082 冒険者と悪食の山椒魚⑩
領都カッパフルスでは、防衛戦の話で持ちきりだった。
領民曰く、「これだけの被害を出しているんだ。冒険者の質も、領軍の質も低下したんじゃ無いのか?」とか、「いや、領民に被害は出ていないんだ。しかも、相手は災害級の魔物だったんだろ?それなら今回の防衛戦は上出来なんじゃ無いのか?」と批評を並べる者達。
「救世主の出現。新たなる四人の英雄が現れた!!」とか、「白の女神と黒の魔神の光臨...」とか、「天使と悪魔の共演?」と、自分達に都合の良い偶像を思い浮かべる者達。
皆が皆、各々の視点で防衛戦を振り返り、それぞれの見解を述べながら騒いでいた。
だが、犠牲となった冒険者や領兵の数は計り知れず、未だに犠牲者の正確な数字は出ていない状況なのだ。
それもその筈で、この領都の民で犠牲となった者は誰一人として居ないが、既に他の町や村で出た犠牲者は数知れず。
現在解っている数字だけでも、冒険者一五四名、領兵一,一二八名、領民二四,八四七名が亡くなっているのだ。
しかも、これは途中経過であり、これ以上の死者が出ている事は間違い無い。
それは、変異種の山椒魚に喰われてしまった為、遺体が見付からない事に起因していた。
ギルドーマスター室。
此処に居るのはギルドマスターと、副ギルドマスターの二人だけだ。
防衛戦の後処理に追われながら、今回の戦いを振り返っていた。
「私は...どんな強者でも人である限り、一人の力では戦争を終わらせる事など出来ないと思っていました。ですが、今回の戦いを見て...それは不可能では無いのだと思い知りました」
神妙な面持ちの二人。
今回の防衛戦で二人が成した功績は何一つ無く、多くの犠牲を払っただけなのだから。
やるせない思いが心から溢れてしまい、その態度へと表れていた。
戦争は一人でするものでは無い筈なのに、それを現実に可能とする人物が居たのだから、自分達の力の無さと言うものを実感していたところだ。
「だろうな...きっと、あの場に居た全員が同じ事を思っただろう」
ギルドマスターは、この領地最上位の冒険者だ。
これ以上無いAランク冒険者と呼ばれる存在だ。
だというのに、今回の防衛戦を経て自分の能力に疑問を浮かべてしまう程、目撃した光景は信じられないものだった。
いや、あの場に居た全員が同じ事を思ったに違い無いと、勝手に想像してしまう程に。
「あの方達の力は...明らかにランクと言う括りを超えたものです。一人一人がAランク以上の能力を有し、尚且つ、一人で戦局を変えてしまう程の力です。これは、この領地最強のAランク冒険者のリリスでも出来なかった芸当です」
ゲーム時代と比べれば冒険者ランク自体がとても曖昧なもので、個人の能力を正確に測定が出来る訳では無い為、暫定的なものでランクを括っている。
この魔物が倒せれば~ランクと言うように、今の冒険者はその結果に対して与えられるものだ。
その為、このランクに成る為の最低条件と言うものが取り決められておらず、魂位が~以上、職業が~以上、種族が~以上と言った項目が存在しない。
あくまでも、特定の魔物の討伐や、それまでの依頼達成回数によって成立するものだ。
同じ階級の冒険者でも、それぞれの能力に差が開くのはその所為であり、最高位のAランク冒険者となれば尚の事。
それでも、Aランクと言う最上位ランクまでの道程は果てしないものではあるけれど。
「ああ。話は聞いている。一人は領兵を助け、二人は冒険者を助け、そして、もう一人は我々攻撃隊を助けた。そのたった四人の力が、カッパフルスが保有する総戦力を上回っていると言うのだからな...」
此処で話している四人とは僕達の事で、さくら、メリルにギュンター、そして、僕を合わせた四人。
傍から見ても、それぞれがAランク以上の能力で魔物を殲滅し、この窮地を救ってくれた人物となっている。
