冒険が始まるのはもう少しかかりそう
log in
まず初めに感じたのは、重さ。全身に米俵付けてるんじゃないかと思うぐらいの重量感。それと何処か狭い部屋に入れらているような閉塞感と全身の皮膚から伝わる硬質な感じ。余りにも唐突な、生まれて初めての感覚にパニックだ。
なんだ、何が起きてるんだ!?
倒れ込みそうになるのを何とか耐えて、慌てて目を開ける。
視界は制限されていた。両目の前にある穴からしか外の様子を確認できない。
俺は重く、動かし辛い利き手を何とか眼前まで持ち上げようとするが、ちっとも上がらない。前へならえもできない。僅かに動かすことしかできなかった。
それでも腕と眼球をなんとか動かし、手だけを視界に入れることができた。
何だこれは?
アニメやゲームで見たことのある西洋鎧の籠手が自分の手についていた。太陽の光を反射して上品に輝く白銀色。華美な装飾はなく、けれど武骨でもない。機能的で、シンプルだけどカッコイイ。
俺はこの籠手を見たことがあるのを思い出した。
あっ、これ勇者の鎧と剣(仮)だ!
キャラメイクの時に画面に出てきた鎧の籠手がこんな感じだった。
……という事はつまり、俺は鎧を着ているのか。
そう考えれば全身にかかる重さも、視界の狭さにも理由が付く。
現状が理解でき、落ち着いた。
冷静になると、制限された視界のいっぱいに草原が広がっていることに気が付いた。
なるほど、今はゲームの世界にいるのか……。
ぐつぐつと湧き上がる興奮。
鎧の隙間から晒された肌を風が撫でる。青い空に流れる雲、揺れる草はざわめき、微かに土の匂いが鼻腔をくすぐる。到底ゲームとは思えない、いや、引きこもりがちな俺ではリアルでも体験できないかもしれない、圧倒的な世界。
すげえ!こんなゲーム作れるのかよ!こんなに凄いゲームを体験できるだなんて、俺一生分の運を使い果たしたんじゃないか!
感動に浸っていると、隣から、
「う〇こしたい」
という聞きなじんでいる声が耳の中に入り込んできた。
「………………」
台無しだ。
世界初の没入型VRゲームで、この世界で初めてのセリフが「う〇こしたい」って……。
「まってろよ世界!」とか言いたかったのに……。もう一度やり直せるのあならやり直したいほどに台無しだった。
現実世界でモニタリングしている開発者の人達も落胆しているに違いない。
一気にテンションを下げられた元凶、ゴウに殴りかかっても誰にも何処からも文句は出ないだろう。なにせこの場所には法律も、警察もないんだからな!
強烈な踏み込み、振り上げた腕、腰を入れた強烈なパンチがゴウの顎を――捉えなかった。
そうだ、俺、鎧着てたんだった。
重すぎて体が動かせず、微動しかできなかった。仕方ない、取り敢えず睨んでおく。首も動かせず、視線は草原のため意味はないが。
「なあ、この近くにトイレない?」
全身鎧で俺の思惑も表情も気づくことなく、のんきに(おなかの調子は切羽詰まっているかもしれないが)ゴウは言う。
「向こうに林があるから、そこですればいいんじゃないかな」
体を動かせれないから分からないが、どうやら近くに林があるらしい。
「お、了解」
ゴウは小走りで林の方へ向かっていく。
それにしても高度社会の現代っ子のはずなのに何の抵抗もなく野グソしに行ったな。
「そういえばこの世界でも生理現象とかどうなってるの?」
「現実世界と何ら変わらないようにしてある。生理現象も欲求もそのまんま。腹は減るし、眠りもする」
「でもリアルとここでは時間の流れるスピードが違うだろ。この世界で十年に対してリアルは十四日だから、単純計算すると……、ええっと……」
「現実世界の一日は、このゲームの世界の260日だ」
「…………」
具体的な数字を聞くと、恐ろしいな。
「ってことは、例えばリアルで一日一回トイレする場合、この世界では260日に一回トイレするってこと?」
「いや、なるべく生活のリズムを壊さないようにプログラムされてるからな。この世界でも一日に一回トイレする必要がある」
「ふ~ん。じゃあ今ゴウが野グソしに行ったけど、リアルではう〇こしてないってことだな?」
ちなみにリアルではおむつを履いている。
おむつを履くのは赤ん坊のころだけだと、爺になっても履かないと、心に誓ったその夢は儚くも散ってしまった。
「どうだろ。ゴウは昨日から腹の調子が悪かった様子だったし、この世界に入る前にトイレに行ったのにログインしてからいきなりってことは、あまりに間隔が短いからな」
「つまり?」
「推して知るべし、かな」
「だよな」
まあ、真実は|神≪運営≫|のみぞ知る、だな。
しょうがないよ人間だもの生理現象だもの。
遅かれ早かれ俺もすることになるのだから。
リアルで下半身掃除されているかもしれないけど、それはもう割り切るしかない。世界初の技術を誰よりも初めて体験させていただいているのだから、安い代償だろう。貴重な体験をさせてもらえたと嬉しがればいいじゃないか。
……嬉しがるのはちょっと変態チックかな。
