064 冒険者と悪食の山椒魚④
『領都カッパフルス』
領地内の至る場所に流れる川のおかげで、水源に溢れた街。
街には幾つかの水路が通ってあり、ゴンドラに乗って移動をするのが街の名物だ。
時期によっては川の水位が上昇して洪水が起きる為、建物自体が地面より高い位置に建てられて居る。
「それにしても、地図通り進んでいたら山を迂回しているルートも、ブルトス達がいなければ、こんなに短時間で辿り着く事は出来なかったな。こればかりは地元の人じゃなければ知らない道だな」
ギュンターは馬車(御者席)から降り立つと、近くにいるブルトスへと話し掛けた。
歳の差は離れているが、お互いに冒険者と言う事もあり、ちゃんとした礼儀作法は特に必要無い。
話す言葉も敬語では無く、友達と話すかのようにフランクな態度だ。
「まあな。だが、この道はカッパフルスで活動している冒険者だったら、誰でも知っている道なんだけどな」
「ガハハ!」と屈託無く笑うブルトス。
今では、ギュンターとすっかり意気投合している。
道中、お互いの筋肉について語り合う事が出来て満足したようだ。
そして、ギュンターは予想以上に早く辿り着いた事に感心していた。
僕達が持っている地図では、カッパフルスまでの進路方向に聳え立つ山を迂回して進む道が記されていたからだ。
それもその筈で、整理されていない山道は非常に険しく魔物が溢れている事もあって、通常のルートよりも余計に日数が掛かる為だ。
それがローレンツ達の道案内のおかげで、山を登らずに進路を邪魔する山を通り抜けて、最短距離を真っ直ぐ進めたのだ。
この領地に住まう者、地理に精通している地元民で無ければ知らない道だ。
「ああ、そうだな。ギュンターの言う通り、地図通りに進んでいたら着くのは明日の夜だったからな」
メリルは、両腕を真上に伸ばしながら馬車の中から扉を開けて地上に降り立った。
古代遺跡の遺物である馬車は、この時代の技術よりも、かなりハイスペックな代物。
馬車の室内の空間拡張、耐震設備と、通常のものよりも移動がとても楽なのだ。
それでも、メリルにとっては身体を動かせない窮屈な場所になってしまうのだが。
「ああ!お姉様とお話がずっと出来て幸せでしたわ!私、今日と言う日を忘れませんわ!」
モニカは両手を胸の位置で握り締め、天に祈りを捧げるように仰いだ。
ルンルンと言う擬音が周囲に浮かんで見える程、嬉しく舞い上がりながらだ。
当初の予定では、地図に記されていた道を進んだ場合、野宿を挟んで二日掛かる予定だった。
それにもし、僕達の力だけで山を登って越えるとなると、それよりも一日多く掛かっていただろう。
それがローレンツ達の道案内のおかげで、その日の夕方にカッパフルスへと来る事が出来たのだから。
(舗装のされていない山道を馬車が通れるだけで凄いんだけどね。まあ、これも遺物のおかげか。...でも、山の中に良くあんな平坦な道があったよな?)