だが、その事実を楽観して素直に受け取る事は難しいようだ。
こんな嘘みたいな事実など認めたくないと言ったところだろう。
「全員が全員、見た事も無い戦い方を繰り広げていたそうです。防衛を勤めた私が率いる冒険者達を助けてくれたのはその内の二人。一人は全身に属性魔力を纏い、一人は魔法と攻撃を同時に展開していました」
副ギルドマスターの目の前で、その窮地を救ってくれた人物こそがギュンター。
全身に魔力を身に纏って戦う姿は初めて見るもので、その戦闘力は一介の冒険者が持てる能力では無かった。
勿論、別の場所で戦っていたメリルもそうだ。
その人物は剣と魔法を同時に使い、動き回りながら魔法を発動していた。
これまでの動きを止めて詠唱を行い魔法を発動すると言う概念が覆され、言うなれば魔法職にとっての吉報となる出来事。
但し、全員がそれを実践出来るかは解らない事だけれど。
「この国にも僅かしか存在しない固有スキル持ちと言う事か...」
普通に考えれば、その人物にしか使えない固有スキルだと思うのは当然の事だ。
だが、この能力はスキルに頼ったものでは無い。
誰しもが行う事の出来る技術によるもので、必要なものは魔力をコントロールする術くらいだ。
それを知らない者からすれば、全くの未知なものとして映っていた事だろう。
「領兵を助けた冒険者は、戦場を歌いながら舞っていたそうです。魔物の殲滅と、領兵の救助を同時に行い、軽々と防衛線を押し上げたそうです。しかも、その場に居合わせた領兵から聞いた話だと、歌を聴いた者は身体の傷が塞がったとか」
戦場に颯爽と現れた純白の仮面。
その綺麗な歌声からも、女性と言う事だけは判別出来ているようだ。
領軍から魔物達と入り乱れる戦場で、正確に魔物だけを殲滅する能力。
しかも、周りの領兵の能力を底上げして防衛線を軽く押し上げた。
その凄さは誰しもが認めるものだった。
「それは、身体の傷が塞がっただけなのだろう?その場で傷が治った訳でも無い...まさか!?治癒の魔法が存在すると言うのか!?」
この国(世界?)では回復魔法が知れ渡っていない。
存在そのものがハッキリとしていない魔法なのだ。
もし、本当に存在するのならば、これまでの常識が一斉に覆ると言うもの。
その為か、ギルドマスターは、これまでに見た事も無い表情で問い詰めていた。
「いえ、それは...私では...解りかねません」
尻すぼみに声が小さくなって行く副ギルドマスター。
情報の定まらない曖昧な報告をした事を後悔していた。
「そうだろう?結局は解らないものなんだ。この国に限らず、この世界でも治癒の魔法が使えるだなんて、そんな話を聞いた事が無い。もし、使えるとしたら、伝承に出て来る女神だけだろうな」
古くから伝承に刻まれている神々達。
実際に見た者は居ないらしいが、治癒と言う特殊な魔法を使えるとするならば、神という存在しかいないだろうとギルドマスターは考えていた。
「...確かに、そうですね。話が脱線してしまい申し訳ありませんでした」
副ギルドマスターは深く頭を下げた。
本来の話の本筋から大きくズレてしまった為だ。
「いや、そう思うのも仕方が無い。こればかりは、回復の手段が限定されている事に起因しているのだからな」
回復と言う効果が直ぐに反映されるアイテムはとても貴重な物で、現段階では古代遺跡の遺物で無ければ入手出来無い代物。
王族、領主と言った特定人物だけが保有しており、先ず一般人には出回ってこない代物だ。
その為、回復魔法を求める事は、魔法を扱う者としての念願であり、使命なのだ。
「...話を戻しますと、特に問題のある人物が、ギルドマスター達を助けた人物になります」
二人は、此処からが話の本題になるのだと、真面目な表情を取り繕った。
先の防衛戦でもひときわ活躍をした人物であり、ある観点からみればとても問題のある人物。
