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ざしきわらしのお福ちゃん

とてもメジャーな妖怪、ざしきわらし救出。



 港町シーデンス。

 西へ西へと足を進め、野宿で歩くこと十日あまり。やっと着いたシーデンスは潮風が吹き抜ける、石と煉瓦の町だった。


「ある程度予想していたが……これまたすごいな」


 明暗の差が。

 商売敵が潰れているという時点でさびれているだろうことは予想が付いた。漁師町なのに活気がなく、あちこちの店は閉まっている。

 異様なのは町の中央と思われるところにある、歪な建物だ。そこだけが明るく賑わいを見せている。


「ボウズ、おつかいかい? 今この町はほとんど魚を獲っていないんだよ」


 くたびれた様子の門番が申し訳なさそうに言った。


「えっと……。友達がここに連れてこられたかもしれなくて……」


 嘘は言っていない。

 あくまで可能性の話だし、日本の神もしくは妖なら友達で合っている。たとえ一方的であろうとも、言ったもの勝ちだ。


 顔立ちこそ整っているが歩き通しと野宿で薄汚い子供が友達を追いかけて遠い港町に来た。証拠もなければ身分証明もないが、良いとこの坊ちゃんが人身売買に遭った、とでも勘ぐってくれれば御の字だ。

 いたましげな顔をした門番はちょっと待ってろと言うと、詰所から紙とペンを持って町の地図を描いてくれた。


「あそこに大きな建物あるだろう? 賑わってるのはあの辺で、もしかしたらお友達が見つかるかもしれないよ。宿屋はここの「鯨亭」が安い。余裕があるなら「羅針盤の宿」がお薦めだ」

「ご親切に、ありがとうございます」

「気を付けるんだよ」


 詳しい事情を聞きだすことなく、馬鹿を言うなと否定することもない。なるほど怪しいと思っている人物がいるということだ。アヤシイお店とか、あるんだろうな。


 入門料の銅貨三枚を支払い、シーデンスの町に入った。高いと思ったが道中の村はこんな立派な作りの塀に囲まれていなかったので税金が高いのだろう。この活気のなさでは税をあげるくらいしか町にできることはなさそうだ。


 潮風の中に腐臭が混じる。町の外までは届かなかったが、道のいたるところに廃棄された魚が落ちて虫がたかっていた。


『くっさ!!』


 肩に乗っていた疾風丸がたまらずシャツに潜り込んできた。そこも汗臭いと思うのだが、この空気よりましらしい。


「風で悪臭をなんとかできないか?」

『こんな状態じゃやるだけ無駄だって!』


 臭いがひどいせいか外にいる人はまばらだった。こんな調子では魚を扱う業者も来ないだろう。

 地図を頼りに市場に行くと、少し臭いがましになった。ぽつぽつと出ている店を覗く。


「鰹節……は無理でも、煮干しか昆布がないかな」


 すでに昼が過ぎ、鮮度が命の魚市場であまり期待はできないが、それなりのものが並んでいた。

 ただし、いずれも高値が付いている。安いのは店の隅に積み上げられた木箱の傷んだ魚ばかりだ。


「悪いな、ボーズ」


 のんびりと煙草を吸っていた店のおっちゃんが煙を吐き出しつつ言った。


「あのでかい家あるだろ? 良いもんはあの家が高く買い付けてんだ。漁師共はみんなあっちに持っていっちまう。市場に出すなんて馬鹿みてぇだっつってな」

「それでは町の人が困るでしょう。漁業組合とかないんですか?」

「組合なんかあっちの味方だ。以前は他の町から買い付けの馬車が来てたが今はさっぱりだな。むしろあの家に雇ってもらったほうが稼ぎが良い。漁師を廃業して雇われになった者も多いんだよ」


 やるせなさそうなおっちゃんは、いかにも海の男らしく日焼けした肌にいかつい顔、体つきは筋骨隆々だ。自分で漁に出てこうして店を出しているのだろう。


「あそこのお家は何をしている人なんですか?」

「貿易商だってよ。船に慣れて体力のある男が欲しいとこの町に来て、あっという間に大金持ちだ」


 今度は吐き捨てる口調だった。


 貿易か。ひと山当てたら大きいが、かといって他の業者を潰すほどだろうか。

 貿易商と魚問屋ではジャンルが違いすぎる。住み分けが上手くできていないのはあきらかだった。


「町長さんは何もしないんですか」

「町長か……。あの人は金に目が眩んでるよ。まっとうな奴はこの町から逃げた。残ってんのは行き場のないやつか、オレみてぇな町に未練がある奴だけだな」


 つまり、あそこにいるのは金の亡者だ。

 おっちゃんは疲れたようにそう言って、また煙草を吹かした。


 他にもいろいろ情報収集して、門番に教えてもらった「鯨亭」に宿を取った。

 ベッドしかない部屋は換気をすると余計に臭いが入り込むからか窓が締め切られ、それでも沁みついた生活臭と、魚の匂いがした。


『なぁ、アスカ。気づいたか?』

「ああ、いるな、ここ。……それにしてもこうなるまで放っておくなんて信じられん」


 窓を開けると町の中央にある建物が見えた。

 シーデンスの町をほとんど一手に占めているあの家は、シュバイレン男爵家というらしい。貿易で財を成し、男爵位を賜ったそうだ。


 夜になるほど明るさを増したそこは、夜になったことで禍々しさが増幅していた。夜は邪気が力を増して蠢く時間だ。

 食べられることなく捨てられた魚たちの腐臭も邪気を増す一因になっている。祭りや神事に香を焚くように、匂いというのは良くも悪くも穢れに作用するのだ。


『無神経な連中にはわからないのかもな? 消えたらまた攫って来ればいいと思ってるんだろう。馬鹿だねぇ』


 祟りはすでにはじまっている。

 早くしないと荒魂に変貌し、祓うしかなくなるかもしれない。


「明日から行動を開始する。とにかく今日はゆっくり寝たい」


 久しぶりのベッドに横たわる。すぐに眠気がやって来た。

 野宿をしていたのは先を急いでいたからだけではない。実家から送り込まれる暗殺者の有無の確認と、路銀節約のためだった。食事の付かない素泊まり宿でもけっこうかかる。住所不定無職の身では、節約を徹底するしかないのが現実だ。