僕も、メリルに続いて馬車を降りた。
道中、常時魔力圏を広げていた僕には、山に複数の魔物が存在し、無数の気配があった事を確認している。
だが、僕達が通って来た道には、どの魔物も近寄ろうとしなかったのだ。
正確に言えば強者だけになるのだけども。
冒険者が通る道と言う事で、返り討ちになった魔物が多いのだろう。
魔物の動物的本能として、危険な目に合う場所を避けるのは当然だと思う。
だが、ふと考えると不思議な道だった。
山なのに、トンネルでも無いのに、平坦でほぼ真っ直ぐな道。
まあ、早く辿り着けたから良いんだけどさ。
「さくら?大丈夫?」
さくらは、僕の後から馬車を降りようとしているところ。
ただ、そこはちょっとした段差なので、身長を誤魔化している僕達にとっては不安定なものだ。
しかも、手すりが無い為、転んだら一大事。
僕はそうさせない為にも、さくらの身体を支える為に手を差し伸べた。
「あっ、ルシウス、ありがとう」
仮面で表情を隠しているが、その声のトーンで感謝も嬉しさも伝わって来る。
すると、僕の手をしっかりと握って段差をゆっくりと降り始めた。
それを凝視ているローレンツが、とても怖い。
まあ、ローレンツの視線に映っているのは、さくら一人なんだけどね。
そうして全員が地上に降り立つと、ローレンツが口を開いた。
「...少しは、皆さんのお役に立てたようで良かったです」
ローレンツが、少し歯に噛んだ笑顔で僕達の方を見渡した。
出会いは偶然に過ぎないが、絶体絶命の状態だったローレンツ達を救出したのだ。
僕達に対して、最大の恩義を感じているようだ。
「ですが、生命を助けられた事の対価を考えれば、まだまだ御返し足りません!」
すぐさま真剣な表情へと変えて、言葉の語気を強める。
その態度からも、一生を懸けて御返しする程の恩だと感じているのだろう。
僕達に取っては、カッパフルスまでの最短距離を教えて貰った事で、それに見合う十分な対価を頂いているのだが。
このまま、恩に囚われてしまっても(付き纏われても)困ってしまうので、僕はローレンツの方へと一歩前に出た。
「...冒険者同士、普段競い合う事ばかりだが、また、お互いに助け合う事も必要だろう?それにもし、私達に対しての御返しが足りないと感じているならば、私達が貴方達にした事と同じように、困っている他の誰かを助けて欲しい。貴方の掲げる大原則は、自らが率先し、行動をしてこそのものだろう?」
良く間違った意味で使われる事が多いが、“情けは人の為ならず”と言う言葉がある。
本来は、情をかけておけば、それが巡り巡ってまた自分にもよい報いが来る。
人に親切にしておけば必ずよい報いがあると言う意味だ。
そして、その元となった言葉が、“施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ 我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな”と言う詩から来ているのだ。
情けは他人の為では無く、自分自身の為にかけるものだ。
だからこそ、自分が他人にした、いい事は忘れてもいい。
その代わり、人からよくして貰った事は絶対に忘れてはいけないと言うものだ。
この言葉のいい事とは、良い事なのか、善い事なのか、好い事なのか、その相手によって変わるもの。
「...はい!その通りです!まだまだ未熟な身ですが、私達が掲げた大原則を貫き通す事で、その事を体現して行きます!我が身を持って証明したいと思います!!」
一人熱く燃え上がるローレンツ。
その様子に、周りに居るモニカもブルトスも溜息交じりで呆れてしまう。
だが、それを見守る眼差しは優しく信頼しているものだ。
言葉にこそ出していないが、二人とも「もう、仕方ないんだから(仕方ねえな)」と言った様子で賛同している。
「カッパフルスは、他の領地と比べたら随分と田舎ですが、自然と共存しているとてもいい所です。...ですが、最近は魔物の氾濫で物騒になっております。貴方達なら何の問題は無いでしょうが、一応、気をつけて下さいね」
カッパフルスでは、何かしらの力で川を制御するのでは無く、自然のままその恩恵を最大に活かして生活をしている。
環境を破壊して侵略をするのでは無く、環境を維持したまま共存をする。
人間の欲に塗れた考えと言うより、自然を愛する精霊人に通ずる考え方だ。
「願わくば、白の女神様に再び出会える幸運をお待ちしております。では、私達は冒険者ギルドへと向かいますので、失礼致します」
ローレンツは、さくらの正面を真っ直ぐ凝視て空中に十字を切った。
結局、最後までちゃんと話す事は出来なかったが、次に会える事を楽しみとして残しておくようだ。
もし、次に出会う時、何のきっかけも無く、約束も無しに出会えるなら、その時は積極的なアプローチを仕掛けようと恋心を残したままに。
そうして、僕達はローレンツ達と領都の前で別れた。
ふーっ。
ようやくこれで、声色を作った堅苦しい態度を取る必要も無くなった。
今の時刻は夕方。
お店もボチボチ閉まってしまい、のんびりと買い物が出来る時間でも無い。
それに、僕の望んでいる御目当ての品も、この領都に売っているのかすら解らない状態だ。
(目的の品も、平たく言えば魔物の残骸なんだよな...貝殻として状態の良いまま残る事が難しい品だし、そもそもの生息域が海底だからな...)