「ああ、確かにあれは問題だろう。漆黒の仮面...あれは人間なのか?」
丁度、純白の仮面と対になるような漆黒の仮面。
その力は、人の身では理解不能な絶大な能力。
その姿は、人の身を遥かに凌駕した悪魔のような姿。
その姿を目撃した全ての者を戦慄へと誘った。
「戦場を覆い尽くす程の魔法...一瞬にして魔物を殲滅してしまいました。もしも、あの力がこちらに向けられれば、我々では為す術がありません」
正確に言えば、複数の魔法陣から放たれた魔法である。
僕が、あの時点で生き残っていた魔物の数に合わせて発動したもので、その展開された数は尋常では無かったけれど。
そして、その威力や精度が共に国に知れ渡っている魔法の効果を超えていたのだと。
「あの戦場に比べれば、この領都の方が遥かに狭いのだからな...」
戦場の広さは、領都が何個も入る大きさ。
普通に考えれば、領都を魔法で埋め尽くす事は容易なのだ。
「だからこそ、監視が必要なのではありませんか?」
危険人物をみすみす放置する事など出来無い。
相手の思想も性格も知らない人物なのだから、その牙がカッパフルスに向かないとは限らないのだ。
ならばこそ、「カッパフルスを護る為にも必要な行為ではないのか?」と。
「...無理だろうな。生き残った冒険者の中で、それを可能にする能力者など居ない。現状の中でそれが可能な人物が居たとしても、リリスくらいしか居ないだろうな...どちらにせよ我々で制御する事が出来る相手などでは無いのだよ」
監視をする為には、それに見合った労力や資金が掛かるもので、出来れば相手より強い事が望ましい。
そうで無い場合、隠密性に長け情報収集能力が高ければ問題は無いが、そんな人物はカッパフルスに残って居なかった。
いや、残っていたとしても監視を続ける事は難しく、発見された場合殺されても文句が言えない。
その所為でカッパフルスに危機が及んでしまったら堪ったものでは無い。
ならば、最初から関わらない事がカッパフルスの平穏に繋がるのだと。
「ですが!!」
「功績を受け取らない。倒した魔物の素材を受け取らない。彼等には名誉も金も要らないそうだ。あくまでも人助けをしただけの事で、そういったものは、この領地の復興の為に使用して欲しいのだと。これだけ聞けば、まさに偉人の伝記に出て来る英雄ではないのか?そんな人物を無碍に扱う事など出来ぬだろう?」
頭に血が上り、冷静さを失った副ギルドマスターの言葉を遮った。
不必要な言葉を発するべきでは無いと、闇雲に発言をして場を荒らす必要は無いのだと。
今後どうする事が、カッパフルスの為になる事なのかと、彼に優しく諭すように。
「...はい」
納得はしていないが理解はしていると、そういった様子の副ギルドマスター。
自身の意見を飲み込んだ瞬間だ。
「あの力を見れば恐怖を感じるのも仕方が無い事。だが、これだけは覚えておくと良い。人が持つ能力を見るのでは無い。人が持つ本質を見るのだ。上辺の強大な力では無く、その内面にある人としての在り方を見るのだ」
副ギルドマスターのそう言った様子が表情や態度から簡単に見て取れた為、視点を変えるべきなのだと忠告する。
飲み込むのは他人の意見などでは無く、己の抱く感情なのだと。
対人関係や自身の成長の邪魔をするのは間違い無く己が抱く感情なのだから。
「...」
下を向いたまま、無言の副ギルドマスター。
確かに、人は感情を糧に成長をする要素が幾つもある。
相手に対しての嫉妬心から、又は相手にされた事への怒りからなど。
だが、これらの感情は話し合いの場では必要の無いもの。
副ギルドマスターは、それを同一視し、まだ一緒に考えているだけだった。
「...お前にも、いずれその事が解かる時が来るだろう」
思わず「フッ」と鼻で笑ってしまう程の青さ(若さ)を感じ取る。。
まだまだ成熟の足りない果実のようなのだと。