 うとうとしていると枕元で疾風丸が丸くなるのがわかった。




 何かに引っ張られる感覚に、やられた、と思った。これは夢だ。それも、誰かの夢の中。

 目を開ける。

 足元に女童がうずくまり、足首をしっかりと摑んでいた。


 真白い空間だった。おそらくここが、女童めわらわを閉じ込めている場所なのだろう。あまりの悪趣味さに眉根が寄った。

 暗闇ならば何かあるかもしれない、誰かが来るかもしれない、と恐怖と共に期待もする。

 けれど白しかなければ何もないのが見えるのだ。絶望しかない。

 こんなところにたった一人で閉じ込められてどれほど絶望しただろう。同郷の気配に恋しさが募り、幽体を引っ張り込むくらいには人に飢えていたのだ。

 うずくまる女童に手を伸ばして抱き上げた。


 おかっぱ頭に振袖の着物。まちがいない、ざしきわらしだ。


「大丈夫、よく頑張ったね」


 助けに来たよ、と伝えると、女童が顔をあげた。

 大きな目は泣きすぎて真っ赤に充血している。わなわなと震える小ぶりな唇はひび割れ、怨嗟のような臭い息を吐いた。もう、言葉も出せないほど消耗している。名前も失っているのだろう。妖には致命的だ。


 何か手がかりになるものはないかと女童の振り袖に目を走らせる。人型の妖はたいてい自分に属するものを身に着けていたりするものだ。

 緋色の振り袖は擦り切れ、黒ずみ、ざしきわらしの存在そのものをこちらの世界に搾取されていたことが窺えた。祀られず、感謝もされず、言葉の通じない異世界は、人の世を渡り歩くざしきわらしには苦痛そのものだっただろう。人との触れ合いが好きな子ならなおさらだ。


 ふと、振袖の袖に消えかかった手毬が見えた。帯には雪兎がいる。


「お福ちゃん?」


 はっ、と息を飲んだ女童の赤い目が喜びに輝いた。やっぱりだ。


「加賀屋旅館のお福ちゃんだろう? 女将が心配して、探してくれと頼みに来たよ」


 石川県にある温泉旅館の看板娘がざしきわらしのお福だ。

 代々の女将とは姉妹のように遊び、ずっと成長を見守ってくれていた守り神。十三代目の女将は上空に雲が渦を巻き、お福のための部屋『姫ノ間』に禍々しい光が差すのを見た。

 慌てて部屋に駆けつけてみればお福はおらず、姫ノ間はまるで竜巻が通り過ぎた後のような惨状だったという。

 女将はざしきわらしの伝承――ざしきわらしが去った家は傾く、というのを心配していなかった。ただ、お福の身を案じていた。わたしたちのお福ちゃんが攫われた、酷い目に遭わされていたらどうしよう。そう言って泣いて神祇省陰陽寮までやってきたのだ。


 俺は女将に調査を約束していた。もうその頃には似たような報告が複数例届いており、陰陽寮も本腰を入れたところだった。

 そう伝えると、お福の目が潤んだ。口がはくはくと動き、女将の名前を呼ぶ。声を出せないのがいっそう憐れだった。


「お福ちゃん、みんなで日本に帰ろう」

「…………」


 名前を呼ばれたことで自我を取り戻したお福が首をかしげた。想いというのはやはり偉大だ。

 大切にされていた思い出は人だけではなく神にも妖にも効く。そこに帰りたい、帰ろう、と思えばそれは力になるものだ。


「みんな。お福ちゃんみたいに、日本から攫われた子と、みんなで帰るんだ」


 お福の目から涙が溢れ、そして、にっこりと笑った。





『アスカ!』


 疾風丸のドアップが視界を埋めていた。

 泣きそうな顔をした疾風丸が顔の周囲をちょろちょろして必死に起こそうとしている。

 ああ、夢だった。どうやら目を覚ましたらしい。


「疾風丸……」

『お前、幽体離脱してたんだぞ!』


 死んだかと思った、と胸に抱きついてきた。


「ああ……引っ張られてた」

『誰だった!?』

「ざしきわらしだよ。知ってるかな、加賀屋のお福ちゃん」

『お福!?』


 がばっと顔をあげた疾風丸がガリガリと頭をかいた。どうやら知り合いらしい。


『あいつまでこっちに来てたのか! ちくしょう、どこまで……。ちくしょう!』


 叫びが涙交じりになる。

 気持ちは分かった。ざしきわらしは働き者の味方なのだ。気分よく懸命に働いていればずっと家にいてくれる、マスコットキャラクターみたいなものだ。ざしきわらしは幸運を運ぶというが、順番が違う。幸運ではなく、働いて自力で幸福を摑もうとする人を、そっと後押ししてくれる存在だ。好きな人を応援したいという、ただそれだけの妖だ。


