到着
夏休みなので学校はない。
帰宅部所属の俺は、部に所属する先輩たち――知り合いではない――を見習って真面目に活動していた。0時に布団に入り、12時に起きる。食事は一日二食。ほぼ外出はせず、欲しいものがあったら母親に買ってきてもらう生活をしていた。
部活の練習試合とかで夏休みなのにもかかわらず、朝から汗を流している弟たちには頭が下がる。家族みんなで食卓を囲む夕食で、俺よりおかずが一品多いのも頷ける。
今頃部内の先輩たちは大型新人の登場に歓喜していることだろう。……あったことないけど。
そんな帰宅部の星と呼ばれている俺もついつい楽しみすぎて午前8時という早朝に起きてしまった。
八月一日。待ちに待ったバイトの日。
自室着替えて意気揚々とリビングに向かう。
今の時間は母親しかいないはず。早く起きたので、驚かせてやろうと扉の前で息をひそめる。
扉の向こうで人の気配がした。
俺は「わ!」っと勢いよく扉を開けた。
「うわっ。ビックリした―。えっ、何。どうしたの」
――驚いてはもらえた。
母親――ではなく、剛にだが……。
はっず。家族に接するテンションで友達の前に出てしまった。
「おはよう。母さんは?」
「おはよう。なんかどっかに行ってくるって」
こいつ留守番にむいてないな。
「なに、拓海は朝テンション高いの?」
食卓には食べカスが乗った皿が置いてあり、剛の口の周りには髭のように白い跡が付いていた。
「そんなことより、どうして俺の家で飯食ってんの?」
もしかしなくともその朝ごはん俺のではなかろうか。
まあ、無くなってしまったものはしょうがないと割り切り、何か食べるものはないかと冷蔵庫を開けた。
「は?拓海が言ったんだろ家で待ってろって」
……ま、まさかこいつ俺が言った『家』って俺の家だと思っていたのか。ていうか牛乳の賞味期限過ぎてるじゃん。
「だから家に上がらせてもらって待ってたんだよ。そしたらさ、拓海の母さんが朝ごはん食べたのかって聞いてきたから、食べてませんって答えてたら、それ食べていいよって」
「いやいやいやいや、あの会話の流れ的に自分の家って意味だろ」
「あ、そうなの。でも迎えに来る家が一つになったんだから静流的にも楽だろ」
「そうかもしれないけどさ……。先に剛の家に向かいに行ってるかもしれないだろ」
朝から剛の相手は疲れるなと思っていると、インターホンが鳴った。剛のことと牛乳はいったん置いといて玄関に向かった。
「どなたですか」と言いながら玄関ドアを開けると予想通り静流だった。
「迎えに来た」
「おはよう。……先に俺の家に来たのか?」
「剛のことだから拓海の家に来ている可能性があったから」
「お、もう来たか。じゃあ行こうぜ」
家の中から出てきた剛が上がり框に座り靴を履いた。
お邪魔しましたといって家を出る剛に続き、静流も止めてある車に向かった。
「早く来いよ~」
剛が手を振って呼ぶ。
どことなく釈然としない気持ちを棚上げして、俺も家を出た。
俺たちが乗った車は運転席と後部座席が区切られていてだれが運転しているか見えないだけでなく、ガラスの部分が黒く染められていた。外の景色が全く見えない空間になっていた。
外の景色が見えないだけで圧迫感がある。
「秘密保護のために施設の場所は内緒だから」
「秘密基地みたいで面白そうだな」
剛は無邪気に楽しんでいるみたいだが、俺は何だか不安になってきた。
ここまで徹底して情報を洩らさないようにしてるとは……。秘密を洩らしたら殺されたりするんだろうか。
「そういえば静流はどうやってこのバイトを見つけてきたんだ?」
「没入型VRの開発に俺も一枚かんでるからな」
「マジか」
そのつてで機密一杯のゲームのモニターができるとは、マジ感激。
二時間ぐらいたっただろうか――携帯電話は車に乗る前に預けてあるのでわからないが車が止まった。
「どうぞ降りてください」
外からドアが開けられ降りるように促された。
密閉空間から出るとそこが施設内のガレージみたいなところだとしても開放感があった。
「シャバの空気がおいしいぜ」といった剛とは違い空気は美味しいとは思わなかったが。
ずっと座っていたので凝った身体を伸ばした。
「南条さんと樋口さんはこれを身に着けていてください」
「何ですかこれ」
「この施設に入るためのIDです」
俺と剛は受けっとって首にかけた。静流は関係者だからか俺たちの物とは少し違うようだ。
「こちらへどうぞ」
運転してくれた人に案内され施設に入る。
長く続く白い通路で期待感からか心臓の鼓動が早くるがわかった。
突き当りの部屋の前で止まった。
「暫くここで待機してください。今回の説明をする人物がもうすぐきますので……」
そう言って通された部屋は質素だった。机と椅子が並んで三つと教卓が一と、ホワイトボードがあるだけだった。
「取り敢えず座るか」
廊下側から俺、剛、静流の順番に座った瞬間だった。
スライド式のドアをバーンと思いっきり開けて軍服の男が入ってきた。
「え、ここって軍の施設?」
「否。私はただのコスプレである」
小さな声で呟いたのに聞かれてた。
しかもおっさんのコスプレ……。コスプレしていいのは可愛い女の子と決まっているだろうが。
「いいか、今から貴様らには今回のバイトについての雇用契約書と労働条件通知書を渡す。この二つにしっかり目と目を通せ。十分間、私は席を外す。その間に納得できたのなら署名しておくように」
書類を手渡した後、軍服コスプレおじさんはまたも力いっぱいドアを開けて出ていった。嵐のようだった。
「なあ静流、大丈夫なのかここ」
「大丈夫だよ。鈴木さんは暑苦しくうざいけどいい人だから。それより、十分しかないのだから早く目を通したら」
「ああ、……でも何で時間制限あるんだよ」
ぼやきつつも労働条件通知書の紙を手にし、読もうとした瞬間――
「終わった」
と剛が言った。
「剛、お前絶対しっかりと読んでないだろ。こういうのはしっかり読んだ方がいいと思うぞ。ほら、ここに『本件でもし何かあったとしても当社は一切責任を負いません』て書いてある……。えっ、ただのゲームのモニターじゃないの?なんかむっちゃ怖いんですけど……」
「はじめっからバイトするつもりで来たからどんな条件だろうが俺はやるよ。ほら、静流だって同意したみたいだし」
なんか無駄にかっこいいな。
「俺がバイトに誘ったのだから俺がやるのは当然だろ」
まあ確かに、新しいゲームやってみたいし、二人ともやるんだったらそこまで心配しなくても大丈夫か。
俺もサラッと見ただけで書類に記名した。