「さあ!仕事は山のように残っている!手を止めている時間など無いぞ!!」
「あ、は、はいっ!!」
復興後のギルドの仕事としては、人手を失った戦後処理の方が忙しい。
時間を潰している暇など無く、領地の為にやらなければならない事は無数にあるのだから。
相手の尻を叩くように発破を掛け、無駄な事を考える暇を無くす為の行為だった。
すると、副ギルドマスターは、それにまんまと乗せられる形で仕事をやり始める。
「...」
窓から天を仰ぐギルドマスター。
これは副ギルドマスターにも言えない事だが、内心では恐怖心が残ったままであり、この先の領地がどうなっているかなど解らない。
もしも、漆黒の仮面がカッパフルスを攻撃すれば現状止める手段も算段も無いのだから。
ただただ、己が信じている事はカッパフルスが存続している未来だけだ。
「カッパフルスに...栄光を」
「あー...もう嫌になってしまいますわ。こんなに時間を捉われるだなんて...」
ギルドから出てきたのは、カッパフルス最上位ランク冒険者のリリス。
両腕を真上に上げて、凝り固まった身体を解していた。
その背伸びから漏れ出す吐息が何処か艶めかしい。
身体のラインにピッチリと合わさった衣服がスタイルの良さをより強調し、周囲の人間の視線を否応無しに奪う。
「おい!あれって、リリス様じゃないのか?くー!!堪らねえ!!」と、「やばっ!!今日はなんて良い日なんだ!!もうこのまま死んだとしても悔いは無いぞ!!」と、男性達が悶えながら馬鹿なやり取りをしている。
「なんてお美しい姿...私も、ああなりたいわ」と、「リリス様...いつ見ても綺麗です」と、女性達からも敬われる存在。
このカッパフルスにおいて、その存在を、その美貌を知らぬ者は誰一人として居ないのだ。
「これ以上の功績や褒賞を得たところで、私には意味が無いと言うのに...」
Aランク冒険者のリリスからすれば、今以上の功績を得たところで昇格は無く、既に貴族と同等の権限を持っており、場合によってはそれ以上の権限を有しているのだから。
褒賞にしても同じ事で、既に本人が何をせずとも一生を過ごせる程の財が手中にあるのだ。
今以上の功績や褒賞はどちらも不必要なものであり、正直、手に余るもの。
他の冒険者が聞いていたら妬みや嫉みが凄い事になってしまうが、実力が伴っている事なので誰も本人には意見が出来無いだろう。
それ程、Aランク冒険者と言う肩書きにその実績は破格の待遇なのだ。
「あらっ?カーニバルがもう始まっていたのね...」
周囲を見渡せば日が落ちて既に暗くなっていた。
気が付いたらそれ程時間が経っていたと言う事だ。
(さて、あの御方は何処に居るのかしら?)
リリスは他人よりも異常に“におい”に敏感な特異体質。
これまでの人生の中で、それの所為で困った事は多数あれど、今回ばかりはその限りでは無いようだ。
一度嗅いだ事のある“におい”は忘れない。
それも鼻腔の奥を刺激し、脳まで直接快感を届ける“におい”だ。
こればかりは他人によっては物凄く堪らないもので、熟成を重ねた芳醇なワインのように、癖のある濃厚なチーズのように、何が良い“におい”かは解らないもの。
だが、間違い無くリリスが心の底から求め、何よりも欲しているものだ。
(ああ、この匂いだわ...私の全てを支配する匂い...)
内包する魔力が外に溢れ出す。
それは他人を蕩けさせる淫靡な甘い魔力。
触れた者の身体の自由を奪い、そして、思考までも奪う異質な魔力なのだ。
(身体も...心も...その全てを...)
リリスの濡れる身体に、濡れる心。
人生で初めて潤いと言うものを感じているのだ。
可笑しな話だが、これまでの長い人生の中で初めて、その感情は恋であり、愛であり、まさに恋愛をしているのだと。
その得も知れぬ快感が全身を突き抜けていた。
(いま...あいにいきますね)
会いに行くのか、愛に逝くのか?
