プロローグ、終わり
俺たちは集合時間の午前八時五分前に部屋にされていた検査衣を着て昨日説明があった部屋に入った。
それにしても、この部屋にいると昨日のことを思い出すから早く別の場所へ、それこそ別世界に行きたい。
「ゲームの中か……どんなところだどうな」
隣の席に座る剛が聞いてきた。
「それな。西暦1600年と言われても国によって発展ぐあいも違うしな。しかもあくまでモデルにしただけだから、オリジナルな世界な可能性もあるしな」
書いてあることをそのまま信じていいのか分からないし、そもそも渡された資料を全部読めなかったから何とも言えない。まあ、熟読する時間は与えられていなかったから当然なのだが。
「静流もこのゲームの開発に関わってるんだろ。どんな感じなんだ?」
唯一どんな世界観のゲームか知っている静流に剛は尋ねた。
「今聞くのか?」
「それもそうか」
剛はあっさりと引き下がった。
俺たちはゲームを攻略するためではなく、楽しむために来たのだから聞かない方がいいのかもしれない。
思い出してみると三十分しか資料を読む時間を与えられなかったのは、先入観が少ない方が感動が大きくなるからという粋なはからいだったのかもしれない。
「ていうか静流もゲームの中に入っていいのか?」
作る側なら他にやることがあるのではないだろうか。
「俺の仕事はフルダイブのVR機器の方ではなく、ゲームのプログラミングの方だから問題ない」
「……そうなんだ」
同い年なのに、世界初のVRゲームの開発チームにいるなんて、やっぱり静流はすごいな。宅部のエースとか言ってた自分が恥ずかしい。……恥をかきすぎだろ、俺。
「あったとしてもそれはゲームの中から出た後にやればいい」
「でもそれって、もしゲーム内でバグがあっても俺たちがプレイしている最中は直せないってことか?」
と剛が言った。
「ああ。ゲーム内は現実と切り離された、本当に別世界のようなものだ」
「大丈夫なのかそれ?」
ゲームを初めたのに何故か動かなくなって、そのまま十年間過ぎたら意味がないし、閉じ込められた俺たちの精神もバグってしまいそうだ。
「たぶんな」
「たぶん……」
そこは嘘でもいいから危険はないと断言して欲いところだった……。
「完璧に作ったつもりだが……人間だから見落としがあるかもしれない。それにバグがあったとしてもそれは些細なことのはずだから大丈夫だろう」
「あ、そうなの」
心配のしすぎか。
「でもハードの方は分からない。少し手伝ったけど最新の理論と技術を使っているから万が一なんてことも十分あり得る」
「おいおい怖い話すんなよ」
心配のしすぎではなかった。
けれど、世界初の最新技術が詰まったゲームを平凡きまわりない自分が誰よりも先に体験できるなんて、そんな幸運を享受するには、モルモットになるぐらい必要な対価なのかもしれない。
そう考えていると、ふと自分たちに色々と説明して……くれてはいないけど、教官のことが気になった。
「教官も静流と一緒で暇なのか?」
おもわず言葉が零れてしまった。
「ああ、確かに。コスプレしてるし、俺たちの案内をしてるもんな」
「暇だね。それと鈴木さんは常時コスプレしてる」
常にコスプレしているのなら、それはもう普段着なのでは?
「鈴木さんはどんなことやってる人なんだ?」
俺が首を傾げていると剛が静流に尋ねた。
「ゲーム内のAIの開発」
AIということは、ゲーム内のNPCのことだろう。フルダイブのVRゲームだし、会話の自由度が高そうだ。同じ言葉を繰り返すなんてことはきっとないのだろう。
「へぇ~、凄い人なんだな」
「……ホントな」
見た目とは違って。
「諸君、おはよう!」
時計の長針が『12』を通り過ぎ、『1』を指したとき、コスプレおっさんこと鈴木さんが勢いよく教室に入ってきた。
「うん?樋口少年、目の下にクマが出来ているぞ。さては楽しみで眠れなったな。ハハハ駄目だぞモニター時はバイタルを測るんだから体調管理はしっかりしてもらわないとな」
昨日の厳格な態度とは打って変わって、鈴木さんはハイテンションだった。それはもう不自然なほどに。
どうしたのだろうと訝しんでいると、
「教官」
剛が手を挙げた。
こういう時、一切ためらったりせず、素直に聞くことが出来る剛の存在はありがたい。
しかし、教官は無視して話始めた。
「これからお前たちは、没入型VRゲーム機の試作型がある部屋に案内する。世界初を体験できるんだ楽しみにありがたく思うんだな」
「教官!」
再度、剛が呼びかける。
「…………なんだ」
教官は嫌そうな顔で剛を見た。
「教官は五分遅れたので、好きな人を言うべきであります!」
「グッ……」
そういえば昨日そんなことを言っていたな……。でも、昨日会ったばかりのコスプレしているおっさんの恋バナ何て欠片も興味ないんだけど。静流も興味なさそうに目を閉じてるし。
「うぉっほん。……さて、そろそろ移動を」
「教官が規律を自ら乱すと、部下に示しがつかないと思います」
「そ、それは……」
「さあ」
「…………」
「さあ!」
いやいやいや、剛の奴どんだけ聞きたいんだよ。
「……分かった。言おう」
「言うのかよ」
意外に律儀!
