが、あれは苦しくないのかと思考が反れる。
その間もジリリリンとうるさい。
「はいはい。どちらさま?」
苛立ちのまま出る。とたん、電話なんてさっき確認した時にはなかったことを思い出した。どこから出たのか。誰に繋がっているのか――。
瞬時に目が覚めた。
電話の向こうで息を吸いこむ音が聞こえた。
《……そちらこそ、誰だ?》
聞き覚えのある声だった。
「近衛? 近衛かっ?」
《飛鳥井!?》
「怒鳴るなよ。そっちは日本なんだな!? 金の君は無事か!?」
電話の相手は忘れもしない近衛だった。
《それを聞いてくるってことは飛鳥井で間違いなさそうだな。えらく声が若いが……》
「聞いて驚け、十三歳だ」
《十三!? ……こっちではお前が死んで十四年経っている。お前、よくも俺にお前の葬式なんか出させやがって――》
人が集まってきているのか、電話越しに人の気配がした。
「近衛。どれくらい話せるかわからないから手短に言う。ここは異世界だ。攫われた神々はこちらの魔法という術のエネルギー源にされている。現在地はマヨヒガ。取り戻せたのはカマイタチとざしきわらしだ。他のものも取り返ししだい日本に帰る」
《異世界!? あの世か神域でないだけましだな。こちらはお前以降攫われた神はいない。妖は摑みきれていないが、あの雲の目撃情報はない。現時点で確認できた拉致被害は十三件だ。金の君は怒り狂っている》
「すまん。鎮めておいてくれ」
我ながら無茶を言っている。
《無茶言うな。とにかく、繋がることは確認できた。なんとか帰還させられないかこちらでも色々やってみる。貴様はなんとしても日本の神を取り戻して来い!》
「わかっている。近衛、金の君に」
《ああ》
「あいしている、と――……」
あ、のところで電話が切れた。プー、プー、と虚しい音が聞こえ、しばらくして止んだ。
『アスカ……』
近衛はあの頃よりくたびれた声をしていた。
神と妖が奪われ、俺が死んで、金の君は怒り、後始末と原因究明に追われているのだろう。
それでも逃げもせず、潰れてもいないのがあの男らしい。戦っているのだ、近衛も。
『飛鳥井、髪が』
「ん?」
『うわっ。髪、短くなってるぞ!? そうか、電話を繋げるのに使ったんだな……?』
腰辺りまであった髪が背中ほどになっていた。ハゲになっていないだけ良かった。
枕元にある電話は昔懐かしい黒電話だ。コードは付いていなかった。
日本は神の国である。
自然も現象も、人間でさえ神になる。あの災害大国で、よくぞ神を捨てることなく続いてきた。
祭りのために土地を護り人を育て、ずっと仲良くやって来た。たとえ見えなくても。ご利益などなくても、信仰すらしていなくてもそこにいてくれるだけで良かった。
祭りが絶えるのは同時に人が絶えた時である。ゆえに日本人は、神と共に生きてきた。
魔法などといって、奪うことしかしない異世界人にはわからないだろう。
「…………っ」
帰りたい。
海と山と人の住むあの国へ。懐かしいまほろばの大地。稲穂の揺れる金色の風。すべてが循環するあの故郷に。
帰りたい。
愛するひとと友が待っているのだ。
マヨヒガの本体は翌朝見つかった。お福が見つけてきた碁石、はまぐりでできたそれに混じって本物のはまぐりがいたのだ。混じって、というか、大きさがまったく違うので紛れ込めてはいなかったが。
はまぐりといえば蜃気楼だ。これが、マヨヒガの本体だった。
ちょっと細工をして紐をつけ、根付にした。木刀の鍔に下げておけばマヨヒガも霊力に困ることはないだろう。
マヨヒガを抜けると、そこは日本だった。なんてオチを期待していたがもちろんそんなことはなく、この十三年ですっかり慣れた石と煉瓦の道が続いていた。
「では、日本に向かって――」
出発!
声を揃えて一歩、俺たちは歩き出した。
行く当てのない旅に何が必要かなって考えたら「家」になった。