目的の品は、ゲデヒトニスムッシェルと呼ばれる貝の魔物。
その素材が、さくらへのプレゼントを作る為の大事な基盤となるのだ。
そもそもが貝殻を壊さずに、中の魔物だけを倒さねければならない為、素材の採集がとても難しい品だ。
(領都で販売してなければ...古代遺跡で採集するしか無いか)
事前調査で、古代遺跡に出現する事は確認済みだ。
明日になって街の中を探して売っていなければ、自力で採集すれば良いだけだ。
先ずは、皆の疲れを取る為にも宿に向かわなければ。
街の中を移動する為にも、ゴンドラ乗り場へと向かおう。
「では、移動の疲れも残っていますし、先に泊まれる宿を探しましょうか?」
「そうだな...流石に馬車の室内が他よりも快適とは言え、あの数のブラウクロコディールとも戦っているしな」
メリルが代表して答えた。
さくらもギュンターも、僕とメリルの二人に任せると言った感じだ。
それならばと、馬車を引いてゴンドラ乗り場へと移動を開始する。
「そう言えば、ルシウス?本当は直ぐにでも聞きたかったのだが、今回の私の戦いはどうだった?」
正直、メリルがずっと聞きたくてソワソワしていた事だ。
モニカと話す事になってそれどころでは無くなってしまったが。
「そうですね...今回の戦闘に関しては、魔力による身体強化、剣を持った状態での立ち回り、相手との距離感、どれも見事なものだったと思います」
「それは本当か!?やはり、他のどんな人物に褒められるよりも、ルシウスに褒められるのが一番実感出来るな!」
此処最近で一番の笑顔を見せたメリル。
普段、厳しいトレーニングでしごかれている身だが、僕の言葉に嘘が無いので信用も信頼も出来るそうだ。
人は自分を映す鏡とは良く言ったもので、真剣な思いに応えてこその関係だ。
正直、僕もメリルとの人間関係で、そう言った関係に感じて貰える事がとても嬉しい。
「但しですけど、身体に纏う魔力操作と武器に纏う魔力操作の場合では、あまりにもその精度が違い過ぎます。それに、相手が魔力の流れを読み取る事が出来る人物なら、攻撃を当てる事も、防ぐ事もまだまだ容易ですね」
メリルの場合、身体全身を魔力で強化する事はまだ出来ていない。
両腕と両足の四箇所だけ常に部分強化している状態だ。
動きの速さでカバー出来る相手なら問題は無いが、メリル以上に速く動ける人物には通用しない技術なのだ。
そして、メリルが武器を持った状態では、武器に纏う魔力量が不安定の為、威力、切れ味にバラつきが出ている。
まあ、これまでに、魔力を纏った身体強化をしている人物には、まだ出会った事が無いんだけどさ。
(ただ、メリルさんが追い求めている復讐したい人物は、それが出来ると思うんだよね...)