それにしても昨日か……。若干心当たりがないこともない。
まぁ、ゴウの事は置いておいて、
「シズル。この鎧外すの手伝ってくんない」
スタート地点で一人動けずに置いて行かれて、何もできずに餓死してゲームオーバーは流石にない。貴重な体験なのは間違いないがそれだけは勘弁願いたい。
●
二人が狩りで数十分かけ、勇者の鎧を首を痛めつつ外すことに成功した。
あ、でも過剰なほど装飾が施された鞘に納められている剣だけは背負ってはいる。この剣も振り上げることが出来ないほど重たい。手放せば地面にめり込んでしまうだろう。腰をやりそうだから背負ったままにしておくのが正解だとみた。
ずっしりと剣の重さがかかっているが、鎧姿の時と比べれれば雲泥の差だ。ヴァンパイアが入っているような棺桶より身動き取れないからね、あれ。
ああ、直射日光が素晴らしい。凄い解放感だ。
体を大きく広げて、深呼吸する。
今度こそ全身で世界を感じた。リアルとの差異が分からないほどのクオリティ。むしろ空気はここの方がうまいのではなかろうか。
ストレッチついでに辺りを見回した。やや西の頭上に太陽、左右には草原が続き、前方に横たわる舗装されていない道があり、後方に林みたいな樹がたくさん生えているところがあった。あそこでゴウが……。
この世界の空気を堪能しつつ、ひとしきり体をほぐし終えたら、さて、
「これどうすればいい?」
脱いだ鎧は草の絨毯を潰し、置かれている。置かれているより置いておかれていると言ったほうが正しい気がする?あれ、日本語あってる?
取り敢えず、今の筋力値では動かすことが出来そうにない。
ゲームの定番、超便利なアイテムボックスもこの世界には存在しない。このゲームはそんな甘くないのだ。
「置いていくしかないだろ」
やっぱりそれしかないのか。でもここに置いておくと誰かにとられそうなんだよな。そして売られる。
それは納得いかない。勇者の鎧(仮)は、(仮)とはいえ勇者の名がついているのだから、ただ邪魔な置物と化してようがレアアイテムのはず。せっかく手に入れたのだから渡したくない。
ならどうするか、
「……埋めるか」
苦渋の決断だがしょうがない。誰かにとられて利用されるよりましだと、自分を納得させる。
「シズル。なんか掘ることができるものない?」
シズルのキャラは、タイプ一。その職業専用のスキルがあるという仕様だったはず。ゴウは地雷職を選んだらしいし、何か役立つものがあればいいのだけど。
「ある」
「え、ホント?」
期待していなかったが、言ってみるものだ。
「ん」
シズルは俺を指を指した。
正確にいうのなら俺の顔数センチ横を。具体的には背負っている勇者の装備(仮)の剣を。
「なんでも使いよう」
ごもっともで。
俺は玉の様な汗を流しながら、やたら豪華な剣で穴を掘る。剣が重いだけでなく、柔らかい土壌なのだろう簡単に深く剣が刺さる。自分のやっていることが何やら無性に間違っているように思えてくる。
何やってんだ俺。そんな思考を続けないために無心で掘る。
出来上がった五十センチほど穴に、鎧を転がし落とし土を被せた。
一息ついたところで、腹をさすりながらゴウが戻ってきた。
「おぉ。ごめんごめん。なんか昨日から腹の調子が悪くてさ」
「まあ、気にすんなよ」
俺は朗らかな笑みをたたえた。少し前までは夢の様な体験に情緒が可笑しかった気がする。ひと汗かいた今は、心の中ではじめは殴ろうとしてごめんねと謝りながら心優しくむかえいれた。
「で、これからどうする?」
「取り敢えず道に沿って歩けばいいだろ」
「東か西か」
「これで決めよう」
俺は背負っている剣を二人に見せた。
「この剣を突き立てて倒れた方向に向かおう」
一度やって見たかったんだよな、コレ。
都会に住んでるから、いい感じの木の棒は落ちていないしスマホの地図があるから迷いもしない。人が沢山いるから尋ねてもいい。学生だから行動範囲が近場だし、確実にたどり着くのが保証されているから、移動が手段となっているから味気なかった。
でもこの世界については何も分からない。目的もとくにない。だから楽しみだ。もちろん少し怖いが。それすらも心躍る要素だ。移動することが楽しみだ。
どんな世界なのか、どこにつくのかワクワクが止まらない。
「おもしろそうじゃん」
と剛は言い、シズルも頷いた。
二人の了解も得た。
「じゃあやるぞ」
俺は背負っていた剣を剣帯から鞘ごと外し、その重さに少しよろめきながらも体の前に持った。公平になるように、地面に対し垂直になるようにして手を放した。
剣は真っ直ぐに地面に向かって落ちて――
――突き刺さった。
「「「…………」」」
見事に真っ直ぐに立っていた。どこぞの選定の剣の如く。
さすが(仮)とはいえ勇者の剣。存在感が違う。
その神々しさもある存在感に、圧倒されているからだろう静けさの中、自然と二人と目が合った。
俺は言う。
「とりえず抜くの手伝って」
思いどおりにいくほどこのゲームは甘くない。