その笑みに含まれた意味は本人にしか解らないもの。
ただ、確実なのはこれまでに狙った獲物を逃がした事が無いと言う事だけだ。
勿論、獲物と言っても魔物と人とでは勝手が違うのだが、この時のリリスはAランク冒険者に相応しい狩人の眼をしていた。
場所は変わって、川を流れるゴンドラの上。
此処に居るのは僕とさくらの二人だけだ。
「凄いね!!夜になると、また違った景色に見えるんだね!?街の灯りが川の水面に映って綺麗...」
街灯が電気による物では無く、蝋燭による物だ。
ポワーンと周囲を照らす灯り。
その弱くも優しい灯りが、街の至る所で光っていた。
資源が有限の為、普段ではこう言った贅沢な使い方は絶対に行われない。
「カーニバル期間中は、街全体が灯りを点してお祝いをするからね。その分、夜が長くなる事で、普段では味わう事が出来ない解放感を楽しむんだ」
夜の暗さは、月明かりや星の明るさに影響を受けるもので日によってまばらだ。
その為、暗さに慣れている人にとっては、カーニバル期間中の火が灯っている時間はまだ日のある夕刻と錯覚する程の明るさ。
普段では感じる事の出来無い一日の長さとなるのだ。
「夜になっても、これだけの人が起きているだなんて...イータフェストでは考えられないね」
この国では、カーニバル期間中のカッパフルスを除いて、夜になれば就寝する事が普通の環境だ。
さくらは、街の外の暗さと街の中の明るさ、そして、眠らない人の多さに困惑していた。
身体はそろそろ寝る時間だと言うのに、心が高揚して眼が冴えている。
何とも不思議な感覚だ。
「こればかりは領地特有のものだから、簡単に比べる事は出来ないかな」
街の特色と言っても良いものだが、カッパフルス独自のものだ。
それも期間が限定されたものなので、他の領地や国とは比べる事が出来無い。
それでも、夜を恐れるしか無いこの国では珍しものとして、幻想的な光景として眼に映る。
これを目的に他領地から人々が集まるのも当然なのだ。
「...ねえ、ルシウス?あの光は何?」
川をゴンドラと共に流れる無数の光。
一つ一つが煌きを放ち、空間を彩っている。
だが、その光は風前の灯火のように儚いものに映った。
「あの光の事?あれは...カッパフルスでは、亡くなった人の魂を川に流して弔うんだ」
さくらの感じた事は間違いでは無く、その光は魂の煌きだ。
儚くも美しいもので、見ている者の心に直接訴えかけて来る光。
その人物の生前の人生を映したかのような灯火で、自然と見る者の感情が震えてしまう光。
「...亡くなった人の魂?」
その光を見た瞬間から、さくらの顔の表情が曇り始めていた。
何かの思いに感情移入をしてしまい、心の中の靄がグルグルと渦巻いている。
心の整理がつかない得も知れぬ感情。
悲しさ?
苦しさ?
痛み?
さくらの持つ責任感の強さから、感じる必要の無い感情までを受け取ってしまっていた。
「カッパフルスでは、生まれたその瞬間から還魂石と呼ばれるアクセサリーを身に着けるんだ。それは誰一人として例外が無く、この領地に生まれた者全員が必ず」
カッパフルスの民にとっては必需品。
これを身に着けていない者は、この領地に住まう事が出来無いのだ。
「...還魂石?」
胸(心)の痛みを抑えながら初めて聞く言葉を問う。
不意に共感してしまう感情。
今にも泣き出しそうな表情。
そんな繊細な心の持ち主なのだ。
「通常、人が死んだ時は魂が抜けて行くでしょ?その魂は“何処か”に還元される訳だけれど、最悪の場合その魂が悪用される恐れがあるんだ」
死の後に訪れる肉体と魂の分離。
それは何も魔物だけに起こる事では無い。
この世界に生きとし生きる生物、その全てに起こる現象だ。
「魂の...悪用?...それって、人を殺して自身の魂位を上げるって事?」
一つの面に思考が捉われるのでは無く、その対となる部分まで良く考えられていた。
相手の魂の力を奪う事で魂位を上昇させるのだが、これは一時ゲーム時代にも問題になった行為。
プレイヤーキルと呼ばれる悪魔の所業。
この世界でそれを行えば、殺人だ。