軽くだけど、相手の特徴を話してくれた感じでは、全身の魔力強化、武器への魔力強化、どちらも出来ている印象だ。
メリルの恐怖心が誇大させているかも知れないけども。
「そうか...他には何か足りない?」
欠点はまだまだあるが、それでも一足飛びで強くなっている。
足りない技術は、訓練して習得するだけだ。
「後は、魔法技術の向上ですかね?メリルさんが魔法を使いこなせれば、これからの戦闘が格段に楽になりますので」
今回も本当なら、密集している魔物が相手だったので魔法が有効だった。
だがしかし、メリルは魔法の効果範囲を制御出来ない為、同士討ちになってしまう為に使えなったのだ。
今のメリルの魔力制御では、ローレンツ達だけを避けて、魔法を放つのは至難の技。
「うむ。今まで通り、努力あるのみだな」
何も最初から、メリルは魔力による身体強化が出来ていた訳では無い。
努力の果てに習得した技術だ。
それには、僕が効率良く教えられている事も影響しているだろうけども。
自身の努力で切り拓いて来たのだから、今後もやる事は一緒なのだと。
「ええ。後は、平行して“アレ”も出来るようになりましょうね?」
「ああ。“アレ”だな。解っている」
そうして、「ニヤリ」と笑ったメリル。
一人で、もがき苦しんで訓練をしていた時では味わえない喜びと楽しさだ。
目標に近づいている嬉しさも相まってだが。
そんなこんなで話していると、ゴンドラ乗り場へと辿り着いた。
後は、川を移動して宿屋へ向かうだけだ。
僕達は、ゴンドラに乗る為の手続きを終えて、馬車ごと乗れる大型の船へと乗って行く。
街の中の移動は、ゴンドラと呼ばれる手漕ぎボードに乗って、街の中に流れる川を移動するのが基本だ。
川のそこかしこにはゴンドラが走行しており、それを巧みに操縦するゴンドリエーラと呼ばれる女性操縦士が有名なのだ。
「やはり領地が変わるだけで、随分と雰囲気も変わるものだな?それに意外と、昔に来た時の事は覚えていないようだ」
メリルが街の周囲を見渡し、カッパフルスとイータフェストとの違いを比べている。
領地ごとの特色があるから見ていて面白いのだと。
「いつ川の水が増水しても良いように、建物が高い位置に建てられていますからね。これ程普通に、自然と共存しているのは凄いですよ」
もしかしたら、そう言った物を知らないだけかも知れないが、上流にダムを作れば川の水をコントロール出来るのに、領民は自然のままに生活をしているのだ。
神への信仰心か、もしくは、自然そのものを天からの恵みと捉えているからだろう。
ただ、やはり人の手が加わっていない自然は、とても美しいものだ。
「ふむ。そういうものなのか...でも、これは本当に美しいものだな」
メリルは、自身の記憶と照合するかのように周囲を見ているのだが、一致する記憶が見当たらない。
余程大きな衝撃に記憶(印象)を上書きされてしまったのかも知れないけど。
「こんなに綺麗な水の上を、ここまで自由自在に移動出来るのは凄いですね」
さくらが、街に流れる水の透明度に驚きながらも、ゴンドラでの移動を楽しんでいる。
夕日に照らされて輝く水を実際に掬ってみては、水の囲まれた幻想の世界に迷い込んだ気分に陥っているようだ。
「これだけ皆がこの場所を満喫していると言うのに...残念なものだな」
メリルは視線を端に動かした。
その場所には、こじんまりと蹲っている人物が居る。
「うぷっ!...う~」
その人物は、屈強な肉体を持っているギュンターの事。
ゴンドラに乗った瞬間に、ギュンターはおとなしくなってしまったのだ。
情けなくも、船酔いに苦しめられている。
「...まったく。これしきの事で、ギュンターは情けないな」
そう言って、ギュンターの背中を優しくさすり始めたメリル。
先程の言動とは裏腹に「もう!戦闘中はあんなに格好いいのに...大丈夫か?」と誰よりも優しい声で語り掛けている。
そんな声のトーン、僕達は一度も聞いた事無いけど?
「メリルさん、すまないな...うぷっ!」
まさか、ギュンターにこんな弱点があるとは思わなかった。
体格だけみれば、屈強な船乗りのそれだ。
どうやら、鍛え上げれた肉体も船(水)の上と言う場所では、その能力を発揮する事は無いようだ。
まあ、機能として関係があるのは三半規管だから仕方無いのだけれども。
「ああ、気にするな。私がずっと傍に居てやるから」
男気に溢れ過ぎているメリル。
一体その言葉の意味は、どう言った意味で言っているのだろうか?
捉えようによっては、逆プロポーズじゃないのかな?