 それを理解せず、ただ幸運を求めて縛りつけていれば、ざしきわらしの力は失われるだろう。


『そうか、ざしきわらしの力を搾取してるから、他の家が潰れてるんだなっ?』

「おそらくね。返しの風を押し付けているんだろう」


 朝にはまだ早かったが起きることにした。窓を開ける。潮風に混じる腐臭に鼻が曲がりそうになるも、どこかでほっとしていた。

 ただ白いだけの空間。あそこは何の匂いもしなかった。孤独の一言に尽きるあそこでお福は何年耐えたのだろう。


 糒を味噌と干物で食べながら夢の話をすると、疾風丸がむむ、と唸った。


『真っ白な空間か……。何かの術で閉じ込めてるんだろうけど、それがオレらに通用するのかぁ?』

「通用させてるんだろう。俺には使えないが、この世界には魔法がある。魔力にされてるって言ってたろ? 妖力や神威を魔力に変換できるなら不可能ではないな」


 陰陽の術よりよほど具体的で実用性があり、生活に馴染んでいる。


『魔法ねぇ。ありゃあ因果律を無視したもんだ。陰陽に馴染んだアスカには使えないよ。使えたとしたら……』

「使えたとしたら?」


 使えないことは理解している。素質がない以前に、生理的に受け付けないのだ。

 見えないモノの力を借りることは陰陽術にもあることだが、対価を支払わずに行使するのはできなかった。後が怖いからだ。

 だから疾風丸に使えないと断言されてもがっかりはしなかった。


『……こっちの神と契約することになるんじゃないか?』

「イヤだ。冗談じゃない」


 とっさに言っていた。

 ぞわぞわっと全身に鳥肌が立った。その手があったか、と頭のどこかで納得する反面、それだけはイヤだと全身が叫んでいた。


「お前、ここが異世界で良かったぞ。金の君に聞かれたら締められてるところだ」

『わ、悪い……』


 異世界の神との契約なんて、好きでもない相手(しかも男)に抱かれるようなものだ。嫌悪しかない。

 ちょっとでもそんなことを考えたからだろう、金色の髪がぞわぞわしていた。


 朝食の後は浜辺に出て裸足でストレッチだ。その後に木刀を使っての形稽古に入る。

 実家は魔法特化の家だったせいか、それともこの世界にない刀の稽古だったせいか、さんざん馬鹿にされたものだ。


 体を鍛えるだけではなく、刀を使って霊力を練り上げそれを木刀に馴染ませる。霊力をタンクのように溜めているのだが、連中は理解していなかった。魔力と霊力は違うのだろうが毎日やっているのだから意味があると考えもしない、想像力の欠如に本当にこの家は魔法使いの家なのだろうかと危ぶんだものである。


くうより出でしものは空を舞いて大気を目覚めさせん」


 砂浜は足元のバランスが悪く、踏み込みにくい。稽古にはもってこいだ。


「夜刀流、一ノ形。風の陣」


 風の陣は自分の動きによって生じる空気の揺らぎに霊力を乗せて敵を打つ形である。もちろん海のような、風の強い場所では有利にも不利にもなりやすい。ゆるやかに、しかし力強く。一撃の重さで切るのではなく、打つのだ。


 夜刀流は俺が金の君と共に編み出した流派だった。示現、タイ捨、新陰流などの流派に学び、最終的に鹿島神宮で奉納の儀を行った。人間だけではなく荒魂をも斬る技に、見たいと言い出した神々がいたからだ。あの時の金の君のドヤ顔といったら……。いや、思い出すのはよそう。武芸の神様ときたら酒が入ると手に負えないんだから。まったく。


 一ノ形では第一チャクラを回す。

 海に向かって刀を突くと、海面が割れて魚が跳ねた。といってもせいぜい二メートルほどだ。


 転生してしまったせいか、この体ではまだ第三チャクラまでしか開けなかった。悔しいが急ぎすぎてもいけない。霊力の修行は早いほうが良いのだが、体ができあがっていない子供のうちだと過激な体術は成長の妨げになる。大人になってからでは遅すぎるジレンマもあるけれど、一からやり直しというのは地味にしんどい。


 第三チャクラまで回す三ノ形までじっくりやって、刀を下ろした。さすがに疲れた。


「……神との契約はともかく」


 シメのストレッチをやりつつ、退屈そうに見ているだけだった疾風丸に話しかける。


『うん? やるのか?』

「やらない。やったらたぶん死ぬから」


 金の君が嫉妬する。こちらの神に手出しできないとなれば、繋がっている俺を殺して魂を取り戻そうとしてくるだろう。それくらい執着されている自信がある。


「問題は、祝詞や真言が通じないってことだ。ついでに体を清めるのも容易じゃない。捧げるべき供物もない。ないない尽くしだ」

『絶望的じゃん』


 なにしろ祝詞や真言で力を借りる神がここにはいないのだ。やるだけ無駄である。夜刀流も祝詞というか呪文を唱えるが、あれは力の方向性を決定するためのものなので言わなくてもかまわない。むしろこれからこういう技使うぞと敵に教えるようなものなので、唱えずに使えるようにしておかないとならないものだ。


「風呂はあの家にいた頃は水垢離ができたけど、野宿続きで自分が臭いんだよな。ろくに洗濯もできなかったし。いいかげん褌くらいは洗いたい」

『きったねえ!!』


 疾風丸が叫んだ。本当にそう。

 自分の体が不快だと集中力が削がれる。なにより不浄は穢れの元だ。


『海水風呂はどうだ?』

「あれは意外と快適だっていう話だよな。燃料がない、無理だ」


 あと海水で褌洗うのはちょっと。確実に大事なところがえらいことになる。


『どうしようもねえじゃんか! お福はどうすんだよ!?』


 海水風呂は海軍の軍艦などで今でも使われているものだ。海上で真水は貴重。しかし日本人は無類の風呂好き民族である。結果、真水がないなら海水を沸かせばいいじゃない、となったそうだ。案外べたべたせず、気持ちが良いらしい。


 一方こちらは身体はお湯で拭く程度。風呂はあったようだが滅多に使われず、あの奥様でさえ近づくと体臭と香水の入り混じった強烈な匂いがしたものだ。魔法を使用する基準が今ひとつよくわからない例だった。