「そう。極少数の人間は、その禁忌も平気で侵す奴が居るって事。まあ、本人達は魂の事を理解していないけど、盗賊なんてその典型でしょ?」
以前、アウグストの娘ロジーナを救出した時に対峙した盗賊は、その方法で魂位を上昇させて来た人物達だ。
だが、一般人よりも強い事に慢心をしていた程度の人物なので、魂位の上昇に励む訳でも無く、その恩恵を感じる事も無く生涯を閉じた。
「...うん。生きる為に必死だもんね」
生きる為だけの必死な行為。
だが、そこに快楽衝動や殺人衝動が伴っているから性質に負えないものだ。
「あとは、もっと稀な出来事だけど、魂を故意に縛り付ける事で悪霊化させる事も出来てしまうんだ」
魂の具現化(魔物化)。
未練や怨念を持つ人物が死んだ時、稀に悪霊化をするのだ。
「えっ!?ゲシュペンストに?」
幽霊=ゲシュペンスト。
さくらの最も苦手なものだ。
どうやら、想像をして恐ろしくなったのだろう。
身体が小刻みに震えていた。
僕は「大丈夫だよ」とそう伝えて、その手をそっと握り締めた。
すると、強張っていたその表情が柔らかくなった。
「そう。まあ、そんな事をしていれば人の中で生活して行く上でギルドが放って置かないし、国の力で淘汰されるのは確実なんだけどさ。魂の事が知れ渡っていないこの国では、あくまでも可能性の部分が大きいかな」
脅かすような言い方になってしまったが、この考えを知っているだけで対処も出来るようになる。
多分だけど、平気でそれを行う殺人集団や犯罪組織が存在するだろうから。
その為にも、今以上の力は絶対に必要だ。
「...」
さくらは黙ったまま頷いた。
頭の中で考えが纏まっていないのだろう。
それか、人の死と言う事を深く没入している。
「それで、これを身に着ける一番の理由って言うのが、魔物に殺された時、相手の強化を防ぐ役割を持っているんだ。この還魂石があれば、抜けた魂は石に封じ込まれて、ある場所じゃなければ解放される事が無いんだって」
人間の脅威は人間である。
そんな話は沢山あり、世の中に争いが無くならない事からも証明されている事。
だが、目先の脅威と言うものは魔物になるのだ。
今回の変異種の山椒魚もそうであり、人や魔物を喰らう事で進化をした個体。
還魂石ごと人間を喰らう事で、魂の力を吸収し続けた変異種だ。
通常なら還魂石に魂を封じ込める事で、魔物の強化を防ぐ役割を果たす。
「ある場所?」
還魂石に封じ込められた魂の行方。
ゲーム時代の魂の選定者が行っていたように、解放される場所が決められているのだ。
「そう。流魂地と呼ばれる魂が還元される場所で、この川の行き着く先の終着点。人間では決して辿り着く事が出来ない場所って言われているんだ」
ゲーム時代ならその場所から世界樹へと還元されていた。
魂は輪廻する。
世界樹の力で新たな生命へと。
「だからこそ、精霊の力を借りて、その終着点まで運んで貰うんだって。あの光は水の精霊と、火の精霊の力によるものなんだ」
魂の灯火は、精霊の力を借りて具現化されたもの。
きっと、世界樹の見えないこの世界では、魂の力は精霊へと還元されているのかも知れない。
「...こんなに一杯の光...それだけ人が亡くなったって事なんだね」
感情共有。
そして、人の死の実感。
さくらの目には涙が溢れていた。
そこから零れ落ちる涙には、さくらの悲痛な感情が乗せられていた。
それこそ、一粒一粒に悲しさ、苦しさ、痛みを伴った不安定な魔力が揺らめいで。
ああ...
僕の力が及ばないばかりに、沢山の犠牲を出してしまった。
僕の所為で、さくらにこんな悲しい表情をさせている。
自分の力が役に立たなかった。
「うん...カッパフルスの歴史上で、一番の被害者数を出してしまったんだ」
歴史を振り返っても、こんなに人が死んだ出来事は無い。
僕の弱さがそうさせたのだ。
後から考えれば、状況を変える術はあった。
もっと情報収集をしていれば、街の様子を気にしていれば気付けた事だから。
他領地への旅行に浮かれて、遊びを満喫しているのだからどうしようも無い。
僕が目指している姿は何なのだ?