まあ、そんな事まで意識している訳では無さそうだけど。
「う~...」
ギュンターの唸り声がこだまする。
だが、それ以上に、思い遣りのあるメリルの優しい介抱が目立つ。
これで、恋愛の自覚が無いのだから恐ろしいものだ。
まあ、どちらもそう言った事を経験せずに此処まで来ているので仕方ないのかも知れない。
メリルが気が付いた時には、家が没落して奴隷となっているので青春を知らずに過ごしてる。
ギュンターも生まれた時からスラム出身の孤児で、同じように青春を知らずに必死に生きて来ただけ。
それも合わせて、僕自身も恋愛を解っていないのに、変に介入して拗れさせるのは申し訳無い事だ。
余計な事はせず、温かく見守る事が一番だろう。
(この調子だと、宿に着いたらそのまま休息になるだろうな...美味しいご飯が食べられると嬉しいけど)
冒険者ギルドのマスター室。
部屋の中では、白髪の似合う男性と紅蓮天翔のリーダー、ローレンツが対面して座っている。
「報告があると伺ったが、一体どうしたのだ?」
領都カッパフルスの冒険者ギルドを纏めている短髪白髪の男性。
鍛え上げられた肉体が服の上からでも解り、自らもAランク冒険者として活躍している人物だ。
現在、国が定めた冒険者の中で最高位となるランク。
身体から漲る魔力、否応無しに周囲から視線を掻っ攫う佇まい、醸し出す雰囲気、どれも常人を遥かに超えた者だ。
また、その声が渋くて格好良い。
(くっ!ギルドマスターを目の前にすると、どうしても萎縮してしまうな...)
ローレンツは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
自身の目指すべき理想とする最高ランク冒険者だ。
ギルドマスターと自身との格の違いを痛感し、気圧されてしまった。
(だが、あの漆黒の仮面の男...ギルドマスター以上に、何か得体の知れない力が...ある?)
ただ、それを知った上で頭によぎったのは、漆黒の仮面を付けた得体の知らない男性。
僕の事だ。
目の前で目撃した戦い方から、内包する魔力からと、目の前のギルドマスター以上の力を感じ取ったようだ。
そして、ローレンツは本題に入る為に今一度姿勢を正した。
「わざわざ、忙しい中お時間を頂きありがとうございます。この度、私達が受けた依頼について、少し懸念する事態が起きましたので、ご報告をさせて頂こうかと思った所存です」
ローレンツは、対面するギルドマスターに深く頭を下げた。
相手は、冒険者ギルドの業務を管理している最高責任者。
業務の役割はそれぞれの職員に分担されている事なので、一人でその全てを請け負っている訳では無いけれども。
だが、依頼の殆どは、領民の、冒険者の生命に関わる仕事だ。
一つたりとも確認を疎かにする事は出来ずに、その忙しさは多忙を極める。
決して名ばかりの管理職では無い。
「受けた依頼について...懸念する事態?」
ギルドマスターの表情が一変した。
それは自身の経験から来るもので、何かしらの懸念を放って置く事は最悪の事態に繋がる事を知っている為だ。
長い冒険者生活の中で、少しの綻びが全ての決壊を生む事を体験している。
良い意味でも、悪い意味でも、人生経験の豊富さで伊達にAランクまで上り詰めていないのだ。
手元にある依頼申請書から内容と、相手の冒険者カードから冒険者情報に目を通し始めた。
「はい。今回私達が受けていた依頼は、村の周辺に迷いこんだブラウクロコディールの討伐です。これは普段、水辺に生息するブラウクロコディールが、何らかの要因が重なった事で水辺から離れた内陸まで迷い込む事があるからです」
今一度、依頼内容を共有する。
幾らギルドマスターと言えど、膨大な数の冒険者に、膨大な数の依頼内容を瞬時に引き出せる程、その全てを把握出来ている訳では無いからだ。
まあ、人によっては報告の際、その結果だけを、その原因だけを報告する事を欲しる人物もいるけども。