「とりあえず、シュバイレンとかいう男爵の家に行ってみよう。お福ちゃんの手がかりが摑めるかもしれない」


 ブオーッと汽笛が鳴って、船が出向していく。蒸気船がこちらの最先端のようだ。

 砂浜をぐるっと歩いて桟橋から通りに出る。大通りはシュバイレン男爵の屋敷があるからだろう、ずいぶん綺麗で賑わっていた。


「…………」


 シュバイレン男爵の屋敷は増築に増築を重ね、さらに無理をしたような、家を無理矢理くっつけたような不格好な建物だった。

 通りに面した家は店をやっているらしく、デザインの統一されていない看板が並んでいる。どこかで見たことがあるような、東洋風というか中華風のインテリアが店頭に置かれた店もあった。鮮やかな赤、青、黄、緑が遠くからも見えた。鮮やかな色彩が目に眩しい。宿や市場の寂れ具合とはえらい違いだった。


 時計がないため今が何時かわからないが、大通りは行商人で賑わっている。馬や人が荷車を牽き、声を掛け合って荷物を運んでいる。

 それが終われば小休止なのか、屋台で朝食を買って木箱に座って食べている人の姿があった。きちんとした食堂もあり、席料を取られるがそちらのほうが人気がある。


『この臭いじゃなぁ』


 それが最大の理由だろう。腐臭の中で食べる朝食なんて、食欲がわいてこない。むしろリバースしそうだ。

 屋台の脇に立って行き交う人々を眺める。

 俺と同じくらいか、もっと幼い子供まで働いていた。

 古着に擦りきれた靴と、労働者と大差ない格好をしていても見かけない顔だからか、ジロジロと見られている。


「どうした坊主、出稼ぎか?」


 やっと話しかけてきたのは屋台の人だった。他の人たちと同じくくたびれた顔をしている、三十代の半ばほどの男だ。


「ううん。友達を探してるんだ」


 なるべく同情を誘うように健気を装った表情を浮かべる。


「友達?」

「あそこのお屋敷に連れていかれたって……」


 うるっと目を潤ませてオーバーオールを握りしめる。不味そうに朝食を食べて一服していた男たちが、風向きの怪しい話に顔を見合わせて腰を上げた。


「男か? それとも女か?」

「女の子……」


 初老の、元漁師らしき男の問いにか細く答えた。とたん、ああ……、とため息まじりの声が重なる。思った通り、上客をもてなすために女を集めて遊ばせているらしい。


 大通りに並んでいるショッピングモールばりの商店街はほぼシュバイレン家のもの。ずいぶん広いがそれは取引相手に貴族がいるためにそうしているそうだ。そして、塀の内側に招かれるのはその中でも特別なお客様だけ。


「あのヘンテコなお城みたいなのはそのために建てたんだとよ」

「わざとああいう造りにしているの?」


 それならびっくりだ。てっきり建て増しした結果だと思っていたのに。

 驚く俺に、初老の男は苦笑して首を振った。


「驚くよな――けど、それがよくわからねえんだ」

「わからない?」


 別の男が口を挟んできた。


「今でも建築中なのさ。最終的にどんなお城になることか」

「金持ちのやることはわからなんな。俺らが考えたってしょうがない」

「坊主、悪いこと言わねえからあの家には近づかないほうがいいぞ」

「急に男爵になったと思ったらあんな塀建てて中に籠っちまって。何してるやら」


 そこで急に声を潜めた。

 何かに怯えるようにチラチラと周囲を窺って、さりげなく俺を囲い込み誰かの目から隠している。

 屋台の男が屋台の影に隠れるように腰をかがめ、より潜めた声で教えてくれた。


「……あそこの家は商売敵を呪って、その財産や家人、使用人もみーんな買い上げてるんだと。……お友達は、諦めたほうがいい」

「……そう、ですか……」


 周囲を気にして声を潜める、ということは、物や人は商品として扱われている可能性が高いのだろう。たしかにこんなこと、噂だろうとシュバイレン男爵の耳に入ったらやばい。

 旅の数日にわかったこと。魔法を人に向けて撃つのは法律で禁止されている。例外は学校などの決められた場所か、決闘だ。だから家から送られた暗殺者は魔法ではなく矢を使ってきた。いや、矢であろうと殺人は罪なんだけど、魔法だと騒ぎが大きくなるからだろう。

 貴族ではない村人でさえちょっとした魔法は使えた。けれど人を殺すほど強い魔法の使い手は、貴族くらいだからだ。貴族から犯罪者が出たとなったらそれこそ家の恥、監督不行届きで罰せられる。そのわりに若様は使ってきたけど、あれは自分のしていることが犯罪である自覚がないのだ。

 しかし、貴族と癒着している金持ちならそんなの揉み消してしまえるだろう。町の人が恐れるわけだ。


 ここまで聞けたらじゅうぶんだ。礼を言って、うなだれた様子でとぼとぼと屋台を後にした。


『アスカ、わざわざあんなこと聞いて、目立ってどうするんだよぅ』


 肩の上で息を潜めていた疾風丸がほっとしたように尻尾を振った。


「狙われてるのは想定内らしいし、問題ない」


 むしろ、こんな子供になにができる、と侮ってくれたら好都合だ。

 とりあえず外観を確認するべく、シュバイレン家の店から屋敷までぐるっと一周してみた。


 店が並ぶ大通りには見かけなかった護衛の騎士が、通りを抜けて塀が伸びる道にはぽつぽつと立っていた。

 剣だ。威嚇に魔法を使わないのか謎だけど、このおかしな建物全体で一つの魔法を構築していると考えると、うかつに魔法を使ってそれが崩れるのを恐れているのかもしれない。


 疾風丸にそう言うと、じっと目を細めて霊視した。


『んー、未完成っぽいけど魔法の気配があるなぁ……。結界、魔除けっていうより、中のものを逃がさないようにしているみたいだ』

「お福ちゃんがここにいるのは間違いなさそうだな」


 塀沿いに大通りとは反対側の道に出ると、やはりというか、店が並んでいた。大通りとは違い、こちらは専門店が多い。雰囲気も落ち着いていた。

 どこからどう見ても浮浪児の俺が店先を覗き込んでいると、怒った顔の店員が怒鳴りこんできた。


「コラッ! 勝手にそこらのもん触るんじゃねえぞ、小僧!」

「すみません」


 男の店員……店長らしき男の大声に、同じエプロンを付けた女性店員が警戒の目で睨みつけてきた。泥棒と思われているのは不快だが、ここなら欲しいものがあるかもしれないと店に入った。