その本人が泣き出したのだから、みっともない事で不甲斐ない事。
「...」
さくらの手が、僕の頬に触れる。
お互いに泣きながらも、涙を拭うように優しくだ。
泣き顔など一切気にせず、自分の苦しい感情よりも僕の心配をするさくら。
その優しさに甘えては行けないのに温かい。
その温かさに浸かっては行けないのに心地良い。
すると、周囲に異変が起き始める。
精霊が運ぶ魂の煌きの揺らぎ。
川の流れに逆らうような螺旋の動きだ。
「もっと早く辿り着いていれば...最初から海なんか行かずに街にいれば...もっと沢山の人を助ける事が出来たのに...僕の力不足だ...」
頭では解っている。
だけど、感情と行動が乖離しているのだ。
後の祭りでは無いが、後悔先に立たずで取り返す事が出来無い出来事。
もしかしたら、僕が嘆く事自体間違っているのかも知れない。
それでも...
それでもだ。
これだけの犠牲者を出している。
それを変える力を持っていたのにだ。
「ルシウス...」
お互いの魂が繋がっている所為なのか、お互いの感情が交差する。
悲しみも、苦しみも、痛みも共有して、今思う感情も、後悔している事も、この先に思う事も含めてだ。
「英雄になるだなんて...大層な事を言っているのに...助けられなくて...ごめんなさい」
精霊の動きが激しい。
魂の煌きが激しい。
周囲に広がる僕達が抱える感情。
重く切ない雰囲気が場を支配した。
だが、それを振り払うように精霊が周囲を舞う。
今この場に必要なものは、そんな負の感情なんかでは無いのだと。
魂が輪廻する為にも、浄化する為にも、もっと明るく、もっと楽しい感情なのだと。
魂が川を流れる意味。
それは穢れを落とす為のもの。
「♪~」
まるで、これはミュージカルのような一幕だった。
その歌い出しは、僕の記憶から一生忘れる事が無いだろう。
精霊に触発されて、この落ちた雰囲気を振り払うもの。
聞くもの全てを魅了する歌声だから。
「♪♪♪~」
段々と力強く、徐々に言葉数の増える歌。
今の感情を書き殴ったような歌詞。
だが、だからこそ思いが伝わるし、歌に感情が乗せられたもの。
決して上辺の言葉では無く、安っぽい感情共有では無く、相手への心が込められた想いだ。
「♪♪♪〜」
精霊の動きが演出のように華やかさを表現し、周囲の視覚も聴覚も奪った。
何だか、死んで行った人達の魂が喜んでいるようだ。
蛍の光のように空中を動き回っている。
さくらの体内から広がる魔力。
それがとても心地良くも、温かい。
「♪♪♪〜」
それは五感全てで感じる事が出来る歌声だった。
魔法のある世界だから、人間の能力を超えたものがある世界だからこそ、体感出来るもの。
「♪ーーー」
多分だけど、この場でこの歌を聞いていた人達は同じ思い、感情を共有している。
周囲の他人を見渡しても、皆が皆涙を流していたのだから。
一瞬の静寂と余韻。
そして、すぐさま沸き上がる歓声。
白の女神の誕生。
もしくは、再来なのだと周囲が騒がしい。
しかし、僕達にはその様子が映らない。
どうやら周囲の人達も、僕達だと特定出来ていないようだった。
「亡くなった人達の分も...精一杯に生きようね。そして、一緒に...もっと強くなろうね」
「ギュッ」と抱きしめられながら、歌い終わった後の、さくらの第一声。
皆の思いを背負い、僕達のすべき事だ。
「...うん」
僕は、涙を零さないように上を向く。
前に進む為にもしっかりと顔を上げて。
「ありがとう。さくら」
一度深く瞼を閉じ、今感じた思いを心に刻んだ。
この感情は忘れてはいけない。
とても苦く、とても辛い感情をだ。
精霊による認識阻害を掻い潜り、遠くから僕達を認識して、その光景を眺めていた人物が居た。
Aランク冒険者のリリスだ。
(ふ〜ん。匂いを辿ってあの御方の下に来たと思ったら、とんだ邪魔者がいるようね)
何をしでかすか解らない雰囲気。
その視線が鋭く、周囲に恐怖を与えるものだった。
漏れ出る魔力が刺々しい。
(それなら...いっそのこと...殺してしまおうかしら?)