「ふむ。先日の大雨の影響で、川が氾濫し洪水が起きた為だな?水辺の魔物が陸に上がって来る事は良くある事。お主等『紅蓮天翔』はDランク。そして、ブラウクロコディールもDランク指定の魔物であろう?見たところ怪我も無く戻って来ている事からも、依頼の割り当てについて何も問題は無いと思うが...」
ギルドマスターは、手元の資料を見ながら話の状況をすり合わせて行く。
この依頼を村から受け付けたのは、つい最近の事だ。
内容もその時に目を通したもので、カッパフルス領にしてみれば例年通りの依頼でしか無い。
大雨の影響で、陸地に迷い込んでしまった魔物の討伐依頼にしか見えなかった。
「...まさか!?上位ランクの魔物が出現したのか!?」
前のめりになるギルドマスター。
何事も例外は存在してしまうものだ。
冒険者ギルドで依頼を受注する際、依頼者と内容や対象について念入りにすり合わせを行うのだが、中には内容通りにならない事もある。
依頼を申請する人物は、魔物に詳しい冒険者では無く、殆どが魔物と関わりの薄い領民。
その為、魔物の上位固体の見分けや他の魔物との区別が出来る訳では無い。
極力、そう言った事態を無くそうと躍起になっているが、いかんせん冒険者ギルドの人員が足りないのも事実なのだ。
明確な依頼を発注出来無い事を嘆いているギルドマスターだが、冒険者はそれを知った上での自己責任。
他人の所為にはしない。
「いえ。特に、そう言った事態はございませんでした。それにですが、もし上位ランクの魔物が出現していたのなら、僕達は無事に戻って来る事は出来ていなかったです」
前のめりになったギルドマスターを落ち着かせるローレンツ。
何よりも、Dランク冒険者のローレンツが此処に存在している事が、違う事を証明しているのだ。
「...ランクが一つ違えば、魔物の能力も相応に上昇する。確かにお前達では、まだCランクの魔物討伐は無理だろうな...では、上位ランクの魔物の出現で無いとしたら、何をそんなに不安視しているのだ?」
魔物のランクが、自身のランクから一つ上がるだけで討伐する事は、ほぼ不可能となる。
生きるも死ぬも自己責任の為、ゲームのように好きこのんで魂位を上昇させる物好きなど殆ど居ない。
怪我を容易に回復させる方法が無い事が一番の要因だが、皆が生活の為に最低限しか魔物を倒さないのだ。
それこそ、自身よりも上位の魔物を討伐するには、自身の能力以外の外的要因が上手い具合に重ならなければ無理と言うものだ。
ほぼほぼ、運の要素が大きい。
「...はい。ここ最近の、領内の状態異常に繋がる事だと思っております。カッパフルス内では、異常な数の魔物討伐以来が発生していますよね?」
冒険者ギルドでは、例年以上に各地より討伐依頼が申請されている状態だ。
但し、それも年度によって件数の波がある為に、その要因となるものが何かは、正確には解らないのだが。
それでも、ローレンツの真剣な眼差しに、冗談や冷やかしなどで言っている事では無いと伝わる。
それを感じ取り、「うむ」と首を小さく頷いたギルドマスター。
「今回の依頼も、数多くある依頼の内の一つに過ぎませんが、それも討伐対象のブラウクロコディールが、“一~二体”までの話ならです」
カッパフルスで、よくある討伐依頼は、川の氾濫に便乗した(流された)魔物の討伐だ。
領地内の至る所に川が流れている為、大雨が降った後などでは良く起きてしまう事案。
だが、それも少数の話ならば。
「一〜二体までの話だと?もしや、依頼の内容に虚偽があったと言うのか?」
村や小さな町では、何よりもスピードが重視される事が多い。
時間を掛ければ掛ける程、そこに住む者達の生命が危うくなる為だ。
だが、これも討伐対象のランクによる部分が大きく、相手のランクがBランク以上となればギルドの調査員がしっかりと下調べを行う事になっている。
それでも、相手の正確な数を判断する事は難しいのだが、今回の相手はDランク指定の魔物。
こうなると領民頼りの判断が大きい。