「俺の好きな人は……アヤメちゃんだよ」
「ちゃん付けで呼んでいるということは、アイドルとか二次元キャラとかですか?」
「もしくは本人がいないところでちゃん付けで呼んでいるかだな」
剛も静流も容赦ないな!
というか静流は同じ開発チームだから茶化すことはあるかもしれないけど、昨日会ったばかりの年をからかうなんて、剛の奴ハート強すぎだろ……。
いや、言いたいことは分かるよ。だってアラフォーぐらいのおっさんがコスプレしてるんだもん。三次元の女なんてありえん、俺の嫁は二次元にいる。って感じに拗らせてそうだもんね。でも偏見かもしれないだろ。もっと普通に思い浮かぶ可能性があるだろうに。例えば……。
「お前ら酷すぎだろ。普通に仲良しの可能性があるだろ…………5パーセントぐらい」
「いや拓海も十分酷いだろ」
流れ的に俺もからかったほうがいいのかと思ってつい言ってしまった。
あまりに失礼だから怒られるかと恐る恐る教官に目を向けた。教官は俺たちのからかいには反応しなかった。無反応だった。ただ遠い目をしていた。
「小学校の時の一緒のクラスだったんだ。彼女は強引な部分があったけど、正義感の強くて優しかった…………」
俺の脳裏に『ロ』から始まり『ン』で終わるカタカナ四文字の単語が脳裏を過ったその時、教官は言った。
「もう死んでしまったけどな……」
ああ、なるほど。拗らせてるかなと思ってたけどそっちの拗らせ方だったか……。
「…………」
「…………」
「………………」
やっちまった!!最悪のタイミングでからかってしまった!好きな人の話だからてっきり軽い感じだと思ったんだけど、重い話だった。
分かるか!
重い話だなんて分かるか!そんな気まずい話今すんな!テンション下がるわ!と心のなかで逆ギレせずにはいられなかった。口にする勇気はない。
さすにデリカシーがない剛と容赦のない静流の二人も黙っっていた。
静寂が場を支配した。
俺たちは背筋を伸ばして下を向いて、教官と目を合わせないようにしていた。
森閑とした室内に教官の嗚咽の音だけが広がった。
「くっ……うぅ……俺があの時ああしていれば…………」
幸いなことに教官は俺たちの声は聞こえおらず、思い出して泣いているようだった。
教官の過去に何があったか、興味が湧いてきてしまった。が自分より年上のおっさんが泣いている姿が衝撃的で、大人しく黙っていることにした。
教官が泣き止み立ち直った後、強制的にテンションを下げられた俺たちは野辺送りのように廊下を歩き、遂に楽しみにしていた最新のフルダイブVR機器がある部屋まで来ていた。室内には技術者風の人以外に、白衣を着た人やナース服を着た人もいた。広い室内だが少し手狭に感じた。
部屋の中央には棺のような……いやいや。MRIを二回りほど大きくしたような、人ひとりが中にな入れる真っ白マシンが三台並んでいた。
いけない。つい思考が三途の川によってしまった。これから待ちに待ったゲームをするんだ。切り替えなければ。
「右からタイプ1、タイプ2、タイプ3だ。それぞれのマシンに入ってくれ」
「……ヤヴォール」
目もとが赤くなっている教官に従い、それぞれのマシンの中に入り横になった。良く解らないコードや機械を体に付けられた。
ていうかヤヴォールってなんだ。いや、今考えるのはやめておこう。
「ええ、分かっているとは思うが確認だ。お前たちはゲームの中で十年過ごしてもらう。ゲームの中から出る条件はゲーム内でお前たちが死亡したときもしくは、お前たちのバイタルに異常が出た時だけこちら側から強制的にゲームを中断させてもらう。ゲーム内から外には原則連絡できない。お前たちの行動はこちらでモニタリングしているが、見られていることを意識せずゲームを、名もなき世界を楽しんでくれ。……以上。質問は受け付けない」
「受け付けないのかよ」
「時間が押してるからな」
お前のせいじゃないか。
「それでは検討を祈る」
その言葉と共にマシンが動き出した。
ああ、楽しみだ。自分で興奮して心拍数が上がっているのが分かる。バイタルの異常として検知されないか若干の不安があるが、この興奮を抑えることはできそうになかった。待ち望んでいたゲームがついに始まる。
これから、俺だけの冒険が始まるのだ。
蓋が閉じるられると、すぐに意識が落ちた。