「すみません。こちらに香油か、香木はありますか?」


 店内は雑多な匂いが充満していた。壁沿いに置かれた棚には香水瓶と香を焚くための香炉が丁寧に並べられている。

 男は意外そうに息を飲み、上から下まで眺めまわして、それでも腑に落ちないのか首を振って「こっちだ」と案内してくれた。

 そう広くない店内の奥は上客のための部屋だろう。品の良い茶器があり、取引の帳簿が置かれていた。

 店の奥の片隅に薬棚に似た箪笥があった。


「何が欲しいんだ?」

「白檀はありますか」

「……一グノーで銀貨一枚だ」


 一グノーはだいたい一グラムだ。銀貨一枚は銅貨百枚になる。

 なるほど商人が儲かるわけである。もっとも航海だって命を懸けているのだからこの値段が高いのか安いのかうかつには言えない。その命を賭けているのは目の前の男でも、シュバイレン男爵でもないけれど。


「五グノーください」


 言って、ポケットから財布を取り出した。やはり、金はあるに越したことはないな。奥様からせしめておいて正解だった。

 銀貨五枚を取り出すと、男は今度こそ驚いた顔をして、そそくさと天秤を取り出した。


「状態を確かめたいのですが」

「うちにあるのが信用できないっていうのか?」

「船で運んでいるのでしょう? 湿気っていたり、海水に濡れていたら大変ですから」


 至極まっとうなことを言ったつもりだが、嫌そうに顔を顰められた。

 木箱の中、紙に包まれた香木をじっくりと眺める。


 香りは良い。見た目はただの感想させた木片だからこそ、粉をまぶしただけのものだったりと偽物もあるのだが、どうやら本物のようだ。カビの発生もない。

 うなずくと、男が慎重な手つきで削り取っていった。


「坊ちゃん、香木なんて何に使うんだい?」


 客になったからか、口調が丁寧な物に変わった。

 余計な気を使わせないように店内を歩き回ったりせず、大人しく男の手元を見ている。


「大切な人に会うんです。この町に風呂はないようでしたので、せめて匂いだけはなんとかしたくて」


 きっちり五グノーはかって、白檀は紙に包まれ紙袋に入れられ、さらに木箱に入れられた。そんなのしなくていいから負けて欲しいと思うのは俺が貧乏だからだろうか。


「そうか」


 男は特に興味があったわけではないのだろう。ませたガキだ、とばかりに苦笑した。

 なけなしの金を支払ってまで買うものではない。安い香水ならどこにでも出回っているのだ。こんな、舶来品を買ってまで会うとなるとよほどの歌姫か、とでも思われてるんだろう。


「そうだ、ついでにお聞きしたいのですが、食料品、豆類を扱っている店はありますか?」

「豆ぇ?」


 首をかしげた男が女性店員を見た。疑っていたことなどなかったような顔をした小奇麗な女が前に出てくる。


「それでしたらこの通りを右に行った角にあります」


 案内されそうなのを断って店を出る。聞くだけならサービスでも、案内されたらチップを払う必要があるのだ。

 開店からさほど時間が経っていないせいか、店内の清掃をしている店や、商品の補充をしている店を横目で見ながら目的の店までのんびりと歩く。

 そこは他の店と比べるとこぢんまりとした、そしてあまり繁盛していなさそうな店だった。


「ごめんください」


 店に入るとやっぱり嫌そうな顔をされた。かまわずにぐるりと狭い店内を見回す。

 豆類を扱っていると聞いたが、メインは輸入物のドライフルーツだった。大きな半透明のガラス瓶に彩りよく入って置かれている。


「小豆はありますか?」

「アズキ?」


 おっと、聞き覚えがないってことは、輸入されてないのかな?


「濃い紫色をした、これくらいの豆です」

「……これのことか?」


 説明をすると顎を撫でながら首を捻っていた男が店の奥に引っ込んだ。商品の名前を把握できていないのか、大丈夫かなこの店。

 ごそごそ探していた男が、なんと埃を被った箱から埃と砂まみれの麻袋を出してきた。

 唖然としていると「キュロで銅貨一枚だ」とぶっきらぼうに言ってきた。一キュロはだいたい一キロ。保管の杜撰さと値段の安さに顔が引き攣った。

 袋を覗き込んでみると間違いなく小豆だ。どうやらあまり売れていないらしい。


「傷、欠け、傷みがないのを二キュロください」

「は?」

「傷、欠け、傷みがないのを二キュロください」


 聞こえなかったわけではないのはわかりきっているがあえて同じ言葉を繰り返した。


「おい、ちょっと待て。この豆ひとつひとつ選別しろってのか!?」

「はい。商品としてまともなものを売るのは当然の義務でしょう」


 売れ残りのハズレ商品だろうと値段が付いている、かつ食べ物なのだからしっかり管理していて欲しい。いや、しているべきだ。

 見たところそう古くはなさそうだがそれでも食べ物。食品管理は義務である。そして俺は客、これくらいの要望はしたっていいはずだ。怨むなら杜撰な管理をした自分を恨め。


 小豆といえば和菓子の命ともいえるものだ。きちんとより分けたものを使わないと味が落ちる。本当なら新鮮なものが欲しいところだが、一件目の店でこれなのだから他の店では取り扱っていないか、あっても期待はできそうになかった。