「...虚偽では無いと思います。村での被害はまだ無く、その村から遠く離れた場所で運良くブラウクロコディールを発見する事が出来たので、早めの討伐依頼を申請したのだと思われます」
村の存続を懸けた危機回避。
生活の脅威となる事態を予め対処しただけの事だ。
中には依頼内容を誤魔化し、村から支払う報償金の支出を減らそうとする者も居るが、今回そう言った事は見受けられ無かった。
ローレンツ達が冒険者に成り立ての頃、依頼を受けた際に一度騙されているので、そう言った虚偽には敏感になっている。
「私達がその場所に辿り着くと、辺り一面にブラウクロコディールが群がっていました。その数、実に三一体です」
「!?」
その数の多さに驚くギルドマスター。
最初に話を聞いていた時は、多くても四~五体の話だと予想をしていた。
川の氾濫後の討伐依頼で、最大数がその数だった為だ。
そうなると、かなりの異常事態となる。
「三一体だと!?その数では、共同体そのものではないか!良くお前達だけで対処が出来たな!?」
三一体ともなれば、一つの共同体。
村に住まう人々が、別の居住地に丸ごと移動したようなものだ。
これまでにギルドマスターがカッパフルスでの役職に就いてから、一度もそう言った事態は起きた事が無かった。
「いえ...私達だけでしたら間違い無く全滅しておりました。通り掛かりの冒険者。隣領地のイータフェスト領の冒険者パーティーが助けてくれなければです」
ローレンツは、その時の恐怖が頭をよぎった。
自身が就いている職業は冒険者と言う職業。
いつ死ぬかは解らないもので、自分の周りの冒険者も、先輩も後輩も関係無く死んでいる。
ただ単に、運がよかっただけなのだ。
「...そうか。運が良かったと言う事なんだな。その冒険者達が、君達も、強いては依頼を申請してくれた村も助けてくれたのだな」
ローレンツ以上に、数え切れない程の死を見て来たギルドマスター。
此処まで何とか生き長らえて来たが、いつ自分がそうなっていたかは解らない。
「ええ、その通りです。今までに無かった事態が起きています。何故そうなったのかは解りませんが、今回の事と、領地内の魔物の異常発生を含めて、もう一度ギルドの方で詳しく調べて欲しいのです」
正直これ程曖昧な、お願いは無いのかも知れない。
調べると言っても、その幅が広すぎて手掛かりが無い状態で闇雲に原因を探すようなものだから。
それでも、このままこの懸念を放置する事など出来ない。
もしかしたら、違う場所でも同じように、魔物の団体での大移動が起きているかも知れないのだから。
「ああ。本当に、良く知らせてくれた。私達の方で原因を追求する為に、今一度良く調べてみよう」
一つの事象から、想定し得る最悪の事態を浮かべたギルドマスター。
この一つの報告が、最終的に、どんな結果に辿り着くのかは正直予想が出来なかった。
「ありがとうございます!正直、懸念だけで済む事ならば問題は無いのですが、私達『紅蓮天翔』だけでしたら、村も私達も全滅していた事なので、他の冒険者の方々に被害が出る前にも、宜しくお願い致します!」
話を聞き入れて貰えた事で、一先ず安心をするローレンツ。
自分に出来る事は少ないが、それでも人の為に成る事をしたい。
それが先程、僕達と約束をした事でもあるからだ。
そうして報告の終わったローレンツは、「次の討伐依頼が控えていますので」と一礼をして部屋を出て行った。
それを笑顔で見送ったギルドマスター。
ただ、その笑顔のままでいられる状態では無かった。
その場から立ち上がり、自室から外を覗く。
そのまま領都を見渡しながら、何かを深く思案して。
そこから見える光景は、ギルドマスターの心の不安を映すように、夕日が消えかけて夜へと切り替わる瞬間。
まるで、一縷の希望の光が呑み込まれてしまい闇に支配されてしまうようだ。
「...一体、何が起きていると言うのだ?...どうか、私の思った事は起きてくれるなよ」