「ギュン!」鋭く突き刺す魔力が広がった。
リリスは狙っていた獲物を横取りにされた気分で、気分が悪くなっていたのだ。
普段とは違って、過激な思考が支配する。
自分にとって初めての人物。
唯一、良い匂いだと感じる“におい”の持ち主なのだから。
(...あらっ?いけないわ。悪い癖が出てしまっているみたいね)
自身を客観視して、今の状態を戒める。
このままでは自分以外の他人達が危険になるのだと。
(まあ、良いわ。匂いは覚えたのだから...ああ、...それなら、利用しちゃおうかしら?)
リリスの普段見せる顔とは違った一面。
「フフフ」と妖艶に笑いながら、姿を消して行った。
その言葉が意味する事は何なのか?
本人にしか解らない事だった。
「「...」」
お互いに無言のまま、手を繋いだ状態で川に揺られていた。
どれくらいの時間が経ったのかさえ解らなくなっていた。
「こんな時なんだけど...さくらの為に用意した物があるんだ」
僕がカッパフルスに来た目的はこれの為だ。
これを渡す為だけに、この領地まで来たと言っても過言では無い。
「私に?」
用意した物があると全く想像の出来ていない、さくら。
キョトンとした表情が、それを物語っていた。
「うん。今日は三月一二日。さくらと僕の生まれた日でしょ?」
それは誕生日。
現代社会のように毎年祝う事でも無く、プレゼントを渡すような行事でも無い。
この世界では、成人の日に感謝を捧げるくらいのものだ。
だが、僕にとっては、さくらと一緒にいるようになってから、魂を共有してから、初めて迎える誕生日。
感謝を伝える為にも、どうしてもお祝いをしたかったのだ。
「うん」
さくらは、確かにそうなのだとようやく認識をする。
だが、僕も同じ誕生日。
それなのに僕だけが改っている様子が不思議に思えたそうだ。
「誕生日のお祝い。これを受け取って欲しいんだ」
僕が隠し持っていた物。
それをさくらに渡す。
「これは...綺麗」
それが何かは解っていないが、どう使うのかも検討がつかない。
だが、見た目や装飾共に美しい物。
さくらの視線を奪っていた。
「これは、レコーダーって言うんだ。ここを押せば...」
「!?」
僕が操作すると、「♪♪♪〜」と音楽が流れ始めた。
これは予め録音した物で、この世界には無い音楽。
プロネーシスの記憶から引っ張って来た元の世界の音楽。
現実世界の全ての情報を記憶しているプロネーシスだからこそ再現が出来たものだ。
「わあ!!聞いた事も無い演奏...こんなに音が重なっているだなんて!?」
この世界では、楽器の演奏はせいぜい一つ。
それに歌を乗せるのだが、音の広がりは現代のものと比べる事が出来無い程に薄い。
現実世界のものは演奏が幾重にも重なったもので、歌のハーモニーやユニゾンが乗せらたもの。
音の厚みが全然違うのだ。
「...」
目を見開き、音の重厚さに息を呑む。
一音一音聞き逃さないように、必死に聞く事に集中しているのだ。
その感動が、心の昂揚が止められない。
瞳はキラキラと輝き、新たに知った世界を堪能している。
僕はその顔が見れただけで大満足だ。
こっそりと素材収集し、ひっそりと細工をして作り上げた、この世に一つしか無いものだ。
ウズウズと身体が動いている。
今にも歌いたいのだろう。
丁度、曲が終わる頃合い。
さくらは僕の方へ向き直した。
「ルシウス!!ありがとう!!」
ゴンドラの不安定な上だと言う事を忘れて僕に飛び掛かる、さくら。
あわよくば川に落ちる寸前、僕は放出した魔力で船を支えた。
折角プレゼントした物も水に濡れたら壊れてしまう。
そうさせない為にも、今まで一番の速い動きを見せた。
勿論、さくらに怪我が無いように優しく包み込むオマケ付き。
「一生、大切にするね!!」
出会う人みんなを笑顔にする、太陽のような笑顔。
僕は、この笑顔の為なら何でもするだろう。
(僕の方が...ありがとうだよ。さくらが一緒に居てくれるのだから)
これはまだ、僕が口に出して伝える事が恥ずかしい感情。
だが、これは本心だ。
今度は他人の犠牲を払う事無く、この笑顔だけを引き出して見せると心に誓った日でもある。
笑顔の君は太陽なのだから。