 雇われなのだろう男はぎりりと歯を鳴らし、怒鳴りつけようと息を吸い、そして俺が抱えている木箱を見つけて実に悔しそうに小豆を笊に取り出すと選別に取り掛かった。


「……坊主、これの食い方知ってるのか?」

「えっ? ああ、食べ方知らなかったんですね。あまり普及していないのかな」

「小さすぎて食いでがねえし、そんな美味いもんでもねえだろ」

「まあ、この国で小豆食べてるの見たことないですね。これはお菓子の原料なんですよ」

「は!? 菓子!?」


 男が目を剝いた。

 豆を菓子に使うのはたしかに珍しいかもしれないが、そこまで驚かれても癪に障る。


「砂糖をたっぷり使って焚くので大変ですけどね」


 信じられない、と言いたげに――胡散臭そうに小豆を見ている男に付け加えた。

 砂糖は比較的安価で入手できるのでその心配はいらない。問題は、砂糖の質だ。和三盆など望むべくもないが、現代日本の砂糖と比べると甘さがくどくて雑味がある。舌触りもいまいちだ。この際贅沢は言っていられないので、できれば豆くらいは良い物が欲しかった。

 二人でちまちまと小豆の選別をしてようやく二キュロを購入すると、すっかり日が高くなっていた。


『アスカー!』


 砂糖を買って宿に戻ると、疾風丸が帰ってきた。


「お帰り、どうだった?」


 買い物の間、疾風丸にはシュバイレンの屋敷を探ってもらっていたのだ。香木を買った店は貴族と取引しているようだったので、そこから屋敷内に侵入した。そこからなら疾風丸が入っても結界に引っかからないと思ったが予想通りだ。


『まるで迷路みたいだったぜ、あの家。あっちこっちに建物とか石とかでかい壺とか置いて、統一感がないったら! あそこんちには風流者がいないのかね』


 疾風丸の美意識的には許せない造りだったらしい。説明を元に地図を描いていると、あることに気が付いた。


「なるほどね。やっぱり屋敷全体が魔法陣になってお福ちゃんを封じ込めているな。あとここの場所はおそらく儀式用だろう。魔力がこう、流れて繋がって外に飛ばす。返りの風は力としてお福ちゃんに還元されている」

『なにぃ!? そうなのか!?』

「あの家にいた頃、魔導書を見せてもらったことがあるからだいたいわかる」


 わたくしの子が魔法を使えないはずがない。そう言って叩かれながら昼夜を問わずに猛勉強させられたものだ。魔法に興味があったので片っ端から読んだ魔導書の中に、魔法陣の本があった。


「日本から攫ってきた神や妖をこちらの世界では魔素エネルギーにしている。お福ちゃんの力を使って呪いをかけて、商売敵を潰しているんだろう」


 そんなことが上手くいったのは、お福がざしきわらしだからだ。居ついた家に福を呼び込む特性を持った妖は、こちらの世界では神にも等しい力を持つ。なんとしても留め置き封じておきたいと実行するのはおかしな話ではない。

 だが、乱暴だ。有無を言わさず攫っていったこともそうだが、正しく祀られていないせいで力は削がれていくばかりである。無理矢理せき止めた因果がお福に圧し掛かっている。


『怒りや鬱憤、悲しみも溜まっていくだけか……』


 疾風丸の耳がしゅんとなった。疾風丸は間一髪で逃げられた。お福は捕まり、されるがまま奪われている。その理不尽を思ったのだろう。


『それで、どうするよアスカ? 肝心の結界が家じゃ、壊しようがなくね?』

「心配ご無用。こういう建物にはアレがある。アレさえ壊せば瓦解するよ」

『アレ?』


 半信半疑の疾風丸の耳に口を寄せて教えると、あっと言って尻尾をピンと立てた。

 それから宿の主人に頼んでお湯を貰い、髪と体を拭き清めた。

 井戸があれば水で良かったのだが、この町の人はほとんどが水の魔法を使えるため、井戸の必要がなかったそうだ。代わりに炎魔法の使い手が少なく、湯を沸かすのに薪を使っている。ちなみに桶一杯のお湯で銅貨一枚した。価格崩壊が起きている気がしてならない。


「いいかげん着替えたい。これが終わったらシャツの替えを買おう。靴下も」

『褌は?』

「褌も!」


 その前に金を稼ぐ手段を考えないとだな。どれくらいの神と妖が日本から来ているのか不明だが、このままでは旅の途中で飢え死に確定だ。

 日本に帰る方法は考えない。――まだ。


 深夜、宿の人も町の人も寝静まるのを待って、シュバイレン男爵の屋敷に向かう。

 ところどころ魔法の光に照らされて護衛が立っている。退屈そうに塀に寄りかかったり、大あくびをしていたりと、かなりやる気がなさそうだった。


『あんなんで大丈夫なのかねぇ?』


 疾風丸が呆れて言った。

 やる気のない護衛でも抑止力にはなる。これだけの数がいるのを見て諦めさせるのだ。武器を持って立っているだけで良い。

 護衛に見つかってしまっては元も子もないので疾風丸に説明はしなかった。疾風丸の声はこの世界の人間には聞こえないが俺は違う。普通に聞こえるしばれる。

 けど、まあ。


「…………」


 気配を消して背後から延髄に木刀を叩きこむくらいは朝飯前だ。

 声もなく気絶した護衛の体を眠気に耐えかねて座り込んだように見せかけて、そっと塀を乗り越えた。


「……変な家だな」

『だろ?』


 疾風丸は居心地が悪そうにしている。夜だからか余計に灯りが眩しく、薄気味悪かった。

 魔法の灯りで煌々と照らされているのは貴族の上客をもてなすための建物だ。石と煉瓦でできた歪なそこから生まれる影が庭に模様を描き、魔素を増幅させている。計算された造りは、しかし俺が穴を開けたせいで少しずつ崩れ始めていた。


『アスカ、あそこだ』

「うん」


 疾風丸の案内で一番古い家に向かう。さほど大きくないが、これが要になる位置に建っていた。今は物置にでも使われているのか人の気配はない。

 この家と隣の家を繋ぐ渡り廊下の向こうに、円形の家がぽつんとあった。窓はなく、玄関もない。どこまでも白い壁はうっすらと発光して見えた。


『まったく、悪趣味だな……』


 疾風丸が吐き捨てた。

 家をぐるっと見てみたが、当然のことながら窓もドアも閉まっている。

 仕方がないので腰の木刀を抜いた。


「夜刀流、一ノ形。水の陣――流水破砕剣!」


 ぐっ、と足を踏みしめて、一回転するように刀を薙いだ。

 流水破砕剣は霊力を水のように押し流し敵を斬る、ウォーターカッターである。木や岩などは一撃で切れる。しかも中にいるものを傷つけることはない、使い勝手の良い技だ。

 主に隠された秘宝を取り戻すのに適しているのだが、今回は泥棒よろしくドアノブの周囲を円形に切り取るのに使ってしまった。ちょっぴりやるせなさを感じつつ中に入る。やはり物置なのか、埃っぽい匂いがしていた。


「――これだな」


 土足のまま各部屋を巡って見つけたのは一際太い石柱。大黒柱だった。


『うわ、けっこう太くて頑丈だなぁ』

「そういうものだからな」


 なんといっても結界の要だ。そのわりに放置されているのは、よほど防御に自信があるからだろう。

 こつん、と木刀で叩けばゆらりと影が浮かび上がった。


「疾風丸、後ろは任せるぞ」

『おっ、やっとオレ様の出番か? 任せとけ!』


 チャクラを回して息を吐く。一ノ形、水の陣だ。


「流水破砕剣!」


 今度は刺突する。が、刀が柱に当たる前に『ソレ』に弾かれた。

 石柱からずるりと浮かび上がる影。

 さすがに結界の要に攻撃を加えたからか、あちこちから怒号が聞こえてきた。


『おーおー。お客さんがいっぱいだねぇ……っと!』


 ひゅんっと疾風丸が風になって集まってきた護衛騎士を翻弄し始めた。


 現れたのは見た目タコの上半身に人間っぽい体がついたタコ人間だ。髪はなく、肌はぬるりとしたタコそのまま。太い八本足には大きな吸盤が付いている。

 ゆうに二メートルはある巨大でグロテスクな見た目に戦意を喪失する者は多いだろう。だが、


「陰陽師をなめるなよ……!」


 日本人にとって、タコなんか食材だ。

 さらに俺は陰陽師。グロ耐性があった。タコの化生と戦ったことだってある。


 さあ、返してもらおう。


「夜刀流、二ノ形!」


 第二チャクラを解放し、霊力を回す。

 炎はあのぬめぬめした粘液のある肌に弾かれるだろう。刀の刃も通らない。

 八本の足が器用に体を支えながら振り下ろされた。それを避けながら隙を窺い、疾風丸を見た。


 集まってきた護衛騎士は八人。疾風丸は右に左に飛び回って攻撃しているが、最初の一人が風に切られたのを見た奴らは魔法で防御している。足止めにはなっているが多勢に無勢、疾風丸の顔に焦りが浮かんでいた。

 タコ魔人に一瞬驚いていたがそれだけということは、何度かこうして侵入者を撃退したことがあるのだろう。連携を取り、俺をタコ魔人の真下に来るように誘導しようとしている。タコならそこに口があるはずだ。捕食させようというのだろう、えげつないぶん証拠を残さない良い方法だった。


「疾風丸!」

『アスカ!』


 木刀で円を描いて見せると俺の意図するところを読んだ疾風丸が護衛の足元を駆けた。そこに、タコの足を避けた俺がじわじわ押されているように後退する。

 侵入者が来たことで、剣を持った護衛がひとかたまりになって殺到した。


「水の陣!」


 左右二本のタコ足がぐわっと振り上げられた。足に力を籠め、飛ぶ。

 タコ足の先には、剣を突きだす形になった八人の護衛。


「渦吸引水!!」


 護衛の頭上を飛び越えた次の瞬間、護衛がタコ足に薙ぎ倒された。地に足が付き、開いた空間に向かって飛び込む。

 刀から渦になった霊力がタコの中心、人の体とタコの境目に突き刺さった。そのまま渦がタコ魔人の体を突き抜けて穴をあける。


『――――!!?』


 形容しがたい悲鳴を上げたタコ魔人の体が見る間に萎んでいった。


『アスカ、無事かっ?』

「ああ」


 疾風丸が干からびたタコに絶句する。


『こ、こりゃあ……』


 渦吸引水は渦で開いた穴から霊力を吸い上げる技だ。この世界なら魔力か。

 霊力、魔力、その源となるもの。つまり、タコ魔人の体を満たしていた水分を吸われてしまえばあとは干乾びるのみだ。回復しようにも魔力も吸引されているからそれもできない。

 俺の説明に『えげつないなー』と口元を引き攣らせた疾風丸が、きっと顔をあげた。


「パウル!? 貴様っ、何者だ!?」


 酒が入っているのかおぼつかない足取りで、顔を真っ赤にして息も荒く登場したのはシュバイレン男爵だろう。でっぷりと肥えた腹に似合わないフリルのついた服。ソーセージのような指には宝石の付いた指輪をごろごろ着けていた。なんというか、絵に描いたような悪徳成金だ。


「名乗るほどの者ではない」

「ふざけるなっ!」

「貴様に名乗る名前はない」

「なんだとぉ!?」


 ぷっ、と笑った疾風丸が、


『アスカ、そこは「答えてやるのが世の情け」なんじゃねえの?』


 実によくわかっていることを言った。一回言ってみたい日本語。お約束ってやつだ。

 シュバイレン男爵の赤かった顔がさらに赤くなっている。頭から湯気が出ていそうだ。挑発するのはここまでで良いだろう。


「き、き、貴様……っ。私がシュバイレン男爵と知ってのことか……!?」

「いや、知らん。興味がない」

「な!?」


 そう、こいつが何者であろうと興味はない。


「俺にとって、あんたはただの誘拐犯だ」


 心当たりがないのか、それともありすぎて見当がつかないのか、戸惑うシュバイレン男爵に木刀を突きつける。


「我が友を攫い、意思を無視し、利用しつくした罪。贖ってもらう」


 要が壊れたせいで緩んだ結界が解ける。ピシ、ビシッ、と背後から不吉な音がしていることに気が付いたシュバイレン男爵が恐る恐る振り返った。

 お福を閉じ込めていた白い家が爆発した。


「ひ、ひぃぃいいいいいいっ!!」

「お福ちゃん!!」


 絶望的な悲鳴を上げるシュバイレン男爵を無視して名前を呼んだ。

 解き放たれたお福が夜空を見上げ、両手を広げる。まるで、自由を喜んで万歳をしているようだ。

 ひらりと揺れた振袖が戻っていく。奪われた霊力を取り戻しているのだ。


『飛鳥井!』


 振り返ったお福が満面の笑みで抱きついてきた。肩に乗ってきた疾風丸に相好を崩し、くすぐったそうに笑う。


『お福、久しぶり!』


 顔馴染みが助かったことに疾風丸の目が潤んでいた。


「行こう。お福ちゃん、おしるこの用意ができてるよ」

『おしるこ!』


 ざしきわらしの好物は餡子だ。相当飢えていたのか頬を染めて感激している。


「まっ、待ってくれ! 行かないでくれ!」


 良い雰囲気で去ろうとしたらシュバイレン男爵が追いすがってきた。お福の目が冷たいものに変わる。

 そういえば、疾風丸の声が聞こえていたようだし、お福が見えているのか。誘拐した本人ならそれなりに強い魔力を持っているのだろう。


「私の幸運の女神! 私の守り神だろう!? なぜ、なぜそんな小僧と……」

『ちがう』


 ざわっ、とお福の髪が伸びてシュバイレン男爵に絡みついた。


『私を攫って、呪いにした』

「ちがっ、違います! あれは呪いではなく、ただ邪魔な相手を排除しただけで……っ」


 ぎりぎりと髪に絞められたシュバイレン男爵が必死に言い訳する。


「……ざしきわらしを呪いに使ったのか。とことん愚かだな」

「こう、うんをっ、私にっ! お前はっ、私のために、力を使え、ばっ」

「他人の幸運を横取りして? ――この子はそういうものじゃないんだよ」


 お福の頭を抱きこんで何度も撫でた。

 胸ポケットの中には白檀が入っている。和扇や神社などではお馴染の、懐かしい、どこか安心する匂いだ。

 万が一お福が荒魂になった時のために持ってきていたが正解だった。シュバイレン男爵が余計なことを言ったせいで怒りが爆発してしまっている。


「この子はまっとうに働く者の味方なんだ。運なんかに頼って、他人を妬んで食い潰す家なんかに居つくわけがない。あんたはただの、誘拐犯だ」

『私が泣いても解放してくれなかった。お腹が空いても何もくれなかった。遊びたくても誰もいなかった。楽しいこと、なんにもなかった』


 だから。

 お福の髪がシュバイレン男爵の全身を包み込む。


『全部、切って』


 お福が言い、疾風丸が長い髪を切った。髪と共に、人間にとって大切なものがもろとも切れたのが見えた。

 追撃しようかと思ったが、止める。あの男に報復する権利があるのはお福だ。


「あなたはこれから報いを受ける。たくさんの人を傷つけて、泣かせて、人生を食い物にしてきたその報いを。この子は俺たちの国の大切な子だ。泣いて帰りを待つ者の気持ちがわかるか!?」

「召喚しただけ――」

「異なる世界からなら同意もなく勝手に攫ってもいい。そう言いたいのか」

「…………」

「今、切られたのは縁だ。良縁も悪縁も全部まとめて切れてしまった。あなたが、そうした」


 シュバイレン男爵家の呪詛で潰れた家には、自殺を選んだものだっていただろう。そういうことだ。

 良縁だけではなく悪縁まで切られたら、たとえ下心であってもシュバイレンに近づく者は皆無になる。助けはなく、しかし騙されることもない。お福が一人で閉じ込められていたのと同じく誰にも声は届かない。生きながら忘れられてゆく。


 呆然とお福を見たシュバイレンは、彼女がもう自分を見ないことをようやく自覚したのか、へなへなと座り込んだ。


『飛鳥井、おしるこ』


 ぺちん、と頬を叩いて催促してくるお福は童女そのものだった。怒ったことなど忘れたように。ざしきわらしは去る家に未練を残さない。


「うん。行こうか。疾風丸も食べるだろ?」

『とーぜん!』

「餅がないのが残念だよな。栗は季節じゃないし」


 宿に帰って台所を借りておしるこパーティした。匂いで起きだしてきた客や宿屋の女将さんたちまで混じって、安価で叩き売りされていた豆の意外な美味しさに大喜びだった。もしかしたらこの町の新たな名物になるのかもしれない。


『飛鳥井、日本、いつ帰る?』

「いつか帰るよ。みんなを助けなきゃ」

『そうだぜお福! みんなで帰んなきゃ意味ないだろ!』


 日本に帰る方法は、まだ、見つからない。


 その後とある貿易商の船がすべて沈没し、男爵だったその家は爵位を返上、持ち直すことなく破産した。一家離散になり当主はいずこかに消えたという噂を聞いた。ざまあみろと笑う声が風に乗りあちこちに飛んでいる。




無理矢理縛りつけられたあげく強制労働でしかも間違った使い方される。拷問かな?

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